フェニキア人という古代人について見ていきましょう。地中海貿易を担い、現在使われるアルファベットを発明したことで現代社会にも影響を与えた人々です。
海に生きた冒険家であり商人だったフェニキア人。
実は古代世界だけでなく、現代世界にも大きな影響を与えました。
地中海交易を支配して当時の地図に載っていない世界の探索を行っただけでなく、現在我々が使用しているアルファベットを発明したのもフェニキア人なのです。
つまり、現在何気なくアルファベットを使っている我々は、このフェニキア人に大いに感謝すべきってこと!
この記事では、そんなフェニキア人について詳しく解説していこうと思います。
フェニキア人とは誰か?
紀元前1200年頃、東地中海地方に民族移動が起こると、その地域一体を支配していたヒッタイトが滅び、また、古代エジプトの力も衰えていきます。
そして、これら大国の衰退に乗じて、両国の支配下にあったセム語系の諸民族が自立し、活躍を始めるようになるわけですが、このセム語系の諸民族の一つがフェニキア人でした。
フェニキア人とは古代の貿易を大きく担った人々
フェニキア人は主に地中海を中心に海上貿易に従事して海洋文明を築いた古代人でした。
紀元前1200年頃に帝国の支配から解放されたことで、地中海沿いの中東エリア(現在のレバノン、北イスラエル、南シリア)を拠点とし、アラドス、ビュブロス、シドン、ティルス、ベリュトスなどに都市を築き地中海方面へ貿易を拡大していきました。
(出典:youtube)
旧約聖書の申命記の中で「イスラエル人に追われる7つの民の一つ」として描かれる「カナン人」が母体(時間を経て変容した)だとされ、言語学上ではカナン諸語に分類されるフェニキア語を話していたとされます。
一方、「フェニキア人」という名前は、古代ギリシャ人によって「フェニキア語を話す人々によって統治されている、港のある町に住む人々」という意味を込められて作られた言葉。
「フェニキア帝国」などという国があったわけではなく、自らをフェニキア人と呼んでいたわけではないのです。
また、主要都市の周りに存在して独立した政治体制をもつ「都市国家」に住み、複数の「フェニキア人都市国家」の間では、言語や文化が共有されたり、一緒に仕事に取り組むこともあったようです。
フェニキア人が偉大な理由:「アルファベット」の発明
そして、フェニキア人は古代世界だけでなく、現代世界にも大きな影響を与えた人々であることを忘れてはなりません。
というのも、フェニキア人こそ、現代社会に欠かせないあるものを発明してくれたから。
それは、彼らの開発した線状の文字である「フェニキア文字」。
このフェニキア文字こそが、現在、世界中で使われるアルファベットの起源となったのです。
フェニキア人の信仰
フェニキア人達の信仰は複数の神を崇拝する多神教であり、その信仰の中の神達は、星・惑星・星座に関係していたようです。
(出典:Pinterest)
さらに、フェニキア人の信仰は、エジプト文明、メソポタミア文明、ギリシャ文明の影響を大きく受けていたとも考えられます。
例えば、フェニキア人は古代エジプトの神「オシリス」を認識し、ギリシャの英雄「ヘラクレス」を崇めていました。
フェニキア人の歴史ダイジェスト
エジプト文明の衰退後に勢いをつけたフェニキア人は、ヨーロッパ・中東・北アフリカの地中海沿いに港都市を開拓していきました。
中にはフェニキア人が歴史から姿を消した後も繁栄を続けた、「カルタゴ(現在のチュニジアに作られたあった古代都市国家)」のような植民都市も含まれています。
(カルタゴの遺跡)
その結果、紀元前1200年から紀元前800年頃まで、フェニキア人は地中海貿易のほとんどを担っていました(紀元前700年代からはギリシャ人も地中海での植民活動を展開し始めた)。
加えて、それまで「世界の果て」だと考えられていた地中海の外へフェニキア人達が探索を始め、ついには地中海を抜け出し、北はアイルランド、南は西アフリカまで到達します。
また、紀元前539年にキュロス2世によってフェニキア人が住んでいた都市国家が侵略され、ペルシャの支配下に入りますが、ペルシャの保護を受けながら地中海貿易で活躍し続けました。
しかし、紀元前4世紀になるとアレクサンダー大王が遠征し始め、フェニキア人の諸都市は降伏。
唯一抵抗を試みたティルスも、紀元前332年にはアレクサンダー大王の統治下となります。
そして、この流れの中でフェニキア人はギリシャ人文化に徐々に同化していき、フェニキア人の文化はゆっくりと衰退していくことになったのです。
フェニキア人の海上貿易とアルファベット
ここでは、フェニキア人を特徴付ける「海上貿易」と「アルファベット」について簡単に見ていきましょう。
フェニキア人と海上貿易
フェニキア人は優れた航海術をもっており、フェニキア人の特産品であるレバノン杉や、衣類を紫色に染めることのできる珍しい染料を地中海に渡って販売することでその名声を得ていました。
フェニキア人が扱っていた紫色の染料はとても貴重で高価なものだったことから、貴族であることを表す色と認知され、財力や権力を持つ者しか手に入れることができませんでした。
※生産の難しさ、目立つ色彩、そして色落ちに対する耐久性から、この染料は人気が高くて高価なものだった。同じ重量では金の価値を上回るほどだったため、フェニキア人はこれによって国際的な名声と莫大な富を得た。
「フェニキア」という言葉も、実はギリシャ語で「紫」を意味する「phoínios」に由来しています。
また、レバノン杉は特にアフリカの砂漠地帯に住んでいる人々に喜ばれたと言います。
一方で、フェニキア人は地中海沿いの港をうまく使い、諸国家や諸都市で手に入れた商品を別の国家や都市に売ることでも栄えていきました。
例えば、
- ギリシャとイタリアで仕入れたワインをエジプトへ
- エジプトで仕入れた金をヨーロッパの各都市へ
などといった具合です。
さらに、スペインから銀を、イギリスからは錫(スズ)を、西アフリカからは金を手に入れていました。
ちなみに、このような海上貿易の発展に欠かせなかったのが、フェニキア人が航海で使用したガレー船と呼ばれる船。
「備え付けられた帆で受ける力」と「乗組員がオールを使って漕ぐ力」を利用出来ることに加えて、フェニキア人のガレー船は、船の上下2段に漕ぎ手を配置出来る構造になっていたため、地中海を早く航海し、各都市で多くの物資を効率的に運んで交易することが可能だったのです。
フェニキア人とアルファベット
エジプトで生まれた象形文字が決まった「意味」を持つのに対し、フェニキア文字はそれぞれ決まった「音」を持っているのが最大の違いであり特徴で、この結果、現代社会でも使われているアルファベットが生まれることになりました。
「フェニキア人のアルファベット」は、紀元前1050年頃に作られたと考えられています。
この頃、地中海で行われる貿易のほとんどを執り行っていたのはフェニキア人でしたが、貿易を支配する上では「情報」の伝達が欠かせませんでした。
そこで、フェニキア人達は線状の文字を体系化して、地中海沿いのどの港でも使用出来るフェニキア文字を作り上げたのです。
フェニキア文字は、「決まった意味を持つ象形文字だと人によって意味を取り違えて誤解が生まれやすい」という弱点を補い、地理的に離れた場所であっても情報がより正確に伝わりやすいというメリットをもたらし、フェニキア人が地中海の覇者となるのを後押しました。
その後、
- ギリシャがフェニキア文字を取り入れて子音と母音からなる書き言葉を作り上げた
- ギリシャが地中海貿易を支配していくなかで、その文字が広く使われるようになっていった
- この文字はイタリアに住むエトルリア人に伝えられた
- エトルリア人はローマ人に伝えて、そこからラテン語が発祥した
という流れで、「フェニキア人のアルファベット」は時が経つにつれ形を変え、現代の私たちが使うアルファベットへと変遷していったのです。
他にもフェニキア人に関して知っておきたい3のこと
さて、フェニキア人について絶対に押さえておきたい基本的な知識を確認してきましたが、ここからは、さらにフェニキア人に対する理解を深めるために、他にも知っておきたい3つのことを見ていきたいと思います。
現在もフェニキア人の血は存続する!
フェニキア人の文明は時間の経過と共に失われてしまいましたが、この古代の船乗り達の遺伝子は、どうやら今日でも生き続きているようです。
2008年、ナショナルジオグラフィック誌のChris Tyler Smith氏と、その他の研究者複数名は、フェニキア人が当時居住していたとされる、シリア、パレスチナ、チュニジア、キプロスおよびモロッコの男性1,330人のDNAテストを実施しました。
そして彼らのY染色体を分析することで、フェニキア人の血を引く男性は、これらフェニキア人交易の中心地となった場所における現代人口の「少なくとも6%を占めている」ことが明らかになりました(参照:Zalloua et al., 2008)。
また、同じY染色体は男性の子孫が続かない限り途切れてしまうことから、「フェニキア人男性のY染色体の痕跡が消滅してしまわないほど多くのフェニキア人が、これらの地域に存在していた」という結論も示唆されています。
つまり、フェニキア人の女系子孫も含めれば、フェニキア人の血を引く人間はこれら地域にかなり多く存在する可能性があるということになるのです。
2007年、フェニキア人のカディスが神話から歴史的事実に変わった
フェニキア人は紀元前1100年頃、現在はスペインの湾岸都市として栄えるイベリア半島の「カディス」を作ったと言われますが、実はこのことを含めて古代カディスの存在は、2007年までは単なる神話に過ぎないと考えられていました。
しかし2007年、紀元前8世紀ごろの壁の残骸と神殿の痕跡が、考古学グループによってこの地で発見されたのです。
また、それまで発見されていなかったフェニキア人の陶器、瓶、お椀やお皿なども発掘され、葬儀の痕跡や複雑に作られたブローチなどを見ると、「フェニキア人のガディス」は非常に洗練された都市であったことが分かりました。
さらに、発掘の過程では遺骨も発見され、スペイン人の遺伝学者がDNAを分析した結果、紀元前720年ごろ亡くなったフェニキア人であることが分かっています。
ポルトガルよりもっと昔にアゾレス諸島を開拓していた?
アゾレス諸島は西ヨーロッパ沿岸から、約1600km離れた地中海の外に位置し、現在はポルトガル領に含まれる島々。
現在の通説としては15世紀にポルトガル人が到着した際、この諸島はそれまで人の手に一切触れられてこなかったと考えられています。
しかし、
- 地中海を出て北大西洋を航海する上で、このアゾレス諸島は重要な拠点ともなり得る場所であり、地中海を出てイギリスやアフリカ南西を目指したとされるフェニキア人も手をつけていたのではないか?
- 2010年、ポルトガル考古学調査協会のNuno Ribeiro氏の調査報告によると、テルセイラ島(アゾレス諸島の島)で発見された石の彫刻は、かつて考えられていたより1000年以上も前にアゾレス諸島に人類が定住していた可能性を示唆している
という理由に加え、Ribeiro氏は紀元前4世紀の建造物を多数発見したことを明らかにし、これはフェニキア人の神を祭るために建設されたカルタゴの神殿の残骸であるとも主張していることから、アゾレス諸島はポルトガル人以前に、すでにフェニキア人によって開拓されていたかもしれないという話が浮上しています。
※フェニキア人の神を祭るために建設されたカルタゴの神殿の残骸という主張には疑問視する声も上がっている
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フェニキア人|地中海貿易を担った古代人で現在にも大きな影響を与えた人々のまとめ
フェニキア人は航海術に長けた古代人であり、その航海を支えたフェニキア文字は時を経るにつれて形を変え、現代のアルファベットが形成されていきました。
そして、最近の研究によると、どうやらフェニキア人の遺伝子は、当時フェニキア人が拠点としていた地域では特に受け継がれていることが分かっています。
とにかく、現代に生きる我々が何気なく使うアルファベットを発明したという点では、感謝しても仕切れない古代人であることは間違いなさそうです!