古代エジプト人の歴史・生活・文字|古代エジプトについて知っておきたい14のこと

古代エジプト人の歴史に関して、興味深い14個のことを紹介していきます。日頃の生活から有名な文字ヒエログリフについてまで、古代エジプトに興味を持ったら要チェックです。

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現在のエジプトの土地に紀元前3000年頃から、紀元前30年頃まで続いた古代エジプトでは、有名なクレオパトラやツタンカーメンを始め、ピラミッドやスフィンクスなど、後世まで語り継がれる多くの人や物が現れました。

そんな古代エジプトの歴史は、現代を生きる多くの人にとって、一種のロマン的存在でもあります。

そこで、古代エジプトに生きた人々に関して、彼らの生活に関することや文字に関すること、他にも習慣に関することなど、歴史的に見て興味深いことを14個ピックアップして紹介していきたいと思います。

古代エジプトに関する知識を深めたい人は必見です。

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目次
  1. 古代エジプトの歴史や生活1:古代エジプト人は色々な動物をペットにしていた
  2. 古代エジプトの歴史や生活2:男女共に化粧をした
  3. 古代エジプトの歴史や生活3:女性の地位も男性に遜色ないほどだった
  4. 古代エジプトの歴史や生活4:古代エジプト人の書記官がヒエログリフで記述することは稀だった
  5. 古代エジプトの歴史や生活5:古代エジプトの王には女性もいた
  6. 古代エジプトの歴史や生活6:太っているファラオが多かった
  7. 古代エジプトの歴史や生活7:ファラオが皆ピラミッドを建設したわけではなかった
  8. 古代エジプトの歴史や生活8:ピラミッドを建造していたのは奴隷ではない?
  9. 古代エジプトの歴史や生活9:労働者はストライキを起こしていた
  10. 古代エジプトの歴史や生活10:古代エジプトの医者は分業化していた
  11. 古代エジプトの歴史や生活11:古代エジプト人はボードゲーム愛好家だった!?
  12. 古代エジプトの歴史や生活12:古代エジプト人はラクダに乗っていなかった
  13. 古代エジプトの歴史や生活13:生者と死者が飲食物を分け合った
  14. 古代エジプトの歴史や生活14:歴史上最古の平和条約を結んだ
  15. 合わせて読みたい世界雑学記事
  16. 古代エジプト人の歴史・生活・文字|古代エジプトについて知っておきたい14のことのまとめ

古代エジプトの歴史や生活1:古代エジプト人は色々な動物をペットにしていた

古代エジプト人は動物たちを神の化身と考えていました。古代エジプトは、猫を初めて家庭のペットにした文明でもあります。

特に好んだのは、女神バステトと深い関係にあるとされた猫でしたが、鷹やトキ、犬、ライオン、ヒヒなども大事にしていました。

ペットの多くは家庭内で特別な位置を占めており、死んだ後は飼い主の手でミイラにされることが多かったようです。

また、なかには人間の助手となるために特別な訓練を受ける動物もいたと言われ、例えば、当時のエジプトの治安を担当する人間は犬を連れたり、場合によっては、なんと猿を連れてパトロールしていたと言います。

古代エジプトの歴史や生活2:男女共に化粧をした

現代では、化粧は女性がするものであり、男性は化粧をしないという考えが一般的。少しずつ変わりつつあると言っても、未だにその考えが主流です。

一方で、古代エジプトの生活において、男性が化粧をすることは一般的にも受け入れられていたよう。

古代エジプト人は化粧をすることで、そこにホルス神と太陽神ラーの加護が宿ると信じていたのです。

クジャク石や方鉛鉱(ほうえんこう)といった鉱石をすり潰してコール墨と呼ばれるものを作り、それを化粧品として使っていました。

そして、木や骨や象牙で作った器具で、目の周りにコール墨をふんだんに塗り、女性の場合は頬紅を使ったり、ヘナという染料で手や爪を染めました。

さらに、両性とも、ミルラやシナモンのオイルから作られた香料を身にまとっていたようです。

古代エジプトの歴史や生活3:女性の地位も男性に遜色ないほどだった

古代エジプトでは、男性と女性は同等の社会的地位にあり、法律上では対等に扱われました。

つまり、女性でも所有し、収入を得て、売買し、財産を相続することができたってこと。

古代エジプト人の女性は、男性の庇護がなくても生活していくことができ、万一、夫と死別したり離婚したりしても、子どもを養い育てていくことができたのです。

また、女性も訴訟を起こすことができ、逆に法廷で裁かれることもありました。夫の不在時には、夫の代役を務めることもありました。

そして、古代エジプトではもしも男性と女性が同じ仕事をした場合、女性も同等の報酬を受けていたと言われ、さらに、エジプト人女性には離婚と再婚の権利が認められていました。

現代声高に叫ばれる男女平等を、はるか昔に実現していた文明だったんです。

ちなみに、夫婦間の役割は対照的なもので、妻は「一家の女主人」として、家の中に関するすべての事柄を担い、子育てをして家事を担当する一方、夫は結婚生活の主導権を握っており、稼ぎ手としての役割と責任を負っていたとされています。

古代エジプトの歴史や生活4:古代エジプト人の書記官がヒエログリフで記述することは稀だった

古代エジプトでは3種の文字が使われており、その中でも一般的に有名なのがヒエログリフという象形文字。

現在でも石板などに描かれたヒエログリフが残っており、古代エジプト人、特に記録することを仕事としていた書記官などは、ヒエログリフを使って記述していたと思うかもしれません。

しかし、この何百もの複雑な形の文字から成るヒエログリフは、眺めるのは美しいですが、それで記すとなると時間がかかります。

そのため、ヒエログリフは墓や寺院の壁を装飾するため、また、王家の業績を記録する文書など、最も重要な類の文書にのみに使われました。

代わりに、古代エジプトの書記官たちは、日々の業務の中で通常は、ヒエログリフを簡素化あるいは簡略化した文字体系のヒエラティックを使っていたと言われます。

そして、エジプト王朝の末期にかけては、デモティックと呼ばれる、ヒエラティックをさらに簡素化した文字体系が使用されました。

ちなみに、当時の識字率は10%未満と推定されるため、古代エジプト人で、ヒエログリフあるいはヒエラティックのいずれかを読むことができた者はほとんどいなかったと思われます。

古代エジプトの歴史や生活5:古代エジプトの王には女性もいた

古代エジプトの王は、先代の王の息子であることが理想とされていました。

しかしながら、それは現実的には難しく、戴冠式を経れば、どんなに王の候補になりそうにない者でも、王としての地位を認められたのです。

そして、古代エジプトの歴史上では、少なくとも3人の女性が王位を継承し、女王として国を統治しています。

なかでも最も成功した女王はハトシェプスト(古代エジプト大18王朝第5大のファラオ)で、20年以上にわたりエジプトを統治し、その間古代エジプトは繁栄しました。

また、ハトシェプスト以外の女性には、セベクネフェル(第12王朝の第8代ファラオ)とタウセルト(第19王朝最後のファラオ)の名前を挙げることが出来ます。

古代エジプトの歴史や生活6:太っているファラオが多かった

古代エジプト絵画では、ファラオはほっそりと優雅な姿形に描かれるのが一般的でしたが、これは事実とは大分違ったかもしれません。

古代エジプト人の食事はビール、ワイン、パンに蜂蜜と、多量の糖分が含まれていたらしく、これは王家のウエストにも影響したのだとか。

つまり、エジプトの為政者の多くは不健康で太っており、糖尿病にも苦しんでいた可能性があるってことです。

例えば、先述した古代エジプトの女王ハトシェプスト。

石棺に描かれている彼女の姿はほっそりとしなやかですが、実際は肥満体で禿げかかっていたという考察もあります。

古代エジプトの歴史や生活7:ファラオが皆ピラミッドを建設したわけではなかった

 エジプト古王国(紀元前2686年~紀元前2125年前後)とエジプト中王国(紀元前2055年~紀元前18世紀頃)の歴代ファラオのほとんどが、エジプト北部の砂漠にピラミッド型の建造物を建設しています。

この人目をひく建造物は、王と太陽神ラーを関連づける一方で、天地創生のカオスのなか、海中から山が出現した様子を再現するものだと考えられています。

しかし、エジプト新王国時代(紀元前1550年)が始まる頃には、ピラミッドの建造は時代遅れになっていたのかもしれません。

王たちは、記念の建造物として代わりに、葬祭殿(古代エジプト王の葬儀や礼拝のために建てられた祭殿)を、耕作地(生活の地)とやせた砂漠(死者の地)の境界に建設し、その葬祭殿が王家の祭祀の中心的な役割を果たしていくようになります。

古代エジプトの歴史や生活8:ピラミッドを建造していたのは奴隷ではない?

かの有名な歴史家ヘロドトスは、ピラミッドが10万人もの奴隷を使って建造されたと考えていました。

ヘロドトスが唱える、男性や女性、子どもたちが劣悪な労働環境の下、労働力として酷使されるイメージは、現代の映画製作シーンでは、非常に馴染みのあるものとなっています。

しかしながら、それは事実とは異なるようです。

実際には、賃金の給付を受けた5000人の常用労働者と、2万人の臨時雇いの労働者によって建造されたそう。

彼らは奴隷ではなく報酬をもらって働く労働者であり、中には自分の造ったものにプライドを持っている人もいたようです。

こうした労働者は3ヵ月や4ヵ月といったシフト制で、一定期間のみピラミッド建造現場で働いたのち地元に戻る、国家の賦役(ぶえき)制度の下に徴集された人々だったと言われています。

また、これら古代エジプト人労働者達は、ピラミッド建設現場近くのキャンプに仮住まいし、食糧や飲料、医療などのかたちでも報酬を受け取り、労働中に亡くなった者は近くの墓地に埋葬されました。

とは言うものの、やはりピラミッド建設に携わる生活は楽なものではなかったようで、多くの人達が、関節炎や重労働で引き起こされたその他の病気に掛かっていたようです。

ちなみに、ピラミッドの近くで見つかった落書きを見る限り、「メンカウラー王の酔っぱらいたち」や「クフ王の友」といった、ユーモアたっぷりの呼び名を作業チームにつけていたことも分かっています。

古代エジプトの歴史や生活9:労働者はストライキを起こしていた

ファラオは生きた神とみなされていましたが、それでも古代エジプトの労働者たちはより良い労働条件のために抗議を起こすことを恐れなかったようです。

最も有名なのは紀元前12世紀、ラムセス三世によるエジプト新王国の治世の間に起こったストライキ。

ディール・エル=メディナに王家の墓を建設していた労働者たちが、通常の報酬を受けられずに起こしたのが理由とされています。

また、このストライキは記録が残っている中では歴史上、最も古いストライキの1つで、とった手段は座り込みだったそうです。

近くの埋葬殿に入り、抗議が受け入れられるまで立ち退きを拒否したのです。

賭けは奏功し、報酬は払われ、古代エジプト人達は日頃の生活に戻っていきました。

古代エジプトの歴史や生活10:古代エジプトの医者は分業化していた

古代、医者と言うのは基本的に何でも屋である場合がほとんどでしたが、古代エジプトには体の一部を直すのに特化した医者がいたようです。

例えば、旅行家であり歴史家であるヘロドトスによって、紀元前450頃に記録された記述には、

「医者は一つの病気を治すことに特化していてそれ以外のことは出来ない。ある者は目、ある者は歯、ある者は腹の病気といった具合だ」

といった様なことが書いてあります。

そして、それら専門医は、「歯の医者(歯医者)」や「肛門の先生(直腸肛門科医)」などと呼ばれていたそうです。

古代エジプトの歴史や生活11:古代エジプト人はボードゲーム愛好家だった!?

ナイル川で一日の労働を終えた後は、ボードゲームをしてくつろぐと言うのが、古代エジプト人の一般的な生活スタイルだったよう。

多様なゲームがあったようですが、おそらく最も人気があったのは「セネト」と言うボードゲームでしょう。

これは紀元前3500年頃に流行った、運の要素が強いゲームで、30のマスが描かれた長い板を使って遊びます。

駒を1セット用意して、サイコロまたは専用の棒を転がして出た目の分だけマスを進めていきます。

明確なルールについては議論がありますが、その人気については疑いようがありません。

王妃ネフェルタリがこのゲームをしている絵が残っていたり、ツタンカーメンの霊廟にもこのゲームが入っていたとされます。

古代エジプトの歴史や生活12:古代エジプト人はラクダに乗っていなかった

現在、エジプトのピラミッド近辺ではラクダに乗れるオプションなどがあり、多くの観光客が楽しんでいます。

しかし、古代エジプト王朝時代末期になるまで、ラクダは日常的に生活のなかで使われていませんでした。

代わりに、古代エジプト人は荷物の運搬にロバを使い、利便性に優れた輸送手段であるとして誇っていたのです。

そのため、エジプトのピラミッド観光へ行った際、ラクダに乗れば古代エジプトの雰囲気が感じられるかもしれないというのは、ちょっとした間違いなので覚えておきましょう。

古代エジプトの歴史や生活13:生者と死者が飲食物を分け合った

古代エジプト人の墓は、ミイラとなった死者の肉体とカー(精神)が共に宿る、永遠の住まいとされていました。

そして、遺族、祈りを捧げる人、聖職者は、お墓(トゥーム・チェペル)にいる故人のもとを訪れて、カーが必要とする供え物を定期的に捧げることが許されていたため、訪れた人々によって、飲食物が定期的に供えられていました。

しかし、ただお供え物をして終わりではなく、カーが精神的な意味で供え物を飲食したあと、まだ生きている古代エジプト人の訪問者達は、そのお供え物を一緒に食べたり飲んだりしたのです。

また、毎年行われる死者の祭りである「谷の祭り(feast of the valley)」の時期には、多くの身内が先祖のトゥーム・チャペル内で一晩を過ごします。

夜間にはたいまつを灯し、飲食をして過ごし、死者との再会を祝っていたそうです。

古代エジプトの歴史や生活14:歴史上最古の平和条約を結んだ

現在のシリアをめぐり、古代エジプトとヒッタイトは二世紀にもわたる戦争を繰り広げていました。

争いは、紀元前1274年のカデシュの戦いなど、数々の惨劇を引き起こし、ラムセス二世の治世になっても決着はつきませんでした。

しかし、エジプトもヒッタイトも第三者の脅威に直面し始めた結果、ラムセス二世とヒッタイト王ハットゥシリ三世は、有名な「成文化された平和条約」を結ぶことになります。

紀元前1259年のことです。

条約締結によって争いは終わり、第三者の侵略を受けた場合はお互いを支援することが取り決められました。

これは記録に残っている中では歴史上、最も古い平和条約と見なされており、ニューヨークの国際連合安全保障理事会会議場の入り口上部には、その平和条約の複写が飾ってあります。

合わせて読みたい世界雑学記事

古代エジプト人の歴史・生活・文字|古代エジプトについて知っておきたい14のことのまとめ

古代に存在した文明の中でも非常に有名な古代エジプトに関して、歴史上興味深い14のポイントを挙げてきました。

当時住んでいた古代エジプト人や生活習慣などは、一般的にイメージされるものとは結構違うことが伺えます。

世界のことって面白いよね!By 世界雑学ノート!

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