リオのカーニバルの歴史と起源を見ていきましょう。ブラジル文化を代表する有名なリオのカーニバルは、多民族国家ブラジルの歴史を反映する文化遺産とさえ言えます。
南米最大の国ブラジルには、世界的に有名な多くのものがありますが、その中の一つにリオのカーニバルがあります。
毎年、100万を越す観光客が、リオのカーニバルを観るためにリオデジャネイロを訪れるほどで、人々は全てを忘れて踊り狂い、この盛大な祭典を楽しむのです。
さらにリオのカーニバルはただ有名なだけでなく、ブラジルの歴史を知るための一つの文化的遺産とさえ言えます。
この記事では、そんなリオのカーニバルを理解するためにも、その歴史や起源を詳しく見ていきたいと思います。
まずは、リオのカーニバルの概要を確認することから始めていきましょう。
ブラジル文化を代表するリオのカーニバルとは?
リオのカーニバル(Rio Carnival / Carnival in Rio de Janeiro)とは、ブラジル東部に位置し、国内最大の観光都市として知られるリオデジャネイロで行われるカーニバルです。
カーニバルとは西ヨーロッパに広がったキリスト教諸派にとって重要な祝祭で、キリスト教のカトリック信者が大半を占めるブラジルにおいても大切な行事として行われてきました(ただし、現代では宗教とは関係ない祝祭としても行われることが多い)。
毎年、2月の上旬から下旬までの間に開催される5日間ほどのお祭りとして、最終日は四旬節(イースターまたは復活祭の46日前からイースターの前日までの期間)の初日にあたる灰の水曜日の前日に当たるように調整されるのが習わしです。
一方で、リオのカーニバルはその歴史の中で、多民族国家ブラジルならではの発展をしてきました。
なかでも、アフリカ人達によってもたらされた音楽と、その他の音楽が融合して発達したダンス音楽「サンバ」は特に有名です。
このような特徴から、現在のリオのカーニバルはブラジル文化を代表する祭典としての色合いが強く、同時に世界最大の見世物の一つとして知られ、近年は毎年100万人以上の人々がこの祭典を見にやって来ると言います。
カーニバルの起源
上でも触れたとおり、リオデジャネイロで行われているカーニバルは元々、西ヨーロッパに広まったキリスト教諸派(西方教会)に起源を持ちます。
しかし、カーニバル自体の起源はさらに昔に遡ることが出来るのです。
リオのカーニバルの歴史を理解するためにも、ヨーロッパにおけるカーニバルという伝統の起源について、もう少しだけ掘り下げておきましょう。
元を辿るとキリスト教とは関係ない古代ギリシャに遡る
現在でこそ、キリスト教の行事として知られ、カーニバル(carnival)と呼ばれるこの祭典は、さらに古い歴史を辿っていくと、その起源は古代ギリシャや古代ローマ時代に行われた、異教徒(非キリスト教徒)の行事として始まった儀式やお祭りに遡ると言われます(参照:family guest out)。
奴隷と主人が服装を交換し合ったり、裕福な人が貧しい人の召使として働いたりといったことが行われ、皆でお酒を楽しんで酔っ払い、身分に関係なく皆が休日を楽しみました。
当時の社会において、このカーニバルの原型とでも言える祝祭は、皆で楽しんで「社会のルールや規範を完全に忘れるためのイベント」であり、不平等な社会において人々が抱かずにはいられない、不満や圧力を解放する役割を持っていたようです。
キリスト教徒に伝承されて西方教会の祭典となった
その後、古代ローマ時代末期にキリスト教がローマ帝国に広まり、最終的には国教となったことで、カーニバルの原型となった行事はキリスト教徒によって継承されていきました。
そして、中世頃までにカーニバルは、西ヨーロッパに広がったキリスト教諸派において、四旬節の前に催される儀式または祭典となり、今日私たちが知るようなカーニバルへと変わっていったのです。
起源が分かるとカーニバルで騒ぐ理由が理解出来る
では、なぜカーニバルでは思い切り騒ぐのでしょうか?
まず、キリスト教の祭日の中で最も重要な、復活祭(イースター)の前日(聖土曜日)までの四旬節において、人々は「厳かにそして普段よりは質素に」過ごします。
人によっても違いますが、例えば、
- 断食をする
- 祈りに時間を捧げる
- 荘厳な儀式を執り行う
- 肉を食べないようにする(代わりに魚を食べるなど)
などを通して、精神を整えて体を浄化するといったことが行われるのです。
そして、ここで思い出して欲しいのが、古代ギリシャやローマの時代にカーニバル(となった行事)は、「社会のルールや規範を完全に忘れるためのイベント」であったという点。
つまり、厳かに生活しなくてはいけない「修行期間」とも言える四旬節の前に、
皆で思いっきり楽しんでストレスを発散しておこう!
といった意味合いで行われるようになったのが、キリスト教におけるカーニバルでした。
このような背景から、キリスト教世界においてもカーニバルの期間中は、
- 貧しい者が裕福な者しか着ることを許されない服を着る
- 仮面をして自分の素性を隠す
- 主人や地主のために働かなくてもよい
- 目上の人に対してお辞儀をしなくても良い
- 身分に関係なく皆で楽しむ
といったようなことが行われるようになっていったのです。
ブラジルのカーニバルの歴史
カーニバルの起源が分かったところで、ここからはブラジルのカーニバルの歴史を、歴史ダイジェスト、サンバの歴史、サンボードロモの歴史の3つのポイントに分けて見ていきましょう。
歴史ダイジェスト:1723年に始まって現在の姿に変わっていった
四旬節前のお祭りは西方教会に分類されるカトリック社会にとって、非常に重要な伝統でした。
その結果、ブラジルの地へポルトガル人の入植が本格的に始まった18世紀前半、ポルトガルからの入植者達によってカーニバルの習慣が持ち込まれ、1723年から祝祭として始められたと言われます。
当時、このお祭りは「エントルード(Entrudo)」と呼ばれていました。
エントルードでは音楽やごちそうが用意されただけでなく、盛大な水かけ合戦も行われたようで、人々は水や泥でいっぱいになったバケツを、何の前触れもなしに他人にかぶせて楽しみました。
もちろん、前述したように、このお祭りの最中は全ての人が平等だったため、お金持ちや貴族も関係なく水をかけられたと言います。
そして、時が経過するにつれ、エントルドは「カーニバル」と呼ばれるようになり、社会のルールが無視される自由の精神を受け継ぎながら、水かけ合戦が廃れる代わりに、巨大なパレードやダンス、そして凝った衣装を着た仮面舞踏会が開催されるようになっていったのです。
ちなみに、20世紀の半ばから後半にかけてブラジルが軍事独裁体制下にあった時、ほとんどのものが検閲されて制限されても、カーニバルだけは残りました。
そしてこの機会を活用して、人々は仮面やコスチューム、そして様々なパフォーマンスによって政府に対する反対の姿勢を表明。
現在のリオのカーニバルは、当時の苦難を乗り越えてきたブラジル人達のプライドでもあると言えるのです。
リオのカーニバルにおいて大切なサンバの歴史
18世紀から19世紀にかけて、今日知られるようなカーニバルが少しずつ形作られていったわけですが、カーニバルが大きな変化を遂げたのは、ブラジルが奴隷制を廃止し、アフリカ系ブラジル人がカーニバルに参加できるようになってから。
かつて、ブラジルには非常に大きな奴隷人口が存在しており、奴隷から解放された彼らは、仮面やパレード、そして特にアフリカの伝統的なリズムを持ち込み、カーニバルを大きく変えたのです。
1888年頃、リオデジャネイロ近郊に住む元奴隷たちが、アフリカとポルトガル系ブラジル人の伝統を組み合わせて、サンバというダンス音楽のジャンルを新しく作り出しました。
それからおよそ30年の時を経た1917年、サンバは公式にカーニバルに取り入れられます。
サンバは急速にブラジル中に広がり、瞬く間にカーニバルの最も重要な一部となりました。
そして1928年、ブラジル初のサンバ学校が開かれ、サンバなしでカーニバルは語れなくなりました。
現在、サンバ大会、サンバパレード、カラフルなサンバダンサー、豪華な出し物(山車)、そしてアップビートなサンバ音楽は、リオのカーニバルになくてはならないものとなっています。
リオのカーニバルに欠かせない「サンボードロモ」が歴史に名を刻む
現在、リオのカーニバルにおいてメインとなるイベントは、サンボードロモ(サンボードロモ・ダ・マルケス・ジ・サプカイ)と呼ばれる「サンバ学校のパフォーマンスを披露するための巨大施設」で行われています。
一方、30年ほど前まで、リオのカーニバルはリオデジャネイロの歴史的なマルケス・ジ・サプカイ通りで行われていました。
しかし見物客があまりにも多くなったため、通りの挟むように観客席を作ろうという計画が浮上。
これがサンボードロモの始まりです。
リオデジャネイロ生まれの有名な建築家「オスカー・ニーマイヤー」によって設計されたこのサンボードロモは、1984年に初めてカーニバルの会場となり、これ以来、世界トップクラスのサンバ学校がコスチューム、踊り、音楽、そして出し物を見せ合う場として使われてきました。
そして、サンボードロモは今日ではカーニバルの新しい一部、そしてメインの場所となっており、毎年非常に多くの観光客が、アフリカとヨーロッパが合体したブラジルのユニークな文化を見物しに、この場所へ集まってきます。
さらに、サンボードロモで行われるメインイベントは、世界中のテレビ番組が注目するため、リオのカーニバルの期間中は、世界中からテレビ局のクルーが押しかけます。
リオのカーニバルを観に行きたいならその年のスケジュールチェックが必須!
キリスト教の伝統では、復活祭(イースター)の日付が毎年変わり(※西方教会では3月22日から4月25日の間のいずれかの日曜日が復活祭となる)、それに従って四旬節も変わるため、リオのカーニバルが開催される日付も異なってきます。
そのため、もしもリオのカーニバルを観に行きたいなら、その年の具体的な開催日を確認しておくことが必須です。
ちなみに、リオのカーニバルは四旬節の最初の日である「灰の水曜日」の前日「脂の火曜日」が最終日になり、初日はその前週の金曜日。
このことを抑えておけば、仮にリオのカーニバルの具体的な開催日が分からなくても、イースターまたは四旬節の日が分かれば、カーニバルの開催日も計算出来ます。
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リオのカーニバルの歴史と起源|ブラジル文化を代表する有名なもののまとめ
リオのカーニバルの歴史や起源について詳しく見てきました。
実は、同じようなカーニバルは、ブラジル全土でたくさん行われています。しかし、やはりリオデジャネイロのカーニバルの大きさに匹敵するものはありません。
リオのカーニバルは、歴史を通してブラジル人達が育んできた、伝統と文化の集大成なのです。