ロシアの国旗の意味や色、そして歴史や由来についてまでも見ていきましょう。国際社会で大きな存在感を示してきたロシアを象徴する旗です。
ユーラシア大陸の東から西まで広がる広大な国土を有し、世界で最も広い面積を持つ大国ロシアは、近現代の歴史の中で非常に大きな存在感を示してきました。
そのような国際情勢での立ち位置もあり、ロシアの国旗は世界的に見ても比較的知られている国旗の一つとなっています。
このロシアの国旗とは、どのような色やデザインが施され、どのような意味を持ち、そしてどのような歴史と由来を抱えているのでしょうか?
この記事では、ロシアの国旗について詳しく見ていきたいと思います。
ロシアの国旗のデザインや色の意味とは?
現在のロシア連邦の国旗は、3つの異なる色から構成された三色旗。
上から白、青、赤の同サイズのストライプが平行に配置され、縦と横の大きさが2:3にデザインされた旗となっています。
この現在のロシア連邦の国旗は1991年12月25日にソ連が崩壊した後、ロシア連邦が成立してから2年弱が過ぎた1993年12月11日、正式に「国旗」として制定されました。
ちなみに、ソ連崩壊直前の1991年8月から、現在の国旗が制定される直前の1993年12月11日以前までは、縦と横の比率が1:2で青色部分が水色に替わった旗が、一時的に国旗として使われていたことがあります。
ロシア国旗の色の意味とは?
では、ロシアの国旗に描かれた3色はそれぞれ、どういった意味を持っているのでしょうか?
まず結論から述べると、その意味についてはいくつかの仮説があり、確実なものはありません。
これは、ロシアの憲法では現在の国旗が持つ意味について何も定義もしていなければ、その意味についても触れることさえしておらず、ロシア政府も正式な見解を示していないのが理由です。
そのため例えば、白、青、赤のそれぞれには以下のような異なる意味が紐付けられることがあります。
- 白
- 平和、純粋、完璧
- 青
- 信仰、忠誠、真実
- 赤
- 恒常性(不変)、力、勇気、愛
ただし、中でも次の意味の組み合わせが一般的に広く受け入れられています。
- 白
- ロシア国民の率直さと高潔さ
- 青
- ロシア国民の忠実性と誠実さ
- 赤
- ロシア国民の勇気と愛
また他にも、そこまで一般的ではないかもしれませんが、次のような意味の解釈もあります。
- 白
- 平和を象徴している
- 青
- 純粋さを象徴している
- 赤
- (ソ連時代の)共産主義に関連している
ロシアの三色旗が持つ元々の意味
ちなみに、現在使われているロシアの三色旗は元々、ロシアがまだロシア帝国となる以前、まだ君主が「ツァーリ」と呼ばれていたロシア・ツァーリ国またはそれ以前の時代に起源を遡ります。
そして、ロシア帝国を築いたピョートル1世(後のピョートル大帝)の統治時代にストライプ状の三色旗が作られ、当時はまだ国旗としての地位は曖昧だったものの、現在の国旗の原型が出来上がりました。
そのため、実は当時の三色それぞれの意味に対する解釈は現在のものとは異なっていたと言われており、それら元々の意味は以下の通りだいう説が存在しています。
- 白
- 高貴と率直の白ロシア人または白ロシア(ベラルーシ人またはベラルーシ)
- 青
- 名誉と純潔性の小ロシア人または小ロシア(ウクライナ人またはウクライナ)
- 赤
- 愛と勇気の大ロシア人またはロシア(民族ロシア人またはロシア)
これは、当時のロシアを地理的な視点から解釈したものです。
18世紀の初め、当時のロシアは次の三つの地域から成っていました。
それら地域とは、
- ベラヤ・ルーシ(ベラルーシ)
- マラヤ・ルーシ(小ロシア-現在のウクライナの一部)
- ヴェリカーヤ・ルーシ(大ロシア-現在のロシア連邦の西部)
の3つで、各地域のシンボルとして、それぞれに赤、白、青が割り振られていたことがあったのです。
現在のロシア国旗が制定されるまでの歴史
上でも触れた通り、白、青、そして赤の三色旗自体は、17世紀後半にはすでにロシアに出現しましたが、これが正式な形で唯一のロシア国旗となるまでには長い時間がかかりました。
艦隊の旗として採用された三色旗
後の1721年に皇帝(インペラートル)としてロシア帝国を宣言するピョートル1世にとって、ヨーロッパの強国達にロシアを大国として認めさせる上で最も重要な課題には、
- 強力なロシア海軍を作ること
- 世界の海域に進出すること
の2つが含まれていました。
後に歴史的に最も偉大な皇帝と言われ、「ピョートル大帝」と呼ばれるようになったピョートル1世は、上に述べた目的のためにも自ら海外視察へ出かけます。
その中でオランダを訪れて造船について学んだピョートル1世はまた、海軍のための旗を制定する必要性に気づき、これによって採用したのが、海軍を組織する以前にピョートル1世がロシア初の船で川を旅した時に使った「白、青、赤」の三色旗だったと言うのです。
ただし、この三色旗が海軍に採用された背景については諸説あり、オランダ国旗の色の順番を変えて取り入れただけという説もあります。
しかし、ピョートル1世はオランダへ行く前に既に三色旗を使っていたという話も残っていることから、ロシア国旗の色の由来はロシアそれ自体に起因するというのが現在は主流の説になっています。
国旗としての立ち位置はあやふやだった
一方で、現在のロシア国旗と同じ三色旗が存在していたものの、当時、この「白、青、赤」の三色旗が現在と同じような唯一無二の国旗としての立ち位置を持っていたかというと、そうではありませんでした。
というのも、当初、「白、青、赤」の三色旗はあくまでも水上で使われる旗として認識されていた上に、帝政時代のロシアにはもう一つ、「黒、黄、白」の旗が存在していたからです。
そのため、ロシア帝国においてはこの二つの旗がよく併用されることがあり、主には、それぞれ以下のような場所や状況で使われる傾向にあったようです。
- 政府機関 → 「黒、黄、白」の旗
- 商業施設など → 「白、青、赤」の旗
さらに、1855年にロシア帝国皇帝に即位したアレクサンドル2世は、「黒、黄、白」の旗を国旗として定めた結果、こちらの旗が1858年から1883年まで国旗となっていた時期もありました。
「白、青、赤」の三色旗が唯一無二の正式な国旗となったのは1883年から
しかし、元々は主に海上交易用として一般的に受け入れられていた「白、青、赤」の三色旗は、
- 1840年代に行われた汎スラヴ会議で、独立を求めるスラブ諸国の代表者たちが、白、青、そして赤を自分たちの色として選んだことで特別な意味を得た
- 1881年にロシア帝国皇帝に即位したアレクサンドル3世は、アレクサンドル2世の国旗に関する決定を破棄し、公式の場では「ロシア独自性」を表す色として「白、青、赤」の旗を使うように指示した
といったことなどが後押しとなり、1883年からは陸上での使用も一般的となっただけでなく、1917年にロシア帝国が終焉を迎え、その後、同年10月に十月革命が起こるまで、ロシア帝国の国旗並びにロシアを象徴する国旗として採用され続けました。
ソ連の赤旗の登場
1917年の十月革命のあと、ロシア帝国時代の二つの旗は使用を禁止され、「鎌、槌、星」が描かれた赤旗が使われるようになり、ソビエト連邦の権力を示すシンボルの一つとなりました。
一方で、「白、青、赤」の三色旗は共産主義に反対する、ロシア革命の亡命者たちによって使われるようになりました。
実際、1980年代終わりと1990年代初頭には、「白、青、赤」の三色旗がソビエト政権へ反対する民主化運動のシンボルとなっています。
そして、ソ連の赤旗はソ連が崩壊するまで使われ続けることになりますが、ソ連を構成していた当時のロシア「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(ロシア共和国)」では、ソ連崩壊直前の1991年8月22日にロシア共和国最高会議が、
水平方向に白、瑠璃色、緋色の帯を等幅に配した布
と表現された「白、水色、赤」の現在のロシア国旗に近い旗をロシア共和国の新たな国旗とすると決定しました。
その後、ソ連崩壊が起きてロシア連邦が誕生してからも、この新しい国旗は短期間の間使われることになるのです。
1993年に「国旗」として復活した「白、青、赤」の三色旗
ソ連時代の赤旗から決別したロシア連邦は、ロシア帝国末期に正式に国旗とされた「白、青、赤」の三色旗の旗を国旗として復活することを決定。
その結果、現在の国旗は1993年12月11日に正式に「国旗」として復活し、ロシア連邦を象徴する旗となりました。
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ロシアの国旗の意味・色・歴史・由来までを見ていくのまとめ
ロシアの国旗について、意味や色、そして歴史や由来までを見てきました。
帝国として世界の舞台に躍り出たロシアを象徴する旗としての歴史を持ち、現代社会でも多くの人によって認識されています。
ちなみに1994年、ロシア政府は8月22日を国旗の重要性を記念する日として制定しました。