勢力均衡(バランスオブパワー)と呼ばれる国際政治または外交上の理論について、2つの例も挙げながら詳しく見ていきましょう。
「ある力が働く時には必ず同じだけの強さの反動が返ってくる」
科学の授業でニュートン力学の「運動の第3法則」について学んだことがある人は、このような作用について見聞きしたことがあるのではないでしょうか?
実は、同じような作用は国家間の外交関係や国際政治でも見つけることが出来、「勢力均衡」または「バランスオブパワー」という理論として知られているのです。
そして、勢力均衡は20世紀初頭まで、国際政治の舞台では最も一般的に採用されることの多かった、国際秩序維持モデルでした。
この記事では、その勢力均衡(バランスオブパワー)について詳しく見ていこうと思います。
勢力均衡を垣間見れる過去の国際政治における2つの例も紹介していくので、気になったら確認してください。
勢力均衡とは?
勢力均衡またはバランスオブパワーとは、国際政治における概念の一つで、端的に言えば、
- 国家間における力(パワー)の均衡(バランス)
のこと。
19世紀以降の西欧的国際政治体系においては、どれか一つの国が、他の国全てを支配出来るほどの力を持たないように、国家間で繰り返し勢力の組み直しが行われ、ある一定の拮抗状態が保たれてきました。
例えば、
- ある国が軍拡を行ったら、他の国々も自国の軍隊を強化し、一国だけが突出して強い力を持つことがないようにする
- ある国が他の国にとって潜在的脅威になるのであれば、同盟を組んでパワーバランスを保とうとする
など、潜在的な脅威を感じた国は独立を保持するためにも、自国を強化したり同盟を結ぶことで、「覇権(ヘゲモニー:他国を圧倒する勢力)」を手に入れようとする国家を抑圧し、これによって「国際政治体系が維持される」という考えです。
つまり、一つの国が突出した覇権国家となって脅威が生み出されないように抑制し、拮抗状態を作ることで地域不安や紛争の可能性が高まらないようにするのが、勢力均衡(バランスオブパワー)と呼ばれる理論または秩序モデルと言えます。
勢力均衡(バランスオブパワー)の矛盾
国際政治における勢力均衡は、地域不安や紛争の高まりを抑えることを目指したモデルであったわけですが、結局のところ、その効果はある程度の平和維持までであり、また、勢力均衡による平和は非常に不安定なものでした。
というのも、
- 勢力均衡を実現するには国の力を定量的に測定する必要がある
- しかし、国家には定性的な要素が多く含まれる
- 国民の士気、国民性、愛国心、指導者の政治力など
- よって、勢力均衡を維持するためには推測を基にして動くしかない
- すると各国間では予防競争が起こり、結局は最大限の勢力獲得へ進む
- その結果、戦争が起きてしまう
という矛盾を、勢力均衡(バランスオブパワー)のモデルは抱えていたからです。
実際、勢力均衡モデルを採用した西欧的国際政治体系は、20世紀初頭に第一次世界対戦という歴史上まれに見る大きな国際紛争を引き起こしてしまいました。
そのため、現在の国際政治においては、現在でも勢力均衡に基づく政策はあるものの、
対立している国家をも含め,世界的あるいは地域的に,すべての関係諸国が互いに武力行使をしないことを約束し,約束に反して平和を破壊しようとしたり,破壊した国があった場合には,他のすべての国の協力によってその破壊を防止または抑圧しようとする安全保障の方式
(引用:コトバンク)
である「集団安全保障」による秩序モデルが、現在は国際政治における主流となっています。
国際政治における勢力均衡の例
国際政治における「勢力均衡(バランスオブパワー)とは何か?」について見てきましたが、ここからは、勢力均衡を垣間見れる過去の国際政治の例2つを見ていきたいと思います。
勢力均衡例① ヨーロッパにおける勢力均衡
ヨーロッパは国王や女王による君主国家が、そして後に民主主義国家が、地方支配をめぐって争いを繰り返してきたという歴史を持ちます。
国際政治の舞台で勢力均衡モデルが一般的であった20世紀前半においても、それは同じでした。
その中でいつしかドイツは、外交政策を拡大政策へと変更。
この動きに対してイギリス、フランス、アメリカなどの国は対抗するための同盟を結び、本来は地域不安や紛争を回避するための勢力均衡は、第一次世界大戦の勃発という結果となってしまったのです。
また、同様の動きはその後の第二次世界大戦中にも繰り返されていくこととなり、領土拡張主義に突き進むドイツが中心となった枢軸国同盟に対して、イギリスやフランスといった国はアメリカ合衆国と共に連合国を形成し、枢軸国と戦争することを余儀なくされていきました。
ちなみに、第一次世界大戦が終わると、当時の外交政策を支配していた勢力均衡モデルは廃止され、自由民主主義的な秩序を作り出すことで覇権争いを抑えようと、国際的な組織である「国際連盟(今日の国際連合の前身)」が1920年1月に発足します。
自由民主主義秩序の下で各国は、基本的な民主主義の確立と個人の人権の保護のために協力し、覇権争いを繰り返す代わりに、自由な世界の確立のために同盟を結んだのです。
そのなかでは、関係各国が武力行使をせず、約束に反して武力行使を行おうとした国に対しては他の全ての国の協力で、それを抑圧しようとする「安全保障」のモデルが誕生しました。
勢力均衡例② 冷戦下の勢力均衡
20世紀半ばから20世紀後半まで続いた冷戦は、実際の戦闘なしに対立状態が続いたため、そのような名前で呼ばれることとなりました。
この冷戦は、実は勢力均衡モデルの非常に分かりやすい例です。
冷戦では、
- 「自由主義・資本主義」国家のアメリカ合衆国
- 独裁的な「社会主義・共産主義」国家のソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)
の2つの大国が対立。
この構図は、両国が手を組んでナチス・ドイツと戦った第二次世界大戦後に浮き彫りとなります。
ヨシフ・スターリンの指導の下でソ連はまず、東欧諸国に、そして結果的には全世界に共産主義の影響を拡大し、対するアメリカは、最初は単に共産主義を隔離してその広がりを防ごうとしましたが、結果的には共産主義の存在そのものに対抗するようになっていきました。
そして、両者ともに世界の覇権を握ろうとした結果、
- 「軍拡が進む」 → それによって「勢力均衡の体制が作られる」
という流れが出来上がったのです。
例えば、
- アメリカが海軍を増強すると発表すると、
- ソ連も同様に海軍増強を行うことが見込まれれる
といった具合です。
実際、日本に落とした原子爆弾の開発から繋がる「核兵器開発競争」が、冷戦中には両国の間で起こっています。
さらに、このソ連とアメリカの勢力均衡の体制は、両サイドそれぞれについた他の国を通しても起こっていきました。
つまり、ソ連とアメリカは直接戦争をしていませんが、イデオロギー的に自らの側に立つ国家や組織を支援し、相手側の勢力が自分たちより大きくならないように勢力均衡を保ったのです。
例えば、アメリカのレーガン大統領は中米のニカラグアにおいて、ソ連寄りのサンディニスタ民族解放戦線に対して、「サンディニスタはエル・サルバドルにおけるテロリズムを支援している」と非難。
これを口実に、レーガン大統領はサンディニスタ民族解放戦線に対抗するコントラ(親米反政府民兵の通称)を支援しました。
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勢力均衡(バランスオブパワー)とは?国際政治の理論と例を考察のまとめ
国際政治の理論の一つである勢力均衡(バランスオブパワー)について見てきました。
国際政治では近年まで、ある国がより多くの人の支援を得たり、より大きな領土を獲得して勢力を拡大すると、他の国々は力の差を埋めて勢力均衡状態を回復しようと努める動きを見せていました。
しかし、勢力均衡は弱点や矛盾を抱えることが分かり、現在では国際政治における最重要な秩序モデルではなくなっています。