アボリジニとはオーストラリア先住民達を一般的に指す言葉です。彼らの現在の状況や迫害の歴史、そして文化の特徴などを見ていこうと思います。
オーストラリア先住民「アボリジニ」は、ヨーロッパ人がこの地に初めてやって来る何万年も前からオーストラリアに住んでおり、独自の言語や文化、そして独特な信仰などを持っている人々。
しかし18世紀後半以降、およそ200年の間、様々な迫害を受け続けた歴史を持ち、その影響で現在に至っても複数の社会問題を抱えています。
この記事ではそんなオーストラリアの先住民「アボリジニ」について、詳しく紹介していこうと思います。
オーストラリアの先住民「アボリジニ」とは?
アボリジニとは、オーストラリア大陸と周辺の島々(タスマニア島を含む)の先住民。
少なくとも四万年前、研究によっては5万年から12万年前にはすでにオーストラリア大陸で暮らしていたのではないかと言われる人々。
これまでアボリジニがどこからやってきたのかに関して様々な議論が行われて来ましたが、最近の研究によると、出アフリカ後にイラン付近からインドを通ってオーストラリアに至る「南ルート」を通ってやってきたと考えられています。
元々、遊牧生活を営む狩猟民族であり、動物を狩り、木の実や果物、虫などを集めながら移動していく生活を送っていたため、農耕や町や村をつくることは一切ありませんでした(※ただし、居住する一定の地域は持っていた。また、大陸の南部では冬季の気温が大変厳しく、アボリジニ達は冷たい雨風をしのぐために、その季節は避難する必要があった)。
これは、ヨーロッパ人が入植してくるまで、オーストラリアには農業に適した植物が無かったためだと考えられています。
加えて、同じように、馬やヤギ、牛などの家畜として適当な動物もいませんでした。
そして1788年、ヨーロッパ人がボタニー湾(シドニーのの南に位置する湾)にヨーロッパ人が上陸した時点で、
- アボリジニの人口数は30万〜100万ほどだった
- 250を超える言語が話されていた
- 部族の数で言えば700を超えていた
と言われ、またそれぞれの部族ごとに異なるしきたり、縄張り、信仰を持っていました。
また、現在の人口規模はおよそ65万人と言われ、オーストラリア全体の約2.8%を占めています。
イギリスの植民地化以降は長い迫害の歴史が待ち受けていた
一方で、イギリスによってオーストラリアが植民地化された結果、非常に多くのアボリジニ達が虐殺されました。
加えて、ヨーロッパから入植してきた人々が持ち込んだ伝染病(天然痘など)に対して免疫がなかったことは、アボリジニの人口を減少させる最大の原因となり、1920年時点でアボリジニの人口数は7万人にまで減少してしまったのです。
(出典:Australian Aboriginal War)
しかも、白人達によってオーストラリアが植民地化されていく過程で、イギリス政府は「Terra nullius(テラ・ヌリウス)」という概念を持ち出し、オーストラリアの土地は自分たちのものであると勝手に解釈します。
テラ・ヌリウスとは「誰の物でもない土地」という意味で、イギリス側としては、
ヨーロッパの所有権の基準にしたがって、1788年以前にこの土地が登記されている記録は無いのだから(当たり前ですが)、最初に発見したヨーロッパ人達こそがこの土地の所有権を得る
とする解釈です。
これによって、元々オーストラリアに住んでいた先住民アボリジニ達は自分たちの土地を奪われます。
そして、この状況は1992年に連邦最高裁判所がテラ・ヌリウスは効力がなく、土地の所有権はアボリジニ達にあると認めるまで続き、2008年、当時の首相ケビン・ラッドが、白人達がアボリジニしてきた様々な迫害に対して公式に謝罪することで、ようやく長い否定の過去に終止符が打たれました。
オーストラリアの先住民アボリジニの文化
何万年も前からオーストラリアに住んでいたと言われる先住民族アボリジニ達は、他の世界と長い間隔離された生活を送っていたため、その文化も非常に独特です。
ここからは、アボリジニの文化に関して主だったことをポイントごとに紹介していきたいと思います。
アボリジニの文化① 言語
1788年当時、アボリジニの間では250を超える言語が使われていたのは先述した通り。
しかし、現在その数は75まで減少してしまっていると考えられています。
一方で、オーストラリア国内でアボリジニの文化を守る意識や活動が高まった結果、アボリジニが多く住んでいる地域では学校の授業にアボリジニの言語が取り入れられることも多くなっており、多くのアボリジニ達は第一言語ないし第二言語として日常で使用しています。
なかでも、例えば大陸中央部のアリス・スプリング界隈で用いられているワルピリ語などは、しっかりと定着しており、消滅してしまう可能性はないと考えられています。
他にも、大陸西部の砂漠地帯を主な居住地とするアボリジニ達は、ウェスタン・デザート語という言語を使用しており、この言語も消滅する可能性は少ないとされます。
ただし、中にはジルバル語など、消滅の危機に瀕している言語もあるのが実情です。
ちなみに、オーストラリアの一部の地域では、アボリジニ達が独自の英語を使用するようになり、北部地域では「クリオル語(Kriol)」という独特の英語が話されています。
アボリジニの文化② ドリームタイム(夢幻時)
「ドリームタイム(Dream Time)」という言葉は、アボリジニの文化や宗教観の基本概念を表す用語として欧米で用いられている言葉。
日本語では「夢幻時」と呼ばれ、物ごとの関係性や、人の生を司るものの解釈など、「アボリジニ独自の世界観」を表しており、例えるならキリスト教における聖書、ヒンズー教やギリシャの神話のようなものと考えてもよいかもしれません。
具体的には、
- 今もその魂が生きているとされる神聖な祖先による万物想像の時
という神話的概念です。
一方で、ヒンズー教やギリシャ神話とは違い、ドリームタイムは「今もなお続いている」という点が最大の特徴であり、今日という日でさえ、ドリームタイム中の出来事なのです。
ちなみに、ドリームタイムによると、大地から現れた祖先の霊が、空や水、動物などの自然をつくっており、これが、土地と人間の密接なつながりを信じるアボリジニの考えの基盤となっています。
またこのことは同時に、「アボリジニの世界では人間を自然よりも上位にとらえることはしない」という点を理解するのに役立ちます。
なぜかと言えば、彼らの祖先の霊が自然の中で形を変えて、生き続けていると信じられているからです。
アボリジニの文化③ 音楽
アボリジニ達の文化遺産としておそらく最も有名なものの一つが、ディジュリドゥという長い管のような楽器。
これは中が空洞になった太い木の枝から作られている管楽器で、「ブーン」という低い振動音を奏でます。
伝統的には、葬式や割礼など、儀式や舞踏の際に音楽を奏でる目的で利用されてきましたが、現在では観光客が訪れる場所で、パフォーマンスとしてアボリジニに演奏されている場面を良く見かけます(シドニーのサーキュラー・キーなどではほぼ毎日演奏されている)。
また他にもアボリジニの社会では「うなり板(Bullroarer)」と呼ばれる、振り回すと音の出る楽器があります。
「うなり板」は平らな板に装飾を施して、形を整えたもので、これも伝統的には儀式に用いられてきました。
一方、アボリジニの儀式において、ダンスは大変重要な意味を担っています。
ダンスの動きの多くは、北部湿地帯に生息するオーストラリアヅルなど、自然界に棲む動物の動きや行動を模倣したものです。
また最近では特に都市部において、これら伝統的なダンスと新しいダンスを融合したパフォーマンスを行うグループがいくつか現れてきています。
そして、アボリジニの文化にはもちろん歌もありますが、その歌はアボリジニの伝統や文化を今に伝え、「ドリームタイム」やその他の大地にまつわる物語の世界を表現しているものとなっています。
アボリジニの文化④ 芸術品や工芸品
アボリジニ文化における芸術品や工芸品には、彫刻、石や棒を彩色した作品、ビーズ細工、植物を編み込んで作るかごなどがあります。
また、木の皮にカンガルーや伝統的な生活の様子を描いて色付けした絵画は、アボリジニの芸術の中でも最も古いものとして知られますが、長い年月の中で失われてしまったものがいくつもあります。
ちなみに、アボリジニの中にはこうした作品を販売することで生計をたてている人もおり、シドニーなどのお土産やさんで実際に購入することも可能です。
アボリジニの文化⑤ 衣服
オーストラリアの先住民アボリジニは、現在でこそ衣服を身にまとっています。
しかし、ヨーロッパ人によって「衣服を着る」という概念が持ち込まれるまでは、世界的にも珍しい、どのような着衣も身につけない民族でした。
当時は、男女ともに裸で生活をしていたのです。
現在のアボリジニ達の状況
現在の生活拠点は都心かアウトバック
イギリスに植民地化されて以降、近年までオーストラリアでは「同化政策」が推し進められてきたため、19世紀後半までに、多くのアボリジニ達は主に強制的に都市生活を送らされていました。
そのため、現在でも多くの人が町や市街地に住んでおり、なかには医師や教師、法律家などの職に就く人もいます。
しかし大多数の人々は貧しく、同じ都市部に住んでいながら白人社会や他の移民達からは孤立する傾向が多いため、オーストラリア社会に上手く溶け込むことが出来ないままになっています。
一方で、アボリジニの中には都市部へ住むことを拒み、先祖の土地である大自然の中で生活を送り続ける人もいます。
しかし、過去にはテラ・ヌリウスによって生活しにくい不毛地域へと追いやられしまった結果、現在、都市部以外で暮らすアボリジニの多くは「アウトバック」に住んでいます。
ちなみに、アウトバックとは「オーストラリアの内陸部に広がる、砂漠を中心とする広大で乾燥した、不毛な人口希薄地帯」のことです。
さらに、一部のアボリジニの集団は、オーストラリア大陸の中心にある巨大な一枚岩「エアーズロック」周辺(この地域全体を彼らはウルルと呼ぶ)に住んでおり、アボリジニにとっては神聖な場所となっています。
アボリジニに関する社会問題
現在のアボリジニを取り巻く環境では、いくつかの主だった社会問題が起こっています。
伝統文化保護の問題
まず第一に、アボリジニの伝統的な生活様式や言語、民間伝承などを守り続ける上での問題です。
上でも触れた通り、現在は多くのアボリジニが都会に住んでおり、その環境のために伝統的な文化や生活を継承するのが非常に困難になってきています。
また、多くのアボリジニコミュニティーでは、古来からの言語を若い世代に伝えるために、その言語の教師を雇い入れていますが、全ての言語を守るには、教師の数が圧倒的に足りていない状況が続いています。
生活水準の問題
1992年6月3日、オーストラリアの最高裁判所は「テラ・ヌリウス」の概念は誤りだったとし、そして政府は先住民の権利を認める法改正を行いました。
そしてその流れで、アボリジニに対する賃金の改善が行われ、またアボリジニ達は生活保護手当を受けられるようにもなりました。
しかし、このような取り組みにも関わらず、都市部で生活を行うアボリジニの人々の生活水準は極端に低く、ドメスティックヴァイオレンスやアルコール中毒、そして犯罪などの社会問題を引き起こしています。
アボリジニ自身による強制連行の問題
また、上で紹介した状況を改善するために、アボリジニの年長者男性が、都市部に暮らす素行不良のアボリジニの若者男性を部族伝統の土地に無理やり連れ戻す、「強制連行」のような措置も取られています。
そして、都市部から連れ戻された男性は、「スケアードストレート(恐怖でしつけを行う教育方針)」のようなリハビリプログラムに参加させられるのです。
この方法に対しては、アボリジニ社会内に限らず、一般のオーストラリア社会からも賛否両論の声が上がっており、現在のアボリジニにまつわる社会問題として認識されています。
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アボリジニとは?オーストラリア先住民の現在や迫害の歴史そして文化の特徴など見ていこうのまとめ
オーストラリア先住民のアボリジニについて見てきました。
アボリジニ達はごく最近まで約200年にも及ぶ迫害の歴史を受けてきました。
一方で、他の世界から隔離された状態で何万年とオーストラリアで暮らしてきた結果、非常に独特で興味深い文化的特徴を持つ人々でもあります。