南アメリカ南部に位置する連邦共和制の国家であるアルゼンチン(正式名称:アルゼンチン共和国)は、ラテンアメリカの世界ではブラジルの次に領土が大きく、かつては世界で最も発展して裕福な国の一つでした。
また、その豊かな文化や歴史で人々を魅了する国でもあります。
アルゼンチンの歴史を簡単にわかりやすく年表と併せて解説していきます。
まずは、アルゼンチンの歴史をざっくりとまとめた概要から確認してみましょう(一気に年表へ飛びたい人はアルゼンチンの歴史まとめ年表から)。
アルゼンチンの歴史概要ざっくりまとめ
アルゼンチンには元々、多くの異なる民族が住んでいました。
最初の大帝国はこの地に1480年、インカ帝国が侵略してきた時に到来。現在のアルゼンチンの一部はインカ帝国の一部となりました。
1516年になると、探検家で航海士のフアン・ディアス・デ・ソリスと共にスペイン人がアルゼンチンの地に到着し、スペインは後にブエノスアイレスに最初の植民地を設立することになります。
そして、ブエノス・アイレスが港湾都市として重要になったことで、スペイン人は引き続きこの都市を統合し続けました。
アルゼンチンは1816年に独立宣言を行った
しかし、アルゼンチンが独立を望むようになるのに、そう時間はかかりませんでした。1816年7月9日、ホセ・デ・サン=マルティンが率いたアルゼンチンは独立を宣言するのです。
一方、スペインを打ち負かしたアルゼンチンでしたが、国内ではまだ内戦が何年も続いていました。
1853年にようやく憲法を制定し、1861年には正式な国政を敷くことになります。
かつては裕福な国家の一つであったアルゼンチン
そして1900年代初期、アルゼンチンは繁栄し、世界で最も裕福な国家の一つとなりました。
しかしながらその後、下層労働者は不当な扱いを受けていると感じ、政府に対して発言権がないことなどから不穏な動きが起こるようになり、国内は不安定化。
これに乗じてペロン主義というポピュリズム主義的な運動を展開するフアン・ドミンゴ・ペロンが政権を握り、1946年、ペロンは大統領に選出されました。
彼の有名な妻エヴァ・ペロン(エビータとして知られる)は、彼の権力獲得に大きく貢献し、国で初めて女性の参政権を得る手助けを行いました。
アルゼンチンの歴史まとめ年表
西暦1500年以前(アルゼンチンへヨーロッパ人が到来する以前)
アルゼンチンは元々、様々な小さな部族からなる人口過疎地でした。これは西暦1500年代にヨーロッパ人が到来するまで続いたようです。
そして、西暦1438年にはペルーで繁栄したインカ帝国が、アルゼンチン北西の小さな場所へと居住を拡大していきました。
西暦1500年〜1700年代(現代アルゼンチンの始まりの歴史)
- 1502
- アメリゴ・ヴェスプッチが南アメリカ大陸に到着
- 1516
- アルゼンチンを訪れた最初のヨーロッパ人は、スペインの探検家フアン・ディアス・デ・ソリス。しかし土地の部族民に殺害される。
- 1536
- ペドロ・デ・メンドサがアルゼンチン最初の入植地を設立。これが後にアルゼンチンの首都ブエノス・アイレスとなる。
- 1573
- ジェロニモ・ルイ・デ・カブレラが中央アルゼンチンのコルドバを発見。当時、アルゼンチンはスペイン植民地の一部であるペルー副王領だった。
- 1776
- アルゼンチンがリオ・デ・ラ・プラタ副王領と呼ばれる新しいスペイン植民地の一部となる。
西暦1800年代
- 1806
- 英国がブエノス・アイレスに侵攻を試みたが、サンチアゴ・デ・リニエルス率いる義兵たちに敗北。
- 1810
- ブエノス・アイレスで五月革命。アルゼンチン独立戦争始まる。
- 1812
- 軍事リーダー「ホセ・デ・サン=マルティン」が独立戦争でアルゼンンチン軍に参加。
- 1816
- アルゼンチン、スペインからの独立宣言。
- 1825
- 英国が友好通商航海条約によりアルゼンチンを独立国家として認める。
- 1828
- アルゼンチンでは数年にわたり統一派と連邦派との間で内戦が常態化。
- 1853
- アルゼンチン憲法の承認により国は共和国とする。
- 1864
- 対パラグアイの三国同盟戦争で、ブラジル、ウルグアイに加わる。
- 1880
- ブエノス・アイレスが共和国から離脱しようとする。軍隊がブエノス・アイレスを占領し連邦化、政府の首都となる。
- 戦争の英雄フリオ・アルヘンティーノ・ロカが大統領に選ばれる。
西暦1900年代
- 1929
- 大恐慌がアルゼンチンを襲う。
- 1939
- 第二次世界対戦が勃発。当初アルゼンチンは中立の立場を採用する。
- 1943
- 軍が政府を引き継ぐ。その指導者の一人がフアン・ペロンである。
- 1944
- アルゼンチンが連合国側に加盟し、日本とドイツに宣戦布告する。
- 1945
- 第二次世界大戦が終結。フアン・ペロンとエビータとして知られるマリア・エバ・ドゥアルテが結婚。
(エビータ)
- 1946
- フアン・ペロンが大統領に選出される。彼は大統領の権限を強めてメディアを検閲し、政府のプログラムを確立してライバルを投獄する。
- 1952
- エビータが「国家の精神的リーダー」と名付けられる。のちに癌により死去。
- 1954
- 孤立主義と高インフレがアルゼンチン経済を崩壊。
- 1955
- ペロンが大統領を追放され、スペインに亡命する。アルゼンチンでは軍政と弱体政権の時代が続く。
- 1973
- フアン・ペロンがアルゼンチンに帰国し、大統領に選出される。新妻イサベルは副大統領に。
- 1974
- フアン・ペロンが亡くなり、イザベルが大統領になる。
- 1976
- 軍が政権を握り、イサベルを罷免する。政府に反対する者が疑われれば投獄され、殺される「汚い戦争」が始まる。
- 1982
- アルゼンチンが英領フォークランド諸島に侵攻し、フォークランド紛争が勃発。マーガレット・サッチャーの指示のもと、イギリス軍が速やかに制圧する。
- 1983
- 新大統領が国民より選出され、国に民生統治が戻る。
- 1989
- カルロス・メネムが大統領に選出される。
- 1992
- 公式通貨はペソ。米ドルと連動。
西暦2000年以降
- 2007
- クリスティーナ・キルチネルが大統領になる。前大統領ネストル・クルチネルの未亡人。
- 2013
- フランシスコ法王がアメリカ大陸出身の初の法王に就任。