ジェノサイドとは何なのか?この問いに対する答えとして、20世紀に起きた大虐殺の歴史(アルメニア人やユダヤ人に対する大虐殺など)を見ていきましょう。
人類の歴史の中では多くの戦争が起こり、その中では数々の人々が亡くなりました。
特に20世紀はちょうど大きな歴史の転換点に差し掛かった時期であり、世界大戦などのスケールの大きい戦争に加えて国際法が十分に整備されていなかったことで、特定のグループの人々が標的にされた大虐殺「ジェノサイド」が複数回起きました。
そのジェノサイドに対して、この記事は焦点を当てていきたいと思います。
まずはジェノサイドの意味を理解するためにも、「ジェノサイドとは何か?」を明確にし、その後に20世紀に起きたジェノサイドをそれぞれ簡単に紹介していきます。
ジェノサイド(大虐殺/大量虐殺)とは?
ジェノサイドと(genocide)は大虐殺(大量虐殺)とも表現される行為で、簡単に言ってみれば、「意図的に」大量の人間を虐殺(むごい方法で殺すこと)すること。
また、その特徴として、戦争時や革命時に起こりやすい傾向にあります。
そして基本的には、特定の「人種」・「宗教」・「民族」・「国家」などの構成員を抹消する行為を指し、その目的のために、
- 国外強制退去
- 強制収容
- 兵器による殺害
- 強制的な同化政策による文化の抹消
- 民族浄化の為のレイプ
などの手段が用いられ、その方法は多岐に渡ります。
一方、国連の「ジェノサイド条約」の発行によって、20世紀半ばまでにジェノサイドは国際法上で禁止されましたが、実際にはそれ以降も起き続けています。
ちなみに、英語の「ジェノサイド(genocide)」は、ギリシャ語の「genos(民族・人々)」という言葉と、ラテン語の接尾辞「-cide(殺す)」を合わせて出来た単語です。
20世紀に行われたジェノサイド(大虐殺)
特定の集団に属するからと言って、指導者の一言で一般人が大量に殺害される世界を想像出来るでしょうか?
国際法でジェノサイドが禁止される20世紀の始めまで、世界の権力者や指導者達は特定の集団に対する大量殺戮を認められているといった状況にありました。
そして、20世紀半ばにジェノサイド条約が発行された後も、実際にはジェノサイドが繰り返されたのです。
特に、世界大戦など大きな戦争が起こったことから、20世紀は世界中でジェノサイドが起こった時代でした。
ここからは、ジェノサイドをさらに理解するために、20世紀に起こったジェノサイド(大虐殺)をそれぞれ簡潔にまとめながら紹介していきたいと思います。
ジェノサイド① アルメニア人虐殺(1914〜1923)
第一次世界大戦中、オスマン帝国は軍事的に苦しい状況にあり、その損失の責任をなすりつけるのにも、国内にいた少数派のアルメニア人はうってつけでした。
というのも、アルメニア人は少数派である上にキリスト教徒であったため、多数派のイスラム教徒からはオスマン帝国(同国でイスラム教は当時の支配イデオロギーであった)に対して、忠実ではないと考えられる傾向にあったからです。
このアルメニア人に対する大虐殺は1915年に始まり、オスマントルコ政権は多くのアルメニア人から財産を奪い、家から追い出し、およそ150万ものアルメニア人が虐殺されたと考えられています。
加えて、アルメニア人虐殺を行った指導者のほとんどが、その行為に対する罰を逃れたという事実も残っています。
一方で、このアルメニア人虐殺は、後にジェノサイドを防止する法律を生み出すきっかけになった出来事でもありました。
この残虐行為に対して強い悲しみを覚えた、ユダヤ系ポーランド人法律家のラファエル・レムキンは、
- なぜ大虐殺の指導者たちは放置されているのか?
- なぜ一般人を大量殺害する行為を国際法は無視するのか?
という疑問を抱き、同じような行為が二度と起こらないことを目的として、ジェノサイドを防止するための国際法の制定へ尽力していくのです。
ジェノサイド② ホロドモール(1932〜1933)
1932年から1933年に掛けて、ホロドモールと呼ばれる「人為的な大飢饉」によって、多くのウクライナ人が亡くなりました。
当時、ウクライナはソビエト連邦の一部であり、その最高指導者はヨシフ・スターリンでした。
1928年、スターリンは農業集団化を命じ、個人の土地で個別に農業に従事するのではなく、農民や国によって共同所有された土地で働くようソ連国民を強制していきます。
一方、ウクライナにはスターリンが「クラーク(kulaks:富農)」と呼んだ、自ら土地を所有する比較的自由で豊かな農民たちが多く存在しており、そのクラーク達は農業集団化に反発。
彼らの多くは銃殺や追放をされ、労働収容所へ送られる人もいました。
そして追い討ちをかけるように、ソ連政権はウクライナに穀物のほとんどを差し出すように命令します。
結果、ウクライナ人の元には食糧が残らず、ウクライナ人は食料がある場所へ行くことも禁止されたため、1000万を起こるとも言われる人々が餓死を余儀なくされたのです。
加えて、ウクライナの多くの文化人達がソビエト政府により殺されました。
この文化人殺害と1000万を超えるとも言われる史上稀に見る規模のジェノサイドによって、最終的には農業集団化へ反発する気持ちを、ウクライナの人々は完全に失ってしまったのです。
ジェノサイド③ 南京大虐殺/南京事件(1937)
第二次世界大戦中に日本軍によって行われたとして未だに論争が絶えない事件として、南京大虐殺があります。
1937年12月に日本軍が中国の南京を占領した際、1〜2ヶ月の間で中国の戦争捕虜を殺害し、その後、南京市の一般市民を襲ったとする事件で、その事件の最中には日本軍によるレイプや放火なども行われたと指摘されています。
そして、1947年の南京軍事法廷にて中国側が記載した「30万人以上」という数字が基となり、その被害者の数は、30万にも上ると言われます。
しかし、実際のところ、その犠牲者の数には学術的根拠がないとも言われ、20万人、10万人、数万人、そして数千人と諸説ある点や、そもそも虐殺は起こっていなかったとする主張も存在する点は忘れてはなりません。
一方、大虐殺の原因が議論される中、最初に捕虜の処刑を指示した朝香宮鳩彦王(皇族の一員で皇族の戦争犯罪は問わないというGHQの方針に基づいて起訴を免れた)がその鍵を握っていたのではないかと見られています。
ジェノサイド④ ホロコースト(1933〜1945)
第二次世界大戦中、アドルフ・ヒトラー政権下におけるナチスドイツによるホロコーストでは、非常に多くのユダヤ人(およそ600万人と言われる)が虐殺されましたが、実は他にもジプシーのロマ族、身体障害者、同性愛者、社会主義者、エホバの証人の信者なども殺害されました。
これは、ナチスドイツ下では、
- ゲルマン人こそが世界で最も偉大な人種であり、他のすべてを支配する権利がある
そして、
- ゲルマン人を完璧で偉大にし続けるためには、健全な肉体と精神を宿した男女によって人口が形成されていなくてはならず、身体障害者などの「逸脱した人間」は、偉大なゲルマン人を弱い人種にしてしまう
と考えられていたから。
そのため、ユダヤ人やロマ族は人種的にドイツ人よりも劣っているとして虐殺され、その他の「社会不適合者」達も、ナチスドイツによって虐殺され、これは、ドイツ国内だけでなく、ポーランドやベルギー、チェコスロバキア、ルーマニアなど、占領国の多くでも実行されました。
ちなみに、このナチスドイツによるジェノサイドの結果、アルメニア人虐殺のところでも挙げたラファエル・レムキン氏によって「ジェノサイド」の概念が作り出され、ナチス指導者らはニュルンベルク裁判において彼らの残虐行為を裁かれることになります。
そしてこれ以降、同様な大量虐殺は「ジェノサイド」と言われるようになったのです。
ジェノサイド⑤ カンボジア大虐殺(1975年~1979)
1975年から1979年までカンボジアを独裁政治で支配した、「クメール・ルージュ(ポル・ポト派)」の指導者ポル・ポトの政権によって、カンボジア大虐殺は起こりました。
ポルポトは階級差のない共産主義社会を掲げ、また、そのためにも「無階級農業社会」を理想として国を作りかえようとした結果、ポル・ポト派は、国民に対して都市から地方へ移住して働かせることを強制。
中でも、
- 知識階級(そのように見える人も含める)
- 病気持ち
- 身体的に弱い人間
- 障害者
- 年寄り
は、理想とする農業社会には必要ない「抹消される対象」として最初に標的にされ、さらに、理想とされるはずの農民でさえも「感情を表した」、「恋愛をした」、「熱心に働かない(疲労で働けなくても関係なかった)」といった理由で標的になっていきました。
加えて、地方で数百万人ものカンボジア人たちが飢餓にさらされていきます。
その結果、クメール・ルージュによって直接的、または間接的に殺された人の数は、およそ200万にも上るとされ、ポル・ポトが政権を握った数年間の間だけで、当時のカンボジア人口の1/4が抹消されたのです。
ジェノサイド⑥ ルワンダ虐殺(1994)
ルワンダ虐殺は、1994年に東アフリカに位置するルワンダで起こったジェノサイドで、多数派のフツ族(の過激派)が、少数派のツチ族を虐殺した事件。
このジェノサイドでは、フツ族系の人々が率いる政府と、それに同調したフツ族系過激派によって、100日間でおよそ80万人のルワンダ人が殺害され、当時のルワンダにいたツチ族の人口約70%とピグミーのトゥワ族人口約30%が亡くなりました。
また、フツ族の中でも穏健派と呼ばれる人々も裏切り者として殺害されています。
ちなみに、フツ政権はこの大量殺害を計画的に準備して助長したことが分かっており、ルワンダ国際戦犯法廷により、大虐殺に関与した多くの人々が有罪判決を受けた歴史的な出来事でもあります。
合わせて読みたい世界雑学記事
- アパルトヘイトとは?~政策内容や歴史~南アフリカを未だに蝕む黒歴史
- 難民問題とは?解決策の模索に必要な現状や原因の把握
- ロヒンギャ問題とは?わかりやすく原因などをまとめて解説
- →こちらから国際情勢や世界史に関する情報をさらに確認出来ます
ジェノサイドとは?大虐殺の歴史を見ながら理解を深める|アルメニア人やユダヤ人の大量虐殺などのまとめ
ジェノサイド(大虐殺)について、20世紀の歴史的な例を挙げて見てきました。
マクロの視点で見ると、ジェノサイドの多くは戦争や革命によって引き起こされたのが分かります。
また、ミクロな視点で見ると、特に独裁政権下では、その独裁者の政治的野望や願望によって引き起こされることが分かります。
いずれにせよ、ジェノサイドは生き残った人々に癒えることのない傷を残し、被害にあった人々が有していた文化的資産を世界全体が失うことになるのです。