サンタクロースの起源と由来について探っていきます。長い歴史の中でモデルとされる聖ニコラスが、どのように現在のサンタクロースへ変化していったのかを見ていきましょう。
クリスマスの象徴の一つと言えば、誰もが知るであろう赤い服を着て白ひげをたくわえた姿で有名なサンタクロース。
実はその起源は3世紀にまで遡るとされ、当時を生きた「聖ニコラス」と呼ばれる人物が最も最初のモデルとなったと言われます。
この聖ニコラスから、現在の「赤い服を着て子供達へプレゼントを配る陽気なおじさん」というサンタクロースへは、どのように変化してきたのでしょうか?
この記事では、今日に当たり前のように受け入れられているサンタクロースの起源と由来を探っていくため、その長い歴史を振り返っていきたいと思います。
サンタクロースの起源や由来を歴史から探っていこう!
サンタクロースは聖ニコラスの伝承に由来する?
サンタクロースの伝説は、「聖ニコラス(西暦270年頃〜345または352年)」または「ミラのニコラス」と呼ばれる、当時の東ローマ帝国にあった古代都市に生きた司教に由来すると考えられています。
(出典:wikipedia)
聖ニコラスは西暦270年か280年頃、今日のトルコ共和国ミラ近くのパタラという町で生まれました。
聖人の概念を持つ全てのキリスト教派で「聖人」として崇敬されている
と言われ、優しい性格と深い慈悲の心を持っていたことで有名で、彼の慈悲深い性格については、今日に至るまで数多くの伝説が残されています。
例えば、彼は莫大な遺産を全て手放し、旅をしながら貧しい人や病気の人を助けることに一生を捧げたと言います。
また、最もよく知られた伝承には、
- 聖ニコラスは貧しい三姉妹が奴隷として売られることを阻止するため、姉妹が結婚できるように持参金を与える
というものがあり、「子供達へプレゼントを与える現在のサンタクロースの起源はこの話に由来する」という説が、一般的に最も受けられています。
死後、聖ニコラスの伝承はヨーロッパ中に広がり、船乗りや子どもの守護聖人として知られるようになり、命日である12月6日は聖ニコラスの日として祝われ、大きな買い物をしたり結婚したりするのに吉な日であると信じられていきました。
そして、ルネサンス時代になると、聖ニコラスはヨーロッパで最も有名で人気のある聖人となり、さらには、聖人崇拝が奨励されなくなった宗教改革の後も、聖ニコラスは人々に愛され続け、特にオランダにおいてその傾向は顕著でした。
大衆文化サンタクロースはニューヨークにやってきたシンタクラースが起源?
後に「サンタクロース」として大衆文化に溶け込んでいったと考えられる聖ニコラスが、初めて大衆文化に現れたのは18世紀の終わり頃のアメリカでした。
ちなみに、サンタクロースという名称は、オランダ語で聖ニコラスの愛称である「シンタクラース」に起源を持つとされます。
オランダの聖ニコラスの命日を祝う習慣が紹介されて人々の脳裏に焼きついた
1773年、そして1774年の12月、ニューヨークの新聞が聖ニコラスの命日を祝うオランダの家族の風習を紹介した記事を掲載し、これによってアメリカの一般大衆の目に触れることになります。
そして1804年、ニューヨーク歴史協会の一員であったジョン・ピンタードが、協会の年次会議において「聖ニコラスの木版画」を配り始めました。
(出典:wikipedia)
この木版画ですが、聖ニコラスの肖像の背景には、「暖炉の上におもちゃやお菓子がたくさん入った靴下がつるされている」という、今日私たちが良く知るクリスマスのイメージであるが描かれていたようです。
聖ニコラスがニューヨークの聖人として紹介された
さらに1809年、アメリカの人気作家であるワシントン・アーヴィングが「ニューヨークの歴史」という本の中で聖ニコラスをニューヨークの聖人として紹介したことで、シンタクラースの伝説は一気にアメリカに広まることになりました。
そして、シンタクラースの人気が高まるにつれ、シンタクラースは、
- 赤いコートと黄色のタイツ、そして三角帽子を被った悪漢
- つばひろ帽子を被り、オランダ風の大きなショースを履いた変人
など、現在のサンタクロースの姿と比べると異なる、実に様々な姿で描かれるようになりました。
現在のサンタクロース像が誕生したのは19世紀初頭
「子どもたちに囲まれてプレゼントを配るサンタクロース」の姿がクリスマスの伝統の一つになったのは、19世紀初頭のことで、大きく二つの起源から現在のサンタクロースのイメージが出来上がったと言えるでしょう。
起源① 百貨店の販売戦略
1820年代に一部の百貨店が「クリスマスショッピング」という広告戦略を打ち出すようになり、1840年代になると新聞に、クリスマスセールの広告が出るようになりました。
このクリスマスセールの広告には、しばしばサンタの姿が描かれるようになっていきます。
そして1841年、フィラデルフィアの百貨店が実物大のサンタクロース像を展示したところ、何千もの子供たちがその姿を見るために店を訪れました。
この成功を耳にしたアメリカ中の店が、クリスマスの時期に客を呼び込むために「本物のサンタクロースに会える!」という触れ込みのキャンペーンを展開するようになっていき、子供達に大人気な現在のサンタクロースのイメージに近づいていったのです。
起源② クレメント・クラーク・ムーアが書いた詩
1822年、米国聖公会の司教であったクレメント・クラーク・ムーアが、3人の娘のために詩を書きました。
ムーアは当初、詩の内容があまり真面目なものではないことを恥じ、詩を出版することをためらったそうです。
しかし、この詩が新聞に掲載されるやいなや、アメリカ中で大人気になったのです。
- 陽気なおじさんとしてのサンタクロースのイメージ
- 煙突から家に入りプレゼントを配る様子
など、今日、一般的に思い描かれるサンタクロースの姿は、全てこの詩に起因するものだとされます。
「サンタクロースがきた(A Visit from St. Nicholas)」や別名「クリスマスの前の晩(The Night Before Christmas)」として知られるこの詩の内容は、完全にムーアの創作というわけではなく、伝説や言い伝えをベースにしている箇所もたくさんありました。
しかし、この詩によって、
空飛ぶトナカイが引くソリに乗って、クリスマスイヴの晩に家から家へと飛び回り、よい子にプレゼントを配る
という、今日では当たり前のサンタクロースの姿が世界に広まっていったことは確かです。
とにかく、ムーアの書いたこの詩によって、サンタクロースはアメリカのクリスマスにおける象徴となり、大衆文化に溶け込んでいったのです。
ちなみに、1881年、政治風刺画家のトーマス・ナストが、「ハーパーズ・ウィークリー」という雑誌においてムーアの詩の挿絵を担当し、そこで描いたサンタクロースの姿は、
- 大きなお腹
- 白いひげ
- おもちゃのいっぱい入った袋を背負っている
など、今日に一般的に描かれるサンタクロースと全く同じものでした。
ナストのサンタクロースはさらに、
- 赤と白の衣装を身に着けている
- 北極でトナカイや妖精たち、そしt妻のミセスクロースと一緒に暮らしている
というイメージをも作り上げました。
(豆知識)コカ・コーラがサンタクロースの姿を作り上げたという都市伝説
ちなみに、
- サンタクロースが赤と白の服を着るように描かれたのは、赤と白のラベルを持つコカ・コーラがサンタクロースを広告に起用したことに由来する
という話が存在しますが、サンタクロースの歴史を見てくると分かる通り、これは間違った都市伝説のようなものです。
コカコーラの広告にサンタクロースが初めて採用されたのは1931年であり、サンタクロースの歴史を振り返ってみると、19世紀には既ににサンタクロースのイメージとして、「赤と白の服を着ている」姿が描かれているのが分かります。
むしろ、「コカ・コーラが現在のサンタクロースの姿を作った」という話に関しては、
コカコーラ自身、またはコカコーラの広告戦略を請け負った代理店が、わざとデマを流してコカコーラの認知を高めようとしたためではないか?
という噂があります。
赤い鼻のトナカイの起源
また、サンタクロースと言えば、歌にも出てくる「真っ赤なお鼻のトナカイさん」を忘れてはいけません。
当初は8頭しかいなかったトナカイ達
サンタクロースはトナカイに乗ってやってくる
という話は、ムーアの詩「サンタクロースがきた」に由来しますが、当初は、
- ダッシャー
- ダンサー
- プランサー
- ヴィクセン
- コメット
- キューピッド
- ドナー
- ブリッツェン
の8頭しかいませんでした。
赤鼻のルドルフは9頭目のトナカイとして100年以上後に生まれた
しかし、ムーアの詩から100年以上経った1939年、モンゴメリー・ワードというデパートのコピーライターとして働いていたロバート・L・メイという人物が、集客を目的に、クリスマスをテーマにした詩を発表。
ムーアの『サンタクロースがきた』と非常に似た韻律で書かれたこの詩は、赤く光る鼻を持つためにからかわれてきた、サンタクロースにとっては9頭目となる若いトナカイ「ルドルフ」のお話を語ったものでした。
ある年、クリスマスイヴの晩に霧が出てサンタが道に迷った時、「ルドルフがその鼻で道を照らした」という内容は有名で、「状況によっては同じ特徴であっても短所も長所になり得る」というルドルフのメッセージは広く受け入れられました。
そしてその年、モンゴメリー・ワードがこの詩の絵本版「ルドルフ 赤鼻のトナカイ」を発売したところ、350万冊を超える大ヒットとなり、1949年には、メイの友人であったジョニー・マークスという人物がルドルフの物語をベースにした歌を作曲。
これが有名なクリスマスソング「赤鼻のトナカイ」でした。
赤鼻のトナカイのレコードはリリースされると大ヒットし、その後に世界各国の言語に翻訳されていった結果、現在でもクリスマス時期に流れる有名な曲となっています。
世界各国でサンタクロースと違う形に発展していった聖ニコラス
「聖ニコラス → クリスマスのサンタクロース」という図式は世界的に最も有名ですが、聖ニコラスをベースにしたクリスマスの伝統は、18世紀にアメリカで誕生したサンタクロース以外にも実は複数存在します。
イギリスやフランス
イギリスでは、ファーザークリスマスが、クリスマスイヴに各家庭を訪れ、靴下におもちゃやお菓子をいっぱい入れていくと信じられていました。
一方のフランスでも、英語のファーザークリスマスに対応する「ペール・ノエル(フランス語でクリスマスの父)」が信じられてきましたが、このペール・ノエルは靴下ではなく「靴」の中にプレゼントを入れるとされてきました。
ドイツやスイス
ドイツやスイスでは、「クリストキント」もしくは「クリス・クリングル」という名の天使が、クリスマスイヴによい子にプレゼントを配ると信じられています。
クリストキントとは直訳すると「キリストの子」という意味で、聖ニコラスのお供をする天使の姿でイメージされます。
北欧
また、北欧では、ユールトムテという名の悪戯な妖精が、ヤギの引くソリに乗って訪れてプレゼントを配るとという伝統があります。
ロシア
ロシアでは、上で紹介した国々とは少し毛色の違う伝承が残っています。
具体的には以下のような話です。
ある時、あるバーブシカ(老婆)は、わざと三賢人に間違った道順を教え、幼いイエスを見つけられないようにしました。
しかし、そのバーブシカは後にこれを後悔し、謝ろうとしますが、三賢人を再度見つけることは出来ませんでした。
そのため、バーブシカは懺悔のためにも毎年1月5日(ロシアにおけるクリスマスイヴ)になると、子どもたちの寝床の横にプレゼントを置いていくようになりました。
幼い子供達の中の一人がイエス・キリストであり、贈り物をすることで彼女の行為が許されることをバーブシカは願っているのです。
ロシアのバーブシカを基にしたクリスマスの話は、聖ニコラスの原型とはかなり違っていますが、プレゼントを子供達へ配るといった共通項は存在するため、これも、聖ニコラスの伝承が起源となっているのではないかと考えられます。
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サンタクロースの起源と由来を歴史から探る!聖ニコラスに遡る。のまとめ
サンタクロースの起源と由来について、歴史を振り返って探ってきました。
サンタクロースは3世紀に誕生した聖ニコラスに遡り、1000年以上経った後、アメリカへ移り、商業目的で徐々に現在の姿になっていったことが分かります。