ホセムヒカ 世界一貧しい大統領の人生〜名言で学ぶ教訓|ウルグアイの元大統領について

世界一貧しい大統領ホセ・ムヒカは、2010年から2015年までウルグアイの大統領を務めた人物です。また、これまで多くの名言を残しており、様々な教訓を学べます。

2010代前半、世界中で紛争が頻発して混乱する国が出てくる中、一人の人物が注目されました。

その人物とは「世界一貧しい大統領」というキャッチフレーズで有名になった、当時のウルグアイ大統領「ホセ・ムヒカ」。

ウルグアイの最高権力者となったのにも関わらず、一般人も驚く非常に質素な生活を続け、また、一般市民がより自由に生活できる社会を目指し、数々の改革を手がけて実績を上げてきた人です。

そしてまた、ホセ・ムヒカはこれまで数々の名言を残しており、多くの人々に影響を与えています。

この記事では、そんなホセ・ムヒカについて知るために、前半では人生の歴史をダイジェストで見ていき、そして後半では5つの名言から学べる教訓を紹介していきたいと思います。

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世界一貧しい大統領と言われたホセ・ムヒカとはどんな人?

世界一貧しい大統領」の愛称で有名になった「ホセ・ムヒカ(全名:ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダーノ)」とは、2010年3月1日から2015年3月1日の5年間、南米ウルグアイの第40代大統領を務めた人物。

大統領に就任しても月給およそ1万ドルのうち90%を毎月チャリティーなどに寄付し続けたり、大統領官邸には移らず妻と二人で二間の農家に住み続ける。また、車も新車ではなく1987年製のフォルクスワーゲンのビートルに乗り続けるなど、同国で最も権力を持った立場にいながら質素な暮らしを続けたことで知られています。

一方で、ホセ・ムヒカは過去に、ウルグアイの極左武装革命組織「ツパマロス」の一員として、ゲリラ活動に従事していた結果、長期間投獄された経験も持つ波乱万丈な人生を送った人物としても知られます。

ホセ・ムヒカの人生ダイジェスト

ここからは、「世界一貧しい大統領」ホセ・ムヒカの生い立ちから、大統領として活躍するまでの人生を、ダイジェストで見ていきましょう。

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ホセ・ムヒカの生い立ちから投獄されるまで

ホセ・ムヒカ少年は1935年、ウルグアイの首都モンテビデオの郊外に生まれました。

しかし家庭は非常に貧しく、日々の家計もなんとかやりくり出来る環境で生活を続け、モンテビデオ大学を卒業します。

そして1960年代初め、大学を卒業したムヒカは、ウルグアイの抑圧的な政治体制の弱体化を目指す、革命組織(極左武装組織)ツパマロスに加わります

(出典:wikipedia

ツパマロスはその数年後に、放火、政治的な誘拐、警察官の暗殺といった暴力行為に転じた結果、ムヒカもゲリラ活動に加わり、活動中に6発の銃弾を受け、そして4度の逮捕を経験しています。

また、1971年に逮捕された際には有罪判決を受けて投獄されますが、刑務所から脱獄。

その後、一ヶ月以内に再逮捕されたものの再び脱獄するなど、合計2回の脱獄を経験し、最終的には再逮捕されます。

そして、1973年6月のクーデターで残酷な軍事独裁政権が権力を掌握した結果、ムヒカは拷問され、井戸の底での2年間を含めた13年間もの長期間、牢獄で過ごすことになったのです。

民政移管によって釈放されて合法的な政党を結成する

1981年、軍事政権は、軍の政治介入を合法とする憲法改正を実行しようとしましたが、これは国民投票によって否決されました。

その結果、ウルグアイは再び民主化へ回帰することとなり、1985年には軍事政権から民間に政権が渡る「民政移管」が実現し、この一連の流れの一環として、ムヒカや他の政治犯に恩赦が与えられ刑務所から釈放されることとなりました。

左:1985年に釈放された当時のホセ・ムヒカ出典:pinterest

そしてツパマロスのメンバーは、「拡大戦線(Frente Amplio: FA)」として知られる左翼の連合体に合流し、また、1989年の選挙に向けて、ツパマロスは合法的な政党「人民参加運動(Movimiento de Participación Popular: MPP)」として再編されます。

ここでムヒカはMPPを代表する人間の一人となりました。

一方、ツパマロスの元一員で、やはり政治活動を続けていた長年のパートナー「ルシア・トポランスキー」と共に、ムヒカはモンテビデオから離れた農場に移り住みます(二人は2005年に結婚し、その後この農場で暮らし続けることになります)

政治家としての活躍が目立ち始めるホセ・ムヒカ

そしてムヒカは、1995年の下院議員選挙で初当選を果たして2000までの一期を務めた後、2000年には上院に選出され、2004年には左翼連合「拡大戦線」の一員として、上院議員に再選されます。

またこの時、左派連合拡大戦線の代表として選挙に挑んだタバレ・バスケスは、2005年3月1日から大統領に就任し、この過程でムヒカもまた、2005年2月には上院議長に就任し、そして2005年3月から2008年3月まで、バスケス内閣で農牧水産大臣も務めることになったのです。

ついに大統領へ就任するホセ・ムヒカ

成功を収めたバスケス政権の波に乗り、ムヒカは2009年に左派連合拡大戦線の大統領候補に名乗り出て指名されます(この過程でムヒカのライバルの1人で、元上院議員および元経済財務相のダニロ・アストリは結局、副大統領候補になった)

一方で大統領選中、ムヒカは首位にいたものの、ゲリラの過去が論争を巻き起こし、また、ムヒカが行ってきた、他の南米諸国(アルゼンチンやベネズエラなど)の指導者に対する公の批判も、論争の的でした。

そのため、左派連合拡大戦線は2009年10月25日の投票で議会議員の過半数を維持しましたものの、ムヒカは決選投票(必要な票を獲得すれば決戦投票を待たずに大統領へ就任出来る)」の回避に必要な絶対的多数の票を獲得することが出来ませんでした

結果、大統領選は11月29日の決選投票の結果を待つこととなり、この決選投票でライバルのルイス・アルベルト・ラカージェ元大統領を破り、ついにホセ・ムヒカは2010年3月1日、第40代ウルグアイ大統領へ就任することとなったのです。

世界一貧しい大統領ホセ・ムヒカの政権時代

世界一貧しい大統領ホセ・ムヒカのリーダーシップの下、ウルグアイ経済は失業率を低く維持しながら、国全体のGDPおよび一人当たりのGDPの成長を掲げ、発展を続けました。

そして、このような背景の下、ムヒカ政権はウルグアイの社会を変える漸進的な法律を導入していきます。

2012年6月、ムヒカは政府がマリファナを合法化して流通させ、麻薬販売業者の収入源を断つよう提案。

同年11月には、マリファナの生産、販売、および消費に関する政府規制の枠組みをまとめた法案が下院に提出され、2013年12月末までに上下院は法案を可決し、ムヒカが署名したことで法律が成立しました。

また、2012年10月、ウルグアイは妊娠12週目までの中絶を認める南米初の国となり、2013年5月にムヒカは、ウルグアイが同性婚を合法化するラテンアメリカで二番目の国となる法案に署名しました。

ウルグアイでは憲法上、同じ人物が二期連続で大統領に就任することは禁じられているため、ホセ・ムヒカは2015年3月1日を持って大統領を退任。

しかし、彼への信頼や人気は非常に高く、それが、同じ左派連合拡大戦線に属するタバレ・バスケスを、41代目のウルグアイ大統領へ再任させる最大の理由ともなり、ホセ・ムヒカが現在のウルグアイに与えた影響は非常に大きかったと言えます。

ホセ・ムヒカの名言で学ぶ人生5つの教訓

世界一貧しい大統領ホセ・ムヒカの人生の歴史をダイジェストで見てきましたが、ここからはムヒカが残した名言から学べる、人生5つの教訓を紹介していきたいと思います。

① 情熱を注げるものを見つけ、常に情熱的であれ

ムヒカの人生を見ていくと、「平等を通して人々の生活を向上させる」ということに対して強烈な情熱を捧げてきたのが見て取れます。

それは、左派の革命組織ツパマロスに加わり、牢獄で13年も過ごしながらもその熱い情熱は無くならず、最終的には大統領として「個人がもっと自由に暮らせる」ための改革を続けていったことにも反映されています。

例えば、上述した改革した以外に、ホセムヒカは大統領就任中にウルグアイの最低賃金を50%以上も引き上げたのです。

また、ホセ・ムヒカがスピーチの中で発した、

My goal is to achieve a little less injustice in Uruguay, to help the most vulnerable and to leave behind a political way of thinking

私の目標はウルグアイにある不平等を少なくし、弱者を助け、政治的な考え方から脱却すること

という名言からも、ホセ・ムヒカは常に情熱を持って社会を良くしようと邁進していたことが分かります。

この事実は、若い頃から情熱を持つことを学び、その情熱を育てていくことの大切さを教えてくれます。

加えて、何があろうとも情熱を追い続け、それに固執していけたからこそ、元々貧困家庭に生まれたにも関わらず、その逆境を跳ね返してホセ・ムヒカは大成することが出来たのだと思います。

② 謙虚であれ

I have a way of life that I don’t change just because I am a president.

大統領になったからっても私の生活は何一つ変わっていません。

という言葉が示す通り、成功を収めて大統領になった後も、ホセ・ムヒカは変わらず謙虚でした。

ホセ・ムヒカの謙虚さを表す名言として次のようなものも残っています。

A president is a high-level official who is elected to carry out a function. He is not a king. Not a god. He is not the witchdoctor of a tribe who knows everything. He is a civil servant.

大統領は職務を遂行する為に選ばれた高官であって、国王でもなければ神でもありません。また、全てに精通している部族の呪術師でもありません。ただの公務員です。

このムヒカの言葉から見えてくるのが、大切なのは「肩書き」でなく「人々から尊敬されなければ意味がない」という点。

  • お金持ち
  • 大統領
  • 社長

などと言う肩書きを持ったとしても、自分自身の本質的な価値はこれっぽちも変わらないということです。

そして、人から真に尊敬されるのは、自分がそれに値する人間だからであって、ムヒカの例を見ると「謙虚であるべき」というのが鍵であると分かります。

③ 好きなことをやっていれば、お金は関係ない

現在の世界は資本主義社会が大半で、多くの人は「お金だけが大切」であるかのような世界に住んでいます。

そして、そのような社会では「名声」、「権力」、「お金」によって成功したかどうかを評価されがちです。

しかし、本当のところは、真に好きな事をしていれば、お金は関係ないのです。

ホセ・ムヒカの名言に次のようなものがあります。

I earn more than I need, even if it’s not enough for others.

他人にとっては十分な額じゃないかもしれませんが、私は自分にとって必要以上の額を稼いでいます。

この言葉が示すのは、結局いくら稼げば十分なのかはそれぞれの人によって異なり、お金だけを追っていると、いつまでも他人との比較になって束縛されてしまうということ。

給与の90%を毎月寄付していたので、ムヒカには月に780〜1000ドル程度(ウルグアイのおおよその平均月給)しか残りませんでした。

しかし、

I live with little. Just what’s necessary. I am not tied down to material things. Why? So I can have more free time. To do what? What I love.

私は必要なものだけで最小限で生きています。物質的なものに束縛されていません。なぜかと言えば、束縛が無い分自由な時間を持てるからです。そこで何をするかって?好きな事をするのですよ。

という言葉が示す通り、ホセ・ムヒカは本当に好きな事をやっていたため、お金に関係なく世界のほとんどの人より充実した人生を送ってきたことが分かります。

④ 自分の心に従えば自由を手に入れることが出来る

よっぽど表現や思想の自由が制限されている社会に生まれない限り、誰もが自由を手に入れることが出来るのに、実は多くの人が周りを気にして自らを束縛してしまっています。

ホセ・ムヒカは、

I’m free when I have time to spend on things I love which may be different for you and for her. That’s freedom.

私が自由なのは好きな事に時間を費やしている時です。しかし、私の好きなことはあなたや彼女にとっては違うかもしれません。これが自由ということなのです。

と発言していますが、この考えから教訓として学べることは、人間は常に自由に行動したり、発言したりすることができ、生まれながらに自由だということ。

そして、本気で好きなことに取り組んでいる時こそが、真の自由を手にしている時だということです。

一方で、他人からどう思われているのか気になるのであれば、それはそれで構いませんが、その代償を考える必要があります。

というのも、その代償は自分の自由だからです。

このように、周りを気にしてばかりではなく、自分の心に耳を傾ければ、もっと人間は自由になれるとホセ・ムヒカは示しているのです。

⑤ 足るを知る

ホセ・ムヒカはまた、暗に「足を知る」ことを示してきました。

実際、彼の名言の中には、

Poor people are those who only work to try to keep an expensive lifestyle and always want more and more.

貧しい人々と言うのは、贅沢なライフスタイルを維持する為だけに働き、常に多くを欲しがる人々です

と言うのがあります。

これは、実は客観的に見て十分幸せになれるお金や資産を持っているのに、常にもっと多くを欲しがって「足らない」という気持ちになってしまった結果、物理的に貧しくなくても、その人の人生は貧しい人となんら変わらないということを暗示しています。

また、ホセ・ムヒカは「世界一貧しい大統領」と呼ばれることに対して、

Poor are the ones who describe me so.

貧しい人とは、私を貧しいと思う人達のことを言います。

という発言を残しています。

つまり、現代社会に生きる多くの人たちは、お金は多ければ多いほど勝ち組で、逆にお金は少なければ少ないほど惨めで貧しく負け組」であるという狭い考え方に陥りがちな点を、ホセ・ムヒカは鋭く批判しているのです。

ただしホセ・ムヒカは、決して「お金を持たないことが良い」と言っているわけではなく、

お金を持っているお金持ちにもなれるし、お金を持っている貧乏にもなれるのだから、冷静になって足るを知るべきだ

ということを伝えようとしているのです。

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ホセムヒカ 世界一貧しい大統領の人生〜名言で学ぶ教訓|ウルグアイの元大統領についてのまとめ

現在、ホセムヒカはすでに80歳を超えていますが、昔と変わらず情熱的。

大統領退任後の野望として、所有する農場に若者の為の農業学校を作り、社会をもっと良くしようと奮闘しているのです。

このように、社会のために尽くしてきた世界一貧しい大統領「ホセ・ムヒカ」は、非常に多くのことが学べる、生きた偉人の一人と呼べる人物です。

世界のことって面白いよね!By 世界雑学ノート!

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