クマリと呼ばれるネパールの生き神について見ていきます。日頃の生活からその後の人生など、神として崇められる少女達の話です。
ヒンドゥー教の寺院が数多くあることからも分かるように、ネパールはヒンドゥー教徒が多く住む国。
日々の生活や社会のいたるところにヒンドゥーの考えが存在し、また、伝統的な慣習にもヒンドゥー教の影響が強く反映されています。
そして、そのネパールの伝統的な慣習の一つが「クマリ」。
生き神として選ばれた少女を崇める慣習で、ネパールのヒンドゥー教徒にとって、クマリは信仰の対象です。
一方で、このクマリを巡っては、主に人権の観点から批判の声が上がってきました。
この記事では、クマリについて理解するために、「クマリとは何なのか?」という疑問に答えた後、歴史、日頃の生活も含めた生涯、そして最後にはクマリをとりまく問題についても触れていきたいと思います。
クマリとは?
クマリ(Kumari)とは、ネパールのヒンドゥー教における神の化身であり、「女神」や「生き神」として崇められる少女たちのこと。
ヒンドゥー教の女神ドゥルガーが宿り、ネパール王国の守護神である女神タレージュやアルナプルなの生まれ変わりとされています。
そして、カトマンズ周辺の「伝統的な」クマリ(現在のネパールには10前後のクマリがいる)は、カトマンズ盆地一体に住む民族「ネワール族」の出身者が大半を占めるなど、クマリに選ばれるにはいくつかの条件を充した幼い少女が選ばれるのが特徴。
中でも世界的に有名なクマリの条件の一つが、「初潮を迎える前の女性」であることで、数々の条件に加えて、幼い幼女が選出され、初潮を迎えるまでの間、女神の化身であり力と保護の体現者である「クマリ」として生きるのです。
これは、ネパールのヒンドゥー教ではクマリだけが純潔さを体現している者と考えられ、その純潔さを守り抜くためにも、「体から血を一滴も失ってはならない」のであり、これが、初潮前の女性しかクマリになれない理由です。
そのため、初潮を迎えなくても、例えば、怪我や病気によって血を流した場合も同じように女神が少女の体から離れたと見なされてクマリで無くなるケースがあるのに対して、初潮が全く来なかったために、50歳を過ぎてもクマリを務めるケースもあると言われます。
ちなみに、クマリ(Kumari)は、サンスクリット語で「王女(princess)」または「処女/純潔(virginity)」を意味する「Kaumarya」に由来しているとされ、このことはクマリを理解していくうえで重要なポイントになります。
また、こうしたクマリの考えは、女神信仰の強いヒンドゥー教では、
- 宇宙そのものが女神から生み出された
- この女神はすべての生身の女性に宿るが、女神は純潔を好み、穢れ(けがれ)を嫌うため、地上における居場所(宿る対象)として、クマリの条件を備えた穢れがない少女は理想的な姿である
という考えを背景にしていると言えるでしょう。
ネパールにおけるクマリの歴史(過去から現在まで)
クマリに関する歴史は長く複雑であり、まだその歴史については分からないことが多くありますが、その起源はおよそ2300年前のインドにおける処女信仰にまで遡るようです。
また、ネパールにおける処女信仰は6世紀の古代ネパール王国リッチャヴィ朝にまで遡ると考えられます。
一方で、ネパールのクマリたちの存在が広く知られるようになってきたのは17世紀に入ってからのこととされ、それまで、「どのようにネパールでクマリが誕生していったのか?」については、いくつかの「伝説」が言い伝えられている程度で、具体的には良く分かっていません。
そして、現在のネパールには複数のクマリがいます。
あまり一般には知られていませんが、ネワール族が住む村の多くには「クマリ」として選出された少女がいるのです。
しかしカトマンズのクマリの館に住み、かつては王もひれ伏したと言われる「ロイヤル・クマリ」は別格。
世界的に最も良く知られた存在であり、一般的にクマリと言えば、この「ロイヤル・クマリ」を指すことがほとんどでしょう。
2017年9月28日、ロイヤル・クマリであったマティナ・シャキャ(Matina Shakya)が退位し、当時3歳であったトリシュナ・シャキャ(Trishna Shakya)が儀式を経て、新たなロイヤル・クマリとして任命されています。
(参照:AFP)
クマリの選出方法
現在のクマリが女神の化身としての役割を果たせなくなった時点で、全国または地方においてふさわしい後継者を選定し始めます。
そこには極めて広範囲に渡る数多くの条件が存在し、体に傷や痣がないこと、肌に切り傷や欠点がないこと、初潮前であることといった基本条件を満たす必要があるのです。
(クマリの格好をした女の子 ※クマリではない)
そして、基本条件を満たした少女は、女神の理想を体現した「バッティス・ラクシャン(Battis Lakshan)」と呼ばれる32の身体的特徴を持つかどうかを調べられます
例えば、
- 菩提樹のような体つき
- 雌牛のような睫毛
- ほら貝のような首
- アヒルのように柔らかく澄んだ声
- 黒髪と黒い瞳
- きめ細かく柔らかな手足
- 鹿のような太もも
- 小さくて湿り気のある舌
- 小さくてくぼみの深い女性器
- 欠けていない歯
- 健康である
- 獅子のような胸
などです。
また、その後もクマリを選ぶための儀式は続き、タレジュ寺院の中庭に少女は連れていかれ、生け贄として捧げられた動物の首がろうそくの灯りで照らされてお面をかぶった男たちが踊るなか、一切の恐れを見せず、最後にれらの動物の首と一晩を過ごし、そこでも恐れを見せないなど「沈着さと何ものも恐れない心」を持っているかどうかが確認されるのです。
これは、このような状況下で恐怖を感じる少女は、女神タレージュの力にはふさわしくなく、タレージュの生まれ変わりとは言えないとされるからです。
そしてこれら全てをパスすると、少女はこれまでの人生の穢れを落とす儀式に臨み、その後、晴れてクマリとして認められるのです。
この一連のプロセスは、高位の僧、王室付きの第一僧侶、タレジュ寺院の僧、王室付きの占星術師(国や国王との占星術における相性が良いかを調べる)の下で行われ、クマリになる少女はその選考過程で、多くのことを課せられることが分かります。
クマリの生涯:生活や仕事(ロイヤル・クマリの場合)
クマリに選ばれると、少女の生活は一変します。
クマリの日々の生活
住居であるカトマンズのクマリの館に移ると、それ以降、外に出るのは儀式の時だけに制限され、家族はごくたまに行われる公式面会のためにしか会いに来ることができません(ロイヤル・クマリ以外のクマリの場合は、家族との同居が認められることもあるらしい)。
また、遊び友達は世話係の家族または同じカーストから選ばれた一部の者だけで、教育は世話係の者に行われます。
そして、クマリは常に赤い衣服を身につけ、髪は頭の上でマゲに結い、額に火の目が描かれ、クマリであり続ける間は大地に足をつけることがなくなります。
(※)クマリが宮殿を離れるときは、黄金のカゴに乗って運ばれる。また、このクマリの足は、信仰の対象として多くの礼拝者達に崇められて触れられる。
クマリの仕事
生き神であるクマリの姿をちらりと見ることができれば「幸運が訪れる」と考えられているため、クマリの館の前の広場からクマリの姿を垣間見ようと人々が集まります。
そして、願い出れば館の謁見室にクマリを訪ねることが出来る場合もあり、現在でも多くの政治家や王族がその職務に関する祝福を受けようとロイヤル・クマリを訪れます。
(クマリの館)
ただし、クマリは格子状に編まれた鉄の玉座に座っていて、会話は許されていません。
また、謁見した際のクマリの様子で、拝観者の将来の富、健康、地位などが占われるとされます。
- 泣くか大声で笑う
- → 重篤な病気または死
- 目をこする
- → 差し迫った死
- 体を震わせる
- → 投獄される
- 供物の食べ物をつつく
- → 経済的な損失
- 沈黙
- → 願いが叶う
などが一例で、拝観者にとって最もありがたいのは、願いが叶うことを意味する「沈黙」でしょう。
女神が体から去った後の少女
初潮を迎えたり、怪我などによる出血によって女神が体から去ると、クマリであった少女は直ちに普通の子どもとして扱われ、少額の恩給が支払われると共に両親の元に帰されます。
生活のすべてがまかなわれて女神として崇められる生活から、単なる子どもの生活に戻るのです。
一方で、元クマリの少女達は、ネパール社会で困難に直面する場合もあるようです。
一つは、「クマリであった女性は早死にする」という言い伝えがあるため、一般生活に戻っても結婚が難しいというもの。
また、以前のクマリ達は、宮殿の中で社会生活や身の回りのことについての適切な教育や知識を与えられていなかったため、これも、普通の人間に戻った少女たちの暮らしを困難にしていました。
このように、元クマリ達には乗り越えるべきいくつかの困難が待ち構えていますが、多くの元クマリ達は、可能な限りネパールの一般市民としての生活を続けていこうとしています。
クマリに関する人権問題
この「クマリ」という伝統的な慣習に対して、現在では批判の声が上がるようになってきています。
というのも、いくら生き神に選ばれて特別扱いされたとしても、クマリとなる少女は非常に幼い時に家族から引き離され、その後、何年間もほとんど外出することもなく暮らすのです。
また、クマリが暮らす館は古い建物で、現代的な設備はなく、最近までクマリは教育も受けず、宮殿の中でインターネットを使うことも許されませんでした。
さらに、クマリが日中を過ごす部屋には窓がなく、ロウソクやランプのようにわずかな明かりしかないとされます。
このような状況下でクマリとしての責務を全うすることを求める慣習に対して、近年、幼児虐待や人権問題として批判の声が上がっているのです。
その結果、2008年には、ネパールの最高裁によって、
「クマリが、子供の権利条約の保障する子供の権利を否定されるべき根拠は,歴史的文書にも宗教的文書にもない」
(引用:wikipedia)
という判決が出され、教育、行動、食事の自由が緩和され、少しずつ生活環境の一部が改善されつつあるようです。
例えば現在、クマリは宮殿の中で専任の教師から教育を受け、また、インターネット、書籍、雑誌なども読むことが出来ると言われています。
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クマリとは?ネパールの生き神の生活やその後の人生までのまとめ
ネパールの生きた女神と信じられている少女達「クマリ」について見てきました。
ヒンドゥー教徒が多いネパールにおいて伝統的な慣習の中で、現地の人々に崇められている存在です。