国鳥とは国を代表したり象徴する鳥のシンボルのことですが、そんな国鳥の中でもフランスの国鳥は興味深い存在です。
というのもフランスの国鳥は、野生の鳥をシンボルとしている他の国とは違い、肉・卵・羽毛などを利用するために飼育する鳥、つまり家禽だからです。
このフランスの国鳥について見ていきたいと思います。
フランスの国鳥とは?
フランスの国鳥とはずばり「ガリアの雄鶏」と呼ばれる「オスの鶏」。フランスでは雄鶏が、国の象徴の1つとしてよく使われているわけです。
では、雄鶏とフランスにはどういった関係があるのでしょうか?
雄鶏とフランスの両者の関係性を紐解く上で良く挙げられるのが、フランス語の元となったラテン語のGallusという単語です。
このGallusは「雄鶏」と「ガリアの民」という異なる2つの意味を持っています。
そして、ガリアの民はフランス人の祖先であると考えられており、この同音異義語である両者のある意味言葉遊び的な点から雄鶏は徐々にフランス人のシンボルへとなっていったというのです。
中世フランスでは宗教的なシンボルとして雄鶏が採用されていた
雄鶏は中世初期からフランスの教会の鐘楼の装飾に使われていました。
当時のフランスでは、信仰と希望のシンボルとして用いられていたようなのです。
一方で、日の出に合わせて鳴く雄鶏の行動が当時、「警戒心の象徴」として取り入れられ、使用されていたという背景もあるようです。
いずれにせよ、中世フランスで雄鶏は宗教的なシンボルとなっていました。
また、中世フランス王国のヴァロワ朝やブルボン朝では、彫刻やコインに描かれた王の肖像画にフランスを象徴するこの雄鶏が添えられていたことが多く、まだマイナーな紋章ではあるものの、ルーヴル美術館やヴェルサイユ宮殿にはこの雄鶏が飾られていました。
他にも、ガリアの雄鶏は何世紀にも渡り、民芸品作家によって陶磁器や木彫り、家具の装飾モチーフとして使用されていました。
フランにとってさらに雄鶏を重要にしたフランス革命と第一次世界大戦
フランスにおいてガリアの雄鶏がさらに重要な存在となった背景には、フランス革命と第一次世界大戦といった歴史的イベントも含まれるかもしれません。
フランス革命とガリアの雄鶏
封建的な身分制や領主制を一掃するために1789年に起こったフランス革命では、国章に描かれたブルボン家の紋章が雄鶏に差し替えられました。
そして、フランス革命が成功して共和制が導入されてフランス第一共和制が樹立すると、ガリアの雄鶏がフランスを象徴する重要なシンボルの一つとして自然と採用されるようになっていました。
しかし、ナポレオン一世が皇帝として帝政を敷いたフランス第一帝政を宣言すると、ナポレオンは同時にこの雄鶏をフランスのシンボルとして廃止し、変わりに鷲(ワシ)をフランスの帝政フランスのシンボルに位置づけました。
これは、
雄鶏には力がない。フランスのような帝国のイメージにはなり得ない。
というのが理由でした。
しかし、1815年の王政復古で復活したブルボン朝を再び打倒するために、フランスで1830年に起こった市民革命「フランス7月革命」で、再びガリアの雄鶏のイメージは復活。
ただし、1852年から1870年まで続いたフランス第二帝政の皇帝ナポレオン3世によって再び破棄されてしまいます。
それでも1899年からは20フラン金貨のモチーフとして使われ、切手にも時々描かれるようになっていくなど、フランス人にとって重要なフランス革命時にシンボルとなった雄鶏は、徐々にフランス国内での立場を回復していきました。
第一次世界大戦とガリアの雄鶏
第一次世界大戦中、ドイツと敵対したフランスでは国内における愛国心の高まりから、フランス人にとってガリアの雄鶏が再び重要な精神的柱となりました。
ドイツのシンボルと言える黒い鷲(アドラー)を前にした、フランスの抵抗と勇気のシンボルとなったのです。
またこの頃から雄鶏は、農耕民族という起源を持ち、誇り高く、意見がはっきりしていて勇敢で、多産・多作なフランス人達のシンボルとなっていきました。
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フランスの国鳥とは?【ガリアの雄鶏とフランスの関係】のまとめ
フランスの国鳥「ガリアの雄鶏」について見てきました。
ガリアの雄鶏は現在、フランスの国鳥と考えられていますが、実は法的に定められているものではなく、正確には公式な存在ではありません。
しかし、ガリアの雄鶏は現在のフランスが成り立つ上では大きな役割を果たし、フランス人達を何度もまとめ上げ、歴史の中で重要な役割を果たしてきました。
さらに、現在はサッカーフランス代表の紋章に使われていたり、フランスオリンピック委員会は、2015年4月からロゴにモダン化したガリアの雄鶏を用いているなど、事実上、ガリアの雄鶏はフランスの国鳥となっているのです。