スパルタについて詳しく見ていきましょう。過酷な教育や訓練で知られ、一時は古代ギリシャの覇権を握った最強の軍人国家です。
古代ギリシャに存在した都市国家スパルタは、今日でさえ映画や物語の題材になるなど、現代でも多くの人々の関心を惹きつけます。
なかでも、過酷な教育や訓練によって育て上げられた、最強の戦士達を抱える軍人国家としての性格は、人々の興味をそそる最大の特徴でしょう。
この記事では、そのスパルタについて詳しく見ていきたいと思います。
まずは、基本的な概要から始め、次にスパルタを4つの視点からより掘り下げて見ていき、最後にスパルタ人の倫理観や性格に関する4つのポイントを紹介していきます。
スパルタとは?
スパルタ(Sparta)とは、紀元前10世紀頃から紀元前146年まで存在した古代ギリシャの都市国家(ポリス)の一つ。
現在のギリシャの大陸部分南端に広がる「ペロポネソス半島」の南部スパルティに存在し、強力な軍人または戦士たちを抱えていたことで有名な、古代ギリシャにおける最強の軍人国家。
ペロポネソス戦争(紀元前431年〜紀元前404年)で、ライバルだった古代ギリシャの都市国家「アテナイ」に勝利したことにより、一時期はギリシアにおける覇権を握り最盛期を迎えました。
スパルタの文化は、国家に対する忠誠心と極めて特殊で厳しい兵役制度を中心に成り立っていたことで有名。
スパルタの少年は7歳になると、国家の支援を受けた厳格な軍事訓練を中心とした教育、そして、社会活動プログラムを受け始め、その中では「服従、訓練、忍耐」が強調され、これが古代ギリシャ世界で最強とも言われた軍人を作り上げた理由でした。
また、スパルタの女性は軍事行為にはそれほど携わっていませんでしたが、同じように健康な肉体を維持するためのプログラムやそれ以外の教育を受け、他のギリシア人女性に比べて高い地位を認められて自由を謳歌していました。
一方で、スパルタの男性は職業兵士であったため、肉体労働はすべて奴隷階級であるヘイロタイが担っていたのがスパルタ社会の特徴。
スパルタ市民は最大でも5万人程度なのに対して、奴隷は15万〜25万もいたと言われ、この奴隷階級の人々を抑え付けて国家を運営するためにも「市民皆兵主義」が用いられ、男性は強力な軍人になることが求められたと言われています。
ちなみに、中には死に至ることもあったスパルタの軍事訓練または教育は、極めて厳格で過酷なことで知られていました。
そのため、「スパルタ」は「厳しい、厳格、過酷」といった意味を象徴する言葉となり、これが、現在でも厳しく忍耐を要する教育を指す際に「スパルタ教育」と言われる所以です。
古代ギリシャ最強の軍人国家「スパルタ」を4つの柱で詳しく見ていこう
古代ギリシャの都市国家「スパルタ」について、その概要を紹介してきましたが、ここからは、「社会」、「軍事力」、「女性と結婚」、「衰退」の4つのポイントに分けて、スパルタをより詳しく見ていきたいと思います。
スパルタの社会
自らはラケダイモーン(Lacedaemon)と称していたスパルタの社会は、主に以下の三つの階級グループに分けられていました。
- スパルタ人 ・・・完全な市民権を持つ人々
- スパルタ社会における支配階級であり自由民
- 最盛期には2万〜3.5万人ぐらいの人口を抱えた(5万という推定もある)
- ヘイロタイ(ヘロット)・・・奴隷
- 奴隷の身分から解放されることや移動することは許されない
- 土地を耕してスパルタ人に貢納したり単純労働などを行った
- 15万〜25万近くに上ったと言われる
- ペリオイコイ・・・半自由民
- 奴隷でもない代わりにスパルタ市民とも認められていなかった人々
- 「周辺に住む人々」の意味を持つ「ペリオイコイ」は、技術者や貿易商として働き、また、スパルタ人が使用する武器も製造していた
- スパルタの衰退が始まって人口減少が起き始めると、戦いに参加させられることも増えていった
市民であるスパルタ人は自由を謳歌した代わりに、健康な男性は全員、国家が運営する最強の戦士となるための「義務教育制度」にて学び、成人しても共同生活を送り(男性は30歳まで軍事施設に住むことが義務づけられていた)、一生を兵役に捧げることを求められ、国家の緊急時には命を落とす覚悟で国を守ることを求められたのです。
そのためスパルタ人は、「国家への忠誠心が家族を含む何よりも優先される」という思想の基に生活しており、この考えが軍人国家スパルタの社会の根底となっていました。
社会の「運営」において非常に重要だった奴隷「ヘイロタイ」
「捕虜にされた人々」を意味するヘロット(ヘイロタイ)は、ラコニアやメッセニア出身の古代ギリシア人グループの一つ「アカイア人」で、その地域がスパルタに征服された際に奴隷の身分とされました。
しかし、奴隷としての扱いを受けていたものの、ヘイロタイの存在なくしてスパルタ人の生活や社会が成り立つことはありませんでした。
というのもヘイロタイは、社会生活を維持していくのに必要な日常作業や単純労働の全て、また、他にも多くの仕事を担っていたから。
例えば、
- 農民
- 家事労働
- 看護
- 従軍労働
といった仕事は、ヘイロタイが行っていたのです。
しかし、客観的に見れば社会にとって重要なヘイロタイも、スパルタ人達から残忍かつ圧政的な扱いを受けていたとされます。
例を挙げると、数の上でヘイロタイを下回るスパルタ人は、反乱を阻止する目的や戦いに慣れる目的で、ヘイロタイに対して残虐な行為を行うことがありました。
他にも例えば、ヘイロタイに対して衰弱するほど大量のワインを飲ませ、公衆で嘲笑するなど、ヘイロタイを侮辱するような行為を行っていました(この行為には、若年層のスパルタ人に泥酔状態の悪い見本を見せて、自制心を失わない様に教育する意図もあった)。
ちなみに、市民であるスパルタ人には、何かと理由を付けて奴隷であるヘイロタイを殺害することが許されていたのです。
スパルタの軍事力
芸術、学問、哲学の中心地であったアテナイのような古代ギリシアの都市国家とは異なり、スパルタは戦士文化を中心としていました。
そのため、スパルタ人男性に許された職業はただ一つ「兵士になること」だけ。
スパルタ人の少年は「7歳」で親元を離れて軍事訓練を受け始め、スパルタ教育の下で学び、また、厳格な条件下で共同生活を送っていました。
少年たちは絶えず、
- (精神的・暴力的行為を含む)競争社会のなかに置かれ、
- わずかな食糧配給を受けつつ生存競争を生き抜くための様々な技術を身につける
- 例:食料を盗む、敵を殺して生き延びる など
ことを期待されたのです。
このスパルタの少年達に施された過酷な教育の一つとして、帝政ローマ時代のギリシャ人著述家「プルタルコスは、『スパルタ人たちの古代の慣習(モラリア3に収録)239d章』の中で、
スパルタの少年たちはアルテミスのために一日中鞭でたたかれ、それを受け入れなければならなかった。誰が一番多く鞭打ちに耐えることが出来るか、お互いに競い合っていた
と書いています。
また、十代の少年達のなかでも、指導者としての高い潜在能力を発揮した者たちは選別され、クリュプテイアと呼ばれる特別な部隊に参加することが求められました。
このクリュプテイアとは、ヘイロタイの一般住民に対してテロ行為を行い、トラブルの元となるヘイロタイを殺害することを主な目的とした処刑部隊または秘密警察のようなものです。
そして20歳になると、スパルタ人男性はフルタイムの職業軍人となり、60歳になるまで任務についたのです。
この絶え間ない軍事教練と軍事訓練により、スパルタ人は古代ギリシアで用いられた重装歩兵による戦闘陣形「ファランクス」を作るとき、非常に強力な部隊となったと言われます。
ファランクスは軍隊が一つの密集した集団の陣形をとり、一丸となって一斉攻撃をする戦術で、スパルタ兵によるファランクスは「一匹の大きな生き物の様だった」とも言われるほど、自然な動きが出来たのです。
スパルタ人女性と結婚
スパルタ人女性は精神的に自立しており、古代ギリシア時代を通して、他の都市国家の女性に比べても大きな権力と自由を持っていたと言われます(古代ギリシャの他の都市の多くでは、女性は家庭に引きこもることが多かった)。
また、スパルタ人女性には、軍隊での役割がなかった一方で、男子とは別の教育課程で教育を受け、「強い子供は強い親から生まれる」という考えに基づき、女性でありながら槍投げやレスリングなどの陸上競技を行い、また、歌や踊りを競い合ったりもしました。
そしてスパルタ女性は成人になると、財産を所有し管理することも許され、おまけに彼女達には、料理、掃除、裁縫などの家事負担がありませんでした。
そうした家事労働はヘイロタイが担っていたからです。
しかし一方で、スパルタ人女性は、健康で強い男児を産むことに対して強い圧力をかけられ、結婚をして多くの健康的な子供を産むことが最重要任務として課せられていました。
15歳位になった女性は、親が決めた30歳位のスパルタ人男性と結婚させられたのです。
ただし、男性は戦いに参加して戦死することが多かったため、兄弟で一人の女性を妻に迎えたりと、複数の男性に一人の女性が嫁ぐことが良くあったと言われます。
これは、結婚相手の一人が戦士しても女性が未亡人にならないようにするための措置でした。
ちなみに、結婚した夫婦は通常、別々に暮らし、30歳以下の男性は引き続き共同宿舎に居住することが要求されたため、
この時期に妻に会うために夫は、夜中にこっそりと宿舎を抜け出さなくてはならなかった。そのため、スパルタ人男性の中には、自分の妻を昼間に見る前に父親になった人もいる。
などという話も残っています。
スパルタの衰退
その優れた軍事力にもかかわらず、スパルタの優勢は長くは続きませんでした。
紀元前371年に起こった「レウクトラの戦い」で敗れてギリシャでの覇権を失うと、スパルタは長い衰退の時代に突入します。
この戦いでスパルタに勝利したエパメイノンダス(古代ギリシャのテーバイの将軍)は翌年、軍を率いてスパルタ領内に侵攻。
スパルタ人よって数世紀に渡って奴隷身分を強要されてきた、メッセニアのヘイロタイ達が解放されました。
これによって社会機構が瓦解し始めると、スパルタはその後、長きに渡って二等国として衰退の一途を辿っていき、マケドニア王国の勃興とマケドニアによるギリシャ覇権の確立を見届けます。
そして、紀元前146年には古代ギリシャ全土を共和制ローマが支配し、これによって、スパルタ人は存在し続けたものの国家としてのスパルタは滅亡したのです。
古代スパルタ人を最強にしていた倫理観と性格
スパルタについて詳しく見てきましたが、最後に、古代ギリシャ最強の軍人達を輩出する上で重要だったと思われる、スパルタ人達の倫理観や性格などに関して、際立った4つのポイントを紹介していきます。
汚職と強欲に対する抑圧
軍事的なキャリアを伸ばすこと以外、例えば「物質的な富を追い求める」といった活動はほぼ全て、スパルタの法の下で抑制されていました。
例えば、この思想を強く反映していたこととして、
- 硬貨製造に許可された金属は鉄のみで金と銀は禁止されていた
という点をあげられるでしょう。
この場合、大きな買い物をするとその分、大量の鉄製硬化が必要になり、莫大な金額を持ち運ぶためには牛の群れが必要だったと言われます。
さらに、大量の硬化を保管するためには大きな空間が必要とされました。
一方で、これにより、物理的にもスパルタでの収賄や盗難は困難で、裕福であることを簡単に享受できず、隠すことはほぼ不可能となったとも考えられるのです。
怠惰に対する弾圧
スパルタの兵士は強くて健康でなければならず、それとは反対の「怠惰」は忌み嫌われていました。
このことは、最強の軍人を目指す若い男性にとって特に重要なことだったようです。
スパルタの若い男性は、「公共の場で裸になって検査される」ことが法で定められていたとされます。
この検査は10日ごとに定期的に行われ、その都度、健康で強靭な肉体を見せることが要求されました。
手足がたるんでいたり、余分な脂肪がついていた場合、またはその両方の場合は叩かれ、批判されたのです。
臆病者は恥
スパルタ人男性にとってはまた、臆病であることは恥であり、万が一にも臆病者と見なされた場合、彼らは悲惨な扱いを受けたと言われます。
例えば、
- 臆病者とされた者と食事をする行為は恥
- 臆病者と一緒に戦う者は恥
- 臆病者は球技でチーム編成する時も決して選ばれない
- 臆病者は他の者へ道を譲らなければならない
- 臆病者は自分より若い男に椅子を譲らなければならない
- 臆病者は結婚相手を見つけることは出来ない
など、臆病者と見なされた男性の社会生活は、相当過酷な状況となったのです。
ここで一つ、臆病者とされたものの、最後には名誉を取り戻したスパルタ人男性の話を紹介しておきましょう。
ペルシャとの戦いの一つ「テルモピュライの戦い(紀元前480年)」において、アリストデモスというスパルタの兵士が眼病に苦しみ、戦うことが困難となりました。
しかし、スパルタに戻ると彼は、「臆病者のアリストデモス」と呼ばれることになります。
1年後、アリストデモスは「プラタイアの戦い(紀元前479年)」で勇敢に戦って死に、これによってようやく名誉を取り戻せたのです。
簡潔かつ率直
スパルタ人は有能な兵士としての評判に加え、簡潔で率直な主張でも有名だったようです。
このスパルタ人の性格を表す話として、以下のようなものが残っています。
マケドニア王国のピリッポス2世(アレキサンダー大王の父)は、スパルタの地であるラコニアを侵略する少し前、スパルタ人に向けて手紙を送っています。
(ピリッポス2世)
その手紙の中でピロッポス2世は、
もし私がラコニアを侵略したら、君達(スパルタ人)を追い出すことになる
と書きました。
すると、スパルタ人は、
もし
とだけ、つまり僅か1単語だけを書いてピリッポス2世に返事をしたのです。
そして、ピリッポス2世がついにラコニアに入った時、スパルタ人に自分を敵か友、どちらとして迎えるのか質問する手紙を書きました。
これに対してのスパルタ人の返事は、
どちらでもない
だっとです。
スパルタ人は多くを語らない一方で、短く発する彼らの言葉は聞き手の注意を引き、すぐに本題に入ることが出来るのが特徴だったと言われます。
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スパルタ|過酷な教育で有名な古代ギリシャ最強の軍人国家のまとめ
古代ギリシャにおいて最強の軍人国家として知られたスパルタについて見てきました。
最強の兵士を抱えるスパルタは、古代ギリシャの他の多くの都市から賞賛されていました。
そして、現代においてもスパルタは人々の興味を引くと同時に、ギリシャ人にとっては誇りであり、19世紀、当時のギリシャ国王オソン1世によって、かつてのスパルタがあった場所にあたらしくスパルティ(スパルタと表記されることもある)という都市が建設されるに至ったほどなのです。