ピサの斜塔について詳しく見ていきましょう。その裏側にある歴史や傾斜のある外観、さらにはその外観によって生じている特徴など、とても興味深い点を多く発見できます。
イタリアは多くの観光客を引き寄せる国の1つとして有名で、国内には歴史的にも文化的にも価値の高い無数の建築物や観光スポットがあります。
そんなイタリアの観光スポットとして、また、文化的にも歴史的にも価値の高い建築物として有名なのがピサの斜塔。
その裏側にある度重なる失敗や不運な歴史に加えて外観の特徴から、世界にある数々のスポットの中でも最も写真に撮られる観光スポットの1つにさえなっています。
この記事では、ピサの斜塔について理解を深めるために、基礎的な知識から、知っておきたい14の豆知識までを紹介していきます。
- ピサの斜塔とは?
- イタリアのピサの斜塔に関する14の豆知識!
- ピサの斜塔豆知識1:塔は力を誇示するために建てられた
- ピサの斜塔豆知識2:傾斜は早い段階から始まった
- ピサの斜塔豆知識3:傾いた原因は計画がうまく練られなかったため
- ピサの斜塔豆知識4:ある時点で塔の傾斜の向きが変わった
- ピサの斜塔豆知識5:傾斜は徐々に広がった(一夜で傾いたわけではない)
- ピサの斜塔豆知識6:傾斜によって興味深い不均衡が生まれた
- ピサの斜塔豆知識7:工期が長引いたのは結果的に良かったとも言われる
- ピサの斜塔豆知識8:ピサの斜塔は傾いた建築物の一つに過ぎない
- ピサの斜塔豆知識9:ムッソリーニは斜塔が嫌いで事態を悪化させた
- ピサの斜塔豆知識10:第二次大戦中には軍事基地として使われた
- ピサの斜塔豆知識11:連合国はピサの塔を破壊しなかった
- ピサの斜塔豆知識12:ガリレオは塔の最上階から砲弾を落としていないかも?
- ピサの斜塔豆知識13:現在の塔は安定している
- ピサの斜塔豆知識14:一番上まで登ることができる
- 合わせて読みたい世界雑学記事
- ピサの斜塔とは?歴史や特徴に関わる14の豆知識!のまとめ
ピサの斜塔とは?
ピサの斜塔とは、イタリアのトスカーナ州にある都市「ピサ」にあるピサ大聖堂の、鐘を設置するために設けられた施設である鐘楼(しょうろう)のこと。
西暦1173年に建設が始まり、およそ200年後の1372年に完成した、非常に長い歴史を持つイタリアを代表する歴史的建造物の1つです。
296段の階段から成り、その高さは約55〜56m。
斜塔という呼び名からわかるように、僅かばかり傾いているのが最大の特徴で、1990年から2001年にかけて行われた工事以前には5.5度の傾きがあり、現在は是正されているものの、それでもおよそ3.99度の傾きがあります。
さらに、本来は鐘楼であることからも、この塔が建てられた目的は鐘を鳴らすことでした。
しかし、鐘を鳴らすと傾斜が悪化する懸念があるため、現在、定刻に鳴らされる鐘は本物の鐘ではなく、録音された音源がスピーカーで流される仕様となっています。
7つある鐘はそれぞれ長調の音階を作り、美しい音色を響かせますが、一番大きい鐘の重さは約3.6トンにもなることを考えると、傾斜悪化の懸念は納得出来ます。
また現在は、その特徴的な傾斜に加えて、世界遺産の「ピサのドゥオモ広場」を構成していることによって、イタリアの有名な観光スポットの1つとなっています。
イタリアのピサの斜塔に関する14の豆知識!
ピサの斜塔豆知識1:塔は力を誇示するために建てられた
元々は小さな港湾に過ぎなかったピサは強固な海運都市国家にまで成長し、周辺地域の中心的立場を手に入れたことで、11世紀までにピサの軍事力、商業力、政治力は飛躍的に強くなっていました。
その結果、中世に繁栄していた他のイタリア都市国家と同様に、ピサは手に入れた富を壮大な建造物に投資するようになります。
そして、この一環として1063年にパレルモを打破したピサは、シチリア遠征で手に入れた宝物を展示する場所を作るため、「奇跡の広場」を作ることにし、これが後に、大聖堂、鐘楼、洗礼堂、墓地を擁する「ピサのドゥオモ広場」になりました。
つまり、このピサのドゥオモ広場に建つピサの斜塔は、当時のピサが力を誇示するために建てられたと言えるでのです。
ピサの斜塔豆知識2:傾斜は早い段階から始まった
イタリアの川辺の町ピサの大聖堂に付属の鐘楼を建てる工事は、1173年に始まり、完成したのはおよそ200年後の1372年だったわけですが、実は、その後に「ピシャの斜塔」と呼ばれるこの鐘楼の傾きは、かなり早い段階で始まりました。
なんと1178年、2階から3階、およそ10.5m近くまでの建設が進んだ段階で、すでに僅かにですが北へ向けて傾いていたと言うのです。
これは、地盤が陥没したことによって起きました。
その後、当時のイタリアにあった他の都市国家との軍事衝突のために鐘楼の建設は中断され、1272まで再開されませんでした。
そして、1272年から第二工期が始まりましたが、それも数年続いただけで再び戦争によって中断されます。
結果、最終的にこの鐘楼が完成したのは第三工期を迎えた14世紀に入ってからで、1360年から再開された工事は、1372年になってようやく鐘つき部屋が設置されて終了したのです。
ピサの斜塔豆知識3:傾いた原因は計画がうまく練られなかったため
予見し得なかった不運が重なったために建築上の問題が起きたとはいえ、当初から十分に練られた計画があれば、鐘楼が傾くことはなかったでしょう。
砂、粘土、トスカーナ地方を流れるアルノ川とセルキオ川の堆積土からなるピサの柔らかな土壌と浅い基礎では、建築の開始当初から建物を支えるのに充分ではないことは明白でした。
実際、驚くべきことに建築の初期からこの問題は認識されていました。
鐘楼が2階まで積み上げられた時点で地盤が沈下し始め、悪名高い傾斜が始まったのです。
ピサの斜塔豆知識4:ある時点で塔の傾斜の向きが変わった
1272年に建築が再開された時になされた対策でも、傾斜は収まりませんでした。
真っ直ぐ上に向かって建築することで傾斜を直そうとしましたが、既存の3階の上に階を重ねていくと建物の重心が変わり、それによって傾斜の方向が変わってしまったのです。
4階、5階、6階、7階が完成すると、一度は北側に傾いていた建物はどんどん南側に傾いていき、南側へ傾いたままとなりました。
ピサの斜塔豆知識5:傾斜は徐々に広がった(一夜で傾いたわけではない)
「ピサ」という言葉がギリシャ語の「沼地」を意味することを考えれば、非常に高い鐘堂を建てる際には下層土の状態を考慮すべきなのに、その点がおろそかになったことで、建設当初から問題が発生。
2階部分を作り始めて塔が傾き始めた時には、もうやり直すことは出来ませんでした。
そして、時間の経過とともに、塔の重みで地盤はますます沈下し、また、地盤以外の要因も重なり、初期に0.2度だった傾斜角度はその後の数百年の間に次第に大きくなっていき、1990年には最大5.5度、つまり塔の天井が基部よりも4.5mほど南に位置している状態となってしまったのです。
この傾斜角度は流石に危険と判断された結果、傾斜を改善するためにその後、10年間に渡って土壌をならしながらの改修工事が行われ、現在の約3.99度へ是正されました。
ピサの斜塔豆知識6:傾斜によって興味深い不均衡が生まれた
傾くことがなければ、ピサの斜塔は本来、高さ60mになるはずでした。
しかし、傾いたことで最も高い部分は56.67m、最も低い部分で55.86mになりました。
また、この傾斜のせいで非常に興味深い不均衡も発生しています。
それは、北側と南側での階段の数の違いです。
傾斜のせいで北側の階段は頂上まで296段あるのに、南側は294段しかありません。
ピサの斜塔豆知識7:工期が長引いたのは結果的に良かったとも言われる
1173年から始まり、1372年に終了したピサの斜塔は、完成するまで200年もの非常に長い期間が掛けられることになったわけですが、結果的にこれは功を奏したのかもしれません。
というのも、200年も建築が遅れたことで、傾いていた塔の下の土壌が圧迫されて基盤がより安定し、塔が完全に倒れるのが防がれたのではないかと一部では考えられているからです。
ピサの斜塔豆知識8:ピサの斜塔は傾いた建築物の一つに過ぎない
ピサの街は全体的に土壌が柔らかく、ピサの建築物の多くの基礎は不安定です。
そのため実は、ピサの斜塔はピサにある傾いている建築物の1つに過ぎなかったりするのです。
(サン・ニコラ教会)
例えば、サン・ニコラ教会の鐘塔はピサの斜塔に次いで有名で、ピサの斜塔と同時期に建てられた八角形の鐘塔は、僅かではあるものの確実に傾いています。
また、サン・ニコラ教会は基礎が深いために傾斜が緩やかであるものの、例えば、サン・ミケーレ・デッリ・スカルツィ教会の鐘塔の傾斜角度はなんと5度にもなるとされます。
ちなみに、サン・ミケーレ・デッリ・スカルツィ教会がある「ヴィアーレ・デッレ・ピアッジェ」と呼ばれるエリアの「ピアッジェ(Piagge)」とは元々、ラテン語の「氾濫しやすい低地」を意味する言葉から来ていることからも、その土壌の不安定さが分かります。
ピサの斜塔豆知識9:ムッソリーニは斜塔が嫌いで事態を悪化させた
20世紀のイタリアにはファシストとして悪名高い独裁者のベニート・ムッソリーニが君臨していました。
そして、このムッソリーニは、ピサの斜塔の傾斜拡大に意図せずして貢献してしまった人物となりました。
ムッソリーニはピサの斜塔はイタリアの恥だと考えていました。
構造上のミスとそれに伴う傾きは国家の恥で、イタリアの評判を傷つけるものと考えたのです。
その結果、1934年に塔を真っ直ぐににしようと試みるプロジェクトを開始。
塔の基礎部にドリルで何百もの穴を開け、グラウトとモルタルを流し込み、構造全体を安定させて真っ直ぐにしようとしたのです。
しかし、土台が今まで以上に重くなり、塔の基礎はさらに地中に沈み、傾斜はさらに大きくなってしまいました。
ピサの斜塔豆知識10:第二次大戦中には軍事基地として使われた
1939年から1945年にかけて世界を揺るがした第二次世界大戦において、イタリアはドイツと日本が加わる枢軸国側としてアメリカやイギリスが加わる連合国軍側と対峙しました。
このような背景があるため、特徴ある姿から攻撃の的にされそうなピサの塔は、ドイツ軍によって見張り台として使われたこともあったのです。
周囲の平野を見張るために、高さがあるピサの塔は理想的だったと言います。
ピサの斜塔豆知識11:連合国はピサの塔を破壊しなかった
長い歴史の中で重力によって崩れることはなかったものの、ドイツ軍に基地として使われたことで、ピサの塔は危うく破壊される寸前までいきました。
1944年にイタリア半島を北上していた米軍は、敵の建造物をすべて破壊する命令を受けていたためです。
ところが、枢軸軍に占領されたピサ一帯を進軍していた米軍の兵士たちは、ピサの斜塔の姿に心を奪われ、ピサのドゥオモ広場一帯の破壊を取りやめたのです。
ピサの斜塔豆知識12:ガリレオは塔の最上階から砲弾を落としていないかも?
ルネッサンス時代に活躍した物理学者ガリレオ・ガリレイの最も有名な業績の一つが、質量の大きさに関わらず物にかかる重力は同じであることの発見です。
ガリレオは1589年にピサの斜塔の上から大砲の弾とマスケット銃の弾を落とし、その発見をしたとされています。
そして、この実験については唯一、弟子のヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーによる伝記に記されています。
しかし、現代の学者の中には、
ピサの斜塔の上からの実験は、ガリレイの頭の中でのみ行われたことである
と主張する人もいます。
つまり、実際に実験は実行されたことはなく、これはガリレオがもっと後になって考え出したものであり、ヴィヴィアーニが伝記を記す際に膨らませて、ガリレオの発見の偉大さを大げさに描いたのではないかとする仮説です。
ピサの斜塔豆知識13:現在の塔は安定している
数世紀にわたって傾きを直そうとする、善意でありながら逆効果な試みをくぐり抜けてきたピサの斜塔に対して、21世紀になるとついに、その傾きは少しだけ是正され、また「安定化」という側面でも成功が導かれました。
塔の傾斜が少し是正されると同時に、2001年、ピサの斜塔はこの先200年間は安定であると公式に発表されたのです。
実際、2008年に調査された時点で、ピサの斜塔の傾斜は全く拡大していないことが判明しました。
これは塔が建てられて以来、初めてのことです。
ただし、200年間は安定であるとする主張は一方で、全ての要因が一定であるとすれば、23世紀には地盤沈下が始まり、塔は再びゆっくり傾斜し始める可能性があるという意味でもあります。
ピサの斜塔豆知識14:一番上まで登ることができる
ピサの斜塔は傾いてるため一見すると不安定そうですが、上でも述べたように、安定化が行われた結果、現在は安定しています。
そのため、観光スポットの1つとして大人気であることもあり、ピサの斜塔は一番上まで出来ることが可能です。
もちろん、いくら安定していると言っても、毎日大勢の観光客が訪れる場所であるため、常に安全性が点検されています。
また、一番上まで登りたい場合は事前予約が必要です。
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ピサの斜塔とは?歴史や特徴に関わる14の豆知識!のまとめ
イタリアの有名な観光スポットであるピサの斜塔について、その歴史や特徴にまつわる豆知識を紹介してきました。
ちなみに、世界にはピサにある建築物以外にも、それほど有名でないにしろ傾斜で知られる建築物がまだまだ多くあります。
例えば、14世紀から15世紀に建てられたドイツのズールフーゼン教会の斜塔は、ピサの斜塔よりも「傾斜が大きい」ことで知られます。
また、同じドイツのバート・フランケンハウゼンにある14世紀に建てられたオーバーキルシュ教会の斜塔や、イタリアのボローニャにある二本の塔の短い方の塔も、傾斜していることで有名です。
さらに、世界にはイタリアのピサの斜塔にちなんで名付けられた場所があることも知っておくと話のネタとして良いかもしれません。
それは、フランスの南極探検隊が南極大陸のジオロジー群島で発見した巨大な岩のドームで、この全長27メートルもある岩の塊は、ピサの斜塔に似ていることから「ピサの斜塔」と呼ばれていたりします。