コロッセオとは?歴史を振り返る|猛獣と剣闘士の戦いなども解説

コロッセオとはなんなのか?その歴史を振り返りながら詳しく見ていきます。剣闘士同士の戦いや猛獣との戦いが繰り広げられた円形闘技場です。

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現代でもスポーツ観戦が大好きな人が多くいるように、古代ローマにおいても多くの人が競技観戦に熱中しました。

現在のイタリアの首都にあたるローマには、多くのローマ市民の関心を引きつけた競技場「コロッセオ」が西暦1世紀に建てられ、それから約400年もの間、古代ローマ人達を魅了していったのです。

このコロッセオとはどんなものだったのか?

この記事ではコロッセオの概要、歴史、その他の豆知識の3つのポイントに分けて、コロッセオについて詳しく見ていこうと思います。

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コロッセオとは?

コロッセオ(コロッセウム)とは、イタリアのローマにある古代ローマの遺跡「フォロ・ロマーナ」で見つかる、帝政ローマ時代に造られた石造りの円形闘技場。

西暦70年から72年の間に、当時のローマ帝国皇帝「ウェスパシアヌス」の命によって建築が始まり、ウェスパシアヌスの息子で次のローマ帝国皇帝「ティトゥス」の治世下である西暦80年に完成、そして公開されました。

そして、正式名称「フラウィウス円形闘技場(コロッセオの傍らにはネロ帝の巨大な像「コロッスス」が傍らに立っていたために混同されて「コロッセオ」と呼ばれるようになったと言われる)」の完成を記念して、公開後は剣闘士同士や猛獣との戦い、そして模擬海戦などが、100日間続けて行われました。

その後も4世紀に起こったローマ帝国のキリスト教化が起こるまで、引き続き剣闘士競技の場所として使用されていったと考えられています(※完全に禁止されたかどうかについてはいくつかの説がある。例えば、剣闘士競技は禁止されたが野生動物の狩り競技は6世紀まで続いた等)

また、古代ローマ時代の中でも紀元前6世紀頃から西暦3世紀頃の間、フォロ・ロマーナは国の政治・経済の中心として機能していたこともあり、完成以降、コロッセオは古代ローマの象徴となった建設物であったとも言えるでしょう。

一方で、競技場として使われなくなって以降、コロッセオの建設に使用された石材は他の建築物を作るための材料として流用されていきました。

それに加えて自然災害などが起こり、現在のコロッセオは建設当初の姿の3分の2を失っていると言います。

しかし、それでもコロッセオは今なお人気の観光地であると同時に、古代ローマとその激動の歴史の象徴として存在し続けているのです。

ちなみに、コロッセオのメインエントランスのすぐ近くには、西暦315年にコンスタンティヌス1世がミルウィウスの戦いで、マクセンティウスに勝利したのを記念して建てられた「コンスタンティヌスの凱旋門」があります。

コロッセオのサイズや構造

コロッセオは、長径188m、短径156mの楕円形の形をしており、高さは48m、そこへおよそ50000人の観客を収容できたと言われる、当時としては非常に大規模な建造物で、ローマ時代においては最大の円形闘技場でした。

それ以前の円形闘技場の多くが、構造強化のために丘の斜面に埋め込むようなかたちで建設されていたのと異なり、コロッセオは石やコンクリートを用いて平地に自立する形で建設されたのが特徴です。

また、独特な外観のアーチ状エントランスの数は80ほどあり、3層から成ります。

そして層ごとに様式が異なり、

  • 1階部分はドリス式
  • 2階部分はイオニア式
  • 3階部分はコリント式

となっていて、天井部分は通常は解放されていますが、日光が強い日などは天幕が掛けられることもあったようです(※天幕の設置には多大な費用がかかったらしい)

一方で、5万人分以上の観客席がある巨大なサイズを誇り、おそらくは身分によって区別されていたと考えられるコロッセオですが、それでも、

  • ローマ帝国の中心地にあったこと
  • 完成当初はとても人気が高かったこと

などから、他の円形闘技場と比較しても常に満席状で、すし詰め状態になっていたと推測されています。

コロッセオで開催された競技とはどのようなものだったのか?

闘技場と言われることからも分かる通り、コロッセオで開催された競技大会は、基本的に剣闘士を中心にしたもので、

  • 剣闘士同士の格闘戦
  • 剣闘士と猛獣との闘い
  • 野生動物の狩り
  • 闘技場に水を張って行う模擬海戦

などでした。

そして、古代ローマ時代に観客の前で戦った剣闘士の中には、少なからず女性の剣闘士も存在はしたものの、ほとんどは男性で、その多くは奴隷、死刑囚、捕虜だったと言われます。

コロッセオの歴史ダイジェスト

コロッセオの起源:建設開始までの背景

退廃的なローマ帝国第五代皇帝ネロが西暦68年に自死を遂げた後も、彼の行った悪政と浪費は内乱の火種となっていきました。

ネロの死後、動乱の1年の間に実に4人の皇帝が次々と擁立され、この中で4人目となるウェスパシアヌス帝が登場して、ようやくローマ帝国は10年(西暦69-79年)を一人の皇帝の治世下で治められていくことになったのです。

(出典:ウェスパシアヌス帝)

ウェスパシアヌス帝、ティトゥス帝、ドミティアヌス帝の3人が属することで知られるローマ帝国の王朝「フラウィウス朝」は、それまでの国家財政の引き締め、元老院の再建、公衆衛生の整備などに取り組みました。

また、64年のローマ大火(皇帝ネロ時代のローマ帝国の首都ローマで起こった大火災)の焼け跡であるローマの中心には、ネロが自身のために広大な黄金宮殿「ドムス・アウレア」を建設しましたが、西暦70-72年頃にウェスパシアヌス帝はこの場所をローマの市民達に戻すと決定

それに伴って、ドムス・アウレアの敷地内に剣闘士の試合やその他のエンターテインメントを楽しめる、新しい円形闘技場の建設を命じたのです。

ついにコロッセオが完成して公開された

当時の技術とコロッセオの規模を考えた場合、建設が命じられてからおよそ10年で公開されたというのは、比較的短期間であったと言えるでしょう。

西暦80年、ティトゥス帝の治世下で、ついに歴史的遺産となる大規模な建造物であるコロッセオが公開されたのです。

そしてそれから100日間、コロッセオではその完成を記念して、様々な剣闘士競技が組まれました。

ちなみにティトゥス帝は、先代のウェスパシアヌス帝から帝位を引き継いだ時、一時は皇帝ネロのように暴君になるのではないかと心配されました。

しかし、西暦79年にヘラクラネウとポンペイを壊滅させ、歴史にその名を残したヴェスヴィオ山の噴火災害の復興処理など、様々な点で市民達から人気を得た結果、皇帝の理想像とも言われるほどの名君として知られるようになりました。

その後、コロッセオは、ティトゥス帝の後を継いだ弟のドミティアヌス帝によって拡張工事が続けられていったため、最終的な完成は彼の治世下だと言われることもあります。

コロッセオが闘技場としての性格を失っていくまで

コロッセオは公開されてから400年近くに渡って使用されましたが、地中海西部におけるローマ帝国支配の衰退と、キリスト教の影響を受けた民衆の反応の変化によって、剣闘士による闘技や他の大がかりな見世物は、6世紀頃には行われなくなったと考えられています。

また、その頃までにコロッセオは、雷や地震などの自然災害による被害も受けていました。

これらの条件が重なった結果、コロッセオは完全に使われなくなり、最終的にはコロッセオに使われていた石材を流用する採石場となっていったのです。

このコロッセオの石材が流用されて建てられた建築物の中には、サン・ピエトロ寺院、ラテラノ大聖堂、ヴェネツィア宮殿、テヴェレ川沿いの要塞など、多くの歴史的建造物が含まれます。

聖地として保存されて現在は観光地となった

その後、18世紀初め頃から、複数のローマ法王がコロッセオをキリスト教の聖地として保存することを要求。

彼らが主張する通りのキリスト教徒が迫害されたのちコロッセオで殉教した」という点に関しては、歴史的に明確な証拠はありませんでしたが、ローマ教皇ベネディクトゥス14世がコロッセオを神聖な場所としたことによって、これ以降、コロッセオは保存されるようになったのです。

そして、天候や自然災害、放置、破壊行為などにより、コロッセオは大理石の座席や装飾品も含め、当初の姿がかなり失われてしまっていましたが、1990年代に本格化した復興事業によって、今なお世界中の観光客を魅了する場所であり続けています。

コロッセオについてのその他の豆知識

入場料は無料だった

コロッセオでの競技試合は、皇帝自らが主催し費用も出したものが多く、基本的には入場無料だったようです。

そして、時には食事までもが無料で振舞われたと言います。

ローマ帝国の皇帝達は、人気集めと民衆の支持を得る手段として、コロッセオを利用していたのです。

コロッセオは非常に多くの人の手で建てられた

現代に造られる競技場と比較しても、50000万人を収容できたとされるコロッセオは大きな建設物ですが、当時としては人々の度肝を抜く大きさだったことは想像に固くありません。

そんなコロッセオは、工事が着工してからおよそ10年で完成しているわけで、そのためにも非常に多くの労働力が投下されたことが分かります。

正確な数字は分からないものの、ローマ帝国の領土全土から集められた何万人もの奴隷達の力によって、人力で建設されたのです。

ちなみにコロッセオのサイズは、現代にあるサッカースタジアムの多くがすっぽりと入る大きさです。

コロッセオでの競技は残忍なものだった

コロッセオでの競技はひどく残忍なものでした。

皇帝主催の試合では、たった1日で約1万頭の動物が殺されることもあったと言われるほどです。

また、コロッセオが公開されてから100日に渡って続けられた数々の試合では、猛獣5000頭、剣闘士数百人が命を落としたとされます。

コロッセオの下には部屋や地下道がある

試合が行われる闘技場と観客が座る観客席の他に、コロッセオにはその下に無数の部屋と地下道が造られていました。

そこには動物や剣闘士が入れられ、上階の競技場での運命に直面するために待機していたのです。

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コロッセオとは?歴史を振り返る|猛獣と剣闘士の戦いなども解説のまとめ

古代ローマ時代に建設され、現在でも歴史的遺産として有名な観光スポットなっているコロッセオについて見てきました。

コロッセオの規模やその歴史を見ていくと、当時のローマ帝国の様子を感じることができます。

世界のことって面白いよね!By 世界雑学ノート!

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