パックスロマーナ(ローマの平和)と五賢帝の時代とは?

ローパの平和と呼ばれるパックスロマーナの時代について解説していきます。また、その時代に生きた五賢帝に関しても触れていきます。

「パックスロマーナ」または「ローマの平和」という言葉を耳にしたことはありますか?

古代ローマの中でも特定の時代を指す言葉で、古代ローマ史上最も平和で国が発展したと考えられる時代のことです。

そして、その時代にはまた、優れた5人の皇帝が続けて誕生することになり、後世に「五賢帝」として語り継がれることになります。

そんなパックスロマーナ(ローマの平和)や五賢帝について、詳しく紹介していこうと思います。

特に世界史に興味があるなんて人は確認してみてください。

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パックスロマーナ(ローマの平和)とは?

パックスロマーナ(Pax Romana:ラテン語で「ローマの平和」の意味)とは、帝政ローマ(ローマ帝国)の創始者であるアウグストゥス帝の即位から、「五賢帝」最後の1人であるマルクス・アウレリウスが死去するまでの時期(紀元前27年から西暦180年までの206年間続いた)を指す言葉。

「ローマの平和」という意味からもわかる通り、比較的平和で安定した時代だったことからそう呼ばれることになり、それほど長い間平和が続いたことは、それ以前の歴史にはなかったため、パックスロマーナは「奇跡」だったと表現されることもあります。

さらに、このパックスロマーナの時期は、アウグストゥス(オクタヴィアヌス)が「共和政ローマ最後の内戦(クレオパトラ&アントニウス軍とオクタヴィアヌス率いるローマ軍の戦い」に勝利したことでもたらされたため、「パックス・アウグスタ(Pax Augusta)」と呼ばれることもあります。

当時のローマはその歴史の中でも最大の版図を誇り、人口は最大で7千万にも達していたとされ、これは当時の世界人口のおよそ1/3を占めていました。

そのため影響力は大きく、パックスロマーナはイギリスからモロッコ、そして、イラクに及ぶほどだったと言われています。

パックスロマーナ時代にも実際には小規模な内戦などは起こっていた

パックスロマーナは「ローマの平和」を表しますが、あくまでも「比較的」に平和と安定が続いていた時期であり、決して「完全なる平和」や「全く紛争がなかった」わけではありません。

あくまでも、アウグストゥスが皇帝となって始まった帝政ローマ以前の共和制ローマの方が、もっと戦争が多い時代だったために、比較すると対照的にパックスローマの時代が平和に映るといった方が適しているかと思います。

例えば、

  • ユダヤ戦争(西暦66-73年)
  • キトス戦争(西暦115-117年)
  • バル・コクバの乱(西暦132-135年)
  • パルティア戦争(紀元前66年-西暦217年)
  • ダキア戦争(西暦101-102、105-106)
  • トイトブルク森の戦い(西暦9年)をはじめとしたゲルマン人たちとの戦い
  • グレートブリテン島で起こったワトリング街道の戦い(西暦60-61年)

などの軍事衝突が起こっており、決して「完全な平和」を達成していたわけではなかったことがわかります。

地域によってもパックスロマーナの時期は違う可能性がある

また、パックスロマーナは、ローマの影響下にあった地域全体で等しく同じ時期に始まったかというとそうでないかもしれません。

各地域ごとの平和な時代というのは、それぞれ差異があったとされるため、地域別のパックスロマーナを見ていくと、特に地中海沿岸の広い範囲で、もっと早くからパックスロマーナ状態になっていた可能性も考えられるのです。

例えば、シチリアでは紀元前210年から、イタリア半島では紀元前200年から、イベリア半島の大部分では紀元前133年から、北アフリカは紀元前100年から始まっていたのではないかという見方もあります。

このように、パックスロマーナをあえて地域別に見ていくと、地域差が生じてくるのです。

パックスロマーナが貿易に与えた影響

このパックスロマーナの時期、ローマの地中海での貿易は増加しています。

絹や宝石、シマメノウや香辛料を得るために東への航海が増えたり、地中海貿易で莫大な利益を出して地位を築いたローマ人たちも出てきたのです。

比較的平和だったからこそ、経済面でもローマは発展していったことが分かります。

パックスロマーナと五賢帝

紀元前27年にオクタヴィアヌス(後にアウグストゥス)が皇帝の座について始まったパックスローマですが、なかでも1世紀末から2世紀後期まで続いた五賢帝の時代に、ローマ帝国始まって以来の平和、安定、繁栄がもたらされたと言われます。

そのため、パックスロマーナの時代の中でも、この五賢帝時代こそがパックスロマーナとする向きもあります。

当初は世襲によって皇帝の座が継承されていった

オクタヴィアヌス(アウグストゥス)が皇帝になることで開始された帝政ローマは、それから五代目皇帝のネロまで世襲によって継承されていました(※ただし、直系の実子での相続はなかった)。

(アウグストゥスの像)

しかし、五代皇帝ネロは、自分の立場を強固にするために母や妻などの身内を殺したり、キリスト教徒を迫害するなどし、暴君として有名で、元老院議員の生死まで左右したほどでした。

そのため、元老院から疎まれ、最終的には西暦68年に自殺にまで追い込まれることになります。

世襲を廃止して賢人を養子にして皇帝としたことで五賢帝時代が訪れた

このように、生まれてきた人物によってローマの平和と安定が大きく脅かされることになるため、世襲制度は廃止されることとなり、代わりに生まれた皇帝の継承システムが、

賢人を選んで養子とし、皇帝の後継者とする

というものでした。

その結果、賢人が皇帝となる時代が第12第ローマ皇帝のネルヴァ(西暦96-98年)から、マルクス・アウレリウス・アントニヌス(西暦161-180年)まで五代続き、また、比較的穏健な政策をとっていたことから、ローマ全体が平和で安定した時期が続くことになるのです。

しかし、アウレリウスの息子コンモドゥス(史上最悪の皇帝として知られる)が皇帝を継承すると、傲慢で逆らうものは容赦なく殺害する「暴虐帝」としての本性を見せ始めたため192年に暗殺され、その後のローマ帝国は内乱の時代に突入していくことになります。

五賢帝を簡単に紹介

ちなみに、パックスローマにおける五賢帝とは次の五人の皇帝を指します。

(出典:MOCO LOCO Submissions

  1. ネルヴァ(西暦96-98年)
    1. 貧困層を救済する法律を制定したり税制改革を行った
  2. トラヤヌス(西暦98-117年)
    1. 帝国の領土を史上最大規模にまで広げたり、浴場や道路工事などの公共施設とそれに伴う仕事を増やして文化・経済を活性化させた
  3. ハドリアヌス(西暦117-138年)
    1. ローマ帝国の防衛を強化した(ブリタンニア北部に建設したハドリアヌスの長城として知られる防壁など)。また、法律を簡潔に分かりやすくした
  4. アントニヌス・ピウス(西暦138-161年)
    1. 芸術や科学を推進したり、公共の仕事を増やしたり、孤児救済の法律を制定したりした
  5.  マルクス・アウレリウス(西暦161-180年)
    • 帝政ローマが治める領土を経済的に一体化することを促したり、行政、孤児や少年少女の保護、解放奴隷に関する法律を改革した

パックスロマーナの面白い9つのこと

パックスロマーナとその時代の中で最も優れた時期を治めた五賢帝について見てきましたが、最後にパックスロマーナに関する興味深い9つのことを簡単に紹介していきます。

  • オクタヴィアヌスはユリウスカエサルの甥
    • 帝政ローマの初代皇帝となるオクタヴィアヌス(アウグストゥス)は、共和制ローマにおいて終身独裁官として最大の権力を持っていたユリウスカエサルの甥だった。
  • 「平和は大切」というプロパガンダが利用された
    • アウグストゥスが皇帝となったからと言って、すぐに平和が訪れわけではなかった。特に戦争が当たり前のようになっていたローマの生活を平和にするのは大変だったため、「平和」という考えが宣伝され、それによってパックスロマーナが達成された。
  • パンテオン神殿
    • 有名なローマのパンテオン神殿はパックスロマーナの時代に建てられた。
  • 有名な詩や文学作品の誕生
    • パックスロマーナ時代には、リウィウス、オウィディウス、ウェルギリウス、ホラティウスらが有名な詩や文学作品を残した。
  • 様々な分野が発展
    • パックスロマーナ時代、ローマ帝国は比較的に戦争のない生活を送っていた。これによって、農業や、芸術、科学、そしてテクノロジーが発展した。
  • 公衆浴場の使われ方
    • パックスロマーナ時代、ローマ人が公衆浴場を利用していたのは入浴以外の目的もあった。リラックスしたりエクササイズしたり、社交の場となっていた。
  • パックスロマーナという言葉が最初に使われた時期
    • パックスロマーナという言葉が最初に使われたのは、西暦55年にセネカが書いた著書の中である。
  • パックスロマーナ以前の平和
    • パックスロマーナ以前の450年以上の間で12年以上平和が続いた時代はなかった。
  • グラディエーター
    • 古代ローマ人は娯楽好きで、コロッセウムがその場所として知られている。有名なグラディエーターが存在したのはこの時代である。

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パックスロマーナ(ローマの平和)と五賢帝の時代とは?のまとめ

ローマの平和と呼ばれるパックスロマーナは、古代ローマの中で最も良い時代とされるもの。

その当時に現れた五賢帝や、経済、文化、社会の発達は、政治一つで国の状態が左右される良い例として現在の社会へも参考になります。

世界のことって面白いよね!By 世界雑学ノート!

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