ガイウス・ユリウス・カエサルの裏事情|クレオパトラ・借金・女たらしで有名!

世界史
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ガイウス・ユリウス・カエサル、一般的にはユリウス・カエサルとして知られる人物は、共和制ローマ時代において最高権力者である終身独裁官まで上り詰めた人物。

当時の世界において強大な力を持ち、世界の歴史に名を残した人物で、「シーザー」と呼ばれることもあります。

強大な力を持ち、様々な偉業を残しているため、偉大な人物であることには間違いないですが、実はとても人間らしい隠された一面もたくさん持っていたのがカエサルの魅力です。

ガイウス・ユリウス・カエサルのイメージを変えるかもしれない、裏の顔を7つ紹介していきます。

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カエサルの裏事情1:海賊に誘拐されちゃった!

紀元前75年、20代半ばの頃、カエサルはローマからエーゲ海のロードス島に向けて出発します。

当時のロードス島は知識の中心地として知られており、カエサルは古代ローマで最も有名な雄弁家となったキケロなどを生徒に持つ、修辞学者アポロニウスの下で学ぼうと考えていたらしいんです。

ここで事件が起こってしまうことに。

ロード島への旅路の途中、カエサルの船はアナトリア半島南西の海岸付近で海賊に乗っ取られてしまったっていう!

しかし、解放の条件として提示された額が20タレント(当時の地中海世界で使われた質量の単位)の銀と、あまりにも低かったため、カエサルは(プライドが許さなかったの?)は、逆に身代金を50タレントの銀まで引き上げるべきだと逆に主張します。

もちろん、身代金は引き上げられ、その後無事に支払われたことでカエサルは解放されました。

そして、しばらくしてからカエサルは、身柄を拘束した海賊へ復讐するために船と船員を雇い、海賊を見つけ出し、捕まえて処刑させたらしく・・・。

結局、身代金の額を上げた本当の理由って、カエサルのプライドだったんですかね?

カエサルの裏事情2:帝王切開で生まれたわけではないっぽい

自然な出産が上手くいかない場合など、あえて子宮を切開して胎児を取り出す手術を「帝王切開」と言いますが、その語源(由来)って知ってますか?

実は、語源の一つと考えられている一つが、カエサルが帝王切開によって生まれたという話。

これは、

「caesarea」はラテン語の「caedere」(切る)の過去分詞「caesus」から作られた「caesar」(切開で生まれた者)に由来する

(引用:ベビカム相談室

ということから説明出来るらしい。

しかし、ガイウス・ユリウス・カエサルが紀元前100年7月13日に生まれた当時のことを考えると、どうやら帝王切開で生まれたわけではなさそうです。

当時、帝王切開の処置は存在していたものの、大抵は母親が死亡した場合、または、妊婦がすでに死亡しているか死にかけている場合にのみ、胎児を救うために行われるものでした。

カエサルの母親アウレリアは紀元前54年、息子を出産してから50年近くも生きています。

よって、カエサルが帝王切開で生まれたと考えるのは論理的ではなさそう。

ちなみに、カエサルの名前の語源は祖先が母親の子宮から「切られた(caesus)」という意味をする「カエスス」だと言われることがありますが、他にも、カエサル一族には長くたなびく髪、「カエサリー(caesaries)」の人がいたのではないかという説もあります。

カエサルの裏事情3:ハゲに悩んでた?

カエサルがそのキャリアにおいて表舞台にで始めたのは、年齢も中年に差し掛かった頃。

つまり、中年の遅咲きキャラだったのです。

そのため、頭もハゲが目立つようになってきていたようで、

カエサルが元老院議員として初めて表舞台に出た頃の評価は、「借金王」や「ハゲの女たらし」と言ったものであった

(引用:wikipedia

とさえ言われ、「カエサル ≒ ハゲ」というイメージがローマ市民の間でも結構定着していたよう。

カエサルは「ハゲ」と言われることを容認していたものの、ハゲについて政敵から攻撃されることもあったそうで、やはり内心では相当傷ついていたのか、内戦を集結させた業績によって、「どこでも月桂冠を被る特権を与えられた」時には、喜びを隠せなかったみたいです。

カエサルが終身独裁官(当時の最高権力者)になれたのは、月桂冠によってハゲコンプレックスが解消できたため、仕事に没頭できるようになったなんていうのも隠された理由かもしれません。

カエサルの裏事情4:女たらしになったのは愛に恵まれなかったから?

カエサルは「女たらし」としても有名。実際、政治的な会議の場において「この女たらし!」と罵倒されたこともあるほど。

しかし、カエサルが女たらしになったのは、もしかしら愛に恵まれていなかったせいもあるかもしれません。

一人目の妻コルネリア

カエサルが1人目の妻「コルネリア」と結婚したのは紀元前84年。カエサルはまだ未成年だった頃。

当時の仕事であった神祇官を務めるためにも、別な婚約者がいたにも関わらず別れてコルネリアと結婚します。

しかし、数年のうちに、ルシウス・コルネリウス・スッラ将軍がローマ共和国の独裁者的な権力を持ち、国の敵と判断された者を処刑せよという命令を発しました。

この時、カエサルの義理の父、ルシウス・コルネリウス・シナ(紀元前84年没)はスッラの政敵でした。

その結果、スッラはカエサルにコルネリアと離婚するように命令しますが、カエサルはそれ拒否。命令に反することは命に関わると分かっていたカエサルはローマを離れ、逃亡者となります。

逃亡中にカエサルはマラリアにかかり、その後スッラの手下に捕まり、巨大な賄賂を要求され、自由の身になるためにほぼ全財産を投げ打つことになります。

最終的にカエサルの友人で影響力を持つ人たちや親族がスッラを説得し、また、紀元前78年にはスッラが死去したため、カエサルはようやくローマに戻ることになりコーネリアと再会。

紀元前76年に2人は、ユリア・カエサリスという名前の娘を授かります。

娘を儲けたこと、そして様々な試練を一緒に乗り越えてきたことなどから、カエサルとコルネリアはそれなりに強い絆で結ばれていたのかもしれません。

二人目の妻ポンペイア

しかし、コルネリアは紀元前69年に亡くなってしまい、紀元前67年にカエサルはスッラの孫娘ポンペイアと結婚します。

ただ、カエサルを追い込んだスッラの孫娘をあえて妻にしたのは、愛からではなく、ポンペイアの後ろにある財産が目的だったっぽいです。

そして、紀元前63年にカエサルは国家の最高神官「最高神祇官」の役を賜り、ポンペイアはカエサルの邸宅で行われるローマ人女性が集まる毎年の祭り、ボナ・デア(豊穣の女神)に参加します。

このイベントは女性限定でしたが、若い男の貴族が女性に扮して紛れ込みます。

男は夜のうちに発見されてスキャンダルとなり、ポンペイアに想いを寄せている、または彼女に言い寄ろうとしていたと報告されます。

ポンペイアがその事件に積極的に関わっていたかは不明ですが、カエサルは「妻は潔白だ」としながらも離婚することにしたのです。

もともと財産目当てが結婚の理由だった可能性が高いので、このスキャンダルは、カエサルにとって非常に都合の良ものだったのかもしれないですね。

三番目の妻カルプルニア

そして、ポンペイアと離婚した後、紀元前59年には三人目の妻となるカルプルニアと結婚します。

ただ、カルプルニアはまだ未成年であり、その後も特に二人は子供を作っていないことから考えると、ポンペイアとの離婚で傷心していた時になんとなく結婚したとか、とりあえず妻を置いておきたかったとか、そんな理由なのかもしれなません。

実際、カルプルニアを妻として抱えておきながら、その後「女たらし」と評判になるカエサルは遊び人として有名で、エジプト女王のクレオパトラや、紀元前44年にカエサルを殺害するのに加担したマルクス・ブルータスの母親であるセルヴィリアという女性を含む、複数の愛人がいたらしいです。

このように、政略的な理由での結婚によって、心の底から愛する女性になかなか出会えなかったのが、カエサルが女たらしになった根底にある理由なのかもしれません!

カエサルの裏事情5:クレオパトラとの間に息子がいた

ガイウス・ユリウス・カエサルと言えばクレオパトラと連想されることも多いほど、有名な話ではありますが、カエサルと世界三大美人として知られるクレオパトラの間には息子がいました。

紀元前48年、カエサルはローマ将軍ポンペイウスを捉えるためにエジプトに赴き、そこでクレオパトラに出会います(クレオパトラは当時、弟で共同統治者であったプトレマイオス13世と結婚していたけど内戦中だった。親族婚は当時のエジプト王朝の慣習)

そして、クレオパトラの倍の年齢であった女たらしのおっさん「カエサル」は、クレオパトラに対して恋に落ち、また、クレオパトラは当時強大な力を持っていたローマの権力者カエサルの後ろ盾を得ることが出来たため、二人は愛人関係になります。(世界史が誇るダブル不倫です!)

そして、紀元前47年頃、クレオパトラはカエサルの血を引くと言われる息子を授かり、「小さなカエサル」を意味する「カエサリオン」という名前を付けます。

ちなみに、それまで実の息子がいなかったカエサルはカエサリオンのことを可愛がっていたようで、クレオパトラ共々ローマへ連れていき、不倫で出来た息子にも関わらず公にしていたよう。

ただし、紀元前44年にカエサルが暗殺された後、カエサリオンはプトレマイオス朝エジプトのプトレマイオス15世としてエジプトを統治していた時期もありましたが、ローマ人の血を引いたカエサリオンの存在を脅威に感じたオクタヴィアヌス(後のローマ皇帝アウグストゥス)の命令によって紀元前30年に殺害されています。

カエサルの裏事情6:うるう年を始めた人?

カエサルが権力を持つ前、ローマ人は1年が355日からなる月周期に基づいた暦を採用していました。

この暦だと太陽暦と比較して、地球が太陽の周りを完全に周回するために必要な日数よりも10.25日短くなってしまいます。

ローマ帝国の政治家たちは、四季に合うように陰陽暦に何日か追加することになっていたにも関わらず、必ずしも守っていなかったようで、それが混乱の原因となることもあったよう。

暦が季節と一致しなくなるだけでなく、政治家が自らの任期を延長するための不正に使われるようになっていたそうで・・・。(政治は昔も今も根本は変わらないですね!)

そこで、カエサルは天文学者ソシゲネスと相談した上で「ユリウス暦」を紀元前45年1月1日より採用。1年は365日となったのです。

この暦は太陽の周期と一致しているはずでしたが、実際の太陽暦の長さは365.25 日だったため、カエサルは4年ごとに1日多い年を設け、差を修正することを決定。

これが、今でも存在するうるう年であるため、カエサルはうるう年の生みの親と言えるのです。

ちなみに、ユリウス暦は16世紀まで標準的に使われていましたが、その後、若干修正を加えたグレゴリオ暦が導入されました(ユリウス暦では約128年で1日のズレが生じてしまうため)

今日グレゴリオ暦は世界中で最も使用されている暦となっています。

カエサルの裏事情7:借金王

カエサルはまた、「借金王」というイメージも持たれていたようです。

まず、ポンペイアと結婚していた30代後半の時、最高神祇官になるための選挙資金として相当な借金をしていたと言われます(この点から考えても、ポンペイアとの結婚の目的は財産だったという仮説はあってそうですね)。

そして、最高神祇官に当選後も、その借金の額がとんでもないことになっていたため、紀元前61年にカエサルが遠征に行く際には、カエサルが高飛びするのではと恐れたため、出発出来ないように妨害がされることもありました。

この時は、当時最大の債権者はクラッスス(三頭政治の一角。当時のローマの政治を管理していた三人うちの一人)に債務保証をしてもらいどうにかなったららしいですが・・・。

また、この時の遠征先であったヒスパニアでは、現地の部族へお金を無心したとも言われ、相当お金にだらしなかった性格が伺えます。

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ガイウス・ユリウス・カエサルの裏事情|クレオパトラ・借金・女たらしで有名!のまとめ

世界にその名前を残す偉大なガイウス・ユリウス・カエサルですが、見てきたように人間らしい裏の顔もたくさん持っています。

カエサルの知られざる一面でした。

世界のことって面白いよね!By 世界雑学ノート!

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