ポテトチップスにまつわる歴史、起源、由来を見ていきましょう。詳しく確認していくと実は、一般的な説と同時に様々な謎が残されていることが分かります。
今日、ポテトチップスはアメリカや日本を始め、全世界で販売されている人気なスナックです。
値段も手頃で簡単に食べることが出来るため、様々な場面で楽しまれています。
そんな当たり前のように身近にあるポテトチップスには、とても興味深い歴史があることを知っていますか?
しかも、現在語られている歴史は、もしかしたら間違っているかもしれないというおまけ付きです。
この記事では、ポテトチップスの歴史、起源、由来に関する一般的な説から、未だに完全に解明されていない謎までを見ていきます。
一般的に語られるポテトチップスの歴史
ポテトチップスの起源や由来に関しては、まだまだ不明な点が多く残っているものの、一般的に語られる歴史は以下のようなものです。
ポテトチップスの起源は「偶然」に由来した
1853年の夏、ニューヨーク州サラトガスプリングスにあって「ムーン家」が経営するレストラン「ムーンズレイクハウス」の広いダイニングルームで、裕福な蒸気船オーナーであるコーネリアス・ヴァンダービルトが注文した料理を待っていました。
厨房ではアフリカ系アメリカ人(黒人)とネイティブアメリカン(アメリカ先住民)を両親に持つコック「ジョージ・クラム」が、レストランの敷地内で育てられた、おそらくヤマシギかウズラのフライドポテト添えを準備していました。
(ジョージ・クラム, 出典:wikipedia)
しかし、いざ料理が運ばれてくるとヴァンダービルトは皿を突き返します。
フライドポテトが分厚くて油っこい
そう言ったのです。
このクレームに対してクラムは腹を立て、これ以上ないほど薄くジャガイモをスライスし、硬くてバリバリになるまで油で揚げてしまいました。
そして仕上げとして塩を思い切り振りかけたのです。
嫌がらせのつもりで、このこんがりキツネ色の丸いパリパリしたものを出したところ、ヴァンダービルトは、一風変わったスナックを大変気に入ったと伝えられています。
それが、新しいスナック「ポテトチップス」の起源だというわけです。
食堂のオーナーであるハリエット・ムーンはすぐにこのポテトチップスの原型を、コーン型に折ったきれいな紙袋にいれてムーンズレイクハウスの看板メニューである「サラトガチップス」としました。
ポテトチップスを提供するクラムのレストランがオープンした
クラムはこの偶然による発明で大成功し、1860年に「クラムズハウス」または「クラムズプレイス」という自分のレストランを開きました。
金持ちの客はバスケットに入ったポテトチップスの原型を楽しみましたが、この時代には有色人種が自分の発明で特許を取ることは許されなかったため、クラムはポテトチップスの特許を申請しませんでした。
その後、ポテトチップスは大量生産されて袋詰めされて売られるようになりましたが、クラムがそこから利益を得ることはなかったと言います。
ただし、クラムのレストランは多くの富裕層に愛され続け、経営は安定していました。
パラフィン紙の袋がポテトチップス産業に革命を起こす
その頃、ポテトチップスはビスケットの筒かガラスのケースに入れられ、販売に際しては紙袋に移し替えて売られていたため保存が効きませんでした。
しかし、カリフォルニア州モントレーパークにおいて、一家でチップスの販売をしていたローラ・スカダーが、手作りのワックスペーパーを袋にすることを1926年に思いつきました。
ワックスペーパーの袋にポテトチップスを入れて、温めたアイロンで口をろう付けするのです。
このワックスペーパーは現在、一般的にパラフィン紙と呼ばれ、食品の包装などに良く使われています。
ワックスペーパーの袋に入れることで、ポテトチップスの保存期間が長くなるだけでなく、潰れることも少なくなり、後にポテトチップスと呼ばれるようになった食べ物は、それまで以上に受け入れられるようになっていきました。
ちなみに、当初はサラトガチップスと呼ばれていたものがいつからポテトチップスと呼ばれるようになったのは定かではありませんが、複数の名前を経て1920〜30年頃にはポテトチップスという呼び名が一般的になっていたようです。
アメリカ初のポテトチップスのブランドが誕生する
1920年代にはまた、ハーマン・レイ(Herman Lay)という名前の人物が、ポテトチップスを車に積んでアメリカ南部の雑貨店に売り歩いていました。
すると、この商売は当たり、レイのポテトチップスは広く人気を博します。
その結果、レイは1932年にテネシー州でスナック食品の会社を立ち上げ、そして1938年にはジョージア州のアトランタにあったポテトチップスの製造業者を買収。
レイの会社はこれによって1940年代、アメリカの全国的なポテトチップスのブランドを作り上げることに成功します。
そして1961年にレイの会社は、テキサス州ダラスに本拠地を置くスナック製造会社のフリートと合併し、ポテトチップスの販売先はさらに広がりました。
このレイの会社が販売しているポテトチップスのブランドは「Lay’s」として知られ、現在は世界中で販売を展開するまでになっています。
ポテトチップスの味の種類も増えていった
当初は塩味しかなかったポテトチップスですが、1950年代になるとアイルランドで、「TAYTO(テイトー)」というポテトチップスの会社を経営していたジョー・”スパッド”・マーフィーが、製造工程でフレーバーをつける技術を開発しました。
それによってアイルランドでは、
- チーズ&オニオン
- ソルト&ビネガー
といった味のポテトチップスが販売されるようになりました。
そして、これがきっかけとなり、他のポテトチップス製造業者も競ってフレーバー開発をするようになり、例えばアメリカでは1958年、現在でも人気な「バーベキュー味」のポテトチップスがペンシルバニア州で発売されます。
現在ではアメリカで大量消費されているポテトチップス
このように、味にも幅が出た結果、アメリカに起源を持つポテトチップスは、ある意味でアメリカの国民的スナックとなっていきました。
クラムが生み出してから150年以上たった今日、アメリカ国内のポテトチップス消費量は年間68万トンにもなると言われます。
日本におけるポテトチップスの歴史
ちなみに、日本においてポテトチップスが一般的になっていったのは1960年代に入ってからでした。
そして、日本で初めて大量生産して全国的に展開したのは、食品会社として知られる1953年に創業した「コイケヤ(湖池屋)」でした。
ある日、創業者であった小池和夫が仲間たちと訪れた飲食店で、ポテトチップスが出されます。
それを食べた小池氏は、
こんなおいしいものが世の中にあったのか
と感動し、
これを多くの人に広めたい
と考えたようなのです。
そして幾度も失敗を重ねながらも研究開発を続けていった結果、ついに日本人向けの味である「のり塩味」のポテトチップスが完成。
1962年には日本国内で販売が開始されました。
さらに、1967年には国内で初めての大量生産を成功させ、「湖池屋ポテトチップス のり塩」は日本全国で愛される食べ物となっていったのです。
(参照&引用:小池屋)
一般的に知られるポテトチップスの歴史は伝説に過ぎない?
以上がポテトチップスの歴史に関して一般的に語られる「説」です。
しかし、この話には一つ問題があるという主張があります。
その主張によると、どうやら一般的に知られる話は実際に起きたこととは違うようなのです。
以下では、ポテトチップスにまつわる別な説についてまとめたJSTOR DAILYの記事を元にして、その真相について触れていきたいと思います。
文句をいったコーネリアス・ヴァンダービルトは濡れ衣?
(ヴァンダービルト)
まず、一般的に語られる話と事実の相違点の一つとして挙げられているのが、
- クラムが作ったチップスにコーネリアス・ヴァンダービルトが文句を言ったのは濡れ衣である
というものです。
というのもこの主張によると、サラトガをよく訪れてはいたのは事実ですが、そもそも1853年の夏、ヴァンダーヴィルトは家族と一緒にヨーロッパ旅行に出かけていたようなのです。
ムーン家がムーンズレイクハウスのオーナーになったのは1854年のこと
さらに、ポテトチップスの起源にまつわる話では脇役ではあっても重要なのがムーン家です。
というのも、クラムはムーン家が経営する「ムーンズレイクハウス」で働いていた1853年に、ポテトチップスの原型を生み出したと伝えられているからです。
しかし実は、ムーン家がレイクハウスのオーナーとなったのは、翌年1854年のことだったと言うのです。
つまり、
- 1853年にムーンズレイクハウスで働いていた時にポテトチップスが生み出された
という点については矛盾が生じてきます。
1853年夏の時点で贅沢な揚げポテトはサラトガで珍しくなかった
加えて、1853年夏の時点ですでに、サラトガではパリパリした揚げジャガイモは珍しいものではなかったと言います。
当時の新聞ニューヨーク・ヘラルドでは1849年7月の記事に、
” Eliza, the cook,” whose “potato frying reputation is one of the prominent matters of remark at Saratoga.”
エリザというコック」の「揚げポテトはサラトガの名物となった
とあり、さらにこう綴られています。
Who would think that simple potatoes could be made such a luxury!
ただのジャガイモがこれほど贅沢なものになろうとは、いったい誰が予想したことだろう!
「揚げポテト=ポテトチップス」とは断定出来ないため、このニューヨーク・ヘラルドの記事だけでは、ポテトチップスの原型がすでに存在していたかどうかは分かりませんが、「贅沢なものになる」という点から、単純な揚げただけのポテトではなかったことが伺えます。
研究者らの取り組みによって徐々に明らかになってきた真実
さらに、研究者らはポテトチップスの歴史にまつわる真実を解き明かそうと、長年取り組んできました。
ジョージ・クラムは1914年に亡くなりましたが、サラトガスプリングスで彼の生前の様子を知る人々の何人かは、1980年代頃まで生きていました。
そこで当時、民俗学者のウィリアム・S・フォックスとメイ・G・バナーは、ポテトチップス伝説に関する調査を行ったのです。
その結果、ムーンズレイクハウスでは、1800年代の中頃には既にポテトチップスが評判になっていたということが判明します。
この1800年代中頃という点については、1853年にポテトチップスが生まれてその後少しずつ人気になったことを考えると矛盾しないようにも考えられます。
しかし、「既に評判になっていた」という点を鑑みると、1853年にポテトチップスが生み出されてから「そんなに早く評判になることが可能なのか?」という点で疑問が残ります。
また、クラムの功績が初めて公に記されたのは1885年のことで、また、ヴァンダービルトがポテトチップスの広告に初めて登場したのは、ポテトチップスが誕生したといわれている時から120年後のことでした。
ポテトチップスの産みの親はむしろヴァンダービルトだという説もある
さらに、注文のうるさい客として語られるヴァンダービルトの方が、むしろポテトチップスの生みの親と言われることもあるようです。
それは、1977年にヴァンダービルトの子孫によって書かれたレシピ本に依るもので、コーネリアス・ヴァンダービルトを「ポテトチップスの生みの親」として持ち上げています。
ただし、「ヴァンダービルトの子孫」という点を考えると、ダンヴァービルト寄りの意見になっているのではないかと考えられます。
ポテトチップスの起源はサラトガでさえなかった?
近年では、歴史学者デイブ・ミッシェルによって、ポテトチップス誕生に関わったとされる人物達の調査がされました。
その人物達とは、
- エリザ
- ヴァンダービルト
- ムーン家
- クラムの妹ケイト・ウィックス
- ヒラム・トーマス(レストラン店長)
- レイクハウスのコックたち
などです。
この調査によると、サラトガではポテトチップスの原型が人気であったのは事実である一方、その起源はサラトガでなかった可能性が指摘されているのです。
そしてデイブ・ミッシェルは、「ポテトチップスの本当の起源は不明なままだ」と結論づけました。
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ポテトチップスの歴史・起源・由来に関する一般説と謎のまとめ
ポテトチップスの歴史に関して、一般的に語られる説から、その説に真正面から反対する主張までを見てきました。
1976年、アメリカのポテトチップス/スナック菓子協会(Potato Chip/Snack Food Association)によって、レイクハウスの近くにクラムの功績をたたえる記念碑が建てられました(その後盗難にあいます)。
しかし見てきたように、クラムがポテトチップスを生み出したとする点については、実は未だにハッキリとしたことが分かっていないのが現状だったりします。
ポテトチップスを作り出したのは、
- 今日では名字さえ伝わっていない女性なのか?
- それとも南北戦争が起きる前に実在したアフリカ系ネイティブアメリカンのコックなのか?
- 大富豪ヴァンダービルトなのか?
- 全く別な人なのか?
当たり前に売られて食べられているポテトチップスに関して、その裏にある歴史は残る謎に考えを巡らせることは、知的好奇心をくすぐります。