イギリス東インド会社と紅茶の歴史を探る!

イギリス東インド会社と紅茶には深い関係があります。イギリス東インド会社と紅茶の関係を、大英帝国の歴史の中で確認していきましょう。

現在、世界中で愛されて飲まれる紅茶は、イギリスが大英帝国(イギリス帝国)として世界の海上覇権を確立していくなかで、世界中に広まることとなりました。

そしてこの紅茶を世界中に広める上で結果的に大きな役割を担ったのが「イギリス東インド会社」と呼ばれる、アジア貿易を目的にイギリス国王による特別な許可を得て1600年に設立された、イギリスの勅許会社(ちょっきょがいしゃ)でした。

また、このイギリス東インド会社は、国王から特権を与えられた会社である一方、航海ごとに現在で言う株を発行して資金を調達し、航海に成功して船が帰国した折にはその利益を株主に分配するという、いわゆる株式会社としての特徴も兼ね備えた会社としても知られます(※ただし、世界初の株式会社と言われるのはオランダの東インド会社)

とにかく、このイギリスの東インド会社は、イギリスが帝国として世界の覇権を獲得していく上で、さらに紅茶の歴史を振り返る上では、重要で無視できない存在なのです。

この記事では、そんなイギリス東インド会社と紅茶の間に横たわる歴史を探っていきたいと思います。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

イギリス東インド会社と紅茶の歴史

貿易会社であったイギリス東インド会社はイギリスに巨大な富をもたらし、17世紀から19世紀半ばにかけて、同国が海上の覇権国となっていく手助けとなりました。

(イギリス東インド会社の旗)

イギリス東インド会社と、その活動を支援したイギリス人達によって、イギリスはその帝国領土を広げ、経済、政治、そして貿易において当時の世界における主要な競争国の中の一つとなったのです。

非常に大きな力を持ち実質的な国の出先機関となったイギリス東インド会社

イギリス東インド会社は最初から、非常に大きな力を持っていました。

と言うのも、イギリス王室による「勅許会社」と言う性格によってイギリス東インド会社は、

  • 軍隊を指揮出来る
  • 通貨の発行出来る

など、現代における株式会社以上の特権を得ていたからです。

そしてオランダがイングランド商館を襲った「アンボイナ事件」が1623年に起こると、イギリス東インド会社は活動の重心を東南アジアからインドへ移します。

その後はイギリス東インド会社自体がインド全体を支配していき、さらに、世界における貿易での自らの地位を高め、会社という枠を超えてイギリスに莫大な領土をもたらすようになったのです。

他国の東インド会社との競争に勝利したイギリス東インド会社

ちなみに当時、フランス、オランダ、スウェーデン、デンマークも「東インド会社」と呼ばれる会社を運営していましたが、イギリスが力を付けて競争を勝ち抜き、最終的には「東インド会社」と言えばこのイギリス東インド会社を指すほどまでになりました。

インドでは、イギリス東インド会社が他国を押しのけて行き、インドの大部分を支配下に置いたことで貿易を独占。

ヨーロッパ唯一のインド製品の輸入者となります。

加えて、アジア貿易の覇権的立場からイギリス東インド会社は、イギリスにおける唯一の中国茶の正式な取り扱い業者となって市場を独占するようになり、インド製品と中国茶の二つに関しては特に力が強かったため、他国の東インド会社はイギリスとアジアとの貿易に対して手出しすることが出来ない状況になっていったのです。

この過程の中で、イギリスはイギリス東インド会社を通して中国産のボヘア茶(ウーロン茶)を輸入。

元々中国でボヘア茶は「粗悪な茶」として扱われていたものの、イギリスにとっては珍しいお茶であったために重宝されるようになり、これが後世において紅茶につながったとされています。

さらに、中国産茶葉の取り扱いに関して独占状態にあったイギリス東インド会社は、ヨーロッパへも中国茶を輸出するようになると同時に、大英帝国が抱えていた世界中の植民地にも輸出していったことで、「紅茶」は世界中に広まっていったのです。

イギリス東インド会社と紅茶の関係にまつわる4つの話

茶葉の価格高騰と密輸

イギリスに輸入された中国産茶葉はすぐに国民全体に広まっていったように思われるかもしれませんが、当初は貴族や一部の金持ちにとっての嗜好品でした。

というのも、イギリス東インド会社は紅茶の値段を人為的に高く設定し、イギリス王室も拍車を掛けるようにさらに多額の税金を課したからです。

この異常な茶葉の値段により、中流そして下流階級の人達は紅茶を買う事が出来なくなりました。

しかし、それでも一部の国民達は正式なルートではなく、非公式な密輸によって輸入された安価で手に入る茶葉を買うようになりました。

その結果、18世紀頃には正式にイギリス東インド会社を通して輸入された茶葉と、同じ程度の量の茶葉がイギリスに密輸入されるようになり、一般人の間にも浸透していったようなのです。

東インド会社の独占権廃止後も中国茶だけは独占が続けられた

1973年、インド貿易の一部が自由化された流れの中で、イギリス王室は1813年にイギリス東インド会社のインド貿易の独占権を廃止。

民間の貿易商達によるインド製品取り扱いも許可しました。

一方で、中国茶についてはイギリス東インド会社の独占が、更に20年続きます。

しかし、これも中国との独占貿易が1833年に終了したことで終了となりました。

インドにおける茶栽培と茶の大量消費国となったイギリス

1823年に探検家のチャールズ・ブルースがインドを探索中、北東インドのアッサムで茶畑を発見しましたが、当初、イギリス東インド会社はインドでの茶の栽培に対して全くもって否定的でした。

これは、中国の茶を独占的に貿易した方が利益が大きいと考えたからです。

しかし、時が経つにつれイギリス東インド会社は、イギリスが支配するインド領土での茶栽培を検討するように求められ、最終的にはインドで茶葉が栽培されるようになっていきます。

このインドでの茶栽培は、結果的に大英帝国に大きな富をもたらし、政府にとって最も大きな収入源の一つとなりました。

また、インドで茶葉を栽培し、それをロンドンの仲介業者へ売って富を得ようと、多くのイギリス人達がインドへ移住しました。

このような歴史の中で、イギリスは中国に次ぐお茶の大量消費国になっていったのです。

イギリス東インド会社のその後

イギリス東インド会社はイギリス本国から遠く離れた場所で運営されており、貿易会社とインドの統治者という二重の役割に対して、イギリス国民は懸念を抱くようになっていきます。

実際、本国の目が届きにくい離れた距離で活動しているという状況は、野心的な役人や力を持った軍隊が、賄賂やゆすりなどを利用して好き勝手する状況を生み出していき、汚職、不適切な管理、不正行為が蔓延るようになっていきました。

また、正規のルートを通じて輸入された高い茶葉を買えない一般人が密輸を通して大量の茶葉を手に入れるようになった結果、18世紀末にイギリス東インド会社は、多大なる利益の損失を被るようになっていき、切迫した財政状況に陥ったのです。

さらに1857年、イギリスの植民地支配に対してインドでは大きな反乱が起こると、イギリス東インド会社によるインド統治は限界を露呈し、インド議会はインド会社が保有する全ての権限をイギリス国王に委譲。

これによって事実上、イギリス東インド会社は250年以上の歴史に幕を下ろしたのです。

ただし、実際には残務整理やイギリス政府による株主への配当の約束などもあり、1874年まで会社組織は存続しました。

合わせて読みたい世界雑学記事

イギリス東インド会社と紅茶の歴史を探る!のまとめ

紅茶の起源を知る上で大切な、イギリス東インド会社と紅茶の関係を歴史の中で探ってきました。

現在でも「東インド会社」という名を関した紅茶が販売されていますが、これは1978年に紅茶販売を目的に設立した会社によるものであるため、実際には当時存在したイギリス東インド会社とは関係ありません。

しかし、それでも過去の大英帝国の歴史と、その帝国拡大によって世界に広まった紅茶に思いを馳せながら飲むには、良い紅茶かもしれません。

世界のことって面白いよね!By 世界雑学ノート!

error:Content is protected !!