世界一身長が高い人まとめ|史上最も背が高くなった9人

世界一身長が高い人をまとめていきます。史上最も背が高くなった人たちは、皆、優に200cmは超える、巨人の呼び名がふさわしい人たちです。

昔に比べて食事事情が改善し、人々の平均身長が伸びていると言われる現代においてさえ、最も平均身長が高いオランダ人の平均身長は男性で183~4cmほど。

平均身長171cmほどの日本人からすると非常に高く感じますが、それでも200cmを超えることはありません。

しかし、現代に生きる約75億の人々や、記録に残る歴史を細かく調べていくと、200cmを圧倒的に超える「巨人」と言う名がふさわしい高身長の人の存在を確認することが出来ます。

この記事では、記録に残る歴史上で最も身長の高い人々9人をピックアップし、「世界一身長が高い人達トップ5」と「他にも知っておきたい世界一身長が高い人達」の二つの軸に分けて紹介していこうと思います。

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歴史上で世界一身長が高い人達トップ5

同率5位には3人がランクイン!251cmの身長を誇る

スルタン・キョセン

身長251cmのスルタン・キョセンは、トルコ出身の元バスケットボール選手であり、現在は農家で生計を立てながら暮らしている人物。

キョセンはまた、2019年現在、生存しているなかで最も身長の高い人物に認定されてる人で、脳の腫瘍が原因で下垂体が異常に刺激されて先端巨大症を患ってしまったというのが、身長が異様なほどに伸びてしまった理由だそう

(出典:wikipedia

10歳までは普通に成長していましたが、その後急激に体が大きくなり、あっという間に180cmを超えてしまい、高身長が原因で常に松葉杖を使わねばならず、義務教育を完了させることが出来ないという不幸にも見舞われました。

この体の肥大化の進行を止めるためにも、2008年に腫瘍を取り除く手術が行われ、一時は成功したように思われましたが、その後も身長の伸びが止まることはありませんでした。

しかし2010年、アメリカのバージニア大学は腫瘍に放射線ビームを当てる「ガンマナイフ」と呼ばれる技術を使った治療を施し、2012年、キョセンの成長はようやく止まりました。

エドゥアール・ボープレ

1881年カナダのサスカチュワン生まれのエドゥアール・ボープレは、251cmという驚異的な高身長の記録を持っていた、人類史上で最も身長の高い人物の一人でした。

(出典:wikipedia

幼い頃はカウボーイになる夢を抱いていたボープレですが、17歳の時、360kgもある馬を持ち上げることが出来ると分かると、彼は巨体の怪力男としてバーナム&ベイリーサーカス団の一員になります。

そのサーカスの舞台でボープレは、馬を持ち上げたり、当時世界で最も強い人であると言われていたルイ・シールとレスリングの試合をしたりして観客を楽しませました。

シールを傷つけることを恐れたボープレは、相手に触れないように試合を運んだため、常にシールが勝利を収めたという話が残るほど、人間離れした怪力を持っていたそうです。

またボープレは、400kg以上の重量挙げに挑戦して足を骨折したこともあるなど、現在で言うところのストロングマン(怪力自慢)だったようです。

しかし、晩年のボープレは結核にかかり、めまいと脱力感に悩まされるようになりました。

1904年7月3日午前1時ごろ、疲れを感じてお茶を一杯飲んだボープレは突然吐血。すぐに病院に運ばれましたが、その夜のうち、23歳の若さで亡くなってしまったのです。

その後、検視を行ったところ、ボープレの脳下垂体付近に腫瘍があったことが判明しました。

ヴァイニョ・ミリリンヌ

(出典:wikipedia

1909年フィンランドのヘルシンキに生まれたヴァイニョ・ミリリンヌは、21歳の時に224cmの身長を記録。

その後、一旦は身長の伸びが止まったように見えましたが、不思議なことに30代でさらなる成長期を迎え、1963年に亡くなった時は251cmまで身長が伸びていました。

そんなミリリンヌはフィンランド防衛軍につかえ、史上最も身長の高い人物の一人としてだけでなく、史上最も身長の高い軍人としても有名です。

また、ミリリンヌは1940年から1963年に54歳で亡くなるまで、最も背の高い存命人物であり続け、さらに彼の手のひらは幅約40cmもあったため、史上最も大きな手として記録されています。

ちなみに、過去にはインターネット投票により「最も偉大なフィンランド人」の第12位に選ばれたこともあります。

世界一身長が高い人4位:レオニード・スタドニク(257cm)

レオニード・スタドニクは2014年まで生きていた、257cmの身長を誇るウクライナ出身の人物。

(出典:wikipedia

14歳の時に受けた脳の手術で脳下垂体が刺激され、それによって成長ホルモンの分泌が過剰になった結果、通常ではありえないほどの身長にまで伸びてしまいました。

また、まだ存命だった2007年には「最も背の高い人物」としてギネス認定されるなど、現存する人の中では名実ともに世界一身長が高い人として世界中のメディアを賑わせたことがあります。

一方で、あまりにも大きくなってしまった体はレオニードの自由を制限し、また、その異様なほど大きな姿は人々の興味を惹きつけることになり、彼の生活は平穏なものとは言えない状態になってしまい、レオニードは「神様の天罰」という言葉で自らの人生を嘆いていたことでも知られています。

その後、2014年の8月24日、脳出血を起こしてレオニード・スタドニクはこの世を去ってしまいました。

世界一身長が高い人3位:ジョン・F・キャロル(263cm)

1932年にニューヨーク州のバッファローで生まれたジョン・キャロルは、医学雑誌などにおいて「バッファローの巨人」の異名で知られていました。

キャロルの急激な成長は彼が16歳の時に始まり、ある時はほんの数ヶ月で18cmも伸びたことがあったと言われるなど、著しく身長が伸び続け、1969年に亡くなるまで身長の伸びが止まることは無かったのです。

他の歴史上で最も身長が高い人物達と同様に、キャロルは巨大症を患っており、彼の短い人生は苦痛に満ちたものだったと言います。

また、キャロルは脊柱後側弯症と呼ばれる「背骨が異常に横や後方に曲がってしまう病気」を抱えており、正確な身長を測るのが非常に難しかったという話が残っています。

例えば1968年、キャロルの身長は236cmと記録されましたが、これは彼の背骨が極端に曲がっていたためです。

その後、真っ直ぐに強制した場合を想定した計算が行われ、その結果、本来の身長は264cmに達することが確定的となりました。

世界一身長が高い人2位:ジョン・W・ローガン(267cm)

267cmを記録したジョン・W・ローガン(通称バッド)は、史上2番目に背の高い人物で、アフリカ系の人物としては記録に残る限り、これまでの歴史で「世界一身長が高い人」となります。

1868年にテネシー州で生まれたローガンは、13歳のころから急激に身長が伸びるようになりました。

(出典:wikipedia

ローガンはその体の大きさが原因で、重度の関節強直(関節部が癒着し、可動性を失ってしまう症状)に悩まされ、足に体重を乗せることがほとんど出来なくなり、14歳の頃には立ち上がることすら出来なくなってしまいます。

ただし、ローガンはそれでも希望を捨てず、特別に作った荷車をヤギにひかせて、彼を一目見たいと集まった人々を楽しませることを生業にし始めました。

さらにローガンは、地元の駅前で自分の写真やポストカードを売ることで生計を立てていたことでも知られます。

ローガンの身長は死の間際まで伸び続けたとされ、1905年に死亡した直後に測定した結果、その身長は267cmに達していたことが判明したのです。

一方で、歩くことが出来ず、また大量に食事を取るようなこともなかったローガンにはほとんど筋肉がついていなかったため、その身長に対して体重はわずか79kg程度だったとことが分かっています。

ちなみに、彼について興味を持った人達が遺体を掘り起こそうとした結果、ローガンの遺体が埋まった地面はコンクリートで固められることとなりました。

世界一身長が高い人1位:ロバート・ワドロー(272cm)

歴史上で最も身長の高い人物、つまり、記録に残る限り「真の世界一身長が高い人」となるのが「イリノイの巨人」の異名を持つロバート・ワドロー。

身長は272cmに達し、この記録は現在(2019年現在)でも破られていません。

(出典:wikipedia

1918年にイリノイ州のオールトンで生まれたワドローは、脳下垂体が肥大する症状を抱えており、そのため過剰なレベルの成長ホルモン分泌がなされるようになったのが、異常に身長が高くなった理由とされています。

また、当時の医学では、このようなホルモン異常を治療することは出来なかったことも、ワドローの身長が未だに史上最高の記録として残っている理由と言えるでしょう。

そのため、生涯を通じて成長を続けたと言われ、8歳の頃にはすでに身長188cmで体重は77kgでした。

ワドローはあまりにも体が大きかったため、学校の机を特注する必要があったほどです。

ただし、他の世界一身長が高いと言われた人物達と同様に、ワドローの生活は決して楽なものではありませんでした。

足の骨が非常に脆かったため、ワドローは大学のキャンパス内を自由に移動することができず、足には副木をつける必要があるだけでなく、彼には足の感覚がほとんどなかったと言われています。

そして22歳の時、ミシガン州マニスティーで公演を行っていた際、副木の具合が悪くなってしまい、膝に炎症を起こしてしまいます。

直ぐに緊急手術と輸血が行われましたが、マドローに意識が戻ることはなく、1940年6月15日にまだ若いにも関わらず亡くなってしまいました。

亡くなった後に測定された時、身長は274cmにもなっていたと言われ、さらに体重も200kgを超えていたと言います。

結果として、特注の棺は500kgにも及び、12人がかりでやっと運べる代物でした。

他にも知っておきたい世界一身長が高い人達

ヴィカス・ウパル(身長269cm?※疑惑あり)

インドの巨人ヴィカス・ウパルの生涯について、あまり多くのことは知られておらず、また、この史上稀に見る高身長を誇った人物の記録が話題に挙がることはほとんどありません。

1986年にインドのハリヤーナー州ロータク県で生まれたウパルは、公式に身長を測定されたことはありませんでしたが、インドのトリビューン紙によると、10代後半で彼は251cmの身長を記録し、その後も成長を続けたそうです。

さらに、インドのエンタメウェブサイトは、2005年に彼の身長を測ったと主張しており、その時の記録は269cmだったそうです。

これが本当ならば、ウパルは史上2番目に背の高い人物ということになります。

また、266cmだったとの記録もあると言われますが、どれも信ぴょう性に乏しく、結果として史上最も身長が高い人物に含まれることはほとんどないのです。

残念ながら2007年に亡くなってしまい、その正確な身長を知ることは出来ませんが、現在最も信ぴょう性が高いと言われるのは251cmの記録で、いずれにせよ、尋常じゃないほど背が高かったことは確かです

曾金蓮(248cm)

1964年生まれの曾金蓮(そうきんれん)は、中国の湖南省出身の女性で、女性としては記録が残る限り最も身長が高い人物。

過去には「世界でもっとも背の高い女子」として19世紀後半に有名になった、227cmの身長を誇ったカナダ生まれのアンナ・ベイツや、1895年から1922年まで生きた241cmの身長を誇るイギリスのジェイン・バンフォードが知られていましたが、曾金蓮は一気にその記録を塗り替えたのです。

4歳ですでに身長は156cmとなり、13歳で217cm、16歳で241cm、そして1982年に亡くなる直前の17歳の頃には248cmに達したとされ、また体重も140kg近くありました。

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どうしてこれだけ身長の高い人が生まれるのか、科学的に原因が解明されたのは20世紀になってからのことです。

脳下垂体性巨人症、マルファン症候群、ソトス症候群、先端巨大症など、平均を大幅に超える高身長の原因となる病気はたくさんあるようです。

中でも最も発症頻度が高いのが脳下垂体性巨人症で、これは、脳下垂体から成長ホルモンが過剰に分泌されることにより発症します。

また、脳下垂体付近の腫瘍が原因のこともあります。

兎にも角にも、一般的な平均身長を大幅に超える人達は、歴史を振り返ると実はコンスタントに現れ、現代においても251cmのスルタン・キョセンを筆頭に、他にも240cm代の身長を誇る人が複数人存在するようです。

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