帝国とはどのような存在を指すのでしょうか?また、世界史上に現れた帝国の中でも最大級のものはどういったものだったのでしょうか?帝国に関する定義と規模の大きなトップ10を紹介していきます。
世界史を勉強していくと、度々、自国以外にも領土を広げ、広大な国土を有した「帝国」に遭遇します。
例えば、日本もかつては大日本帝国と呼ばれていた時がありました。
帝国は、その支配領域の広さや強大な力によって、世界各地へ大きな影響を残し、その多くは現代社会でも垣間見ることが出来ます。
帝国とは何なのか?
この記事ではまず、帝国の定義について議論し、その後に世界史上に現れた最大級の領土を誇ったトップ10の帝国を一覧にして紹介していきます。
帝国とは?
帝国とは一般的に、
その王国または自国の国境を超えて本来の領土よりも広い領土を持ち、強力な政府あるいは皇帝の下で統治される国家の集まり、または人々の集まり
のこと。
領土は地続きの場合もあれば、海を挟んで遠く離れた場所を含む場合もあります。
さらに、何をもって帝国と呼ぶのか、領土の広さをどのように計算するのかについては色々な議論があるため、一致した見解や定義というのは難しいですが、政治学者のRein Taageperaによると、
- 比較的大きな政治的主権を持つ実体である
- 全体として一つの主権を持つ
- 一方で、帝国の構成要素(例、帝国の植民地や保護領など)は主権を持たない
という特徴を「帝国」の要件としています。
また、歴史的に帝国と呼ばれてきた国の多くは、軍事力を背景に広大な領土、多様な民族、そして複数の国家を支配したという共通項も見つけることが出来ます。
一般的ではないが単に「皇帝」を君主に戴くから帝国という場合もある
ただし、上に示した帝国の定義はあくまでも現代における大きな2つの解釈のうちの一つであって、実は、それよりは一般的ではないものの、もう一つ別な解釈が存在します。
その解釈とは、
帝国とは君主制国家の一種で、統治者が皇帝を君主号とする場合に、その皇帝が支配、統治、君臨する国家
というもの。
この場合は、より一般的な「帝国」の解釈で強調される「支配領域の大きさ」にはあまり拘りはなく、あくまでも君主が「皇帝」となのるかどうかが最大の焦点となってきます。
世界史に見る最も大きな帝国トップ10
帝国とは何かについて、簡単に議論してきたわけですが、ここからは世界史に登場した帝国の中でも、それぞれの最盛期において最も広大な領土を持つにいたった帝国トップ10を紹介していこうと思います。
尚、ここでいう帝国の定義とは、当記事内で最初に紹介した「支配領域の大きさ」が重要な要件となるものを指すこととし、また、定義によっては帝国に含まれる「ソビエト連邦」と「ロシア・ツァーリ国」については、
- ソヴィエト連邦の場合
- 帝政ロシアの帝国主義に反発して誕生した
- あくまでも「連邦国家」で帝国とされない場合がほとんどである
- ロシア・ツァーリ国の場合
- ロシア・ツァーリ国のツァーリ(君主)であったピョートル1世が「皇帝」を名乗ったことでロシア帝国が誕生した
- このように、ロシア・ツァーリ国が名前を変えただけとも言える後継国家のロシア帝国の方が最盛期の領土は広かった
という理由から、両国の最盛期時領土サイズはトップ10に入ってくるものの、この記事におけるトップ10ランキングから除外するものとします。
史上最大級の帝国1:大英帝国(イギリス帝国)
現在のイギリスはかつて、大英帝国(イギリス帝国)として世界の覇権を握っていたと言っても過言ではないでしょう。
大英帝国は史上最大の帝国を誇り、その最盛期は1920年代。
- 委任統治国
- 保護領
- 植民地
- 自治領
- その他領土
から成り、イギリスによって統治されていました。
1913年に大英帝国は、世界人口の23%に当たるおよそ4億1200万人を支配しており、1920年までには地球上の陸地の24%を占めるおよそ3370万㎢を統治。
その結果、大英帝国の言語(英語)、政治、文化、法律は、大陸を超えて広く伝播し、今でも世界各地で見ることが出来ます。
また現在でもイギリスは、ブリテン諸島の他に14の領土における自治権を持っており、これらは英国海外領土と呼ばれ、中には無人の領土や、軍人または科学的研究者のみが使用しているものもあります。
他にも主権を持った独立国ではあるものの、防衛や外交に関して英国に依存しているところもあったり、バミューダ、ジブラルタル、フォークランド諸島のように、本来であれば独立が可能であるにも関わらず、自主的にイギリスの統治下に留まることを選択しているものも存在します。
さらに大英帝国の名残として、
- イギリス連邦(英連邦)
- 主にイギリスとその植民地であった独立の主権国家から成る緩やかな国家連合
- 英連邦王国
- イギリス連邦の加盟国であって、イギリスの王座にある者を自国の国王として戴く主権国家
なども確認出来、これらは現在の国際社会の一部を形成する重要な要素となっています。
史上最大級の帝国2:モンゴル帝国
モンゴル帝国は、有名な歴史的人物「チンギス・カン」によってモンゴル高原の遊牧民が統合され、1206年に創設された遊牧民国家。
彼らモンゴル高原の遊牧民は騎馬民族としても有能で、それによって他の民族達に対して高い戦闘能力を誇った結果、1265〜1361年頃にモンゴル帝国は最盛期を迎えました。
また、モンゴル高原に君臨するモンゴル皇帝(大ハーン)を中心にして、各地に建てられたチンギス・カンの子孫たちが支配する国(ウルス)が集まって形成された連合国家的な構造を成していたという特徴を持ちます。
当時のモンゴル帝国が有した広大な領土は、中央アジアのステップ地帯から中央ヨーロッパ全土、さらには日本海にまで至り、北部はシベリア、南部および東部はイラン高原、インドシナ半島、インド亜大陸にまで、そして西部はアラビア半島とレバントにまで広がっていました。
最盛期における帝国領土は3300万㎢にもおよび、それによってモンゴル帝国は、史上2番目に大きな帝国として、さらに、地続きの帝国としては史上最大の帝国として、世界史に君臨しています。
史上最大級の帝国3:ロシア帝国
(出典:youtube)
ロシア・ツァーリ国の君主であった名君「ピョートル1世(ピョートル大帝)」が、大北方戦争でスウェーデン帝国(バルト帝国)に勝利した1721年、自らを「皇帝」と宣言した結果、ロシア・ツァーリ国は「ロシア帝国」として生まれ変わりました。
そして、ピョートル1世やエカチェリーナ2世といった歴代の名君によってロシア帝国は発展していき、1860年代までに最盛期を迎えます。
当時の領土は世界の陸地のおよそ1/6にあたり、その面積は約2370万㎢であり、西のヨーロッパからアジアを含めて北アメリカ大陸のアラスカまで含まれていたなど、3大陸に広がっていました。
その後、多少なりとも領土が縮小したものの、1917年の2月革命で崩壊するまで、およそ2280万㎢の領土を維持していたのです。
史上最大級の帝国4:スペイン帝国
世界史上の最も大きな帝国の1つで、最盛期とされる1790年にはおよそ2000万㎢の領土を誇ったスペイン帝国は、スペインとその植民地・属領などから構成されていました。
16世紀および17世紀には、スペイン・ハプスブルク家の下(特に1519年にカルロス1世が皇帝カール5世として即位して以降)で、経済、政治、軍事力の最盛期を迎え、18世紀にはブルボン家の統治下で領土を最大に広げたのです。
そして、主に北アメリカ大陸と南アメリカ大陸へ広大な領土を所有することになりました。
このような巨大な領土を手に入れた結果として、スペイン帝国が残した遺産は主に文化的かつ言語的側面であると言え、現在、スペイン語は世界で2番目に母語として話す人が多い世界言語になっています。
また、スペインによる植民地の統治が長年続いたことで、土着住民とヨーロッパ系の子孫であるヒスパニックと呼ばれる人々が生まれたことも、スペイン帝国の名残と言えるでしょう。
史上最大級の帝国5:清(大清帝国)
大清帝国(清)は1644年から1912年まで続いた中国最後の帝国であり、中国とモンゴルの支配に成功しました。
また、中国の多数派である漢人ではなく、満州人によって建国されたという点も大切なポイントで、その後に続く中華人民共和国の基盤となった国であったとも言えるでしょう。
清の領土が最大になったのは1700年代後半の1790年で、その時の領土に関しては諸説あるものの、最大で1470万㎢に及んだと考えられています。
また、清帝国は、文学、文化、料理、芸術において豊かな歴史遺産を残し、現在の中華圏の文化形成に大きな影響を与えました。
史上最大級の帝国6:元(大元帝国)
史上2番目に大きな領土獲得を達成したモンゴル帝国では、1271年に第5代皇帝のクビライ・カンによって、現在の北京にあたる大都へ首都が遷都されました。
これは、当時のモンゴル帝国にとってはすでに、西側方面(ヨーロッパ方面)への直接的な影響力を及ぼすのが難しくなっており、帝国が全力をあげて遠征を行うのは不可能になっていたというのが大きな理由です。
結果としてクビライ・ハンは、東アジアの中でも中国を安定的に支配することを目指して東側へ領土を拡大。
さらに、拡大した東アジア部分の直轄地域(自身であるモンゴル皇帝が直接影響を与えられる中核国家)の国号を「大元帝国」とし、ここに通称「元」と呼ばれる帝国が誕生したのです。
最盛期である1300年頃にはおよそ1400万㎢の領土を有するほどにもなり、また、元では領土の統一だけでなく、自然科学や技術分野における発展も見られたと言います。
ちなみに、その背景から元は大きな括りで見た場合、「モンゴル高原に君臨するモンゴル皇帝を中心にして、各地に建てられたチンギス・カンの子孫たちが支配する国が集まって形成された連合国家的」であるモンゴル帝国の一部とも言えます。
史上最大級の帝国7:ウマイヤ朝カリフ国(ウマイヤ朝アラブ帝国)
661年に誕生したウマイヤ朝カリフ国またはウマイヤ朝アラブ帝国は、イスラム史上で初めての世襲イスラム王朝であり、イスラム教の開祖であり預言者であったムハンマドの死後に出来た、4つのカリフ(イスラム共同体またはイスラム国家)の1つです。
最盛期はおよそ720〜750年頃とされ、およそ1300万㎢の領土と、当時の世界人口の30%弱にあたるおよそ6200万人の人を支配下においていたと言われます。
750年には滅亡してしまうなど短命に終わりますが、ウマイヤ朝は、
- イスラム教への集団改宗
- 行政上の言語としてアラビア語の採用
- 有名な建築物の建設
など、後世に大きな影響力を残しました。
史上最大級の帝国8:フランス第二植民地帝国(フランス植民地帝国)
16世紀から20世紀にかけてフランスが海外に建設した植民地の集合体である「フランス植民地帝国」は、1830年以降「フランス第二植民地帝国」と呼ばれます。
そして、このフランス第二植民地帝国の時代である1938年に、この帝国は最盛期を迎え、諸説あるものの、当時の領土は1150万〜1300万㎢にも至ったと言われます。
また、当時のフランス第二植民地帝国にいた人口の数は、およそ1億1200万にも及びました。
一方で、フランスの影響下にあったことから、この帝国によって世界各地にカトリックが浸透し、また、フランス語やフランス文明が伝播していったのです。
史上最大級の帝国9:アッバース朝イスラム帝国
(出典:pinterest)
アッバース朝イスラム帝国は、預言者ムハンマドの死後に誕生した4つのカリフ(イスラム国家)の1つであり、ウマイヤ朝の次に現れたイスラム帝国第2の世襲王朝です。
このカリフは、ムハンマドの叔父の中で最年少であった「アッバース・イブン・アブドゥルムッタリブ」によって作られ、政府中枢は現在のイラク中部にある都市「クーファ」に置かれました。
この帝国の最盛期は8世紀後半で1110万㎢もの領土を誇り、これによって当時は、イラクのバグダッドが、文化、哲学、科学および技術の中心地となり、イスラムの黄金期を築きました。
また、アッバース朝では「アラブ人の特権は否定され、すべてのムスリムに平等な権利が認められる」という画期的な改革も実施されました。
史上最大級の帝国10:ポルトガル海上帝国
(出典:wikipedia)
ポルトガル海上帝国は、ポルトガル王国によって15世紀以降、世界各地に築かれた植民地の集合体であり、また、領域支配より交易のための「海上支配」に重きが置かれたため、「海上帝国」と呼ばれます。
およそ6世紀にわたって存在し、人類史上初の植民地帝国となったことでも知られ、さらに最盛期である19世紀には、およそ1040万㎢にもおよぶ広大な領土を有することとなりました。
また、交易を主目的とした海上支配によって、各大陸へ植民地が建設された結果、ポルトガル語は現在、5つの大陸にまたがって話される数少ない言語ともなっています。
世界史上の帝国ランキングトップ10の早見表
世界市場で広大な領土を誇ったトップ10の帝国を紹介してきましたが、最後にそれらを早見表にしてまとめておきます。
ランキング | 帝国名 | 最盛期 | 領土 |
1 | 大英帝国 | 1920年代 | 3370万㎢ |
2 | モンゴル帝国 | 1265〜1361年頃 | 3300万㎢ |
3 | ロシア帝国 | 1860年代 | 2370万㎢ |
4 | スペイン帝国 | 1790年 | 2000万㎢ |
5 | 清(大清帝国) | 1790年 | 1470万㎢ |
6 | 元(大元帝国) | 1300年頃 | 1400万㎢ |
7 | ウマイヤ朝カリフ国 | 720〜750年頃 | 1300万㎢ |
8 | フランス第二植民地帝国 | 1938年 | 1150~1300万㎢ |
9 | アッバース朝イスラム帝国 | 8世紀後半 | 1110万㎢ |
10 | ポルトガル海上帝国 | 19世紀 | 1040万㎢ |
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帝国とは?世界史上に見る大きさランキングのまとめ
自国の国境を超えて広大な地域を治める帝国について見てきました。
帝国と呼ばれる国は、人間の歴史の中で度々現れては消えることで、これまで数多くの帝国が歴史に名前を刻んできたのです。