ヘレニズム文化・時代|ヘレニズムとは?簡単にわかりやすく歴史的背景から特徴まで解説

ヘレニズム文化と時代について解説していきます。ヘレニズムとはなんなのか?基本的な定義や意味の確認から、歴史的な背景、そして文化や時代としてのヘレニズムの特徴までを見ていきます。

紀元前336年、有名なアレキサンダー大王(アレクサンドロス大王)は、マケドニア地方を支配するマケドニア王国の国王として即位しました。

そして、その13年後に亡くなるまで、アレキサンダー大王はギリシャからインドまでに広がる広大な帝国を築き上げます。

彼の支配は短期間で終わったものの、ギリシャの文化や思想が地中海東部やアジアにまで広がり、その後の世界を大きく変えることとなりました。

この時期のことを「ヘレニズム時代」と呼び、ヘレニズム時代は紀元前323年にアレキサンダー大王が亡くなってから、およそ300年後にローマ軍が最後の地域を占領するまで続きました。

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ヘレニズムとは?

ヘレニズムとは、アレキサンダー大王が地中海からアジアにかけて築いた帝国を通し、ギリシャ文化が広がって古代オリエント文化と融合した結果、新しい文化が生まれていった段階のこと。

「ギリシャ語を話す者」または「ギリシャ人として認識する者」を意味する「Hellazein」に由来していることから、「ヘレニズム」という言葉は「ギリシャ風の」文化を意味します

つまり、広まった先で現地文化と混じり合った結果、本来のギリシャ文化とは完全に同じではないものの、ギリシャ文化の影響を色濃く残した文化を指すのです。

ただし、ヘレニズムという言葉自体は、紀元前323年にアレキサンダー大王が亡くなってから古代ローマによってプトレマイオス朝エジプト王国が滅亡した紀元前30年までの約300年間を指すこともあるため、文化と時代区分を明確に分ける場合などは、

  • ヘレニズム文化
  • ヘレニズム時代

とそれぞれ表現することもよくあります。

ヘレニズムは西洋文明の基盤となった一つの主要な流れ

そしてまた、文化としてのヘレニズムに関しては、「西洋文明の源流」となった2つの要素のうちの一つと言われる点は重要です。

ヨーロッパ文明の源流には、

  1. ヘレニズム
  2. ヘブライズム

という二つの流れがあるとされ、ヘブライズムはヨーロッパにおけるキリスト教の文化性を指し、ギリシャ風の文化性を意味するヘレニズムと融合することで、現在のヨーロッパの文化基盤が出来上がったとされるのです。

「ヘレニズム」が誕生した歴史的背景

マケドニアの領土拡大

古典時代末期の紀元前360年頃、2世紀にもわたって続いたいくつかの戦争のためにギリシャの都市国家は弱体化し、崩壊の寸前にありました。

この戦争の中には、

  • アテナイとペルシャ帝国の戦争
  • スパルタとアテナイが戦ったペロポネソス戦争
  • アテナイ・スパルタ連合軍がテーバイやペルシャ帝国と戦った戦争

が含まれます。

(フィリッポス2世)

このような戦国時代の中、好戦的な国王フィリッポス2世の指揮下で、これまで小国に過ぎなかったマケドニアが力を伸ばしました。

長距離カタパルト、サリッサと呼ばれる5メートル近くの槍、ファランクスと呼ばれる重装歩兵による密集陣形を始めとした、マケドニア軍の高度な軍事技術のおかげもあり、フィリッポス2世は徐々に領土を広げていったのです。

また同時に、フィリッポス2世は豊かな資源と国土を誇るペルシャ帝国の征服という野望を抱き続けていました。

しかし紀元前336年、娘の結婚式に参列していたところ、従者パウサニアスによって突然暗殺されてしまったのです。

アレクサンダー大王の誕生

父の急死で急遽、後継者として国王の座に就いた息子のアレキサンダー(後にアレキサンダー大王として知られるようになる)は、父フィリッポスの遺志を継いでペルシャ帝国征服を目指すようになります。

そして、その目的のためにアレキサンダーの軍隊は、ダーダネルス海峡を越えてアジアに乗り込み、そこからアレキサンダーとその軍隊は東へ東へと進み、西アジアの大半とエジプトを占領することに成功。

さらに、インダス川流域にも侵入しました。

しかし、たった12~3年の間という短いアレキサンダー大王の治世で急拡大した帝国は、広大ではあったものの脆く、長く続くことはありませんでした。

紀元前323年にアレキサンダーが亡くなると、仕えていた将軍ら(ギリシャ語でディアドコイ)は帝国を分割して支配するようになっていったのです。

ヘレニズム時代の始まり

この「アレキサンダーが亡くなって巨大なギリシャ・マケドニア帝国は崩壊し、いくつかの小国に分裂していく」ところから、時代区分としてのヘレニズムが始まっていきます。

分割されて誕生した国の中でも、

  1. シリアとペルシャを支配するセレウコス朝
  2. エジプトのプトレマイオス朝
  3. ギリシャとマケドニアのアンティゴノス朝

の3つは、特に力を伸ばしていきました。

一方で、これらの王朝はそれぞれの間で政治的には分裂していたものの、多くの共通点があったことも事実で、

多くの文化的または思想的な共通点、言い換えれば複数の国が共有していた「ギリシャらしさ」こそが、ヘレニズム時代を形作るもの

と言えるのです。

ヘレニズム時代の終わり

しかし時代の移り変わりと共にローマが力を伸ばし始め、それによってヘレニズム世界は少しずつ崩れていきました。

そしてついに紀元前31年に起きた「アクティウムの海戦」でローマのオクタウィアヌスが、マルクス・アントニウス率いるプトレマイオス朝の艦隊を撃破。

翌年の紀元前30年には首都が置かれていたエジプトのアレクサンドリアがオクタウィアヌスによって占領され、さらにプトレマイオス15世(カエサリオン)が処刑された結果、プトレマイオス朝が滅亡すると同時に、ヘレニズム時代も終わりを告げました。

(アレクサンドリアに作られた古代ローマの円形劇場)

その後、オクタウィアヌスはアウグストゥスを名乗り、初代ローマ皇帝に即位。

ヘレニズム時代自体は長続きすることこそなかったものの、この時代に誕生したヘレニズム文化や思想は、後世の学者や作家、芸術家、哲学者、そして科学者に大きな影響を与え、ヨーロッパ文明の基盤の重要要素となっていったのです。

ヘレニズム時代とヘレニズム文化の特徴

ヘレニズム時代

アレキサンダー大王が亡くなった紀元前323年から、プトレマイオス朝が滅びる紀元前30年まで続いたヘレニズム時代の国家は、国王中心の専制体制を敷いていました(共和政の古代ギリシャ諸都市国家とは対照的だった)

そして、国王らはコスモポリタン的な見方(国籍・民族などにとらわれない世界的視野)を共有しており、自国を出来る限り豊かにすることに全力を注いでいました。

このコスモポリタン的な見方によって「各国の間で商業的なつながりが形成された」点を、ヘレニズム時代の特徴の一つとして挙げることが出来るでしょう。

  • インドからは
    • 象牙や金、真珠、綿、香辛料、砂糖(医療用)
  • 極東からは
    • 毛皮と鉄
  • シリアギリシャのヒオス島からは
    • ワイン
  • エジプトのアレクサンドリアからは
    • パピルス、麻、ガラス;ダマスカスやバビロンからはナツメヤシとプルーン
  • スペインからは
  • キプロスからは
  • はるか北のコーンウォールブルターニュ地方からは

が輸入されたのです。

また、手に入れた富を見せるために、精巧な宮殿や彫刻、派手な宝飾品などが数多く作られたというのもヘレニズム時代の特徴で、加えて、美術館、動物園、図書館などの文化・教養施設発展のために多額の資金が投入されました。

さらに、エウクレイデス、アポロニオス、アルキメデスなどの数学者や、水時計を改良したクテシビオス、蒸気を使った様々な仕掛けを発明したヘロンなど、知識人の活躍も目立ちました。

ヘレニズム文化

品物や商品だけでなく、ヘレニズム時代には人も国家間を自由に行き来しました。

そして結果として、アレクサンドロス大王が築いた帝国の領域内に居住するほとんどの人が、「コイネー(”共通の”という意味)」と呼ばれる、ギリシャ語に似た共通の言語を話したと考えられ、ヘレニズム文化圏では、どこの出身であっても他の人と自由に会話を出来たとさえ言われます。

しかし同時に、ヘレニズム時代の新たな政治や文化から「取り残された」と感じる人が多かったのも事実。

昔は共和政によって市民が政治に密着に関わることが多かったのに対して、この時代になると専門の官僚が政治を担い、国家と市民の関係は薄れていったのです。

そして、多くの人が女神イシスやフォルトゥーナなどを信仰し、不老不死や豊かさを祈願する密教に入信するようになったのもこの時期です。

ヘレニズム文化における哲学

ヘレニズムにおける哲学者は、一般的に内省的な視点を共有したと言えるでしょう。

キュニコス派のディオゲネスは「商業主義や官僚主義に抵抗する生き方を貫いた」ことで有名で、別の哲学者エピクロスは「人生において最も重要なのは個人の快楽と幸せの探求である」と説きました。

一方でストア派は、「各個人が内なる神聖さを秘めている」と説き、高貴で善良な生き方を貫ぬくことでこれを育むことができると考えました。

ヘレニズム文化における芸術

さらに、ヘレニズム文化に関連することとして、ヘレニズム時代の芸術や文学についても少し言及しておきましょう。

ヘレニズム期の芸術や文学の特徴として、デモス(ギリシャ語で政治的単位としての「国民」一般をさす言葉)を拒否し、個人に焦点を当てたものが多く誕生しました。

理想化された人物ではなく、実在する個人を描いた絵画や彫刻が多く誕生したことで知られているのです。

例えばヘレニズム時代の美術品の具体例を挙げると、

  • サモトラケのニケ
  • ラオコーン像
  • ミロのヴィーナス
  • 瀕死のガラティア人
  • とげを抜く少年
  • 休憩するボクサー

などは有名です。

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ヘレニズム文化・時代|ヘレニズムとは?簡単にわかりやすく歴史的背景から特徴まで解説のまとめ

ヘレニズムについて、その歴史的背景や特徴までを紹介してきました。

ヘレニズム時代に誕生した文化や思想は、その後の西洋文明の基盤を形成する上で大きな役目を果たしました。

その結果、西洋の価値観が反映された今日の国際社会にあっても、ヘレニズムは影響力を持ち続けていると言えるのではないでしょうか。

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