トゥアレグ族|青の民族として知られるベルベル人でサハラ砂漠を中心に生活している民族

トゥアレグ族、別名「青の民族」として知られるベルベル人系の民族を詳しく紹介していきます。サハラ砂漠を中心に住む彼らについて掘り下げていきましょう。

アフリカ大陸には数え切れないほど多くの民族が生活していますが、その中にトゥアレグ族というベルベル人系の民族がいます。

メディアの影響で日本国内でも「青の民族」として知られるようになり、その独特な衣服で興味を持った人も多いはずです。

しかしこの記事では、「青の民族」としてだけでなく、歴史や生活スタイル、そして政治的な状況など、さらに掘り下げてトゥアレグ族のことを紹介していこうかと思います。

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「青の民族」トゥアレグ族とは?

トゥアレグ族とは、北アフリカのマリ、ニジェール、アルジェリアおよびチャドにまたがるサハラ砂漠西部を主な活動範囲として、「半遊牧」、つまり家畜を連れて季節的な移動をする一方で、定住して作物を収穫することもある人々(※干ばつや飢饉のため、さらに南の農村地帯や都市に移った人々もいる)

ベルベル人系民族に属し、ほとんどがイスラム教徒です。

そしてトゥアレグ族の男性は、「藍(アイ:染料として使われることがある植物)」で染めた青い布で顔を覆うことで有名で、この地域を旅した昔の人々の記録には、トゥアレグ族を指し示す「サハラ砂漠の青い男たち」が良く登場します。

最近ではTBSで放送されているクレイジージャーニーで、世界の少数民族を主な被写体として撮影する写真家「ヨシダナギ」に「青の民族」として紹介されたことで、日本国内でも青色の特徴的な布をまとった民族として知られるようになりました。

半遊牧民としての特徴から、全体の集団としてはいくつかの国をまたぐように存在していますが、なかでもニジェールに最も多くの人口が存在すると言われ、その数はおよそ210万。

次にマリ共和国の53万とブルキナファソの37万と続くとされます。

そして、全体としてはおよそ300万のトゥアレグ族の人々がいると推定されています。

トゥアレグ族の起源から近代の歴史

トゥアレグ族は北アフリカに古来より住んでいるベルベル人の子孫で、元々はリビアのフェザン地方で暮らしていた人々だと考えられています。

後に彼らはサハラ砂漠との境界地域にまで広がり、その土地で農耕をしていた人々を自分たちの社会に組み込んでいくことで、現在のトゥアレグ族の基盤が出来上がっていったようです。

(ベルベル人男性)

そして14世紀には、トゥアレグ族が住んでいた地域を縦断するように、塩、金、象牙、奴隷を供給する、北アフリカ、ヨーロッパ、中東を結ぶ「交易路」が開かれます。

結果としてトゥアレグ族は、サハラ砂漠とサヘル地域での家畜の飼育と交易を通して、比較的豊かな暮らしをしており、当時は交易商として活躍していたのです。

しかし、19世紀の終わりにヨーロッパの列強諸国による植民地化の波が押し寄せると、トゥアレグ族が住んでいた地域もフランスによって支配されることになりました。

その結果、交易から高い税金を徴収されるようになり、トゥアレグ族の交易活動は縮小してしまい、現在の生活スタイルに近づいていったと考えられます。

交易商人としてのトゥアレグ族について

現在知られる半遊牧民としてのトゥアレグ族からはあまり想像出来ませんが、トゥアレグ族の経済は元々、サハラ砂漠間交易によって回ってきました

サハラ砂漠の交易ルートは基本的に5つで、北は地中海沿岸から南は砂漠南端のアフリカの諸都市に至るまでサハラ砂漠中に延びており、中でもトゥアレグ族の商人は、北部へ物資を運ぶ役割を担うことが多かったよう。

そして、サハラ砂漠の交易ではその輸送手段やキャラバンのスペースが限られるため、トゥアレグ族は主に、一度の輸送で莫大な利益が得られる「高級品」の交易に注力していました。

また、ヨーロッパ人が奴隷貿易を始めて以降は、西アフリカから奴隷となった人々をヨーロッパ人や中東人に売るために運ぶ役割も負っていたようです。

トゥアレグ族の言語

トゥアレグ族の主な言語は、トゥアレグ語というベルベル後系に含まれる言語の一つ。

Daily Phrases in Tamasheq

(トゥアレグ語に含まれるタマシェク語の例)

ただし、そのトゥアレグ語の中にも分類があり、

  1. タハガルト・タマハック語
    1. アルジェリア、リビア、ニジェール
  2. タマシェク語
    1. マリ共和国、ブルキナファソ
  3. タワラマト・タマジャク語
    1. ニジェール、マリ共和国、ナイジェリア
  4. タヤルト・タマジェク語
    1. ニジェール

の4つが含まれます。

また、ティフナグ文字という文字がトゥアレグ語を表記する際に使われ、サハラ砂漠の岩絵にも記されています。

一方、各地域をまたいで生活したり、その地域にいる他の民族ともコミュニケーションする必要があることから、ソンガイ語、ハウサ語、フランス語も話し、アラビア語を読む人も多くいます。

トゥアレグ族の宗教

トゥアレグ族の人々はほとんどがイスラム教徒ではありますが、伝統的な信仰や儀式もイスラム教と共存している点が特徴的。

例えば、精霊信仰が広く存在しており、その精霊の多くは悪霊で、病気をもたらすと考えられています。

また、タカラガイ、トカゲ、鏡、コーラン(イスラム教の聖典)を使って、独特の占いをする風習もあるようです。

Tuareg Women

さらに、イスラム教徒であっても他の多くのイスラム社会とは異なり、トゥアレグ族の女性は公の場でベールを被らないのが大きな違い。

加えて、女性であっても財産を相続したり、離婚の場合には女性が率先して進めるといった点が特徴的です。

ちなみに、この「女性の立場が強い」と言うのは、トゥアレグ族の伝統的な民話伝承からも見て取れます。

トゥアレグ族の部族の多くには、彼らの祖先でありトゥアレグの伝統を創った「女性の先祖」にまつわる神話が伝えられており、その中では、

トゥアレグ族の祖先の一人「タグルマット(Tagurmat)」は、アイル地方のタグザン山の戦いに加わった勇敢の女性である

として描かれていることからも、トゥアレグ族の社会では昔から女性の立場が強かったのではないかと考えられるのではないでしょうか。

トゥアレグ族の生活

生活環境

同じトゥアレグ族であっても、農村部に住んでいるのか、またはオアシス周辺に住んでいるのかによって、その暮らしぶりは随分と異なってきます。

(出典:pinterest

まず、半遊牧民として良くイメージされるトゥアレグ族の多くは、遊牧生活を送りながら農村部に定住することもあるわけですが、定住地では、楕円を描いたような天井部を持つテントを張って暮らしたり、また、円錐形の屋根を持つ干し草によって作られた家に住んでいます。

一方、より裕福なトゥアレグ族の人々はオアシス地域に定住し、日干し煉瓦で作った家に住んでいる傾向にあります。

ちなみに、それぞれの敷地はテントを所有する既婚女性の名前がつけられており、万が一その女性が離婚すると、元の夫をテントから追い出すことが出来るという、イスラム社会としては非常に珍しい習慣が存在しているようです。

結婚に関して

トゥアレグ族の人々は、自分と同じ社会階層に属する相手、できれば従兄弟同士で結婚してきた伝統を持っています。

しかし、都市部へ移住する人が増えてきているなかで、この伝統は失われつつありますが、農村部では未だに固く守られているようです。

一方で、人によっては近い親戚と結婚しても、後になって離婚し、親戚ではない相手と再婚することも多いそうです。

また、裕福な男性の中には二人以上の妻を持つ場合もあります。

食べ物

農村部に住んでいるトゥアレグ族の食事は、そのほとんど(95%近く)が穀物から成るとされます。

またタンパク質は乳製品(牛乳やチーズ)から摂り、季節によってはメロンなどの果物が加わり、そして、乾燥させたり粉末にした野菜はソースに加え、肉を食べることはあまりなく、食べる場合は主に特別な休日や儀式の際というのが基本です。

ちなみに、クレイジージャーニーでヨシダナギがトゥアレグ族を訪問した際、遊牧生活中の男性グループから「ジャリパン」という、砂の上(中)で焼く独特のパンをご馳走になっていました。

このジャリパンは、遊牧生活をするトゥアレグ族にとっては大好物の食べ物のようです。

加えて、トゥアレグ族の男性はお茶を何杯も飲んでいる姿も撮影されており、お茶好きという側面も忘れてはなりません。

仕事に関して

現在、自然災害や政治的な緊張のために、遊牧だけで生活していくことは非常に困難。

そのため、今日では農村部に暮らすトゥアレグ族の多くが、遊牧以外にも、オアシスでの畑仕事、キャラバンによる交易、季節労働といった複数の仕事に就いており、他にも旅行者向けの工芸品を作ったり、都市部で働く人もいます。

また中には、ビジネスマンや教師になる人も出てきています。

他にもトゥアレグ族に関して知っておきたいこと

トゥアレグ族に関して、基本的な情報から生活についてまでを見てきましたが、最後に、トゥアレグ族をもっと知るためにも、いくつかの点について触れておきます。

有名な男性の衣服について

トゥアレグ族の男性は、顔をベールで覆っている姿が非常に印象的。

この「顔を覆うベール」に関しては、いくつかの意味があるそう。

まず第一に、トゥアレグ社会においてベールは男性であることの象徴。そして、悪霊から身を守るためとも考えられています。

加えて、彼らにとってはおしゃれな装飾としての意味もあるよう。

さらに、顔のベールは状況に応じて異なる覆い方をするらしく、例えば、最も高い位置(鼻と口を覆う)で覆う場合は、首長、年上の人、姻戚への敬意を表す時とされています。

ただし、単純に「シャイだから」という理由で顔を覆っている男性もいるようですが・・・。

一方、都会に住んでいるトゥアレグの男性は、より多様な服装をしていることも少なくないそうで、中にはおしゃれなヨーロッパ風のスタイルをする人もいるみたいです。

トゥアレグ族同士では定型の挨拶がある

トゥアレグ族の人々がお互いに挨拶をする場合、ある程度決まった質問や回答をする定型文的な挨拶があると言われます。

例えば、アイル地方のトゥアレグ族は、次のような感じで挨拶することが多く、

  • Oy ik?(オイ・イク?)
    • お元気ですか?
  • Alkher ghas(アルケル・ガース)
    • いいですよ
  • Mani eghiwan(マニ・エギワン?)
    • ご家族の皆さんはいかがですか?
  • Alkher ghas(アルケル・ガース)
    • いいですよ

場合によっては、

  • Mani echeghel?(マニ・エシェゲル?)
    • お仕事はどうですか?

と続いていきます。

リビアの元独裁者のカダフィ大佐と息子の戦士であった

青の民族として知られるトゥアレグ族。

実は、好戦的な民族としても知られ、その能力から、当時のリビア独裁者、故ムアンマル・カダフィ(カダフィ大佐)によって、リビア軍の中で重宝されていました

そして、アラブの春が起こり、反カダフィ勢力によってカダフィ大佐が殺害された後、カダフィ大佐の後継者の一人として考えられていた、息子のサイフ・カダフィがトゥアレグ族の下へ亡命してきた時には、トゥアレグ族の集団が護衛していたとも言われます。

アザワド独立宣言とトゥアレグ族

カダフィのために戦ったトゥアレグ族系兵士の多くは、カダフィが殺害されるとリビアを逃れてマリへ入り、この地域に元々住むトゥアレグ族の一部と共に、マリ北部砂漠地域の独立を主張する新たな反乱軍「アザワド解放民族運動」に加担します。

アザワドはマリ共和国北部の地域で、以前から人口に対するトゥアレグ族の割合が多かった場所。

(出典:wikipedia

そして、トゥアレグ族が主導する組織がマリ軍を駆逐したことで、2012年4月6日に一方的な独立宣言を行ったのが「アザワド独立宣言」というものです(この独立宣言は結局、他国からの承認を得ることが出来ず、同年の7月12日には崩壊してしまった)

この独立運動が起こった背景には、マリ南部にある首都バマコに位置する中央政府が、貧困化している北部地域のトゥアレグ族を長年無視してきたことが、大きな原因になっており、独自の国を持たないトゥアレグ族の厳しい生活状況が伺える出来事です。

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青のベールを被ったトゥアレグの男性は、本当に美しい人々です。

世界のことって面白いよね!By 世界雑学ノート!

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