ベドウィン族|砂漠の民の生活・伝統・歴史・女性と男性の関係など

ベドウィン族は砂漠の民と呼ばれる、伝統的に遊牧生活を基盤としてきた人々のことです。彼らの歴史や生活などを詳しくみていきます。

中東からアフリカ大陸にかけては非常に広い砂漠地帯がいくつも広がっていますが、その砂漠に住む「砂漠の民」と呼ばれるベドウィン族を知っていますか?

ベドウィン達は古来より砂漠に住み続け、常に移動を繰り返すため遊牧民としても知られる人々です。

この記事では、そんな砂漠の民であるベドウィン族について、その定義から歴史、そして伝統的な生活や女性と男性の関係、さらには代表的ないくつかの部族までを紹介していこうと思います。

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ベドウィン族とは?

「ベドウィン(Bedouin)」は、アラビア語の「badawī 」から派生した言葉で、「砂漠の民」を意味する言葉。

そのため「ベドウィン族」とは

サハラ砂漠の大西洋沿岸部から西方砂漠、シナイ半島、ネゲブ(イスラエル南部の砂漠地方)を含む、アラビア砂漠東の沿岸部までの一帯各地で生活する、アラブの遊牧や牧畜を営む民族の総称

というのが広義での意味。

但し、一般的には、

砂漠で遊牧生活をするアラブ系民族

を指すことがほとんど。

しかし人によっては稀に、上記地域にある砂漠で遊牧生活するアラブ系以外の民族を指して「ベドウィン」と呼ぶこともある点には注意が必要です。

※この記事の中では以降「ベドウィン」または「ベドウィン族」と言う場合は、「アラブ系の遊牧民族」を指すこととします。

(アラブ系ではないがベドウィンと呼ばれることがある人々)

このベドウィン達の人口数は、中東と北アフリカ地域の全人口に対してわずかしか占めないものの、移動を基本とする遊牧生活によって、その拠点は非常に広域になります。

そして、生活の拠点となる地域が広範なため、具体的にどれほどのベドウィン族がいるのか正確には分かっていませんが、推定ではおよそ2150万人のベドウィンが存在しているとされ、特に次のような国では多くのベドウィン達が砂漠で遊牧生活を送っているようです。

  • スーダン(およそ1000万人)
  • アルジェリア(最大およそ225万人)
  • イラク(最大およそ110万人)
  • サウジアラビア(50万人弱)
  • エジプト(およそ90万人)
  • UAE(およそ75万人)
  • シリア(およそ62万人)
  • イエメン(およそ46万人)
  • クウェート(およそ30万人)
  • リビア(およそ20万人)

但し、最近は放牧地の減少や民族人口の増加、そして地域一帯での油田の発見や開発による影響で、ベドウィンの中には物質的な豊かさに憧れ、都会で定住型の生活を送る人も増えています。

ベドウィン族の歴史

二つのベドウィングループとその起源

ベドウィン族は長い歴史の中で中東地域から北アフリカまで拠点を広げていったわけですが、その起源は、アラビア南西部(イエメン辺り)を最初に開拓した人々と、北部中央アラビアに入植してきて自らを「イシュマイルの子孫(旧約聖書に出てくるアブラハムの長男)」と呼ぶ人々の子孫だと考えられています。

そのため、「ベドウィン」と一括りにされるものの、実際には異なる2つのグループが起源であり、歴史の中でこの二つのベドウィングループ間では、流血になる戦いが何度も起こってきました。

ちなみに、ベドウィン族がいつ頃形成されたのかについては不明な部分も多いですが、紀元前850年ぐらいまでには、遊牧生活を基盤とするアラブ系民族がネットワークを広げて交易を行っていたことから、大体その頃がベドウィン族の始まりだと言えるかもしれません(参照:FACTS AND DETAILS

各地へ拡散し始めるベドウィン族

時が経つにつれて、ベドウィン族は上に挙げた主な2つのグループだけでなく、さらに小さな無数の部族に分かれていった結果、部族間で絶え間ない対立や紛争が続くようになります

その結果、中東を中心としてシリア、パレスチナ、イラク、ペルシャ、エジプトへと一部の集団が移っていき、ベドウィン族全体としての拠点が徐々に広域へ広がっていくことになります。

またこの流れの中で、ベドウィン族の中でキリスト教やユダヤ教に改宗する者が現れたり、当時、中東の一部の地域は古代ローマによって支配されていたため、ローマの奴隷とされる者も少なくありませんでした。

さらに、7世紀頃に中東でイスラム教が興ると、ベドウィン族の多くはイスラム教徒となり、この状況は現代まで続いています。

一方で、西暦1258年にはモンゴルがイラクのバグダットを占拠し、その地域にいたベドウィンを支配下に置いたり、その後はトルコ系民族によって建国されたオスマン帝国の支配下に置かれるといった時代が続いていきます。

近代から現代にかけて伝統的な暮らしを捨てるベドウィンが多くなった

時は流れて西洋諸国が各地へ勢力を拡大した19世紀になると、ベドウィンが住んでいた地域の多くは英国の支配下に入ります

そして、英国によってもたらされた先進的な技術や生活様式の影響によって、ベドウィン族の中には半遊牧(完全な遊牧ではなく定住も行う)のライフスタイルへ移行し始める人も現れてきました。

また、1930年代になる頃にはアメリカや英国によって油田が開発され、この地域には富がもたらされるようになり、砂漠の民ベドウィン達にも近代化の波が押し寄せた結果、物質的な豊かさに憧れる者が増えていきます

加えて、1950年代および1960年代には、牧草地の縮小と人口増加が目立ち始め、他にも例えば、シリアでは1958年から1961年まで続いた厳しい干ばつにより、多くのベドウィン族は都市での仕事で生計を立てるために家畜を手放すことになります。

結果、1950年代および1960年代には、中東各地で生活するベドウィン族の多くが、都市部で仕事を得て定住を始めたのです。

そのため現在では、伝統的な遊牧生活を送るベドウィン族はその数をどんどん減らしています。

ベドウィン族の伝統文化を覗いてみよう

ベドウィン族について、民族としての定義や概要、そして歴史のダイジェストまでを見てきましたが、ここからは彼らの伝統文化について、いくつかの特徴的なポイントを挙げていきたいと思います。

血縁関係が尊重される

ベドウィン族の中には非常に多くの部族が存在していますが、基本的には血縁関係にある人々がグループとなって分かれたのが各部族です。

そのため、ベドウィン族においては血縁関係が最も尊重され、特に男系」で「どれだけ近しいか?」ということが重要視されます。

例えばベドウィンの血縁関係を象徴する、

  • I am against my brother, my brother and I are against my cousin, my cousin and I are against the stranger.
  • 翻訳=「私」対「私の兄弟」、「私と私の兄弟」対「私の従兄弟」、「私、私の兄弟、そして従兄弟」対「他人」

という格言があり、ここでは「血縁関係が近しければ近しいほど重要であり尊重される」ということが表現されています。

ベドウィン族の伝統的な家族構成と生活

伝統的にベドウィンの典型的な世帯は、夫婦と、その兄弟姉妹、または両親といった、3または4名の大人に加えて、その子供たちで構成されていることが一般的。

そして年中、水や食物資源を求めて移動する遊牧生活を営んでいました。

また、移動手段に関しては王室とその他で異なり、王室系の部族は伝統的にラクダの群れとともに、その他の一般部族は羊や山羊の群れを率いて生活していたのです。

ベドウィンの価値観では男女は平等であると考えられている

ベドウィン社会の中では、男性は客をもてなし、家畜の世話をし、必要であれば部族の政治に参加したり戦ったりというのが主な役割で、女性は公の場に姿を現して活動に励むことは制限され、その分、家庭内の生活面全てを任されています。

これに関しては、西洋の「人権」や「男女平等」の概念からすると、女性差別のように見えるでしょう。

しかし、ベドウィンの価値観では、男性と女性は対等なパートナーだと考えられているようで、「男性は女性なしでは前進することはできない。また女性は男性なしでは誰にもなれない。」という言葉が、彼らの男女に関する考えを物語っていると言えます。

つまり、外部から見た場合に一見不平等な男性と女性の地位は、

  • 男性は公的な活動に関わる
  • 女性は私生活面に従事する

という、それぞれの異なる役割によるものであり、「持ちつ持たれつ」という関係性の上における「男女平等」であるのが分かります。

伝統的なベドウィン社会では馬(アラブ種)が大切にされている

ベドウィン族の人々は、馬を非常に大切にしています。

特にベドウィン達が昔から飼っている馬(アラブ種)神アラーからの贈り物とされ、アラブ種以外の品種を受け入れることはせずに、また他の土地の馬と交わることは御法度としています。

一方で、馬はベドウィンの戦いにおいても重要な戦力とされてきた歴史があり、馬に騎乗したベドウィンは敵の部族を攻撃し、相手の家畜を略奪し、自身の富を増やすことが出来たのです。

また逆に、敵から奇襲攻撃を受けた時にも、馬がいれば被害を最小限に抑えて逃走することが出来たため、ベドウィンにとってはとても貴重な資産だったと言えます。

ベドウィン族の音楽

ベドウィン族の音楽は非常にシンコペーション(強い拍と弱い拍の位置を通常と変えて、リズムに変化を与えること)が強く、単独または少数の楽器での演奏が基本。

Traditional Bedouin Music at Wadi Rum, Jordan.MOV

また、歌はほとんどがアカペラで、これは「声と歌詞が最も欠かせない部分だと考えられているから」というのがその理由のようです。

そして、5本の弦がある弦楽器と、小さな太鼓のような打楽器が歌に合わせて演奏されるのが一般的です。

砂漠の民ベドウィン族の伝統衣服

ベドウィン族の伝統的な衣服はトーブ(thawb)と呼ばれ、アラビア半島においては一般的なもの。

この衣服はゆったりとしていて、またメンテナンスに手間もかからず、遊牧民のライフスタイルには非常に実用的だとされます。

そして、男性は通常、綿でできた長い白のトーブを着ており、一方の女性は、青または赤の刺繍が施された青や黒のトーブを身にまといます。

ベドウィン族の著名な部族

ベドウィンの社会では、族長である「シェイク」によって率いられる部族が数多くあるのは、すでに述べた通り。

しかし、その全てを挙げるのはほぼ不可能であるため、ここでは中でも比較的有名な部族をいくつかピックアップして簡単に紹介しておきます。

  • アニザ
    • ベドウィン族最大の部族
    • サウジアラビア北部、イラク西部およびシリアの草原地域に居住し、人口は70万
  • ルワラ
    • アニザから分離した大きな氏族
    • サウジアラビアに住むが、ヨルダンを越えてシリアやイラクにまで存在する
    • 人口はおよそ25〜50万
  • ホウェイタット
    • ヨルダンのワディ・アラバおよびワディ・ラムに住む
  • ベニ・サクー
    • シリアおよびヨルダンに広がる
  • アル・ムラー
    • サウジアラビアを拠点とする
  • バニ・ハジル(アル・ハジリ)
    • サウジアラビアおよび東湾岸州に広がる
  • バニ・ハリド
    • ヨルダン、イスラエル、パレスチナ自治区およびシリアに広がる
    • また、アラビア半島東部にも存在する
  • シャマー
    • サウジアラビアおよびイラク中央部と西部
    • ベドウィン族の中で2番目に大きい部族
  • ムタイル
    • ナジュド高原(アラビア半島中央部の高原地帯)に住み、ムタイル出身の多くの小家族集団が湾岸州にも住む
    • クウェートでは最も有力な部族
  • アル・アジュマン
    • サウジアラビア東部と湾岸州に広がる
  • スダイル
    • ナジュド高原南部、サウジアラビアのスダイル地方周辺に広がる
  • アル・ドゥワシル
    • サウジアラビアの首都リヤド南部からクウェートに広がる
  • スバイア
    • ナジュド高原中央部およびクウェートに広がる
  • ハーブ
    • 大きな部族でメッカ周辺に住む
  • ジュハイナ
    • 大きな部族でメッカ周辺地域からメディナ南部にまで広がる

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ベドウィン族|砂漠の民の生活・伝統・歴史・女性と男性の関係などのまとめ

砂漠の民「ベドウィン族」について、その歴史や生活、そして伝統などを見てきました。

ベドウィン族について詳しく知らなくても、映画やテレビの中でこのベドウィンのイメージ映像を見た人も多いはずで、その独特なライフスタイルは比較的馴染みがあるものだと思います。

中東地域の観光では、ベドウィンの人々に会って生活を体験するオプションなどもあったりするので、安全な場所に行くのであれば体験してみるのも良いかもしれません。

世界のことって面白いよね!By 世界雑学ノート!

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