グルカ兵は世界最強の兵士とも呼ばれ、近代に突如として表舞台へ現れてからは、その伝説的な強さで名を上げてきました。グルカ兵について知りたければ確認してみましょう。
「世界最強の兵士」とも噂れる伝説的な勇猛さと強さを誇るグルカ兵。
「臆病といわれるならば死を」という彼らのモットーが示す通り、イギリスとの戦いによって世界の表舞台に現れてからというもの、過去200年間で人々を震え上がらせるほどの恐ろしい存在として名をあげてきました。
ニュースなどではあまり報道されませんが、特に英国や英国の植民地だった国が首脳レベルの会談や重要なイベントを開く際、実はこのグルカ兵が裏を支えていたりするのです。
また、これまで世界の様々な地域で起こった紛争にも参加し、活躍してきました。
そんなグルカ兵について見ていきたいと思います。
グルカ兵に関する基本的な知識から、難関と言われる選抜試験の内容、そしてあまり知られていない5つのことまでを紹介していきます。
世界最強の兵士とも言われるグルカ兵とは?
グルカ兵(Gurkhas または Gorkhas)とは、ネパールの山岳民族(インドの国籍を持つが民族的にはネパール人である者も含む)から構成された、白兵戦や山岳戦と得意とする戦闘集団の呼称。
現在は主に、
- イギリス軍
- ネパール軍
- インド軍
- シンガポール軍(シンガポール・グルカ分遣隊として)
- ブルネイ軍(ブルネイ・グルカ予備軍として)
に常時仕えており、また、国際連合平和維持軍に参加したり、必要とされれば世界中の紛争地域へ行って戦闘活動を行う集団です。
一方で、グルカ兵の「グルカ」とは、あくまでもこの戦闘集団を呼ぶ際の呼称でしかなく、「グルカ族」という単一の民族が存在するわけではありません(※ただし、グルカ兵を構成する複数の民族を総称して「グルカ族」と呼ぶことはある)。
そして、現在のグルカ兵は主に、マグール族、グルン族、タクリ族、カス族などの民族から構成されていると言われます。
ちなみに、世界最強の戦士とも言われるだけあり、グルカ兵は非常に勇敢なことで知られ、
If a man says he is not afraid of dying, he is either lying or he is a Gurkha.
死を恐れないという男がいるなら、その男は嘘をついているかグルカ兵かのどちからだ。
という言葉が残っているほどです。
また、スローチ・ハットと呼ばれるつばの広い帽子と、刀身が内側に湾曲したククリ・ナイフは、グルカ兵のトレードマークとして有名です。
グルカ兵のトレードマークであるククリナイフは、ネパールで使われている刃物の一種で、農村地帯では日常的に作業用、そして祭礼用として用いられているもの。
水牛の頭部を切り落とせるほどの大型のものから、より小さな物まで大小様々なサイズがあります。
「ククリナイフは一度鞘から抜いたら血を吸わせるまで納めてはいけない」という言い伝えもあるらしく、万が一グルカ兵と遭遇した場合でも、ククリナイフを抜いて見せて欲しいと頼むのはよした方が良いかも(?)しれません。
グルカ兵がその名をあげたイギリスとの戦い
現在のネパールには14の県があり、その下にはさらに75の群が置かれていますが、グルカ兵に属する民族集団の人々はゴルカ郡出身で、グルカ(ゴルカ)という名称は18世紀に統一されたネパール王国の王朝の名前でもありました。
(出典:wikipedia)
当時のネパール王国(ゴルカ朝/グルカ朝)は、1814年に始まったイギリス東インド会社との戦い「グルカ戦争」で、翌年の講和条約締結、そして1816年に条約が批准するまで、イギリス軍に大打撃を与え、最終的には破れてしまったものの非常に善戦しました。
そして、その強さに感銘を受けた戦勝国であるイギリスは、ネパールの兵士を自軍に入隊させる権利を条項に追加してネパールと条約を結んだのです。
この戦いの中で活躍したのが、主に山岳民族で構成されたネパール人兵士達で、当時のイギリスはネパールを「グルカ」と呼んでいたため、これ以降、ネパール人の傭兵達は「グルカ兵」と呼ばれるようになります。
イギリス軍以外でも登用されるグルカ兵
グルカ兵は19世紀初頭よりイギリス軍で登用され、かつてはセポイの乱とも呼ばれたインド大反乱(1857〜1858)にも従軍しています。
また、二度の世界大戦ではオーストラリア軍と共に参戦します。
第一次世界大戦においてグルカ兵は2万人の犠牲者をだしたが、その勇猛さを称えられ2,000もの戦功賞を獲得。また、第二次世界大戦ではイタリアでドイツ軍と、当時のビルマで日本軍と交戦した。
結果的に、イギリスおよび英連邦王国構成国の軍人に授与される最高の戦功賞である、ヴィクトリア十字勲章をグルカ兵連隊の兵士が26受章した。
さらに、フォークランド紛争(1982)やアフガニスタンに派遣されることもあったり、他にも、香港、ボルネオ島、キプロス、シエラレオネ、東ティモール、ボスニア、コソボ、イラクにおいてイギリス軍に従事してきました。
このように、イギリス軍の部隊として世界中で活躍するうちに「世界最強の兵士」として名声が高まっていくなかで、イギリス以外の軍隊にも傭兵として属することになっていきます。
まず、1947年のインド分離独立の際、ネパールとインド、イギリスの三国間の取り決めで、グルカ兵の連隊四つが、イギリスからインド軍へ移籍することが決定。
その後にはシンガポールとブルネイが続き、国連によって国際連合平和維持活動が行われる際には、国際連合平和維持軍に参加するために、ネパールから派遣されるようになります。
また、2018年米朝首脳会談においては、トランプ大統領とキム委員長の会談の警備にグルカ兵が投入されました。
世界最強の兵士「グルカ兵」になるための伝説的な試験とトレーニング
非常に貧しい生活を強いられるネパールでは、グルカ兵になることは多くの若者にとって貧困からの脱出を意味します(※通常、グルカ兵は18-9歳で入隊して45歳まで従軍する)。
しかし、世界最強の兵士と言われるグルカ兵には、そう簡単になれるものではありません。
ここでは、グルカ兵になるための伝説的な選抜試験を簡単に紹介してみます。
グルカ兵になるための伝説的な選抜試験
グルカ兵の中でも、最も長い歴史を持ち伝統のあるイギリス軍グルカ兵部隊は、毎年200名程度の新規メンバーを補充しますが、それに対して毎年1万以上の候補者が存在すると言われます。
そして、グルカ兵への登用を決める試験には優れた頭脳・体力・精神力が求められ、具体的には次のような課題が課せられるのです。
- 数学や英語の試験
- 25㎏もの砂を背負子(しょいこ)に積んで約5㎞のヒマラヤの急勾配を走り抜ける
- 55分以内で登って降って来なくてはいけない
- ベンチジャンプ(ベンチの上に飛び乗って降りるを繰り返す)を1分間に75回以上
- 可動域を目一杯に使ったシットアップ(腹筋運動)を2分間に70回以上
このような課題をクリアすることが最低条件で、その上で、最も成績優秀で性格的にも兵士に向いているものが選抜されていきます。
そして、晴れてグルカ兵に採用されると、トレードマークであるククリ・ナイフが渡されるのです。
このククリ・ナイフが渡されたと言うことは、敵に血を流させるか、自分に血を流させるかのどちらかを意味するということです。
つまり、万が一にも敵を倒せない場合には、ククリ・ナイフを鞘に戻すことはせずに、グルカ兵はそのナイフで自らの命を絶つべしとする考えがあるのです。
伝説的なグルカ兵に関してあまり知られていない5つのこと
その強さで有名な伝説的なグルカ兵について基本的な知識を見てきましたが、ここからは、そんなグルカ兵に関してあまり知られていない5つのことを紹介していきたいと思います。
その伝説的な肉体の強さを物語る話
グルカ兵の強さは、兵士になる以前からすでに、山岳地帯という過酷な土地で信じられないぐらい厳格な生活を続けたことに由来します。
そのため、便利な先進国で育った人間とはまったく違う星から来たと言っても過言ではないほど、強靭な肉体を持つのが特徴です。
例えば、英国のサウスダウンズと呼ばれる丘陵地隊では、毎年トレイルウォーカーと言う100kmにも渡る競争が開催されますが、最も優れた英国チームでさえも、サウスダウンズの道のり100kmを走破するには12〜13時間は掛かります。
しかし、このレースで毎年優勝するグルカ兵の兵士は、なんとたったの8.5時間しか必要とせず、この大きな差は、グルカ兵の強靭な肉体や精神力を物語っていると言えるのではないでしょうか。
グルカ兵は言語に流暢である
世界中で活躍するグルカ兵は、その任務のため、そして選抜試験の時に頭脳も大切であることから、語学に流暢であるのが特徴。
まず、グルカ兵を構成する民族の多くは山岳地帯に住む人々であり、ネパール語とは異なる自分たちの言語を第一言語として育ちますが、ネパールの公用語であるネパール語は当たり前のように話せます。
さらに、イギリスまたはイギリスと関係を持つ諸外国に傭兵として雇われるため、英語も非常に流暢に扱うのです。
加えて、多くのグルカ兵はインドの公用語であるヒンディー語も流暢だと言われます。
このようなことから、グルカ兵の多くは4つの言語を不自由なく操れるマルチリンガルなのです。
グルカ兵の多くはヒンドゥー教徒である
ネパールは過去にヒンドゥー教を国教としており、現在でも人口の80%はヒンディー教徒であることから、グルカ族の多くもヒンドゥー教徒であり、彼らにとってヒンドゥー教の教えは非常に重要な位置を占めます。
例えば、ヒンドゥー教では生贄を捧げる祭り(儀式)が開催されることがありますが、イギリス軍に従軍するグルカ兵であっても、生きたヤギを柱に繋ぎ、ククリ・ナイフで頭を切り落とす儀式を執り行うことがあるようなんです。
イギリスの女王には二人の専属グルカ将校が支えている
イギリスの女王には、二人の専属グルカ将校が支えているとされ、女王と一緒に公式の国家イベントや重要なイベントに直接参加します。
この二人の将校は女王付きグルカ将校(the Queen’s Gurkha Orderly Officers)と呼ばれ、ヴィクトリア女王統治時代にグルカ兵が出来て以降、その時の国王と一緒に全ての国務に出席しています。
そして、この専属グルカ将校になったグルカ兵が任期を終える時には、、ロイヤル・ヴィクトリア勲章(王室関係者が対象とされ、王族及び宮内長官から庭師や下僕に至るまでの王室に奉職した者へ、君主個人から贈られる勲章)が与えられるのです。
グルカ兵には戦闘員以外の専門要員もいる
グルカ兵部隊は一般的に白兵戦を得意とする戦闘員だけで構成されていると思われがちですが、イギリスのグルカ兵部隊に関して言えば、エンジニア、信号係、物資の補給などの専門要員も含まれています。
イギリス部隊に加わるためにネパールからやってきたグルカ兵は全員、39週間の訓練を受けることになりますが、これら専門分野に進む者はさらに29週間の専門のトレーニングを受けます。
このようなことから、グルカ兵にいる専門要員達は、通常であれば後方支援を担当することになりますが、39週間の歩兵訓練を受けているため、万が一の時には自らも白兵戦に参加することが可能だったりします。
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グルカ兵|世界最強兵士の伝説的な強さや歴史と知られていない話までのまとめ
世界最強の兵士として知られるグルカ兵について見てきました。
「この世界でもっとも勇敢で、寛大で、忠義にあつい友」評されるグルカ兵は、紛れもなく世界に誇れる先頭集団であることは間違いありません。
一方、45歳になると退役した元グルカ兵達はネパールに帰国することになりますが、軍の年金だけでは足りず、何もしないと多くが経済的に困窮することになるという問題を抱えていました。
そのため、年金制度やイギリス国内に留まる権利などについてイギリス政府とグルカ兵擁護団体との間で議論が幾度も交わされた結果、2009年にイギリス内務省は1948年から1997年の期間に従軍したグルカ兵に対して、イギリス国内への定住を認めています。
また、中には民間の軍事会社と契約して再び傭兵となったり、異なるビジネスを始める者もいます。
今後もグルカ兵は世界舞台の裏を支える重要な集団であり続けると思いますが、多くの元グルカ兵が現役を引退した後も活躍出来る道が整ってほしいものです。