世界七不思議|古代七不思議は古代世界の建造物の中でも壮麗で注目される人類の偉業

世界七不思議(古代七不思議)と呼ばれる、古代世界に建てられた7つの建造物について見ていきます。人類が古代に建てた偉業です。

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何千年も遡る古代、地球上には多くの文明が花咲きました。

そしてそれぞれの文明は、科学技術が発達した現代であってもびっくりするような、素晴らしい芸術品や建造物を生み出しています。

なかでも世界の七不思議と呼ばれる7つの古代建造物は、長い人類史の中でも、人間の知恵と想像力、そして、ひたむきさと努力を表す偉業だと言われます。

残念ながら、自然の破壊力のみならず、人の手による破壊行為が加わったことによって、この古代の世界七不思議に数えられる建造物のほとんどは失われ、今日では1つしか現存していませんが、歴史の資料などを紐解くことで、残りの6つの建造物に関してもその姿を知ることが出来ます。

ここでは、そんな世界の七不思議と呼ばれる、古代世界の建造物を紹介していきたいと思います。

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古代・世界七不思議① ギザの大ピラミッド

エジプトのカイロ北部にあるナイル川西岸に位置するギザには、古代エジプトのファラオ達(クフ王、カフラー王、メンカウラー王)のものとされる3つのピラミッド(三大ピラミッド)がありますが、その中でも最大の大きさを誇るのが、世界七不思議の一つ「ギザの大ピラミッド」。

ギザの大ピラミッドは古代エジプト第4王朝のクフ王のものとされ、紀元前2600年前後に建設されたと考えられており、また、古代の世界七不思議の中では現存している唯一の建造物です。

その名前からも分かる通り非常に大きくて荘厳で、面積はおよそ53,000㎡。また、2トン~30トンの重さの石200万個以上で出来ていると考えられています。

さらに、クフ王のピラミッドは4000年以上もの間ずっと世界一の高さを誇ってきたという事実があり、このピラミッドより高い建造物が出来たのは、実に19世紀になってからのこと。

また、世界七不思議と言われる通り、ほぼ左右対称の形をした精密な建造物でありながら、驚くべきことに、今日のようなハイテク機器を使用することなく建てられたと考えられており、その建築方法については未だに多くのことが謎に包まれています。

ちなみに現在は、

  • 並べた丸太とソリを使って石を運搬した
  • 傾斜した壁面に関しては、階段の形に作った後で段の部分を石灰石で埋めていった

という仮説があります。

古代・世界七不思議② オリンピアのゼウス像

古代の世界七不思議の一つ「オリンピアのゼウス像」は、紀元前5世紀半ばにアテナイの彫刻家フェイディアス(ペイディアス)によって作られ、古代オリンピックの会場であるオリンピアにあるゼウス神殿に収められた彫像。

その彫像は雷を支配する天空神ゼウスを形どったもので、上半身裸で木製の玉座に座っており、玉座の肘かけには2匹のスフィンクス(上半身が人間の女性、下半身がライオン、鳥の羽を持つ伝説上の生物)が彫られていました。

そして、金、象牙、宝石などで豪華に装飾され、非常に煌びやかだったのに加えて、およそ12mもある高さのため、頭が神殿の天井に届くほどだったのが特徴的だったとされています。

4世紀にキリスト教の聖職者たちが当時のローマ法王に対して、オリンピアの神殿を閉鎖するように進言するまで8世紀以上に渡り、ゼウス像はこの神殿を美しく飾ってきましたが、その後はコンスタンティノポリス(ビザンツ帝国又は東ローマ帝国の首都)にある神殿に移され、462年に焼失したと言われています。

ちなみに、ゼウス像が完成後した後、彫刻家フェイディアスは像を作ったことに対する許しをゼウス神から得ようと願うと、直後には神殿に雷が落ちたという言い伝えがあるそうです。

古代・世界七不思議③ エフェソスのアルテミス神殿

アルテミスの神殿は、トルコ西部の小アジアの古代都市「エファソス」に、紀元前7〜3世紀にかけて存在した、ギリシャ神話に登場する狩猟・貞潔の女神「アルテミス」を奉った神殿。

実はこのアルテミス神殿は、歴史上複数存在すると言われています。というのも、神殿は何度か破壊され、その度に同じ場所に再建されてきたから。

そして、中でもとりわけ素晴らしいと言われるのが大理石で作られた2つの神殿で、それぞれ紀元前550年と紀元前323年に建造されたと言われます。

前者はクレタの建築家ケルシプロンとその息子メタゲネスによって設計され、当時の最も著名な芸術家たちによって装飾が施されましたが、紀元前356年7月21日に放火によって焼失してしまいます(一説では、同じ日の夜にアレクサンダー大王が誕生したと言われる)。

そして、アレクサンダー大王の死去した紀元前323年に、神殿の再建が始まりました。

この新しいアルテミス神殿は大理石の階段に囲まれ、その階段の先には120m以上の長さを持つテラスがあり、神殿の内部は約18mになる大理石の柱127本で支えられ、アルテミス像が置かれていたとされます。

しかし、新しく建てられたアルテミス神殿も、西暦262年に東ゴート族によって殆どが破壊されてしまい、現在はほとんど原型をとどめていない世界七不思議の一つです。

古代・世界七不思議④ ロドス島の巨像

ロドス島(ロードス島)の巨像は青銅で出来ている太陽神ヘリオスを形どった巨大な彫刻像で、紀元前3世紀、ロドス島生まれの彫刻家カレスによって、12年以上の歳月をかけて建造された古代世界の七不思議の一つ。

紀元前4世紀初頭当時、ロドス島はアンティゴノス朝(マケドニア帝国が分裂して出来た王朝の一つでマケドニアを拠点とした)のマケドニア軍に包囲され攻撃されましたが、古代エジプトのプトレマイオス朝の加勢により勝利。

マケドニア軍の武器や装備が多く置き去りにされ、ロドス島の人々は勝利を祝うために、遺棄された多くの武器や装備を売って、巨像建設の費用にあてたと言われています。

その結果、像自体の大きさは34メートル、台座を含めれば50メートルほどにもなる、巨大な彫像が出来上がったのです。

ロドス島の巨像は紀元前280年頃に完成し、以降60年に渡ってそびえ立っていましたが、地震によって崩壊し、その後再建されることはありませんでした。

そして数百年後、アラブ人達がロドス島を侵略し、この巨像の残骸を金属のくずとして売り払ったため、現在では巨像の建っていた位置や姿について、正確に知ることは出来ません。

あくまでも想定ですが、太陽神の巨像は、裸で片手にトーチ(たいまつ)、もう一方の手にやりを持っていたとされ、また、かつては巨像が湾の入り口をまたぐ姿勢で立っていたと考えられていましたが、今日の多くの彫刻家の見解では、重量を支えるためには両脚を閉じて立っていた可能性が高いと考えられています。

古代・世界七不思議⑤ ハリカルナッソスのマウソロス霊廟

ハリカルナッソスのマウソロス霊廟は、紀元前353年に小アジアのカリア国総督マウソロスと、その妻アルテミシア(マウソロスの妹でもあった)の遺体を安置するため、現在のトルコ南東部に建造された霊廟。

現在は残ってはいないものの、当時は非常に壮麗な姿をしていたと言われ、古代世界の七不思議に含まれています。

巨大なマウソロス霊廟は全体が白大理石でできており高さは40mほど。

また、三層から成る複雑な構造をしており、これはリュキア(現トルコ南沿岸のアンタルヤ県とムーラ県の地域にあった古代の地名)、古代ギリシア、古代エジプトの3つの建築様式を融合しようという試みだったと言われます。

具体的には、

  • 1層目
    • およそ18mある基壇
  • 2層目
    • 36本の円柱と階段状のピラミッド型の屋根があった
  • 3層目(最上層部)
    • 墓が設置されており、側には4人の彫刻家によって制作された約6mの大きさの大理石でできた4頭立て馬車の像が置かれていた

という三層で出来ていたようです。

マウソロス霊廟は13世紀に地震によって殆ど崩壊し、その残骸は後に城の要塞の資材として使われてしまったため、今日では現存していません。

一方で、1846年に城跡からマウソロス霊廟の一部ののかけらが複数発見され、現在、ハリカルナッソスの霊廟跡で出土した他の残骸とともに、ロンドンの大英博物館に収蔵されています。

古代・世界七不思議⑥ アレクサンドリアの大灯台

アレキサンドリアの大灯台は、古代エジプトの首都であったアレキサンドリア湾岸のファロス島という小さな島に建っていたとされる大きな灯台。

古代ギリシアの建築家ソストラトスによって設計され、紀元前270年頃に完成し、当時はナイル川から往来の激しい港に出入りする船を誘導していました。

考古学者はこの大灯台が描かれている古代ローマの貨幣を発見し、その図柄から大灯台は、

  • 1層目(基壇部)→ 四角形
  • 2層目 → 八角形
  • 3層目 → 円柱形

の3層構造になっていたと推測しています。

そして、三層目の上には5mほどの像が建てられていたらしく、その像はプトレマイオス2世(プトレマイオス朝第2代のファラオ)か、アレクサンドリアの由来となったアレクサンダー大王だったのではないかと考えられています。

また、大灯台の全高は120〜137mだったと推定されており、当時としてはギザの大ピラミッド(高さ147m)を除くと、最も高い人口建造物でした。

ちなみに、アレクサンドリアの大灯台は956年に起きた地震によって大きなダメージを受け、その後、1303年と1323年に立て続けに起きた地震で完全に崩壊してしまいます。

また、崩壊後は残骸が残っていたものの、1480年頃、この地を支配したイスラム王朝のマムルーク朝によって、カーイト・ベイの要塞を建設するためにほとんど使われてしまい、現在では、一部の残骸がナイル川の川底から発見される程度になってしまっています。

古代・世界七不思議⑦ バビロンの空中庭園

バビロンの空中庭園は紀元前600年頃、新バビロニア王国の王であるネブカドネザル2世によって、ユーフラテス川とティグリス川のほとり(今日のイラクの都市モスル近郊)に建造されたとされる古代世界の七不思議。

22〜23メートルの高台にあって、劇場のように階段状に並べられた巨大なレンガで出来たテラスの上に作られた、石造りの柱が支える美しい庭園で、そこには多種多様な樹木や植物が植えられ、人間が作る建造物の美しさを超越した偉業と考えられていました(今日の科学から導き出すと、空中庭園を維持するためにはポンプ設備、水車、貯水槽を使って、ユーフラテス川から高台に水をくみ上げる必要があったと考えられている)

また、この空中庭園は、故郷メディア(今日のイラン北西部)の美しい自然を懐かしむアミュティス王妃を可哀想に思ったネブカドネザル2世が、王妃を慰めるために建造したものと言われています。

一方で、この空中庭園に関する記述は、古代ギリシアや古代ローマの文献に複数存在しますが、その中に直接見たという記述は1つもなく、また、バビロニアの楔形文字の碑文の中にもこの空中庭園に関する記述はありません。

そのため多くの学者は、この空中庭園はその存在が広く信じられているものの、実際には存在しなかった空想の産物だという可能性を指摘しています。

しかし別の学説では、バビロンではなくアッシリア王センナケリブが、その首都ニネヴェの宮殿内に作ったものを、後世の人間が「バビロンに存在した」と勘違いしたのだという説も出ていたりと、その存在については未だに論争が尽きず謎のままです。

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世界七不思議(古代七不思議)|古代世界の建造物の中でも壮麗で注目される人類の偉業のまとめ

世界七不思議(古代七不思議)は、ほとんどが失われていたり、一つは実在していなかった可能性もあります。

それでもなお、世界七不思議は古代文明の優れた創造力や技術の賜物として、現代の人間に感動を与え続けてくれる古代の建造物です。

世界のことって面白いよね!By 世界雑学ノート!

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