クリスマスの起源と由来を歴史から探っていきましょう。クリスマス誕生の背景には、冬至や古代ヨーロッパの環境や状況が大きく影響していました。
現代社会において、クリスマスは世界中で文化的・商業的に重要な現象として、多くの人に認知されています。
日本においても毎年、クリスマスのおよそ1ヶ月前からクリスマス商戦がスタートし、都会の街はクリスマスモード一色になっていきます。
また、クリスマスは宗教的な祭日という顔を持ち、キリスト教国であるヨーロッパ諸国では大切な祝日として祝われていることは一般的にも知られています。
そして、このクリスマスに関して、その背景にある起源や由来を探るために歴史を掘り下げていくと、クリスマスの誕生には「冬至」や古代ヨーロッパの環境や状況的が大きく関与していたことが分かってきます。
この記事では、歴史を振り返りながらクリスマスの起源や由来について見ていこうと思います。
「クリスマス」とその言葉の由来
「クリスマス」は毎年冬の時期に行われる、
宗教的指導者であるイエス・キリストの誕生を祝う
ことを目的とした、本来はキリスト教徒によって祝われる祭り。
ここで重要なのが「イエス・キリストの誕生を祝うこと」であり、「イエス・キリストの誕生日」ではないという点です。
また、比較的知られたことで言えば、キリスト教の中でもグレゴリオ暦を使用するカトリックでは12月25日がクリスマスに定められ、ユリウス暦を使う正教会は1月7日にクリスマスを祝うといった違いがあります。
さらに、現代におけるクリスマスの慣習としては、プレゼント交換やクリスマスツリー、教会のミサ、友人や家族で食卓を囲むこと、そしてもちろんサンタクロースが挙げられます(※ただし、地域によって祝い方は微妙に異なってくる)。
クリスマスは「キリストのミサ」に由来する
この「クリスマス」は日本語では他に「降誕祭」や「聖誕祭」などと呼ばれることもありますが、英語では「Christmas」。
Christmasは「Christ」と「Mas」の二つの要素から成り立っており、それぞれは以下のような依頼を持っているのです。
- Christ → キリスト
- Mas → mass → ミサ(パンとぶどう酒を聖別して聖体の秘跡が行われる典礼)
クリスマスの起源や歴史
クリスマスの基本を振り返ってきたところで、ここからはクリスマスの起源を探るためにも、その歴史をダイジェストで振り返っていきましょう。
古代の祭日:ヨーロッパにおいて12月は祭りに適した時期であった
冬の真ん中に祝い事をする習慣は、太古の昔から世界で多くの国や文明で見られました。
冬至との関係
中でもヨーロッパではイエスが生まれる何百年も昔から、一年のうちで最も夜の長い冬至の日に「光と誕生」を祝う習慣がありました。
これには冬の最も辛い時期は終わり、それ以降は日照時間が増えて太陽が戻ってくるのを祝福する意図があったのです。
スカンジナビア半島のノース族の間では、12月21日(冬至)から1月にかけて「ユール」と呼ばれる祭りが行われました。
太陽の復活を記念して、男性は家に巨大な薪を持ち帰り、これで焚火を作り、焚火の火が消えるまで人々は祝い続け、その期間は最長で12日間にも及びました。
ノース族は焚火から飛び出る火花の数は、次の年に生まれる子豚もしくは子牛の数を象徴していると信じていたと言います。
肉がふんだんにありビールの発酵が完了する時期でもあった
さらに、ヨーロッパのほとんどの地域において12月は祭りに適した時期でした。
なぜなら、冬の間家畜を養う必要がないようにと、「家畜はほとんど殺されて肉がふんだんにあった」からです。
事実、多くの人にとって、1年のうちで新鮮な肉が手に入るのはこの時期のみで、その年のうちに作られたビールの発酵が完了して飲めるようになったのもこの時期です。
実際、それに合わせる様に、例えば、ドイツでは12月半ばに異教の神オーディンを祝う習慣がありました。
古代ローマにおいて冬の時期に行われたお祭り
サートゥルナーリア祭(農神祭)
一方で、北欧ほど冬が厳しくはなかった古代ローマでは、農神サートゥルヌスを祝した「サートゥルナーリア祭」が催されました。
(出典:wikipedia)
冬至の約1週間前から始まり、時には1か月間も続いたこの祭日は 、快楽に浸るための時間だったと言われます。
人々は好きなだけ飲み食いし、またこの時だけは、ローマの社会秩序が完全に覆されました。奴隷と主人は立場が入れ替わり、農民が都市の指導者の地位に就いたのです。
また、お店や学校はすべて休みとなり、全ての人がこのお祭りに参加しました。
その他のお祝いごと
他にも、古代ローマには冬至の頃に行われたジュベナリアと呼ばれる子どもを祝したお祭りがありました。
さらに上流階級の人々は12月25日に、太陽神ミトラの誕生を祝いました。
子どもの姿をしたミトラは岩から生まれたと信じられており、ローマ人の中にはこの日を最も神聖な日と捉えていた人もいました。
古代ヨーロッパで重要だった冬至とキリストの誕生を祝う日が融合していった
初期キリスト教において、唯一最も重要な祭日は「イースター(復活祭)」で、「イエスの誕生」が祝われることはありませんでした。
そんな状況で4世紀に入ると、教会はイエスの誕生日を祝日として定めようとします。
一方で、聖書にイエスが生まれた月日の記述はありません(これは後にプロテスタント系のピューリタンがクリスマスの正当性に対して抗議する理由の一つになる)。
むしろ、「羊飼いが放牧をしていた」などの記述を参考にすると、イエスの誕生日は春なのではないかと考えられたほどです。
しかし、ローマ法王ユリウス1世は12月25日を選びました。
これについては諸説ありますが、
- サートゥルナーリアなどの異教の伝統をキリスト教に取り入れることで、全体の融和を図ったからではないか?
- 上述してきた様に、古代には冬至の頃に多くの祝い事が行われてきたからではないか?
といった理由が考えられます。
ちなみに、クリスマスは当初、「Feast of Nativity」と言われていたらしく、これは日本語へ直訳すると「キリスト降誕の饗宴」といった意味になります。
各地へ広まっていったクリスマス
クリスマスを伝統的な冬至の祭日と同化させることで、クリスマスは広く祝われるようになりました。
西暦432年までにはエジプトに広まり、6世紀末までにはイングランドでも祝われるようになり、8世紀末にはスカンジナビア半島にまで広がっています。
そして、中世になると他の異教に変わってキリスト教がヨーロッパのほぼ全域に広がっていった結果、クリスマスはヨーロッパを中心に浸透していったのです。
一方で、クリスマスがとても広域に広がっていったことで、祝い方の詳細を教会が定めることはもはや不可能となっていったと言われます。
例えば中世にはクリスマスの日、キリスト教の信徒は教会のミサに参加し、その後酔っ払って今日の謝肉祭に似たカーニバルのような形でこの日を楽しんだと言われます。
他にも、毎年、乞食もしくは学生が「無秩序の王」に選ばれ、金持ちの家を訪れては最高級の食べ物や飲み物を出すように要求し、この要求に従わなければ、貧しい者たちはその家に悪戯をしかけるといった祝い方もされたようです。
この祝い方の中でクリスマスは、裕福な者にとっては下層の人々を楽しませることによって社会に対する「借金」を返す日であると考えられていました。
とにもかくにも、こうしてクリスマスは国をまたいで世界中に広まっていくこととなったのです。
ただしクリスマスは地域によって違法とされた歴史も持つ
ただし、ヨーロッパを中心にしてクリスマスは世界規模で広がっていったわけですが、その過程では一部の地域で違法とされたこともありました。
イングランドの例
17世紀初頭になると宗教改革の波が広がり、ヨーロッパではクリスマスを祝う方法が大きく変化していきました。
そんな中、1645年にピューリタンのオリバー・クロムウェルがイングランドで力を握ると、堕落した社会を再興させる改革の一部としてクリスマスが廃止されてしまいます。
しかし、これに対するイングランド国民の不満は大きく、クロムウェル後に王位に就いたチャールズ2世(在位:1660〜1685年)はクリスマスを復活させました。
アメリカでも初期の頃にクリスマスは禁止されていた
また、1620年代にアメリカ大陸に渡った分離派のピューリタン達は、クロムウェルよりもさらに正当派だったため、初期のアメリカ植民地においてクリスマスが祝われることはありませんでした。
実際、1659年から1681年の間、ボストンにおいてクリスマスを祝うことは違法とされており、クリスマスを祝う姿勢を少しでも見せたものは、5シリングの罰金を課せられたと言います。
ただし、これとは対照的に、探検家のジョン・スミスが設立したジェームズタウン植民地(バージニア州)においては、クリスマスは盛大に祝われていたようです。
その後、イギリスとの戦争を行い独立を成し遂げたアメリカ独立革命後、イギリスからやってきた正統派ピューリタンの影響を受けた初期の慣習はアメリカにおいて徐々に薄れ、クリスマスも少しずつ広まるようになりました。
日本に伝わったのは16世紀だが受け入れられたのは20世紀
ちなみに、日本へクリスマスが初めて伝わったのは、16世紀だと考えられています。
キリスト教(カトリック)の普及活動へ日本にやってきたイエズス会の宣教師達が、クリスマスの習慣も持ち込んできたのが始まりです。
しかし、キリスト教禁止令(禁教令)が江戸幕府によって発せられた結果、当初は隠れて暮らすキリスト教徒(隠れキリシタン)の間でひっそりと行われる程度でした。
しかし、江戸時代が終わり、「富国強兵・文明開化・殖産興業」といったスローガンを持つ明治時代に入ると、ビジネスの機会と捉えた明治屋によって、クリスマスに関する商戦が活発に行われていくようになります。
これ以降、本来の宗教的な意味合いではないものの、「クリスマス」は日本の一般人の中で徐々に広まっていき、かつて日本に存在した「大正天皇祭(12月25日)」や、民間企業によるマーケティング戦略が相乗効果を生み出し、詳しい起源や由来は分からずとも、多くの日本人が祝う年次行事となったのです。
合わせて読みたい世界雑学記事
クリスマスの起源と由来|歴史から分かる冬至との関係のまとめ
クリスマスの起源と由来を探るために、その歴史を見てきました。
クリスマスは今でこそ世界中で祝われる年中行事となっていますが、その本来の目的はイエス・キリストの誕生を祝うものであり、さらに、背景には古代ヨーロッパにおける事情が影響していたことが分かります。