十字軍とは?十字軍遠征をわかりやすく解説!イスラム・キリスト教歴史の重要な出来事

十字軍とは何だったのでしょうか?イスラムとキリスト教の関わりに大きな影響を与えた歴史的出来事である、十字軍遠征について見ていきましょう。

イスラム諸国とキリスト教諸国の関係を見ていくにあたっては、歴史上に起きた一つの運動を知っておくにこしたことはありません。

その運動とは「十字軍遠征」と言うもので、この十字軍遠征は、その後の両者の関係に暗い影を落とす一つの重要な出来事となりました。

一方で、一般的に十字軍とは「キリスト教側がイスラム教側に対して行った軍事遠征」だと考えられていますが、実際、その対象はより広いものでした。

この記事では、その十字軍遠征について、具体的な遠征活動の例も挙げながらわかりやすく解説していこうと思います。

今日の国際情勢におけるイスラム社会とキリスト教社会の関係を理解するためにも、そして純粋に世界史で起こった出来事として知るためにも、十字軍について見ていきましょう。

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十字軍とは?

十字軍とは、中世においてカトリック教会やカトリックの政治的リーダーが非カトリック勢力やキリスト教の異端運動に対して送った遠征軍のこと。

また「十字軍遠征」という言葉は、この非カトリック勢力や異端運動に対して行ったいかなる軍事作戦を意味します。

このように、十字軍を正確に理解するには、十字軍が「単なるイスラム社会に対する積極的な軍事政策」や「イベリア半島や地中海のイスラム教徒(ムスリム)に対する軍事政策」であるという、一般的に思われている固定概念とは違うという点を抑えておく必要があるのです。

例えば、中には第4回十字軍などのように、同じキリスト教であっても「正教会」を遠征の対象とすることさえありました。

イスラム世界とキリスト教世界の関係に尾を引くこととなった十字軍遠征

しかし、ほとんどの十字軍は、中東のイスラム国家に対して11世紀末から13世紀末にかけて行われたのも事実であり、中東のムスリムに対して行った十字軍の遠征は、間違いなく最重要な側面だったと言えるでしょう。

というのも、このイスラムに対する十字軍運動を通して、中世における、戦争、芸術、政治、貿易、宗教、そして騎士道制度といったものが一緒くたになったからです。

また、このイスラムに対する十字軍の活動は、その後の世界においてヨーロッパ勢が世界情勢に大きな影響を持つキッカケになったとも言えるのです。

さらに、十字軍はキリスト教とイスラム教の関係性を根本的に変えました

キリスト教側は十字軍の行為を正当化し、また遠征で手にした勝利はイスラムに対しての決定的な軍事的勝利と位置付けました。

しかし、対するイスラム側はこの十字軍の行為を野蛮と見なし、アラブ世界や中東のイスラム国家がヨーロッパやキリスト教に対してその後も抱き続ける、イメージの一部となってしまいました。

そして、このアラブ・中東のイスラム諸国が持つ「ヨーロッパまたはキリスト教に対するネガティブなイメージ」は、大航海時代から20世紀後半にかけて起こったヨーロッパによる帝国主義植民地主義によって、さらに悪化して顕著となってしまったのです。

つまり、現在の世界でも度々見られるヨーロッパ・キリスト教勢とアラブ・中東・イスラム勢との対立は、このような歴史的背景が原因の一つとなっているため、今日の国際情勢を理解する上でも、十字軍の歴史を知ることは役立つと言えるでしょう。

十字軍という言葉について

ちなみに、十字軍という言葉は英語で「crusade」となり、元々は「十字に記された」という意味のラテン語「cruciata」、または「深紅の十字架の勲章を持つ人」という意味がある「cruce signati」という単語に由来しています。

また、今日の「十字軍」という言葉に含まれる意味は、歴史的事実を基にした軍事的意味合いだけでなく、より暗喩的な意味合いで使われることもあります

例えば、十字軍というレッテルは、

  • 宗教についてであれば
    • 他人を特定のキリスト教宗派に改宗させようとする深い忠誠心、または信仰心を持つ人々に対して用いられる
  • 宗教以外のことであれば
    • 権力、権威、社会的関係性の構造を劇的に変化させようとする改革運動などに用いられる

といった具合です。

十字軍遠征の主な具体例

十字軍の定義については理解出来たかと思いますが、ここからは、その十字軍が実際に行った主な遠征の具体例を紹介していきたいと思います。

十字軍の遠征は200年以上に渡って断続的に実施されてきたこともあり、その対象や分類にはかなりの幅があります。

そのため、十字軍に関しての理解をさらに深めるためにも、抑えておきたい12の十字軍遠征について見ていきましょう。

十字軍遠征1:第1回十字軍

現在のフランスに位置するクレルモンという場所で開催された「クレルモン教会会議」の中で、当時のローマ教皇ウルバヌス2世は1095年に十字軍宣言を行いました。

イスラム王朝のセルジューク朝の圧迫に苦しんだ、東ローマ帝国皇帝アレクシオス1世コムネノスが、ウルバヌス2世に依頼したことがきっかけです。

ウルバヌス2世の呼びかけは、キリスト教徒の安全のためにエルサレムに集い、ムスリムからエルサレム(当時はイスラム教徒に支配されていた)を奪回しようというものでした。

この呼びかけによって、イスラム教徒に対する軍事行動として十字軍が集められ、1096年に初の十字軍遠征が実施されることとなり、1099年にはエルサレムを奪回。

この第1回十字軍遠征は、最も成功した十字軍遠征となったのです。

ちなみに、十字軍達の中には自らキリスト教の王国を作って独立する者が現れました。

十字軍遠征2:第2回十字軍

エデッサ伯国(現在のトルコ領ウルファ、当時はエデッサと呼ばれた街の周囲に建国された十字軍国家)を、イスラム教徒が占領したことに対して1144年に発足。

当時のフランス王と神聖ローマ皇帝を指導者として、多くの兵士が集められましたが、その遠征は散々たるもので、多くの損失を出して呆気なく終了しました。

十字軍遠征3:第3回十字軍

1187年にイスラム側がエルサレムを再奪取したことに加え、ヒッティーンの戦い(1187年7月4日)における十字軍側の敗北をきっかけに1189年に発足。

しかし、この遠征は大きな成功には至りませんでした。

十字軍を主導した神聖ローマ皇帝のフリードリヒ1世は聖地に着く前に溺死し、フランスのフィリップ2世はしばらくすると母国へ帰ってしまったのが主な理由です。

結果として獅子心王と言われた勇敢なイギリスのリチャード1世だけが残り、いくつかの地域をイスラム側から奪還し、イスラム側の指導者「サラーフッディーン」と平和条約を結んだ後、エルサレムを奪還することなく遠征は終了したのです。

十字軍遠征4:第4回十字軍

1202年に発足した十字軍遠征で、ローマ教皇インノケンティウス3世によって扇動されました。

しかし、当初はエジプトにあったイスラム教徒の拠点を叩くとして、ヴェネツィアに軍が集められたものの、代わりに、同じキリスト教でローマ教皇を頂点に置くカトリックとは異なる正教会の中心地「コンスタンティノープル」に軍が送られたのです。

この結果、コンスタンティノープルは1204年に無慈悲にも破壊され、また当時、同地域を支配していた東ローマ帝国は一旦滅亡し、東部と西部のキリスト教徒の間に大きな敵対心を生み出すことになってしまいました

十字軍遠征5:第5回十字軍

オーストリアのレオポルト6世とハンガリーのアンドラーシュ2世のみが参加し、イスラムの本拠地であったエジプトの攻略を目的として1218年に実施された十字軍遠征。

エジプトの海港「ダミエッタ」を攻略し、その結果、イスラム側からは、ダミエッタの返還と引き換えにエルサレムとパレスチナの他にあった旧キリストの支配地域を返還するという申し出がありました。

しかし、十字軍側はこれを拒否してカイロ攻略を目指します。

その結果、十字軍はその後に大敗を帰してしまい、この遠征は失敗に終わったのです。

十字軍遠征6:第6回十字軍

第6回十字軍は1228年に発足され、小さな成功を収めました。

しかしそれは、軍事的な活動によって成し遂げられたものではありませんでした

当時の神聖ローマ帝国皇帝のフリードリス2世は、度々、遠征を促されていましたが、何度も拒否したため、ローマカトリックから破門にされていました。

この状況下でフリードリヒ2世は遠征(破門十字軍)を開始します。

一方で、その巧みな外交術に加えて、当時のイスラム側は内乱の鎮圧に忙しかったこともあり、フリードリヒ2世は戦闘することもなく、キリスト教徒にとって重要なエルサレムを含む幾つかの都市の支配権を認める」という条件で、イスラム側と平和条約を結んだのです。

十字軍遠征7:第7回十字軍

1244年にエルサレムがイスラム側に再奪取されたことが引き金となり、フランスのルイ9世によって1248年に発足。

エジプトに航海してダミエッタを再奪還しましたが、破壊的な「マンスーラの戦い(1250年)」でイスラム側に破れ、ルイ9世は捕虜にされてしまうなど、この遠征は大失敗に終わりました。

ちなみに、ルイ9世をとらえたアイユーブ朝のスルタン「サーリフ」が亡くなり、その後に成立したマムルーク朝へ莫大な保釈金を払うことで、ルイ9世は釈放されています

十字軍遠征8:第8回十字軍

1270年に、ルイ9世によって再び発足したのが第8回十字軍です。

この遠征で十字軍は北アフリカに向かい、チュニスのスルタンをキリスト教に改宗させようとしましたが、その最中にルイ9世は死亡しています。

十字軍遠征9:第9回十字軍

ルイ9世の第8回十字軍遠征に加勢する目的でイングランドのエドワード1世に導かれたため、第8回十字軍の一部として見なされることがあるものの、ルイ9世の死亡によって、結局は別行動を取ることになったため、第9回十字軍と見なされることが一般的。

1271年にイングランドのエドワード1世によって率いられた十字軍は、東地中海海岸の十字軍の拠点アッコン(エルサレム王国の首都)に向かいますが、マムルーク朝に歯が立たず、また、父ヘンリー3世の死を知ってエドワード1世は撤退。

これ以降、中東における十字軍の力は急速に衰え、1291年にアッコンがマムルーク朝によって攻略された結果、同地における十字運国家は全滅しました。

十字軍遠征10:レコンキスタ(国土回復運動)

711年に西ゴート王国をウマイヤ朝が滅亡させ、イスラム勢力がイベリア半島の支配権を手にしたことで発足した、イスラムに対する十字軍運動。

722年の「コバドンガの戦い」で、西ゴート族の貴族であったペラーヨが、ムスリムの軍隊をアラカマで打ち負かしてから、アラゴンのフェルディナンドとカスティーリャのイザベラが、1492年に最後のムスリム要塞であるグラナダを征服するまで続きました。

十字軍遠征11:北方十字軍

バルト海沿岸において古来より居住していた、自然崇拝や多神教を信仰する「非キリスト教徒」に対して、12世紀に発足した十字軍活動。

また、この十字軍運動には、非キリスト教徒以外にも幾つかのキリスト教の正教会地域を対象にした遠征も含まれています。

遠征は、1410年のタンネンベルグの戦いにおいて、ポーランドとリトアニアの軍隊が、十字軍側のドイツ騎士団を打ち破るまで続きました。

この北方十字軍が終了するまでの長い間に、この地域の非キリスト教徒の多くはキリスト教へと改修しています。

十字軍遠征12:アルビジョア十字軍

これは、キリスト教のカトリックに繋がるグループに対して行われた、唯一の十字軍運動と言って良いでしょう。

南フランスで盛んだったカトリックから派生したカタル派を異端だと見なした結果、1209年にローマ教皇インノケンティウス3世はカタル派を対象に呼びかけを行い、その結果としてアルビジョア十字軍が発足しました。

カタル派最大の要塞であるモンセギュールが、9ヶ月にわたる包囲攻撃によって1244年に陥落し、ケリビュスにあるカタル派最後の要塞が1255年に陥落したことで終了しています。

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十字軍とは?十字軍遠征をわかりやすく解説!イスラム・キリスト教歴史の重要な出来事のまとめ

十字軍と十字軍遠征についてわかりやすく解説してきました。

十字軍遠征は、非カトリック勢力やキリスト教の異端運動に対して実施された軍事運動でした。

一方で、その対象はイスラム教国や社会に対してのものが多く、イスラム勢に対して度重なる十字軍遠征を行った結果、現在のイスラム社会とキリスト社会の関係にまで影を落とす、多大な影響を生み出した歴史的な出来事となったのです。

世界のことって面白いよね!By 世界雑学ノート!

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