インドの歴史に関して、8つの歴史的出来事と歴史年表を紹介していきます。非常に長いインドの歴史を少しでも理解する上で参考にしてください。
南アジアに位置するインドは、世界でも七番目に大きな国土を持ち、人口規模は中国に次いで二番目。
また、遠くない将来には中国を追い抜いて世界最大の人口規模に達すると目される、世界有数の大国です。
そんなインドには同時にスケールの大きな長い歴史があり、歴史の中では壮大な出来事がいくつも起こってきました。
この記事では、そんなインドの歴史を知るためにも、抑えておきたい8つの歴史的出来事と、現バングラデシュとパキスタンを含む、古代インドから分離独立後のインドまでの「歴史年表」を紹介していこうと思います。
8つのインドの歴史的出来事を確認
インドの歴史における出来事1:アショーカ王統治時代のマウリヤ朝(紀元前268~紀元前232年頃)
マウリヤ朝は、紀元前317年頃から紀元前180年頃まで続いた、古代インドで栄えた王朝。
最盛期にはインド亜大陸の南端部分を除く全域を統一したとされ、インドの歴史の中で最大の王朝として名を残しています。
そして、このマウリヤ朝に最盛期をもたらしたのが、インド史の有名人で、古代インドにあって仏教を守護した大王として知られるアショーカ王。
マウリヤ朝三代目の偉大な王であったアショーカ王は、その人生の中で自らもずっと戦士として戦ってきたことで知られ、それによって、インド史上稀にみるほどの領土を手に入れました。
しかし、カリンガ戦争(紀元前265年頃)の後、アショーカ王はこの戦いによって戦争の悲惨さを痛感。
それまでの暴力的な行いを改め、平和的な生き方に転換し、仏教を深く信仰するようになっただけでなく、自ら周りの人たちへも仏教の教えを説き、そして広めていったのです。
インドの歴史における出来事2:インド大反乱(1857年)
数えきれないほどの有名な英雄たちが、自由と人々のために命を落とした1857年の「インド大反乱」は、インドでは忘れられることのない偉大かつ壮大な歴史的出来事。
これは、イギリスの植民地支配に対する民族的抵抗運動として起こりました。
この大事件が起こるまで、広大なインドは決して統一された国とは言えない状況にありました。
しかし、インド大反乱によってインド各地の人々が、出身地や身分を超えて一丸となって同じ目的のために戦い、最終的に一つの大国インドという意識が芽生えていったのです。
インドの歴史における出来事3:アムリットサル事件(1919年)
これはヴァイサーキーというお祭りの日に、インド人がイギリスの統治に抗議活動をしていたアムリットサルという街で起こった、グルカ兵からなるインド軍部隊が非武装のインド市民に対して無差別射撃した事件です。
インド人たちは活動を平和的に行うつもりでした。
しかし、イギリスのダイヤー准将によって集会が禁止され、悲惨な事件が起こってしまったのです。
この事件の経緯は以下の通り。
午後4時半に、女性や子供を含む、シク教、ヒンドゥー教、イスラム教などのあらゆるコミュニティの市民が、イギリス統治に対して抗議するために集まりました。
イギリスのレジナルド・ダイヤー准将はこの知らせを聞くなり、武装した兵を率いてジャリヤーンワーラー・バーグへ侵攻。
そして入り口を封鎖し、警告も無く兵士達に市民への銃攻撃を命じたのです。
銃撃は弾薬が尽きるまで続けられ、結果として、集会での突然の混乱で群衆の下敷きになって死亡した人を含めると、およそ1,500人の市民が犠牲になったと言います。
インドの歴史における出来事4:フリーダムファイター期(1910~1947年)
フリーダムファイターとは、インド独立のために自らの命を犠牲にした英雄達(自由を得るために戦った人たち)のこと。
彼らフリーダムファイターの多くは、インド史において、また、インドが独立を勝ち取る上で、非常に重要な役割を果たしました。
例えば、
- バガットシン
- スクデフ
- ラジグル
- カストゥルバ・ガンディー
- チャンドラ・シェカール・アザード
- マハトマ・ガンジー
などで、その他にも死刑判決を受けて絞首刑に処された数々のフリーダムファイター達がいました。
また、自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官で、インド国民会議派議長を歴任し、インドの独立運動家として知られるスバス・チャンドラ・ボースも、フリーダムファイターの一人として有名です。
この時代は、社会的および政治的にインドの空気を全く違うものに変えることとなった壮大な時代でした。
インドの歴史における出来事5:インドの独立(1947年)
17世紀から18世紀の初頭まで、インドはテュルク系イスラム王朝のムガル帝国によって、その大部分が支配されていました。
しかし、18世紀の半ばになるど、イギリスからインドに進出してきたイギリス東インド会社によって実質的な支配下に置かれ、19世紀半ばにはイギリスに統治され、イギリス領インド帝国という名前の植民地とされてしまいます。
そして、イギリスはインドを統治するにあたって、
- 独立運動を防ぐ目的で宗教的分断を狙って民族の分割統治をしようとした
- 非常に限られた自治権しかインドに与えなかった
といったことを繰り返したために、インド国内では独立運動が起きました。
その後、有名なマハトマ・ガンジーの「非暴力・不服従」運動などを通して、1947年にイギリス国王を元首に戴く英連邦王国インド連邦(インド連合)としてイギリスから独立。
その後、1950年にはインド憲法が施行されて共和制に移行し、現在のインド共和国となりました。
インドの歴史における出来事6:インド・パキスタンの分離(1947年)
インドがまだイギリスの支配下にあり、イギリス領インド帝国と呼ばれていた時、現在はインド亜大陸のイスラム教国として知られるパキスタンも一部に含まれていました。
1945年に第二次世界大戦が終了してからは、インド国内のヒンドゥー教徒を中心とした政党「インド国民会議」、イスラム教徒の政党「ムスリム連盟」、そしてイギリスで政権を握った「労働党」の三者間でインドの支配を巡る交渉が開始。
当初、インド国民会議の代表として交渉に参加していたマハトマ・ガンジーは、イギリスから独立するにあたって、ヒンドゥー教とイスラム教の2つの宗教によってインドを2つに分ける事へは反対でした。
しかし、ムスリム連盟の指導者「ムハンマド・アリ・ジンナー」はそれに決して賛同せず、また、インド国民会議側のガンジーは、独立後にヒンドゥー教徒とムスリム教徒の間で和平が成立するという希望を持っていたこともあり、インドの一部をイスラム教徒が主体のパキスタンとして分割して独立させることに同意
結果、パキスタンは1947年8月14日、インドは1947年8月15日にイギリスから独立することになりました。
一方で、ガンジーの願いも虚しく、インドとパキスタンはカシミール地方を巡って未だに対立し、紛争が続いています。
インドの歴史における出来事7:憲法の起草と施行(1950年)
インド憲法は、「半カースト運動の指導者」や「インド憲法の草案作成者」として知られる、ビームラーオ・ラームジー・アンベードカル(バーバーサーヒブ・アンベードカル)を中心とした人達によって起草されました。
このインド憲法が成立したのが1949年11月26日、そして、実際に施行されたのは1950年1月26日で、これが現在のインド共和国における根幹となっているだけでなく、この日があったお陰でインドは多様な文化や宗教にも関わらず、一つの国としてまとまっているのです。
ちなみに、インドは世界最大級の人口規模を抱える国として知られますが、インド憲法の制定によって、インドは世界最大の民主主義国家ともなっています。
インドの歴史における出来事8:ミサイル打ち上げと緑の革命(20世紀)
独立後のインド、つまり現在のインド共和国では、テクノロジーや核エネルギーなどの新しい分野において、国の発展に繋がる意義ある出来事がありました。
まず、インド発の独自開発された弾丸ミサイルであるプリットヴィーを始め、大陸間弾道ミサイルとして知られるアグニVの開発成功は、国際舞台におけるインドの立ち位置を強化しました。
また、インドでは人口の7割弱が未だ農業に従事していたことから、農業分野の強化が喫緊の課題として迫っていましたが、1940年代から1960年代にかけて、高収量品種の導入や化学肥料の大量投入などにより穀物の生産性を向上させ、穀物の大量増産を実現。
これは緑の革命と呼ばれ、インド発展における重要なマイルストーンの一つとなりました。
古代インドから近代インドまでの歴史的出来事をまとめたインド史年表
インドの歴史の中で、知っておきたい7つの出来事または事件を見てきましたが、非常に長いインド史の中では、他にも多くの出来事が起こってきました。
ここからは、それら無数の歴史的出来事または事件を、インド史年表という形でまとめていきます。
ビームベートカーの岩陰遺跡(紀元前9000年~紀元前7000年)
インド史最古の記録は、ビームベートカーの岩陰遺跡として存在します。
この遺跡は、中央高地の南端に位置するヴィンディア山脈の山麓にあり、遺跡には5つのグループが存在。
それぞれに描かれた絵は、中石器時代から有史までの間に描かれたとされています。
メヘルガル時代(紀元前7000年~紀元前3300年)
メヘルガルは、新石器時代の極めて重要な遺跡で、同時に農耕と牧畜の概念を取り入れた最古の遺跡でもあります。
バルーチスタン(現パキスタンの西南から広がる地域)のカチ平原に位置し、インダス川渓谷の西にあり、約2㎢に及ぶこの遺跡は、1974年に発見されました。
インダス文明(紀元前3300年~紀元前1700年)
世界4大文明の一つとしても知られるインダス文明は、インド、パキスタン、アフガニスタンのインダス川および並行して流れていたとされるガッガル・ハークラー川周辺に栄えた文明。
そこには、以下のような主だった出来事または時代区分が含まれます。
ハラッパー初期(紀元前3300年~紀元前2600年)
ハラッパー初期はラーヴィー期から始まり、およそ700年間続きました。
最古の都市文明3つのうちの1つで、ハラッパー文字として知られるインダス文字の初期書式を、記述目的で使用していたことで知られます。
紀元前2800年ごろには、コト・ディジ期が始まりました。
ハラッパー中期(紀元前2600年~紀元前1700年)
ハラッパー中期は、紀元前2600年頃に始まりました。
大都市と都市部が出現し始め、2500超の都市や集落に文明が普及。
都市計画、優れた下水・排水設備、統一計量制度、初期歯学の知識などが広まり、文明の成熟期を迎えました。
ハラッパー後期(紀元前1700年~紀元前1300年)
ハラッパー後期は、紀元前1700年頃から始まり、紀元前1300年頃まで続きました。
インダス文明の多くの要素が、後世の文化に残っていきました。
ヴェーダ期/ヴェーダ時代(紀元前1700年~紀元前500年)
ヴェーダ期あるいはヴェーダ時代とは、ヴェーダ語の文書が編集された時期を指します。
また、ヒンドゥスターン平野に位置するヴェーダ文明により、ヒンドゥー教とインド文化の基礎が形成された時期でもありました。
ヴェーダ期は、主に下記の2期に分けられます。
前期ヴェーダ時代/リグヴェーダ期(紀元前1700年~紀元前1000年)
前期ヴェーダ時代とは、古代インドの聖典であるヴェーダの一つ「リグ・ヴェーダ 」が編集された時期のこと。
当時、王が人民の庇護者とされ、政治の実権を握っており、また、カースト制度が厳格に守られ始め、家父長制度が始まりました。
この時期の主な出来事をまとめると以下の通りです。
- 紀元前1700年
- ハラッパー後期と初期ヴェーダ時代が同時に始まる
- 紀元前1300年
- H墓地文化の終焉
- 紀元前1000年
- インドの鉄器時代
後期ヴェーダ時代(紀元前1000年~500年)
農業が主要な経済活動となり、牧畜の重要性が低くなり、人民が行政に関わる機会が減少し、政治的秩序が完全に変わりました。
この時期の主な出来事をまとめると以下の通りです。
- 紀元前600年
- 16大国の形成
- 紀元前599年
- ジャイナ教の開祖、マハーヴィーラが誕生
- 紀元前563年
- 仏教の開祖、ガウタマ・シッダールタが誕生
- 紀元前538年
- キュロス2世がパキスタン地方を征服
- 紀元前500年
- ブラーフミー文字による最古の文献
- 紀元前500年
- パーニニが、サンスクリット語の文法・形態論を標準化し、古典サンスクリット語とする。これにより、ヴェーダ文明は終焉を迎えた。
古代インド(紀元前500年~西暦550年)
- 紀元前333年
- 紀元前326年
- ヒュダスペス河畔の戦いにおいてタキシラの王アンビがアレキサンダー大王に降伏
- 紀元前321年
- チャンドラグプタがマウリア朝を建国
- 紀元前273年
- アショーカ王がマウリア朝の王位を継ぐ
- 紀元前266年
- アショーカ王が南アジア・アフガニスタン・イランの大半を征服
- 紀元前265年
- カリンガ戦争の後、アショーカ王が仏教を深く信奉し始める
- 紀元前232年
- アショーカ王の死去後、ダシャルタが王位に就く
- 紀元前230年
- サータヴァーハナ朝の成立
- 紀元前200年~紀元前100年
- タミル語の文法・構造が標準化される
- 紀元前184年
- ブリハドラタ王の暗殺によってマウリア朝が滅亡
- シュンガ朝成立
- 紀元前180年
- インド・グリーク朝の成立
- 紀元前80年
- インド・スキタイ朝の成立
- 紀元前10年
- インド・パルティア王国の成立
- 西暦68年
- クジュラ・カドフィセスにより、クシャーナ朝が成立
- 78年
- ガウタミープトラ・シャータカルニがサータヴァーハナ朝の王位を継ぎ、スキタイ王ヴィクラマーディティヤを破る
- 240年
- シュリーグプタによるグプタ朝の建国
- 320年
- チャンドラグプタ1世がグプタ朝の王位を継ぐ
- 335年
- サムドラグプタが王位を継いで勢力を拡大
- 350年
- パッラヴァ朝の成立
- 380年
- チャンドラグプタ2世がグプタ朝の王位を継ぐ
- 399~414年
- 中国の僧、法顕(ほっけん)が訪印
インドで誕生した宗教として知られるジャイナ教と仏教は、この時代に誕生し、インドで広まっていきました。
まず、ジャイナ教は、古代インドに生まれた宗教的哲学です。
ジャイナ教の祖師であるティールカンタラの教えを基にしており、24番目のティールカンタラであるマハーヴィーラが、ジャイナ教を各地に広めたと考えられています。
一方の仏教は、仏陀の教えを基にしています。
仏陀として知られるガウタマ・シッダールタが悟りを開いた後、涅槃に入るための教えを説いた仏教も、この時期に広まったのです。
その普及に関しては、インド史上で燦然と輝く偉人アショーカ王が大きく貢献しました。
中世時代のインド(550年~1526年)
インドの中世は、以下の2つの時期に分けることができます。
中世前期(〜1300年)
- 606年
- ハルシャ・ヴァルダナが王になる
- 630年
- 唐代の中国の僧、玄奘(げんじょう)が訪印
- 761年
- ムハンマド・ビン・カシムがイスラム教徒として初めてインドを侵攻
- 800年
- 思想家シャンカラの誕生
- 814年
- アモーガヴァルシャ1世がラーシュトラクータ朝の王になる
- 1000年
- ズナ朝のマフムードによる侵攻
- 1017年
- 中央アジア西部のホラズムから学者のビールニーが訪印
- 1100年
- チャンデーラ朝、チョーラ朝、カダンバ朝、ラーシュタラクータ朝の統治
- 1120年
- カリヤーニのチャールキヤ朝の全盛
- ヴィクラマーディティヤ6世がヴィクラマ・チャールキヤ時代を築く
- 1191年
- ゴール朝のムハンマド・ゴーリーとチャーハマーナ朝のプリトヴィーラージ3世との間で、一度目のタラーインの戦い
- 1192年
- ゴーリーとプリトヴィーラージ3世との間で2度目のタラーインの戦い
- 1194年
- ゴーリーとジャヤチャンドラとの間でチャンダワルの戦い
- 1288年
- マルコポーロの訪印
中世後期(1,300年~1500年)
- 1300年
- ハルジー朝の成立
- 1336~1565年
- ヴィジャヤナガル王国
- 1498年
- ヴァスコ・ダ・ガマが初めてゴアへ航海
中世以後(1526~1818年)
- 1526年
- カーブルの統治者、バーブルがデリー・アーグラに侵攻
- 1527年
- ハーヌアーの戦いでバーブルがメーワールを併合
- 1530年
- バーブル死去
- フマーユーンが王位を継ぐ
- 1556年
- フマーユーン死去
- 息子のアクバルが王位を継ぐ
- 1600年
- 東インド会社がイギリスで設立
- 1605年
- アクバル死去
- ジャハーンギールが王位を継ぐ
- 1628年
- ジャハーンギール死去
- シャー・ジャハーンが王位を継ぐ
- 1630年
- シヴァージー誕生
- 1658年
- シャー・ジャハーンがタージマハル、ジャーマー・マスジド、ラール・キラー(赤い城)を建立
- 1659年
- シヴァージーがプラタープガドの戦いでアリー・アーディル・シャー2世の軍を破る
- 1674年
- マラーター王国成立
- 1680年
- シヴァージー死去
- 1707年
- アウラングゼーブ死去
- バハードゥル・シャー1世が王位を継ぐ
- 1707年
- マラーター王国が2つに分裂
- 1734年
- パムハイバがトリプラ侵攻
- 1737年
- バージー・ラーオがデリーを制圧
- 1740年
- バージー・ラーオ死去
- バーラージー・バージー・ラーオが新たな宰相となる
- 1757年
- プラッシーの戦い
- 1761年
- 第三次パニーパトの戦いでマラーター王国衰退
- 1766年
- 第一次マイソール戦争
- 1777年
- 第一次マラーター戦争
- 1779年
- ワドガオンの戦い
- 1780年
- 第二次マイソール戦争
- 1789年
- 第三次マイソール戦争
- 1798年
- 第4次マイソール戦争
- 1799年
- ティプー・スルターン死去
- オデヤ朝が復活
- 1803年
- 第二次マラーター戦争
- 1817年
- 第三次マラーター戦争勃発
- 1818年
- マラーター王国の終焉
- イギリスがインドのほぼ全域を支配
植民地時代(1818~1947年)
植民地時代はイギリスがインドのほぼ全域支配して始まり、1947年のインド独立まで続きました。
- 1829年
- 寡婦が夫の亡骸とともに焼身自殺をするヒンドゥー社会における慣行「サティー」の禁止
- 1857年
- 第一次インド独立戦争(インド大反乱)
- 1885年
- インド国立会議設立
- 1930年
- 塩の行進
- サイモン委員会
- 第1回円卓会議
- 1915年
- アニー・ベサントによって全インド自治同盟が発足
- 1919年
- ジャリヤーンワーラー・バーグ事件(アムリットサル事件)
- ヒラーファト運動が開始
- ローラット法の発布
- 1921年
- ガンジーが不服従運動を開始する
- 1922年
- チャウリ・チャウラ事件の責任をとってガンジーが突然不服従運動を中止
- 1928年 ララ・ラジパット・ライが殺害される
- 1931年
- バガット・シンが絞首刑になる
- 第二次円卓会議
- ガンジー・アーウィン協定
- 1937年
- インド国民会議派が多くの州で政権を取る
- 1942年
- クイット・インディア(インドから立ち去れ)運動
- スバス・チャンドラ・ボースの活躍
- 1946年
- 全インドムスリム連盟がパキスタン国家形成を主張
- 1947年
- インド・パキスタン分離独立
近現代インド(1947年〜)
1947年にインドは独立し、それ以降、世界の先進国になるべく邁進しています。
- 1947年
- 第一次印パ戦争
- 1950年
- インド憲法の施行
- 共和国制への移行
- 1965年
- 第二次印パ戦争
- 1971年
- 第三次印パ戦争
- 1974年
- 核兵器実験を実施する
- 1975年
- インド初の衛星の打ち上げ
- 2008年
- インド初の月探査機の打ち上げ
- 2014年
- インド人民党が政権を奪取
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インドの歴史的出来事とインドの歴史年表まとめのまとめ
インドの歴史について、8つの出来事と年表を通して見てきました。
このインドの非常に長い歴史を見ていると、インド亜大陸の文化の厚みや歴史の豊かさに感銘を受けるはずです。