じゃがいもの由来と歴史について見ていきます。南米を起源とするじゃがいもが如何にして世界的な食材となったのかについて、そして、じゃがいもが人口増加に与えた影響までを掘り下げていきましょう。
じゃがいもは現代社会の食卓において、最も普及して欠かすことの出来ない食材の一つです。
フライドポテトを始め、カレーやシチューの具としてなど、数々の料理の食材として利用されています。
ジャガイモは近現代史の初期に突如として注目されて世界中に広まっていったわけですが、耐久性や貯蔵性に優れ、耕作も簡単。さらに、栄養価が高いという利点が、じゃがいもを世界的食材にしたことは間違いないでしょう。
一方で、じゃがいもは当初、食材としては人気が無く、避けられていたこともあるなど、今日の人気を得るまでには紆余曲折もしています。
この記事では、由来や起源を含め、このじゃがいもが世界的に人気な食材となるまでの歴史について詳しく見ていくと同時に、人類史の中でじゃがいもが人口増加を促した影響についても見ていこうと思います。
じゃがいもの歴史:由来と起源とは一体?
じゃがいもの起源は3億年以上も前に由来する
じゃがいもの歴史は3億5000万年前頃から始まったと言います。
その頃のじゃがいもは、有害なナス科の原種から進化し始めたばかりでした(ナス科の植物から進化したのはじゃがいもだけでなく、タバコ、トウガラシ、パプリカ、トマトなどもある)。
それからゆっくりと時間をかけて、南アメリカのペルーとボリビアの間にあるアンデス高地で、やがて現在の形になっていったと考えられています。
人間によって栽培化されて南米大陸全域に広まっていった
約1万5000年前にアンデス高地に人類が入植し、野生のじゃがいもはいつの頃からか、人によって栽培されるようになっていきました。
じゃがいもの初めての栽培化の時期に関しては諸説ありますが、最も古いものでおよそ10000年以上も前に遡るという説があり(参照:Spooner, et.al, 2005)、紀元前8000年から紀元前5000年の間には、南米の先住民の一部によって栽培されていたと言います(参照:Potatoes USD)。
それ以来、じゃがいもは南アメリカ大陸全域にゆっくりと広まり始めました。
スペインのコンキスタドールとの出会いによってヨーロッパへ渡った
そしてスペインからの探検者であり征服者である「コンキスタドール」と呼ばれる人々が初めて南アメリカ大陸の大西洋側で探索を始めた1500年代、特にコンキスタドールが金を求めてペルーにやって来た1530年代以降、じゃがいもは世界的な食材となる第一歩を踏み出すことになりました。
南米においてコンキスタドールが発見したさまざまなものの中で、じゃがいもは非常に大きな関心を集め、1570年~1593年の間にヨーロッパへ持ち込まれたのです。
ちなみに、当初スペイン政府は、信頼性が高くて運搬が容易な食料として、じゃがいもを陸軍や海軍で使用していたという話があります。
その話によると、兵士たちはじゃがいもを食べている間、ビタミンCの欠乏によって起こる壊血病(成人の場合は生野菜の摂取不足によって罹りやすい)に罹ることが少なくなったようなのです。
ヨーロッパにおいて当初は食用として一般的でなかった
一方、じゃがいもはゆっくりとしたスピードながら、着実にヨーロッパ全土にも普及していきました。
- 1585年にイギリス
- 1587年にベルギーとドイツ
- 1588年にオーストリア
- 1589年にアイルランド
- 1600年にフランス
と、他のヨーロッパ諸国へ広まっていったのです。
しかし残念なことに、それらの国の人々はじゃがいもを、
全く不要なもの、気味の悪いもの、毒のあるもの
と見なしており、中には、
まさに害悪
と考える人もおり、当初は花や実を楽しむ観賞用植物として扱われることが多かったようです。
このことについては、ヨーロッパは原産地から遠く離れていたため、
- じゃがいもは地下茎しか食べることができない作物であることが周知されていなかった
- 食べ方を良く知らなかった
といった状況によって、
- 食中毒を起こす
- ハンセン病、梅毒、早死に、不妊症、昏睡などを引き起こす
- 栽培した畑の土壌を汚染する
といった悪評が長年に渡って立てられたことが主な原因です。
飢饉対策として広まったいった食材「じゃがいも」
ヨーロッパでじゃがいもに関する悪評が静まっていったのは、18世紀に入ってからのことでした。
当時、西ヨーロッパは食料飢饉に襲われていたこともあり、軍人の食料補給としてだけでなく、飢えに苦しんでいた民間人にもじゃがいもを供給する大規模な取り組みが行われたのです。
特に、ドイツとフランスでの取り組みは比較的良く知られており、プロイセン(現在のドイツの前身と言える国)ではフリードリヒ2世が生産性の高いじゃがいもを食材として奨励していきました。
また、フランスでは有名な植物学者で化学者だったアントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエが、当時のフランス国王ルイ16世に、食料対策としてじゃがいもの大量栽培を奨励するように進言。
ルイ16世はパルマンティエに資金と、じゃがいもを栽培するための土地約40ヘクタールを与えました。
このような政府主導の大規模な取り組みによって、ヨーロッパの人々はたちまちじゃがいもに関心を持ち、その以降、次第にじゃがいもは食材として取り入れるようになり、1800年代の初めにはヨーロッパ中で食べられる日常的な作物になっていたのです。
ただし、1845年~1849年にアイルランドにおいてじゃがいもの疫病による凶作が続いた結果、じゃがいもの人気は厳しい試練に再びさらされてしまうこともありました(ジャガイモ飢饉と呼ばれる)。
ちなみに、主にフランスにおけるじゃがいもの人気上昇に貢献したと言える人物の中に、有名なマリーアントワネットがいます。
彼女はじゃがいもの花を髪飾りにして、楽しんでいたことがありました。
マリーアントワネットは当時、フランスを中心に女性の間ではファッションアイコン的な存在だったため、じゃがいもの花の髪飾りはたちまちヨーロッパ中の貴婦人の間で流行し、じゃがいもに対するイメージも向上したと言います。
日本への伝来
一方で、じゃがいもが日本に伝わったのは、ヨーロッパ全体へじゃがいもが知られるようになったとほぼ同時期の、1600年頃だと言われます。
東南アジアのジャワ島のジャガタラを経由してオランダ人によって持ち込まれ、ヨーロッパと同様に、当初は食用としてはあまり普及していませんでした。
ちなみに、日本語の「じゃがいも」という名前は、ジャワ島の「ジャガタラ」に由来すると言われます。
その後、江戸後期には食用して少しずつ栽培が推奨されるようになっていき、明治維新以降に北海道開拓が始まると、開拓先でじゃがいもの栽培が始まり、現地の気候と合ったことも幸いして北海道の名産物となっていきます。
そして、西洋化を図った日本で西洋の食文化が普及していくのに合わせて、じゃがいもは食材として広がっていきました。
20世紀には世界中で重要な食材となっていた
20世紀になるとじゃがいもは、最も好まれ、かつ最も生産量の多い食料源の一つとして世界中で普及し、ヨーロッパを始めとした多くの国で、事実上、最も重要な作物となりました。
じゃがいもは高いカロリーが摂取出来る食材であり、また、種類が豊富なために世界中のあらゆる料理に使用することができる食材だという点も、このことを後押ししました。
そして現在は、普段の食事にも欠かすことの出来ない世界的な食材となっています。
じゃがいもは人口増加の歴史の一つの要因ともなった
ヨーロッパの食卓にじゃがいもが登場した結果、農家の人々がより多くの食物を生産できるようになっただけでなく、上で示したフランスやドイツの例の様に、じゃがいもの栽培は、穀物の不作による大惨事、そして飢饉への対策ともなりました。
さらに、栄養価の高いじゃがいもは、壊血病、結核、麻疹そして赤痢などの疫病による影響を軽減する役割も果たしただけでなく、出生率の増加や乳児死亡率の減少にも貢献しました。
その結果、ヨーロッパとアメリカを中心に、じゃがいもが食卓に普及した地域においては大幅な人口増加が起こる結果となったと考えられています。
ここで歴史を振り返って、じゃがいもが人口増加を促した例として、イギリスとアイルランドのケースを挙げてみましょう。
イギリスのケース
歴史学者の間ではしばしば、じゃがいもの普及が
産業革命後の工業化が進む時代におけるイングランド、そしてウェールズの大幅な人口増加に影響した、またはその主な要因であった
という点が議論されることがあります。
1800年以前のイギリスの食卓は肉類が主であり、これにパン、バターそしてチーズが添えられる形でした。
野菜類の摂取は限られており、多くの野菜は「栄養価がほとんどなく、人々に害を与える可能性もある」と捉えられることもありました。
しかし1700年代後半から、この考えに少しずつに変化がみられるようになります。
ロンドン、リバプール、マンチェスターの人口が急速な増加をみせるようになり、同時に農家や都市部の労働者の間で、じゃがいもがこれまでにない人気を集めるようになったのです。
産業革命により人口が過密する都市部に住む人々の数は、さらに増加し続けました。
オーブンや貯炭場が設置された住居に手が届くのは一部の富裕層にとどまり、12時間から16時間労働をこなす人々にとって食事を準備する時間や余裕は限られたものでした。
このような状況において、多くの収穫量が見込め、さらに手の掛からないじゃがいもの生産は、イギリスの食卓事情になによりの解決策となったのです。
結果、イギリスの人々の間でも、食材としてのじゃがいもが瞬く間に認識されて好まれるようになり、じゃがいもの消費量も増加していきました。
そしてこの時期に重なるように、1801年から1851年にかけて、イングランドおよびウェールズではこれまでにない爆発的な人口増加が起こったのです。
アイルランドのケース
じゃがいもの普及が人口動向に影響を与えたと考えられる最も大きな例は、アイルランドでみられました。
アイルランドでは1800年になる頃にはじゃがいもが主食となっていましたが、1780年から1841年の間にアイルランドの人口は、それまでの二倍の800万人に達したのです。
これに関しては、じゃがいもの収穫のしやすさによって、貧困層にあった農民たちでも、わずかな投資と労働力で必要量以上の食材が生産可能になったことが大きいと言います。
じゃがいもの豊富な供給量は、乳児死亡率を大きく低下させ、早婚を促す結果となり、人口増加に繋がっていったようなのです。
ただし上述したように、1845年から1849年の4年間に渡って、疫病によってじゃがいもが大不作となると、食料をじゃがいもに依存していた多くのアイルランド人は飢えに苦しみ、その結果、餓死や病死、国外脱出などが起こり、人口数は最盛期の半分にまで落ち込みんでしまいました。
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