太平洋に浮かぶマーシャル諸島共和国に関して、地図も含めた基本的な情報から核実験の歴史やその他観光情報までを紹介していきます。
オーストラリア南東の太平洋上に浮かぶマーシャル諸島共和国は、環の形をした珊瑚礁である環礁がいくつも連なるようにして出来た島国。
島国は島国であっても日本のような国とは全く異なる趣を持ちます。
そのマーシャル諸島に関して、基本的な特徴から歴史、そして観光で訪れてみたい人向けに、行き方などを含めたいくつかの観光情報を紹介していきます。
マーシャル諸島共和国とは?
マーシャル諸島、正式にはマーシャル諸島共和国(Republic of the Marshall Islands)とは、太平洋に浮かぶ小さな島国。
その「諸島」という名前から分かる通り、マーシャル諸島は2つの平行したサンゴ環礁の連鎖(合計29の環礁)から構成されており、この平行するサンゴ環礁の連鎖はそれぞれ200km近く離れているのが特徴(東の連鎖はラタック・チェーン、西の連鎖はラリック・チェーンと呼ばれる)。
そのため、「真珠の首飾り」と呼ばれることがあり、また、1200近い大小様々な島を見つけることが出来、面積の合計は181㎢です。
一方で、マーシャル諸島の首都はマジュロと呼ばれ、東側のラタック・チェーンに属するマジェロ環礁全体が該当(マジェロ環礁自体は64の小島から成る)。
その中心部はデラップ、ウリガ、ダリットの3地区で以前は離れていたものの、埋め立てによって繋がり、現在は地続きの地区となっています。
そして、マーシャル諸島全体の人口は現在およそ55000人ほどで、そのうちおよそ20000人が首都マジュロ(マジュロ環礁)に住んでいるとされます。
ちなみに、マーシャル諸島は1947年から、アメリカ政府によって信託統治領が解体される1986年まで、アメリカの太平洋諸島信託統治領の一部として統治されていました。
マーシャル諸島の場所を地図で確認
上の地図で確認すると分かる通り、マーシャル諸島の西にはミクロネシア連邦が、南西にはパプアニューギニアとオーストラリアが浮かび(地図を縮小すると確認出来ます)、マーシャル諸島から南へ真っ直ぐ南下していくとニュージーランドにぶつかります。
次に、マーシャル諸島自体を拡大した地図を見てみましょう。
そこには、29の環礁(Atoll)がおよそ30万㎢の領域に散らばっており、大まかに西のラリック(Ralik)と東のラタック(Ratak)に分けられるのが確認出来ます。
マーシャル諸島の地理的特徴
マーシャル諸島には、満潮水位からの海抜が6mを超えるような場所がほぼ存在しないのが特徴。
言ってみれば、マーシャル諸島を構成する数々の環礁は、海底からそびえ立つ水中火山の周りに置かれたサンゴの蓋のようなものなのです。
気候は熱帯雨林気候で、年間の平均気温はおよそ28℃。
年間の降水量は北部の環礁で500から800mm程で、南部の環礁ではその5倍から8倍程度と、場所によって異なります。
このように、北部に位置するいくつかの環礁では雨量が十分でない為、人が住んでいません。
また、東側のラタックチェーンの方が、ラリックチェーンよりも緑が多い傾向にあります。
これについては、「首都のマジェロはラタックチェーンの南側に位置する」という事実からも理解出来るでしょう。
マーシャル諸島に住む人々と宗教
マーシャル諸島に住むマーシャル人はいわゆるミクロネシア人と呼ばれる人々。
人口が最も多い環礁はマジュロ環礁とクェゼリン環礁で、この二つの環礁に国全体の人口の3分の2ほどが住んでいます。
ちなみに、クェゼリン環礁にはクェゼリン島と呼ばれるアメリカがマーシャル諸島から租借している島があり、そこにはアメリカの政府職員と家族が多く住んでいるとされます。
一方で、アメリカの宣教師達が、1850年代に人々にキリスト教を布教する目的でマーシャル諸島にやって来た結果、現在、マーシャル人のほとんどはキリスト教徒で、現地の人々が昔からすマーシャル語(マレー・ポリネシア語派に含まれる言葉)と英語が公用語となっています。
しかし、英語に関してはそこまで流暢に話せるわけではありません。
マーシャル諸島の歴史
古代に始まったミクロネシア人の定住
およそ2000年前頃、初期のポリネシア(ラピタ)文化の影響を受けたと思われるミクロネシア人達が、マーシャル諸島に移って定住を始めていったと考えられています。
マジュロのローラ村から発掘された炭の標本を放射性炭素年代測定したところ、おおよそ紀元前30年から紀元後50年頃の物と判明したのです。
ヨーロッパとの接触
それから長い時間が経った1529年、スペインの航海士アルバロ・デ・サアベドラによって発見されましたが、当時のヨーロッパ人にとってマーシャル諸島は、開拓を進めたいほどの魅力は持ち合わせていませんでした。
その後、英国の航海士であったサミュエル・ウォリスはタヒチからテニアンを航海中に、マーシャル諸島に属するロンゲリック環礁とロンゲラップ環礁を偶然発見。
これによって、英国軍艦のキャプテンであったジョン・マーシャルとトーマス・ギルバートが、1788年にマーシャル諸島の一部を調査し、さらに大規模な調査に関しては1800年代に入ってからロシアの調査隊によって行われました。
一方で、1820年代になると、アメリカの捕鯨船がマーシャル諸島を頻繁に訪れるようになります。
そして1850年代には、アメリカのプロテスタント宣教師達が島民達を改宗させようとこの地での活動を開始。
ただ、実際にはドイツがジャルート環礁の首長達と条約を結び、そこに給炭港を作ったことをきっかけに、1886年にはイギリスからの合意を得て、ドイツはマーシャル諸島を保護領としました。
世界大戦によって統治国が激しく変わりその後は一部が核実験場となった
第一次1914年に世界大戦が始まると、日本がドイツからマーシャル諸島を奪い、終戦後は国際連盟の委任で日本の委任統治領とされました。
それからしばらくして第二次世界大戦が始まり、今度はアメリカによって占領され、1947年に国際連合によって、アメリカの信託統治領(太平洋諸島信託統治領)として承認されます。
第二次世界大戦が終わった後、冷戦中の核開発競争の煽りもあり、マーシャル諸島に属するビキニ環礁とエニウェトク環礁は、1946年から58年にかけて、23回にもわたる核実験の場所となりました。
結果、この二つの環礁の周辺は汚染され、現在もエニウェトク環礁においては南半分だけに住人たちが戻り、ビキニ環礁に関しては未だに住人が戻れない状況が続いています。
信託統治領という立場から独立まで
一方で、住民投票で太平洋諸島信託統治領から離れる意思が確認された結果、1978年にマーシャル諸島は憲法を作成し、その憲法が1979年に承認されたことで共和国となって自治政府が発足しました。
1982年に政府はアメリカとの間に自由連合盟約を締結。
アメリカは引き続きマーシャル諸島共和国の外交と対外的な安全保障については管轄し、経済的な援助も行い、さらに、クェゼリン環礁にあるミサイル試射場を使用する権利を得ましたが、マーシャル諸島は自由連合盟約国として1986年に独立することになりました。
そして1990年、信託統治領は国連の承認を得て解体され、1991年9月17日にマーシャル諸島共和国は国連の加盟国となったことで、国際社会においても独立国家として承認されることなったのです。
ただし、引き続きアメリカとは自由連合盟約国という立場であり、外交権はこの自由連合盟約に抵触しない範囲でしか行使出来ないとされます。
マーシャル諸島へ観光に行きたいなら知っておきたい8つのこと
マーシャル諸島を構成する環礁はそれぞれ、透明で透き通った海に囲まれてとても美しいのにも関わらず、アクセスしにくいために、マーシャル諸島を訪れる人は多くありません。
そのため、観光施設や観光客を前提としたエンターテイメントなどは不足しているのが現状。
一方で、全く手のつけられていない自然に触れたり、昔から続くミクロネシア人の生活を感じるには良い場所と言えるでしょう。
そこでここからは、そんなマーシャル諸島に観光へ行ってみたい人が知っておくと良さそうな8つのポイントを紹介していきたいと思います。
マーシャル諸島への行き方
残念ながら日本からマーシャル諸島への直行便はないため、現在はグアムで乗り継ぎをしてマーシャル諸島のマジュロにあるアマタ・カブア国際空港(マジュロ国際空港)へ向かうことになります。
ただし、グアムからマジュロへの空港へいく便は、途中で3回の経由を挟む点はお忘れなく。
結果的に、乗り継ぎの時間が短い組み合わせでも20時間前後、長いものだとさらに移動に時間が必要になってくるので、マーシャル諸島観光を検討している場合は、移動に必要な日数を注意しておく必要があります。
グアム − マーシャル諸島間は窓側の席を確保すべし
グアムからマーシャル諸島へは、諸々の経由地へ立ち寄る時間を考えると8〜10時間程度掛かります。
結構な長時間を飛行機の中で過ごさなくてはいけないのですが、その間にはマジェロ含めて4つの着陸を繰り返します。
そこで、この点を踏まえた上でおすすめなのが、飛行機の席は窓側にしておくってこと。
着陸する際に見えてくる陸地は、鮮やかなターコイズ色のサンゴ礁に囲まれ、まるで幻想を見ているかのようです。
この景色は空からでないと見れないので、せっかくマーシャル諸島へ向かうなら窓側の席を忘れずに。
野外市場へ行ってみよう!
マーシャル諸島に行くなら、マジュロの繁華街にある数少ないレストランで食事をするのも良いけど、せっかくだから地元の家庭料理を味わってみるのがおすすめ。
マジェロにあるマーシャルアイランズリゾートと呼ばれる宿泊施設の横には、野外市場を見つけることが出来ます。
そしてこの野外市場では、地元の女性たちが様々な種類の家庭料理を販売していて、しかもその値段も安いんです。
地元を知りたいなら早起きはマストで!
マーシャル諸島が最も活気があるのは朝です。というのも、昼になるとうだるような暑さが訪れるから。
なので、マーシャル諸島の人々の生活を感じたいなら、早起きして暑くなる前に色々と出歩いてみるのが良いでしょう。
マジュロの住宅地の中を歩けば、パンノキの落ち葉を掃く子供たちや、通り沿いの雑貨店のような店の前でインスタントコーヒーをすすっている住民を見かけます。
また、ココナッツの殻を燃やす炎の上で焼く魚のニオイを嗅いだり、雄鶏が大声で鳴くのを聞いたり、洗濯物をゴシゴシ洗っている女性を見かけたりもするでしょう。
マジュロのタクシーシステム
タクシーの運転手は複数の乗客を一度にめいいっぱい乗せながら、一日中マジュロにある道路を往復しています。
そして、マジェロを移動するには、このタクシーに乗るのが一番良いかと思います。
現地はアメリカドルが使用されているので、現金で払い(と言っても50セント程度)、またチップの支払いは必要ありません。
迷う心配は無用!
マーシャル諸島を構成しているのは環礁。
この環礁はそれぞれとても狭く、そのほとんどは端から端まで一本道で、これは首都マジュロも例外ではありません。
もちろん、少し交錯した脇道に続く大通りも数か所あることはありますが、マーシャル諸島で歩き回る際は基本的に迷うことはまずありません。
時間にはおおらかに
時間にきっちりしている日本人からすると信じられないかもしれませんが、マーシャル諸島の人々は時間に対して非常におおらか。
言い方を変えればとてもルーズです。
例えば、約束の時間から30分経っているのに現れないとか、そもそも昼寝をしていて忘れていたなんてことだって起こり得ます。
そのため、マーシャル諸島を楽しみたいなら、普段の時間に縛られる生活を忘れて過ごすのが得策です。
遅くなる前に訪問しよう
海抜がどんなに高いところでも数メートルしかないマーシャル諸島は、近年の気候変動によって引き起こされた海面上昇によって、実は危機的状況にあるとされます。
実際、2008年以降、マーシャル諸島を襲う高潮や洪水は過去にないぐらいの頻度で起こっているとされ、それまで10年に一回程度洪水によって襲われていた住宅街は、現在では一年に数回の洪水に見舞われています。
そのため、将来的にマーシャル諸島に住む人々は故郷を失ってしまう可能性が指摘されており、彼らの伝統や文化、そして美しい環礁の自然をその目で見たい場合は、手遅れになる前に訪れる必要があると言えるんです。
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マーシャル諸島共和国|観光情報(行き方や地図)から核実験の歴史のまとめ
南太平洋に浮かぶマーシャル諸島共和国について、その歴史や観光情報までを紹介してきました。
マーシャル諸島に興味がある人は、参考にしてみてください。