モーリタニアとモーリタニア人|タコの原産地として有名で比較的新しい国家

モーリタニアとモーリタニア人について、基本的な情報から抑えておきたい6つのポイントまでを紹介していきます。日本ではタコの原産地として知られている国です。(※下はモーリタニアの国旗)

モーリタニアは、特に観光資源があるわけでなく、何か有名な産業を持っているわけでもなく、さらに、世界的に有名な文明や文化が栄えた中心地でもないため、詳しく知らない人も多いかと思います。

しかし、中には「なとなく名前を聞いたことがある・・・。」という人もいるはずです。

というのも、モーリタニアは日本人が大好きな魚介類の「タコ」に関して重要な国の一つだから。

そんなモーリタニアとモーリタニア人に関して、もう少しだけ詳しくなるためにも、基本的な知識から、知っておきたい6つのポイントまでを紹介していきます。

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モーリタニアとは?

モーリタニア(Mauritania)とは、正式名称「モーリタニア・イスラム共和国(The Islamic Republic of Mauritania)」と言う、北アフリカに位置する共和制国家。

北アフリカの中でも北西部に位置しており、西は大西洋に面し、南はサハラ砂漠、北東はアルジェリア、東と南東はマリ、そして南西はセネガルと国境を接しています。

北海道のおよそ1.2倍の面積を誇る一方、その国土の90%以上が砂漠地帯で、例外として南部のセネガル川峡谷と北部の一部の牧草地、また、点在するオアシスが、僅かに肥沃な地域となっています。

このように国のほぼ全体が砂漠気候であるため、年間降水量は100mmを越えず、国土は乾燥しており、それは首都のヌアクショット(Nouakchott)も同じ。

現地の人は昼間はほとんど外へ出ないで室内で過ごす傾向にあり、また発展も遅れていることから、ヌアクショットは世界でも稀に見るほどつまらない首都と言われることさえあります。

日本においてモーリタニアはタコで有名

ちなみに、スーパーで買い物をする機会が多い人などは、鮮魚コーナーでタコを手に取った時に、原産地が「モーリタニア」と表記されているのに気づいたこともあるはず。

実はモーリタニアの水産物輸出の8割強がタコとなっており、その最大の輸出先は日本。

また、日本市場で消費されるタコの30〜35%がモーリタニア産であり、タコを比較的多く消費する日本人にとっては、切っても切れない国だったりするんです

モーリタニアの歴史ダイジェスト

正確なことは分かっていませんが、モーリタニアの歴史は3〜4世紀まで遡るとされることがあります。

この地域はもともと、バフォー人(BafourまたはBafur:モーリタニアと西サハラの一部に住んでおり、アフリカ大陸にいる多様な民族が混血した人々)が開拓した土地でしたが、3世紀から7世紀までの間にベルベル人達がやってきた結果、バフォー人達に代わって徐々に勢力を強めていきます。

そして、長期に渡ってベルベル人がこの地域を支配していくようになりますが、地元勢力(黒人に加えてアラブ系の人々なども含まれる)が大規模な抵抗を起こし、1644年から1674年まで続いた「モーリタニア三十年戦争」が勃発します。

しかし、結局はベルベル人勢力を打倒することは叶いませんでした。

その後、19世紀には、当時ヨーロッパの列強の一角として力を付けていたフランスに植民地化され、「フランス領西アフリカ」の一部に組み込まれますが、1960年11月28日に独立を勝ち取り、現在のモーリタニアの姿となっていきます。

モーリタニア人について

上で紹介したような歴史の中で、モーリタニアの人口はベルベル人、アラブ人、黒人の混血(ムーア人と黒人の混血)が最も多く、それ以外は、ムーア人(ベルベル人とアラブ人の混血)と黒人になっています。

全人口は350万〜430万人と推定されており、40%がムーア人と黒人の混血、30%がムーア人、29%が黒人、1%がその他となっており、ほとんどの国民はイスラム教スンニ派を信仰し、アラビア語が公用語(※植民地化されていたこともあり、フランス語話者も比較的多い)

アラビア語の中では、特にハッサニア方言が広く用いられています。

また、ベルベル人の支配が長かったこともあり、社会の中で権力を握る上層部は大抵、ベルベル系の血を引くムーア人によって占められているとされています。

モーリタニアの経済

モーリタニアは比較的天然資源(鉱業、農業、漁業、牧畜など)のポテンシャルに恵まれているにも関わらず、一人当たりの名目GDPは年間1500ドル以下であり、非常に貧しい国の一つ。

人工のおおよそ40%が貧困ラインの下にいるとされ、多くの国民は生活のために農業と家畜に依存しているのが現状です。

一方、2006年には海上油田の生産を開始。その他の油田開発も進んでいるとされ、油田からの収入を確保することで経済が安定して、成長に繋がってくるとも予想されています。

しかしながら、モーリタニア経済に関するリスクとして、干ばつ、外国からの援助や投資への依存、国内が非常に危うい近隣のマリにおける不安、インフラの不足、制度や法整備の遅れ、人的資本の不足などがあるため、発展にはまだまだ時間がかかると言えそうです。

そのため、今後の経済発展には、多くの問題を解決しなくてはいけないのも事実です。

モーリタニアとモーリタニア人早分かりポイント6選

モーリタニア人の教育においてはフランスの影響が強い

モーリタニアが独立したのは1960年11月28日で、国際連合による承認は1961年。

それ以前はフランスの植民地だったこともあり、教育においてはフランスの影響が大きく、独立後の現在でも、分野によってはフランスの教育システムが採用されています。

例えば、学校の授業で使用される言語はアラビア語が基本ですが、科学の授業においてはフランス語が使用されるといった具合です。

奴隷制度を廃止したのが最も遅かった国の1つ

モーリタニアは、奴隷制度を廃止したのが最も遅かった国の一つ。

なんと、奴隷制廃止の法案が通ったのは1981年のことであり、まだ40年しか経っていません。

さらに、2003年当時の概算によると、この法案にも関わらずおよそ9万人の奴隷がいたとされています。

ヌアクショットは世界で最も新しい首都の一つ

モーリタニアの首都はヌアクショットであり、先述したように、首都としては世界でも稀に見るつまらない街だと言われることがありますが、これについてはいくつかの理由を挙げられそう。

まず、非常に乾燥した砂漠気候の地域であるため、昼間には人が外へあまり出ず、街にはどうしても活気が生まれにくいこと。

次に、モーリタニアは貧しい国であるため、首都を発展させる資本的リソースが限られていること。

そして、上の二つの理由に加えて忘れてならないのが、ヌアクショットが首都になったのは1960年のことに過ぎず、実は世界的に見ても最も歴史が浅くて新しい首都の一つであるという点です。

アフリカの目を持つモーリタニア

モーリタニアの中央部には直径50kmにも及ぶ巨大な環状構造である、リシャット構造体と呼ばれるものが存在しています。

これは、宇宙からでないと確認することが出来ないものですが、見た目がオス牛の目のように見えるため、「アフリカの目」や「サハラの目」とも呼ばれることがあります。

このアフリカの目がなぜ出来たのかについては、まだまだ謎が多かったりします。

モーリシャスと間違えないように!

モーリタニア(Mauritania)と同じような名前を持つアフリカ国にモーリシャス(Mauritius)がありますが、この二つは全く異なる国であり、また、地理的にも離れた国であることはお忘れなく。

(上はモーリシャス)

モーリシャスはリゾートアイランドとしても有名で、アフリカの国と言ってもアフリカ大陸にあるわけではなく、アフリカ大陸の南東のインド洋沖に位置し、複数の島から成る国家です。

世界最大の船の墓場がある

モーリタニアのヌアディブは、同国第二の人口を誇り、大西洋に面した海岸沿いの最も北部に位置する街。

その位置から分かる通り、主な産業が漁業であるためにヌアディブ湾と呼ばれる湾があるわけですが、そこには世界最大規模の「船の墓場」が存在していたりします。

なんと、あらゆる国からの300を超える難破船が岸に打ち上げられているんです。

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モーリタニアとモーリタニア人|タコの原産地として有名で比較的新しい国家のまとめ

モーリタニアとモーリタニア人を理解するためにも、同国の基本情報から6つの知っておきたい豆知識を紹介してきました。

訪問する機会はそこまで多くないと思いますが、日本人には欠かせないタコの原産地でもあるため、基本知識程度は頭に入れておくのが良さそうです。

世界のことって面白いよね!By 世界雑学ノート!

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