古代マヤ文明と文化、そしてマヤ人に関する14の豆知識を紹介していきます。中米で興り謎の衰退をしたマヤに関して見ていきましょう。
古代マヤ文明は、いわゆる中央アメリカ地域に分類される地域、今日におけるメキシコ南東部、ベリーズ、グアテマラの、湿気の多いジャングルで繁栄しました。
そして、西暦300〜900年には最盛期を迎え、独特で優れた文化を発展させながらも、なぜかその後、突如として衰退していきました。
マヤ文明に関することの多くは謎のままで、未だに専門家の間でも異なる意見が唱えられています。
この記事では、そんなマヤ文明や文化に関する、14個の豆知識を紹介していこうと思います。
- マヤ文明と文化1:書物があった
- マヤ文明と文化2:考えられていたよりも暴力的だった
- マヤ文明と文化3:人身供養を行った
- マヤ文明と文化4:ポポル・ヴフの存在
- マヤ文明と文化5:神と天文学
- マヤ文明と文化6:頭蓋骨の矯正をしていた
- マヤ文明と文化7:チョコレートやココアを楽しんでいた?
- マヤ文明と文化8:交易が盛んだった
- マヤ文明と文化9:王と王族がいた
- マヤ文明と文化10:マヤ文明のピラミッドは現在も発見が続いている
- マヤ文明と文化11:サウナがあった
- マヤ文明と文化12:世界が2012年に滅亡するとは考えていなかった
- マヤ文明と文化13:最期については謎が残る
- マヤ文明と文化14:マヤ人は現存している
- 合わせて読みたい世界雑学記事
- 古代マヤ文明・文化とマヤ人に関する14の豆知識のまとめ
マヤ文明と文化1:書物があった
古代山文明においてマヤ人は文字を読み書きし、書物もありました。
書籍と言っても絵と奇妙な点や走り書きが並んだものにしか見えないかもしれません。
ですが実際には、象形文字によって、複雑なマヤ人の言語における言葉や音節を表していました。
また、書物は神官によって書かれて使われていたことから、すべての人々が読み書きが出来たわけではなかったようです。
これらマヤ文明や文化を知る上で大切な書物は残念ながら、ほとんどが失われており、現在はたった4冊しか残っていないとされます。
ちなみに、古代マヤ文明において使用されていたマヤ文字は、建造物、石碑、貴重な書物や焼き物に残されており、英語はアルファベット26文字で構成されますが、マヤの言葉はそれぞれが1つの音節を意味する象形文字を800以上も使っていたと考えられています。
マヤ文明と文化2:考えられていたよりも暴力的だった
マヤ文明を築いたマヤ人は、
天体観測を行い、翡翠(ヒスイ)や美しい鳥の羽を取り引きする平和な人々だった
というのが伝統的な考え方です。
しかし、現代になって、彫刻や寺院に残された象形文字が研究者によって解読されるようになると、その考えは一掃されました。
もっと後の時代に北方の中央メキシコで繁栄したアステカ族と同様、マヤの人々も実は「暴力的で好戦的だった」ようであるのです。
公共の建物には、
- 戦争
- 虐殺
- 人身供養
の光景が刻まれて残されていたりします。
このような背景から、マヤ文明が衰退して崩壊した原因の1つには、「都市国家の間の戦争が酷くなった」ことが挙げられています。
マヤ文明と文化3:人身供養を行った
通常、人身供養と結びつけて考えられるのは中央メキシコのアステカ文明です。これは、おそらく実際に目撃したスペイン人の記録があるからでしょう。
しかし、神への生贄となると、マヤ人も例外ではありませんでした。
マヤの都市国家の間では戦争が頻繁に行われ、敵の戦士が数多く捕虜になりました。
捕虜はふつう、奴隷か生贄にされ、中でも王や貴族といった身分の高い捕虜は、捕らえた側と儀式的な球技試合「ピッツ」を行って、負けた戦いを再現しなければなりませんでした。
そして、結果のわかっている試合に負けた後、捕虜たちは儀式によって生贄にされたのです。
ちなみに、このピッツのための球場は、メキシコのチチェン・イツァなど、マヤ文明の都市に建てられていました。
ピッツは、手を使わずにサッカーボールほどの大きさの「重いゴムボール」をお互いにパスしていき、とても高いところに置かれた石製のフープに入れるゲーム。
試合に参加する者は、肋骨、膝、腕には防具をつけて試合を行いました。
マヤ文明と文化4:ポポル・ヴフの存在
マヤ文明や文化について今日知られていることはわずかしかなく、どれほど多くの物が失われてしまったかが語られます。
とはいえ、特筆すべき文書が1つ今日まで伝わっています。
それは「ポポル・ヴフ」と呼ばれるマヤの聖なる書物。
この書物には、人類の創生と双子の英雄「フンアフプー」と「イシュバランケー」、そして彼らと地界の神々との戦いが記されています。
「ポポル・ヴフ」に記されている伝説は、ある時点でマヤ人に属する民族の1つ「キチェ族」によって書き記されました。
そして1700年頃、フランシスコ・ヒメネス神父がキチェ語で記されていたこの書物を借り、書き写して翻訳した結果、原本は失われましたが、マヤ文化を知るための貴重な記録として残っているのです。
ちなみに、マヤ文明ではピッツと呼ばれる「儀式としての球技」が行われまたことは触れましたが、「ポポル・ヴフ」によると、地球上に生命が誕生したのは、双子の神が冥界の王たちと球技をして勝利したおかげだとされています。
マヤ文明と文化5:神と天文学
マヤ文明では天文学が極めて盛んで、星、太陽、月、惑星の運行が詳細に記録されていました。
また、日食や月食、夏至や冬至、その他の天文学上のイベントを正確に予測した天文表もありました。
このような天文学が発達したマヤ文明で発達した理由の一つに、
「太陽、月、惑星」はそれぞれ神であり、天界、地界(シバルバ)、地上を行き来している
と信じられていたことが挙げられます。
これによって、春分や秋分、夏至や冬至、日食や月食といった天文学上のイベントの際には、神殿で祭祀が行われるなどしていました。
マヤ文明と文化6:頭蓋骨の矯正をしていた
古代マヤ文明に生きたマヤ人は、衝撃的な美容法を実践する文化を持っていたと言えるかもしれません。
マヤの人々は服を着てメイクをして美しくなることだけでは満足しなかったようで、子供の時に額を平らにして頭蓋骨の形を長細くするために頭を縛る、「頭蓋変形(とうがいへんけい)」という風習を実践していたからです。
(出典:wikipedia)
ただし、全てのマヤ人がこれを実践したけではなく、この風習はあくまで、一部の社会的に身分の高い人々が、その他大勢と区別するために行ったと考えられています。
つまり、社会的階級を示していたのです。
マヤ文明と文化7:チョコレートやココアを楽しんでいた?
3500年以上前、メソアメリカのオルメカ人が、カカオに手を加えればチョコレートができることを初めて発見した可能性が指摘されています。
しかし、マヤの人々はそれをさらに上の次元まで高めていったようで、マヤ文明では少なくとも、今から2600年前にはカカオを作り出していたのではないかとされています。
とはいえ、当時のマヤ人が作っていたのは、今日に想像されるチョコレートやココアとはかなり違うようです。
マヤの人々はカカオに水、蜂蜜、チリ、コーンミール(とうもろこしを挽いたもの)などを混ぜて、スパイシーで泡立ちのあるドリンクを作っていたようなのです。
ちなみに、マヤ文明の美術品や象形文字によると、カカオを飲むことは祝事や儀式の大切な要素だったことが見てとれます。
マヤ文明と文化8:交易が盛んだった
マヤ文明では交易が盛んに行われ、今日のメキシコと中央アメリカに交易ネットワークが張り巡らされていました。
取引された商品には生活品と貴重品があり、それぞれには以下のようなものが含まれていました。
- 生活品
- 食品、衣服、塩、道具、武器などの必需品
- 貴重品
- 鮮やかな鳥の羽、ヒスイ、黒曜石、金、その他貴重品
中でも貴重品は支配層で珍重され、支配者の副葬品にもされました。
マヤ文明と文化9:王と王族がいた
古代マヤ文明に花開いた都市国家にはそれぞれ、「アハウ」と呼ばれた王(君主)がいました。
そして、彼ら支配者は、太陽、月、惑星から直接降り立ったとされ、神の子孫と考えられていました。
実際、アハウとは「神」のことも意味し、例えば「キニチ・アハウ」とは、マヤ神話に伝わる太陽神です。
このように神の血が流れていると崇拝されていた「アハウ」は、人間界と天界、地界を結ぶ重要な存在であり、儀式では鍵となる役割を果たし、また、戦争でも儀式的な球技試合でも、指揮官として戦うことを求められました。
マヤ文明と文化10:マヤ文明のピラミッドは現在も発見が続いている
マヤ文明にはピラミッド構造の建造物が建てられており、その多くは宗教的な役割を担っていました。
そして、建設された場所の自然環境によって守られてきたこともあり、これらマヤ文明のピラミッドは非常に大きな建造物であるにも関わらず、最近まで発見されなかったものもあるのです。
例えば、近年見つかったマヤ文明のピラミッドの1つに、メキシコのチアパス州トニナで発見されたものがあります。
自然の丘陵と思しき下に隠されていたこのピラミッドは、高さが75mあり、高さ71.17mのテオティワカンの太陽のピラミッドよりも高いことから、メキシコで最も高いピラミッドであると2015年に発表されました。
マヤ文明と文化11:サウナがあった
マヤの人たちは、健康目的や儀式時の浄化のために、石や日干しれんがを使ってサウナのようなものを作っていました。
グアテマラの「ティカル」や、600年頃に火山灰に埋もれたエル・サルバドールにあったマヤの村「ホヤ・デ・セレン」などの遺跡では、こういった設備が見つかっています。
また、最も古い発汗浴場はベリーズ北部のクエージョ遺跡で発見されており、推定3000年前に作られたこのサウナは、古代ローマの有名な浴場よりも古い可能性が指摘されています。
マヤ文明と文化12:世界が2012年に滅亡するとは考えていなかった
マヤ文明に関することとして、「世界滅亡」の話がよく挙がります。
マヤ暦によると、
2012年12月21日から12月23日頃に1つの区切りを迎える
らしく、そこから「2012年人類滅亡説」なるものが連想されたのです。
マヤ暦は複雑です。
手短に説明すると、マヤ暦は2012年12月21日に振り出しに戻ります。
そのことが、メシアの再来から世界の滅亡といった様々な憶測を呼びました。
しかしマヤ人達は、「暦が振り出しに戻ること」に対して特に深い意味を持たせたわけではないようで、暦上では新しい始まりであるものの、それに伴って災いが起きると予測していた証拠は全くないのです。
実際、人類は世界の終わりを迎えることなく、その後も何事もなかったように生き続けています。
マヤ文明と文化13:最期については謎が残る
西暦700年頃、マヤ文明は繁栄していました。
強大な都市国家が弱小国を従属させ、交易は活発で、芸術、建築、天文学といった文化はピークに達していたのです。
しかし900年には、ティカル、パレンケ、カラクムルといった古典期マヤ文明の大勢力だった都市国家がすべて衰退し、その後廃墟となりました。
いったい何が起きたのでしょう?
このマヤ文明の最期については、今だに良く分かっていません。
戦争、気候変動、病気、飢饉などが考えられていますが、専門家もそのどれが根本的な原因かを特定出来ていないのです。
これは、いくつかの原因が複雑に絡み合っているのが大きな理由でしょう。
マヤ文明と文化14:マヤ人は現存している
マヤ文明は1000年前に衰退し滅亡したかもしれませんが、だからと言ってマヤ人がこの世から全て消滅してしまったわけではありません。
1500年代初めにスペイン人のコンキスタドール(征服者)が中南米に侵入したとき、マヤ文化はまだ存在していました。
そして、他のアメリカ大陸先住民族と同様に、マヤ人も征服され奴隷にされ、その文化は消し去られ、書物は破壊されてしまいました。
しかしマヤ人は、誰よりも征服者に同化されなかった人々で、500年間にわたり、自分たちの文化と伝統を守るために激しく戦ったのです。
その結果、マヤ文明が栄えた地域とされるグアテマラ、メキシコ、ベリーズの一部には、現在でも強大なマヤ文明の時代に遡る言語、衣服、宗教を守って生活している少数民族がいます。
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古代マヤ文明・文化とマヤ人に関する14の豆知識のまとめ
古代マヤの文明や文化、そしてマヤ人に関する14の豆知識を紹介してきました。
マヤ文明については謎に包まれたことが多くありますが、それが逆に興味をそそります。