マチュピチュ|謎や歴史的な文明の秘密や不思議を探ろう!

マチュ・ピチュについて詳しく見ていきましょう。歴史的なインカ文明の古代都市遺跡マチュピチュに関して、基本知識、謎や不思議、観光に関する話などを紹介していきます。

南米の国ペルーの高地に、わずか100年ほどの間のだけ人々が暮らしたと言われる、インカ文明の都市遺跡があります。

その名は「マチュ・ピチュ」。

「天空の町」とも形容されることのある歴史的に重要な遺跡で、新世界七不思議の一つにも含まれるなど観光地としても非常に有名です。

一方で、マチュピチュには未だに分かっていない謎や不思議が数多く存在し、多くの歴史家や考古学者を惹きつけています。

この記事では、そんなマチュピチュに関して、基本的な概要から謎や不思議、そして他にも知っておきたいマチュピチュにまつわる話を紹介していきます。

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マチュ・ピチュとは?

マチュ・ピチュ(Machu Picchu)とは、山の頂に佇み、天空にも届くとされる古代インカ帝国の都市遺跡

ペルー南東にある街クスコから80kmほど北西に行ったところにあり、聖なる谷とも言われる「ウルバンバ谷」に流れるウルバンバ川を見下ろすように位置しています。

そして「マチュ・ピチュ」という名前は、「老いた峰」を意味する現地のケチュア語(インカ帝国における公用語で、今もボリビアとペルーでは公用語の一つ)に由来。

アンデスの山の上に作られたこの都市に住み始めた人々は、年月の流れを静かに見つめる「古老」として捉えていたことが分かります。

そんなマチュピチュは、15世紀頃にクスコ王国の9代目統治者である皇帝「パチャクテク」のために作られたと言われますが、

  • なぜ山頂のこの場所に建設されたのか?
  • 目的は何だったのか?
  • どのぐらい年代が古いのか?

については、専門家の中でも意見が分かれており、あくまでも推測の域を出ていないのが現状です。

但し、建設時期に関しては「1450年頃の可能性が最も高い」と推測されており、その後、1530年頃に疫病とスペイン人のインカ帝国征服により廃墟と化したと考えられています。

一方で、マチュピチュの大部分は都市遺跡として保存されており、観光地としても人気。

鉄道を利用するか、古代インカ道を数日かけてトレッキングすれば辿り着け、観光客はインカ時代の人々の暮らしに思いを馳せることが出来ます。

マチュピチュは見た目以上に驚くべき古代都市遺跡

マチュピチュでは、何キロにもわたって並ぶ150以上もの建物が、完全なる手作業でモルタル(砂とセメントと水とを練り混ぜて作る建築材料)を使わずに接合されて建設されました。

一方、今日のエンジニアが都市計画や建設に使っているようなコンピュータが無い時代であったため、建設には極めて正確な驚くべき測定技術と事前計画が必要となったと考えられます。

さらに、ガス燃料による機械を使って、何千個もの重たい石を引きずり運び込むことも出来ません。

それにも関わらず、マチュピチュの建物は何百年の間に幾度にも渡る地震に耐えてきたのです。

また、マチュピチュには3000段を超える階段があります。

マチュピチュ遺跡の地形は段々畑状になっていることから、当時はここでトウモロコシの古代種のような作物が栽培され、およそ人口1000人弱分の食糧となっていたと推測されています。

他にも、マチュピチュ遺跡には、

  • 石造りの家々
  • 作業場
  • 広場
  • 神殿
  • 入浴場

などもあり、現地の人々の生活が浮かび上がってくるのです。

加えて、石に彫られた蛇やコンドルの彫刻や、鳥の翼を形どって配置されたような大きな巨石群も見つかっており、多くの専門家はこれらをインカの宗教的な信仰を表したものだと考えています。

ちなみに、マチュピチュ遺跡ではこれまでに、100体以上の人骨が発掘されており、発見された人骨の性別は男女同数であったと見られています。

マチュピチュは誰が発見したの?

マチュピチュは、アメリカ人歴史家「ハイラム・ビンガム」によって発見されました。

1900年代初頭、ハイラム・ビンガムは「インカの失われた都市」を発見するための、2年に及ぶ研究プロジェクトを開始。

そして1911年にビンガムは未曽有の探検旅行に出発し、ケチュア族の11歳の少年とチームを組み、ついに、同年の7月24日、史上最高の歴史的発見とも言われるマチュピチュ遺跡を発見したのです。

マチュ・ピチュ文明の謎や不思議

歴史的にも価値の高いマチュ・ピチュが発見されてからというもの、この古代都市遺跡に関しての研究が続けられてきましたが、未だに多くのことが分かっていません。

ここでは、そんなマチュ・ピチュを取り巻く謎や不思議をいくつかピックアップして紹介していこうと思います。

マチュピチュの謎と不思議1:建設目的はなんだったのか?

マチュピチュに関しては、その建設目的が良く分かっていません。

過去には、スペイン統治時代にスペインから隠れるために作った「インカ帝国の隠された本拠地」だと言われたこともありましたが、その説は否定され、現在は、

  • インカの王族や貴族の避暑地や別荘地であった
  • 一生を太陽神に捧げる貞操の誓いを立てた「太陽の処女」が住む尼僧院があった
  • 太陽神を祀り、太陽観察をした場所であった
  • 巡礼地であった

などの説がありますが、どちらかと言うと「宗教的な用途」に用いられたという説が有力になってきています。

(太陽の神殿)

例えば、マチュピチュには数多くの神殿や天文観測に使われたであろう場所が見つかっており、インカ部族の祖先である太陽神インティを崇拝していたのではないかとされています。

加えて、神殿の構造や碑は、配列が偶然にしては精巧すぎるため、夏至/冬至、春分/秋分を観測する目的もあったと考えています。

他にも、マチュピチュの遺跡で見つかっている精巧な灌漑システムは、生活用水の供給だけでなく、水路の配置から考えて「水の流れる音で心を落ち着ける」ことも念頭に造られ、宗教的な用途もあったのではないかと推測されています。

さらに、クスコからマチュピチュへの旅は儀式的な目的(巡礼目的)があり、その旅の中でマチュピチュは最終目的地としての役割を持っていたのではないかという説もあります。

この説では、視覚的に荘厳な山嶺の道を辿り、最終的に、太陽に近い山の頂きにあるマチュピチュにたどり着くことで宗教的に重要な意味を持たせ、辿り着いた巡礼者を迎えたとされるのです。

とにかく、その具体的な建設目的に関しては未だに謎のままですが、宗教的な目的に建設されたという説が近年では有力な流れになっています。

マチュピチュの謎と不思議2:限定された道具でどうやって建設したのか?

これはマチュピチュに関して、最も理解しがたい謎かもしれません。

当時この地域に住んでいたインカの人々は、

  • 車輪
  • 鉄製の道具
  • 役畜(農耕や運搬などの労役に用いられる家畜)

を使っていませんでした。

そのため、マチュピチュがどのように作られたのか、はっきりと分かっていないのです(謎が謎を呼び、宇宙人から教えてもらったなんていう説もあるぐらい!)

インカ人達は、どうやって岩や石の塊を動かしたのでしょうか?

また、マチュピチュでは、複雑な泉、水路、噴水からなる水路構造(非常に優れた水圧の知識が必要とされる)が発見されていますが、彼らはどうやってこれほど精巧な水路システムを作ることが出来たのでしょうか?

この点については、まだ十分に説明することが出来ていないのです。

マチュピチュの謎と不思議3:なぜマチュピチュは無傷で残ったのか?

スペイン征服者たちがインカ帝国を征服する過程では、たくさんの都市が破壊されました。

しかし、マチュピチュはほぼ無傷で残っています。

このことに関しても、実は正確な理由が分かっておらず、ちょっとした謎とされています。

ただ、マチュピチュはその建設場所からして、たどり着くのは簡単ではなく、また、谷に流れる川に沿って歩いたり、その川を船を使って移動する人には、山の上にあるマチュピチュが見えなかったため、これらが恐らく理由ではないかと言われています。

地元の人たちの力を借りてビンガムがマチュピチュを発見したときでさえ、植物がはびこっており、見つけるのに苦労したと言うのが、その発見されにくさを物語っています。

マチュピチュの謎と不思議4:なぜマチュピチュから人がいなくなったのか?

この謎を語らずして、マチュピチュについて語ることはできません。

なぜ、マチュピチュから人がいなかくなったのか?」に関しては、今日でも確実な答えが出ていないのです。

この問いに関しては、これまで様々な説が提唱されてきました。

例えば、

  • 1500年代初頭に天然痘が流行してマチュピチュからも人口が減少してしまった
  • 人口が減ってしまったインカ族たちは、スペインの脅威から逃れるために移動した
  • 内戦があってマチュピチュを離れざるを得なかった

などです。

マチュピチュの謎と不思議5:まだ発見されていないものもあるのでは?

そして、マチュピチュの全体像に関してもまだ謎が残っています。

というのも、現在確認されているマチュピチュの遺跡は、当時の都市の全てではなく、実はまだ発見されていない道や遺跡があるのではないかと考えられているから。

実際、今でも考古学者たちによって新しい区画が発見されており、少し前にはテラス構造をした遺跡が新たに一般公開されました。

他にも、マチュピチュの遺跡の中心部から少し離れて散策してみると、分厚い葉っぱの奥に枝分かれした横道があるのに気付きます。

それらはどこへつながっているのでしょうか?

まだまだ、マチュピチュ遺跡の全体像は完全に分かっているわけではないのです。

観光へ行くにも知っておきたい!マチュピチュにまつわる3つの知識

マチュピチュの謎や不思議について見てきましたが、最後に、マチュピチュに関する3つの話を紹介していきましょう。

3つのうち2つは観光へ行く際にも参考になると思うので、観光目的の人も確認してみてください。

① 実は頻繁に地震が起こる

 インカ帝国の至る所にある美しい建造物には、砂とセメントと水とを練り混ぜて作る建築材料「モルタル」が使用されていません

しかし、これら建造物に使われている石や岩は、非常に精密に切断され、それぞれが密接に楔止めされているため、全くと言ってよいほど隙間がなく、間にクレジットカードを入れることさえ出来無いほどです。

その結果、工学的な利点が生まれました

それは、優れた耐震性を誇るというもの。

ペルーは地震の多い国で、リマとクスコにある多くの建築物が過去に何度も倒壊していますが、マチュピチュは何百年もの間、多くの地震にあっているにも関わらず、全く倒壊せずにほぼ無傷のままなのです。

ちなみに、マチュピチュにも採用されている建築方法による建造物は、地震が発生すると「踊る」と言われ、揺れによって石が跳ねてもその後に元の位置に戻るようになっているらしいです。

② 誰も行かない隠れた博物館がある 

観光地として有名なのにも関わらず、マチュピチュ遺跡で奇妙なことの一つが、遺跡に関する情報を全く提供していないということ(これに関しては、遺跡近くにインフォメーションセンターなどを配置することで、遺跡の景観を損ねてしまう可能性を考えると理解出来ますが)

そのため、マチュピチュを楽しむためには、事前に予備知識を得ておいた方がよいわけですが、そこで訪れてみたいのが「Museo de Sitio Manuel Chávez Ballón」という博物館。

(出典:Museos En Linea

この博物館では、マチュピチュに関することが色々と紹介されており、ここで知識を付けておけば、マチュピチュを訪れた際にもっと楽しめること間違いなしです。

ちなみに博物館は、マチュピチュへの玄関口とも言われる村「アグアス・カリエンテス」から歩いておよそ45分のところにあります。

③ 1日限定400人しかいけないワイナ・ピチュ

マチュピチュ遺跡を訪れるのも良いですが、マチュピチュ遺跡の周辺も含めて全体像を見たいなら「ワイナ・ピチュ」というという山から眺めてみるのが良いかもしれません。

ワイナピチュは標高が2720mであるため、ワイナピチュに登ると、標高2430mのマチュピチュをちょうど見下すような感じで上空から見ることが出来るんです。

しかし、ワイナピチュへ上るには、非常に狭い坂道を通っていかなくてはいけないため、登山可能な人数が1日で400人限定となっている上、200人ずつの二つの時間帯に分けられている点はお忘れなく。

そのため、もしもワイナピチュへ登りたいなら事前予約をしておいた方が良く、ハイシーズンだと現地で予約するのだと間に合わない可能性もあるので、日にちに余裕を持って予約を入れておいた方が良いでしょう。

ちなみに、ワイナピチュへの登山に関しては、次のページが分かりやすくまとめています。

※具体的な時間帯などは将来変わる可能性があるので、必ずその時の情報を現地に問い合わせするなどして確認してください

ちなみに、幸運にもワイナピチュへ登れたのなら、マチュピチュを上空から撮影するだけで帰ってしまわないにするのがおすすめ。

小道を通りワイナ・ピチュの裏側にあるルートを辿って、月の神殿まで足を延ばしてみましょう。

そこには、ちょっとした洞窟の中に建てられた、月の神殿と呼ばれる歴史を感じさせる石造りの寺院があります。

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マチュピチュ|謎や歴史的な文明の秘密や不思議を探ろう!のまとめ

マチュピチュは、ペルーの山岳地帯に位置する古代インカ文明都市の廃墟で、観光としても知られる場所。

今でも多くの謎を残しており、そのことがまたマチュピチュを魅力的な遺跡にしています。

世界のことって面白いよね!By 世界雑学ノート!

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