ノアの方舟伝説|大洪水で有名な物語のあらすじ(内容)・起源・謎

ノアの方舟伝説について出来る限りわかりやすく、一方で十分に詳しく解説していきます。大洪水で有名な物語のあらすじや起源などを見ていきましょう。

ノアの方舟伝説は、教会に足を踏み入れたことがない人や、聖書を開いたことがない人にでさえ広く知られ、ほとんどの人が知る数少ない伝説の一つと言えるでしょう。

では、神がノアに方舟を作るよう命じた理由や、その物語のあらすじ、そしてこの伝説の起源となったと考えられる物語についてまでは知っていますか?

この記事では、誰もが知っているであろうノアの方舟伝説について、わかりやすく、一方で十分に詳しく紹介していこうと思います。

また、ノアやノアに関する興味深いポイントも、最後にいくつか紹介していくので確認してください。

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ノアの方舟伝説のあらすじ

ノアの方舟伝説は旧約聖書の創世記「第6章」から「第9章」で描かれた、神が地球規模の洪水からノアとその家族、そして世界に残された動物たちを救った舟の話として残る伝説

その伝説を簡単に要約すると以下のような感じです。

ノアの方舟伝説のあらすじ要約

堕落した人々が地上に大勢いた状況を見た神は怒り、洪水で人間を一掃する計画を立てますが、「神と共に歩んだ正しい人」であるノアとその家族だけは、神が命じた方舟を建設するのであれば、代わりに命を守ることを約束します。

そして、方舟を完成されると、ノア、ノアの妻、ノアの三人の息子とそれぞれの妻に加え、地球上にいた全ての動物をつがいで方舟に乗せました。

神はノアに伝えた通り洪水を起こし、方舟の中で守られているノア達を除き、地球上の生き物を40日40夜の大洪水で一掃。方舟は流されてアララト山に漂着します。

大洪水が終わった後も、方舟の周りからは水が引いていなかったため、ノアは鳩を飛ばして水が引いて地上が戻った場所があるかを確認しようと試みます。

しかし、最初の試みでは鳩はすぐ戻ってきました(降り立つ場所がなかった。つまり、地上は全くなかった)

7日後には鳩を再び放つと、今度はオリーブの葉を加えて鳩が戻ってきました。そして、さらに7日後に鳩を放つと、鳩は戻ってこなかったのです(つまり、地上が復活した)

これによって、地上から水が引いたことを悟ったノアは、家族と動物を外に出し、ここに神との約束を果たしました。

一方の神は、約束を守ったノアと家族達を祝福し、同じような大洪水を二度と起こさないことを約束し、契約の証としての虹を空にかけました。

これが、ノアの方舟伝説の簡単な内容になります。

ノアの方舟とは?

ノアの方舟(箱舟)は、地球上すべての生命を一掃するために神が起こした大洪水から、ノアとその家族、そしてすべての生物種を代表する生き物を救うためのものでした。

その大きさは「長さ300キュビト、幅50キュビト、高さ30キュビト」とされ、メートルに直した場合、「137 × 22.9 × 13.7m」。

内部は3つの区分が存在していたとされ、これはそれぞれ甲板(建築物の各階の床に相当する船内の床)だと考えられています(甲板だという明確な記載はないが)

また、側面にはドアが、上には屋根または天窓が取り付けられていたと言われます。

そして、方舟はゴフェルの木(聖書の中でここにしか登場しない木)で作られ、舟の内部は「鳥の巣」として称される小部屋に分かれていた(この点については別な意見も存在する)とされています。

ちなみに、多少の相違はあるものの、ノアの方舟伝説はイスラム教のコーランにも描かれており、そこでノアの方舟は「ヌーフの方舟」として記されています。

ノアの方舟が実存した証拠はまだない

ノアの方舟を探す旅は、西暦300年前後には始まっていたといわれており、今日もこの伝説を信じる人々によって探索が続けられています。

しかし、方舟の存在を証明するものは未だに発見されていないのも事実です。

聖書に描かれているノアの方舟が実際に存在したとの科学的根拠はまだなく、地学上、世界規模の大洪水が起こった証拠となる記録も残されていません。

ノアの方舟伝説の起源

メソポタミア文明に存在した前身となる伝説

現在、聖書に登場するノアの方舟伝説は、メソポタミア文明に残る話に基づいていると考えられています。

紀元前20世紀から16世紀にかけての古バビロニア時代になってから、すべての生命が滅びる地球全体規模の洪水の話が登場したのです。

(※)メソポタミアの洪水伝説が誕生した裏側には、「紀元前2004年頃にウル第三王朝が終わりを迎え、イシン第一王朝により秩序の回復が図られた時代背景」があったのかもしれません。

いくつかのバージョンが存在したメソポタミアの洪水伝説

メソポタミアの洪水伝説には、初期の話がそれぞれ書き改められた結果、いくつかのバージョンが存在しました。

最も古いものは紀元前1600年頃、シュメールの都市ニップルにおいて書き刻まれたもの(「シュメール洪水伝説」として知られている)

この中では、王ジウスドラがヒーローとなっていて、

  • ジウスドラが舟を作り、神の意志によって滅ぼされそうになる生命を救う

という話の設定になっています。

そして、このことから、後に登場するノアの方舟を含む洪水伝説やヒーローたちをとりまくあらすじは、この設定が基本となっていると理解出来ると思います。

ちなみに、ジウスドラの名はシュメール語で「長寿を全うする者」を意味し、シュメール都市ニップルで書き刻まれたバージョンでは「ジウスドラ」だったものが、バビロニアバージョンでは「アトラ・ハシース」と同じ意味を持つ別の名前に変えられます。

また、アトラ・ハシースがヒーローとなるバビロニアの洪水伝説では、人類の人口爆発に対処するために、神々の手によって洪水がもたらされたとされます。

ギルガメシュ叙事詩に含まれるノアの方舟に最も近い内容の物語

また、古代メソポタミアの文学作品「ギルガメシュ叙事詩」のウトナピシュティムの伝説というのが存在し、聖書のノアの方舟に最も近い内容であるため、ノアの方舟物語の直接的な由来となっている可能性が示唆されています。

(ギルガメシュのレリーフ)

このウトナピシュティムは、ギルガメシュ叙事詩の中で永遠の命を得た者として描かれる者。

ある時、物語の主人公ギルガメシュがウトナピシュティムに、「どのように永遠の命を手にれたのか?」という問いただすと、その答えの中で、ウトナピシュティムは神とのやり取りを明かし、その内容が以下のようなものだったのです。

シュルッパクの人、ウバラ・トゥトゥの息子よ(ウトナピシュティムのこと)、家を壊し、舟をつくれ。持ち物をあきらめ、おまえの命を求めよ。すべての生き物の種子を舟に運び込め。お前が造るべきその舟は、その寸法を定められたとおりにせよ

(引用:BeneDict

ウトナピシュティムを「ノア」と考えた場合、ノアと神のやり取りそのままと言っても良いほど相似しており、これが、ノアの方舟伝説の直接的な起源になったと考えられている所以です。

一方で、バビロニアのギルガメシュ叙事詩は、洪水が発生した理由には触れず、洪水の原因は神々の気まぐれにあったかのようにみられます。

舟の構造や面積の相似

また、それぞれの物語のあらすじだけでなく、ノアの方舟と、バビロニアの洪水で活躍したヒーロー「アトラ・ハシース」、そして「ウトナピシュティム」によって作られた舟には、細部は異なるとは言え、相似点があることも挙げられます。

  • 構造
    • ノアの方舟
      • 3つの甲板
    • アトラ・ハシースの舟
      • 1つか2つの甲板
    • ウトナピシュティムの舟
      • 6つの甲板
  • 面積
    • ノアの方舟
      • 15,000キュビト
    • アトラ・ハシースの舟
      • 14,400キュビト
    • ウトナピシュティムの舟
      • 14,400キュビト

このように、どの舟も必ず内側は甲板で区切られているのに加え、最も目を引く類似点として3つの舟の面積がほぼ同じ(その差はわずか4%!)であることからも、ノアの方舟伝説がメソポタミア文明に残る伝説を基にしていると結論づけるのが最も論理的なように考えられるのです。

ノアの方舟伝説に関するあまり知られていないけど興味深い4つのこと

ノアの方舟伝説の要約から、方舟の基本情報、そして、この伝説の起源までを見てきましたが、ここからは、この伝説に関してあまり知られていないけど非常に興味深い4つのことを紹介していこうと思います。

主人公ノアの驚愕の事実

ノアの伝説的な家族達

ノアは洪水の年に969歳で死んだ、聖書の登場人物の中では伝説的な人物「メトシェラ」の孫。

このメトシェラは、聖書全体において最も長寿であった人物として知られます。

また、メトシェラの父はエノクと呼ばれる人物で、「神とともに歩んだ(創世記第5章24節)とされる人物。

365年生きた後に「神とともに歩んだ」ことで、死ぬことなく神によって天に召されたと言われます。

また、創造主によって作られた最初の人間「アダム」を1代目とした場合、ノアはアダムから数えて10代目に当たり、アダムとイヴの間に生まれた3人の子供(カイン・アベル・セト)のうち、セトの直系子孫にあたります。

神が方舟を完成させた時、ノアは600歳だった

神に大洪水を起こすことを伝えられ、舟を作るように命じられた後にノアがようやく舟を完成させた時、なんとノアはすでに600歳でした。

この当時に生きた人物は皆、同じように長寿に描かれましたが、特に最長寿の祖父を持つためか、ノアは大洪水後も長く生き、創世記では950歳になってようやく死んだことが記されています。

ノアの方舟を設計したのは神自身?

神の命令によってノアは方舟を建設して完成させたわけですが、この舟をデザイン(設計)したのはノアではなく神自身でした。

実際、創世記6章14節から16節には、

あなたは、いとすぎの木で箱舟を造り、箱舟の中にへやを設け、アスファルトでそのうちそとを塗りなさい。

その造り方は次のとおりである。すなわち箱舟の長さは三百キュビト、幅は五十キュビト、高さは三十キュビトとし、

箱舟に屋根を造り、上へ一キュビトにそれを仕上げ、また箱舟の戸口をその横に設けて、一階と二階と三階のある箱舟を造りなさい。

(引用:wikisource

と記されており、ノアは神の設計に従って舟の建設を進めていったことが分かります。

ノアは決して、舟の建設全てを知っていたわけではないのです。

ノアは世界で最初にワインを飲んだ人?

ノアはまた、人間としては初めてワインを飲んだ人と言われています。

創世記9章20節から21節によると、大洪水の後、少し経ってから、

さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、

彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。

(引用:wikisource

とあることから、どうやら「世界で初めてぶどう栽培に成功した」人であり、ぶどう酒(=ワイン)を初めて飲んだ人間だったようなのです。

ちなみに、ワインを飲んだ後にノアは酔っ払って裸になるわけですが、それを見た息子のハムは他の二人の兄弟(セムとヤテペ)に告げ口し、それがノアの逆鱗に触れ、ハムの息子カナンは呪われてしまいます。

一方でセムとヤテペは、素っ裸の父を衣でそっと覆い隠してあげています。

ノアの方舟を建設した場所や大洪水の発生時期はよく分かっていない

創世記8章4節から5節にある、

箱舟は七月十七日にアララテの山にとどまった。

水はしだいに減って、十月になり、十月一日に山々の頂が現れた。

(引用:wikisource

という記載によって、ノアの方舟がアララト山に流れ着き、最終的にそこに留まったことは分かりますが、ノアの方舟が建設された場所は未だに良く分かっていません。

(アララト山)

また、大洪水が起こった時期についても具体的な時期の記載がないため、よく分かっていません。

しかし、聖書に出てくる登場人物の系譜を追って言った場合、洪水は天地創造の約1650年後、今からおよそ4,400年前頃(紀元前2400年頃)に起きたのではないかとも考えられます。

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広く一般的にも知られているノアの方舟伝説を、掘り下げて紹介してきました。

ノアの方舟の存在に関しては、未だに科学的な証拠や根拠が見つかっていませんが、それでもこの伝説は人々の心を惹きつけてやまないことは確かです。

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