ルネサンスの意味を象徴する文化や特徴を11個紹介していきます。14世紀にイタリアから始まり、その後、西欧を中心に大きな影響を与えたルネサンスについて理解を深めましょう。
ルネサンスの意味とは、西欧を中心に起きた、古代ギリシャや古代ローマ時代の古典文化を復興させ、同時に新しい文化を創造しようという文化的な運動、またはこの文化的運動が続いた時代のこと。
具体的には中世後の14世紀から16世紀(※一部の地域では17世紀)までを指し、このルネサンス時代(ルネサンス期)には、芸術、文学、科学を中心に文化的な発展が起こり、その後のヨーロッパに大きな影響を与えました。
ルネサンスとはどういったものだったのか?
ルネサンスについての理解を深めるためにも、ルネサンスの意味を象徴する11の文化的側面や特徴を見ていきましょう。
- ルネサンス文化の意味を象徴する「復活」と「再生」
- ルネサンスの意味を象徴する「人文主義」とその特徴
- ルネサンス文化の発祥はイタリアのフィレンツェ
- 「豊かなイタリア」という特徴がルネサンス文化を繁栄させた
- ルネサンス文化を加速させた「コンスタンティノープルの陥落」
- ルネサンス文化の立役者:ダンテとボンドーネとペトラルカ
- ルネサンス文化の特徴の一つが芸術面での功績
- ルネサンス文化の絵画を象徴するのが遠近法の使用
- ルネサンス文化の特徴には重要な科学面での進歩も含まれる
- 印刷革命が西欧諸国へのルネサンス文化拡大を後押しした
- ルネサンス文化は宗教改革の始まりにも繋がった
- 合わせて読みたい世界雑学記事
- ルネサンスの意味を象徴する文化や特徴11のことのまとめ
ルネサンス文化の意味を象徴する「復活」と「再生」
ルネサンスの文化や特徴を考えていく上で大切なのが、その「ルネサンス(Renaissance)」という言葉が持つ意味。
「ルネサンス」という言葉はフランス語から取ったもので、「復活」または「再生」を意味します。
では、何が復活で再生なのかと言うと、
- 教会の権威や神中心で非人間的世界観だと中世を否定し、
- 古代ギリシャやローマの古典文化を理想として復興させながらも、
- 「新しい文化」を創造する
という思想。
この思想を基にして始まったのがルネサンスと呼ばれる文化運動であり、この思想はルネサンス文化の重要な特徴だったのです。
ちなみに、ルネサンスという言葉が、このギリシャ・ローマ様式に基づく文化的な活動を表現すると一般に認識されるようになったのはごく最近のことで、19世紀に入ってから。
「ルネサンス」という言葉を初めて定義付けたのは、ジュール・ミシュレというフランスの歴史家でした。
彼は1855年に書いた「フランス史」第7巻の中でルネサンスという言葉を記し、これがルネサンスという用語を学問的に使用した最初の例だと考えられています。
ルネサンスの意味を象徴する「人文主義」とその特徴
人文主義(ヒューマニズム)とは、簡単に言えば、「人間本来の価値観と能力に重点を置いた哲学」で、ルネサンス期に広まっていった思想。
ルネサンス期における人文主義は、古代ギリシャと古代ローマの古典哲学に基づいた独特な特徴があり、主に5つの人類学(詩歌、文法、歴史、道徳哲学、修辞学)の研究から派生しました。
そして、この時代に誕生した人文主義者と呼ばれる人々は、神や人間の本質を考察する中で、まだキリスト教が広まっていなかった古代ギリシャや古代ローマ(※古代ローマ末期にはキリスト教は広まり始めていた)の暮らしこそ、人間にとって理想だと考え始め、
- 非人間的重圧から人間を解放し、人間性の再興を目指す考え
を唱え始めたのです。
そして、ルネサンス時代前の中世の世界観を否定した人文主義の考えに含まれる「自由」という側面が、自由な発想を元にして活躍した多くの思想家や芸術家達を生み出し、ルネサンスが発展する精神面や知的面での大きな動機そして原理となりました。
ルネサンス文化の発祥はイタリアのフィレンツェ
ルネサンスは14世紀から16世紀(17世紀)まで、西欧を中心に広まった文化運動で、ルネサンス文化の影響を受けたヨーロッパの国ではそれぞれ、文化的な発展が見られたわけですが、このルネサンスが始まったのは北イタリアのトスカーナ地方の諸都市でした。
14世紀に始まって、その後、フィレンツェを中心に発展しながら急速にイタリア全土に広まり、15世紀末から16世紀には程度の差こそあれ、西欧や東欧諸国の一部にも、ルネサンスが拡大していきました。
「豊かなイタリア」という特徴がルネサンス文化を繁栄させた
14世紀から15世紀にかけて、ルネサンスはイタリアを中心に興隆していくことになるわけですが、それは豊かな富によって支えられていました。
当時のイタリアは現在とは異なり、複数の小さな都市国家に分かれており、各都市国家は各々の強みを生かして商業活動に励んだことで、その多くは産業で栄えた経済的に豊かな国家となっていました。
例えば、
- フィレンツェ → 毛織物や銀行
- ミラノ → 武器
- ヴェネツィアやジェノヴァ → 外国との貿易
といったように、特定の製品や商業活動に特化し、莫大な富を蓄積していったのです。
その結果、これら各イタリアの都市国家には多くの富裕層が誕生。
自らの繁栄や富を社会に見せつけるといった利己的な理由があったかもしれませんが、これら富裕層がパトロンとして芸術家や作家などを金銭的に支援したことで、芸術家や作家は文化活動に没頭でき、ルネサンス文化が繁栄していきました。
ルネサンス文化を加速させた「コンスタンティノープルの陥落」
フィレンツェから始まったルネサンスがイタリアで加速度的に発展していく過程では、富裕層の支援だけでなく「知識層の移住」も大きな役割を果たしました。
1453年5月29日、後世に「コンスタンティノープルの陥落」と呼ばれることになった事件が起こります。
オスマン帝国の侵略軍が、東ローマ(ビザンチン)帝国の首都コンスタンティノープルを征服したのです。
その結果、東ローマ帝国は滅亡し、当時、東ローマ帝国領土に住んでいた多くのギリシャ系知識人が、沢山の書物と一緒にイタリアへ移り住んできたのです。
そして、この知識人達の移住によって、花開き始めていたルネサンス文化は加速度的に発展していくこととなったのです。
ルネサンス文化の立役者:ダンテとボンドーネとペトラルカ
ルネサンスは14世紀の初め頃、後の社会や西欧の文化に大きな影響を与えることになった思想家や芸術家達が生まれたことで、徐々に形作られていきました。
まず、「ルネサンスの先駆者」と呼ばれる人物である「ダンテ」。
ダンテ(1265〜1321年)はフィレンツェに住んでいたものの、14世紀の初め頃に政敵からフィレンツェを追い出され、各地を放浪する生活の中で、後に世界的に有名になる長編叙事詩「神曲」の執筆を始めました。
また、フィレンツェ出身のジョット・ディ・ボンドーネ(1267〜1337年)という画家で建築家は、ローマ帝国の崩壊後に衰退していた視覚芸術を覆したことで名声を得て、後のルネサンス文化における芸術の復興に貢献しました。
そして、イタリアのトスカーナ地方にあるアレッツォ生まれのフランチェスコ・ペトラルカ(1304〜1374年)は、「ルネサンスの父」と目されることがある人物。
ペトラルカは詩人であり学者で、
6世紀におけるローマ帝国の衰退に続く900年間は、人間が元々持っている知的かつ創造的な潜在能力を最大限まで活かすことができなかった「停滞期」であり「暗黒時代」であったため、文化的な功績がほとんど残らなかった
と表現して人文主義の思想と哲学を奨励し、ルネサンス期における文化や知的活動の発展と開花に貢献したのです。
そのため、ペトラルカこそが「人文主義の産みの親」とも言え、このことから「ルネサンスの父」と言われます。
ルネサンス文化の特徴の一つが芸術面での功績
ルネサンス時代の西欧諸国では多くの分野で発展が見られたものの、一番有名なのは後世のヨーロッパ芸術に重要な影響を及ぼした芸術面での功績でしょう。
上で触れたフィレンツェ出身の画家で建築家のジョット・ディ・ボンドーネに始まり、その他にも多くの芸術家達がルネサンス時代に誕生しました。
中でも、「盛期ルネサンス」と呼ばれるイタリアにおけるルネサンスの絶頂期には、歴史上で最も偉大だと言われることがある芸術家が数多く輩出され、特に「盛期ルネサンス三大巨匠」と呼ばれる、
- レオナルド・ダ・ヴィンチ
- ミケランジェロ
- ラファエロ
は有名です。
女性の姿を描いたダ・ヴィンチの「モナ・リザ」や、ミケランジェロの「ダビデ像」、そしてラファエロのフレスコ壁画「アテナイの学堂」など、彼らは共に西洋絵画において最も有名な作品のいくつかを手がけました。
ルネサンス文化の絵画を象徴するのが遠近法の使用
フィレンツェ出身の建築家フィリッポ・ブルネレスキは、15世紀初頭(1404~1407年頃)にローマへ行き、古代ローマ帝国の衰退について学びます。
その後、ブルネレスキは、それまで誰も試したことがなかった、新しい描写の技法を編み出します。
その技法とは、現在の絵画や作図などでは当たり前に取り入れられている「遠近法」。
ブルネレスキが発明したこの遠近法はその後、写実主義の中核を成す技法の1つとなり、ルネサンス文化における芸術作品の重要な特徴となりました。
ルネサンス文化の特徴には重要な科学面での進歩も含まれる
芸術面だけでなく科学面でも大きな進歩があったというのが、ルネサンス文化を象徴する特徴の一つでしょう。
ルネサンスが進むにつれ、アリストテレスの自然哲学から帰納的推論に基づく科学的方法へ転換していきました。
これにより、当時の学者達はそれまで当たり前とされてきた考えに対して挑戦を始め、結果的にルネサンス文化では、多くの科学的発展が起こったのです。
例えば、芸術家としてもお馴染みのレオナルド・ダ・ヴィンチは、ハンググライダーやヘリコプター、そしてオーニソプターと呼ばれる鳥型飛行機のような飛行機具を始め、水圧ポンプや蒸気砲などを創案し、また、優れた絵の才能を使って、細部まで描かれた解剖図などを残しています。
さらに、ポーランド出身の天体学者ニコラウス・コペルニクスが提唱した天動説も、ルネサンス期に起きた重要な科学的進歩でしょう。
「コペルニクス的発想」という言葉があるようにコペルニクスは、それまで常識であった地球は宇宙の中心であり静止しているという地球中心説を覆し、地球は太陽の周りを自転しながら公転しているとする天動説を唱えたのです。
この発見は、後にアイザック・ニュートンへと繋がっていき、後世の天文学や物理学に大きな影響を与えていきました。
印刷革命が西欧諸国へのルネサンス文化拡大を後押しした
イタリアで誕生したルネサンスはその後、15世紀から16世紀にかけて西欧を中心に他のヨーロッパ諸国へ広がっていくわけですが、この拡大には「印刷革命」が大いに貢献しました。
印刷革命とは、15世紀半ば(1450年頃)にドイツ出身のヨハネス・グーテンベルクが、活版印刷技術を発明して実用化したことに始まる書物文化の革命。
グーテンベルクが発明した活版印刷技術はヨーロッパ各地へ急速に導入されていき、これによって書物が当時のヨーロッパ社会で広く普及するようになっていきました。
その結果、ルネサンスに関する思想や情報がヨーロッパ全土に広まっていき、西欧を中心としてイタリア以外のヨーロッパ諸国でも、ルネサンス文化が花開いていくこととなったのです。
ルネサンス文化は宗教改革の始まりにも繋がった
ルネサンス文化は、それまでの教会の権威や神中心で非人間的世界観を持った中世を批判する人文主義が引き金となって開花したわけですが、この「教会の権威に対する姿勢」は、ヨーロッパ最大の権力を持ったローマカトリック教会の堕落に対する非難をも引き起こしました。
例えば、ドイツの神学者マルティン・ルターと、オランダ(ネーデルラント)の神学者デジデリウス・エラスムスは、人道主義的な観点から新約聖書を批判して教会の改革を提案。
このような動きが、多くの信徒が抱えていたローマカトリック教会への批判と結びつき、一部がプロテスタントとして分離する「宗教改革」が起こったのです。
宗教改革はその後、西洋の生活のあらゆる分野に広範囲にわたって影響を及ぼした、ヨーロッパ史において重要な出来事の一つとなりました。
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ルネサンスの意味を象徴する文化や特徴11のことのまとめ
西欧を中心に発展したルネサンスについて、それが意味する11の文化的側面や特徴を紹介してきました。
ルネサンスとはある意味で、中世時代に当たり前だとされた常識を打ち破り、人がより自由な発想で物事に向き合ったり挑戦するための「きっかけ」であり「引き金」だったと言えるかと思います。