イタリアルネサンスの歴史と特徴|人文主義に始まり建築・芸術・科学を発展させた時代

イタリアルネサンスの歴史や特徴について見ていきましょう。人文主義に始まり、そ建築、芸術、科学などの分野で大きな発展が見られたイタリアのルネサンスについて、詳しく解説していきます。

中世が終わったイタリアには、ルネサンスと呼ばれる時代の転換点が訪れました。

このルネサンス時代(ルネサンス期)には、中世を否定することで誕生した思想である人文主義によって、それまでにはない自由な発想を持った多くの思想家や芸術家がイタリアに誕生。

その結果、この時代のイタリアは、建築や芸術分野において急速な発展を経験し、さらには現代科学の礎さえも築かれていくこととなったのです。

このイタリアルネサンスとは何だったのか?

ルネサンスの簡単な概要から始め、イタリアルネサンスの歴史や特徴と功績までを見ていきたいと思います。

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ルネサンスとは?

ルネサンス(Renaissance)とは、中世から近現代までの転換期、14世紀〜16世紀(17世紀)のヨーロッパにおいて起こった、革新的な文化運動またはその期間のこと。

14世紀後半にイタリアで大きな文化運動が起こり、それがやがて他のヨーロッパにも波及していきました。

名前のルネサンス(Renaissance)とは、フランス語で「再生」や「復活」を意味する言葉であることからもわかる通り、古代ギリシャやローマの古典文化を復興させながらも、同時に「新しい文化」を創造しようという運動で、思想、文学、芸術、建築、科学などの広範囲に影響を及ぼしたのです。

また、このルネサンスがやがて、後に起こる大航海時代や宗教改革、さらには現在の国家の形である主権国家の形成にまで繋がったとされ、これ以降の世界や社会のあり方を大きく変えました。

一方で、ルネサンスは西欧諸国に広がっていったことで、国によってルネサンス時代が終焉した時期は異なり、例えば、イタリアでは16世紀後半には終焉を迎えていた一方で、イングランドでは17世紀半ばまで続いたと考えられます。

ただし、イタリアのルネサンスについては、14世紀から文化運動が始まり、15〜16世紀の初め頃までに最も活発となり、16世紀末期には終焉を迎えたと考えておけば良いでしょう。

イタリアルネサンスの歴史

14世紀初頭からイタリアルネサンスの芽がで始める

イタリアにおけるルネサンスは14世紀の初め頃、後世にまで大きな影響を与える思想家が誕生し始めたことで徐々に開花していきました。

(ダンテ)

例えば、フィレンチェ出身の詩人で哲学者のダンテ(1265〜1321年)は、イタリアルネサンス文化の先駆者と考えられており、14世紀初頭に政敵によってフィレンチェを追い出され、各都市を孤独に放浪していた1307年頃に、有名な長編叙事詩「神曲」の執筆を始めたと言われます。

さらに、イタリアの詩人で思想家で、後世において人文主義(ルネサンス期において、ギリシア・ローマの古典文芸や聖書原典の研究を元に、神や人間の本質を考察した知識人)の父と考えられるペトラルカ(1304〜1374年)は、

  • 古代ギリシャや古代ローマの時代
    • 人間性が肯定されていた理想の時代
  • 中世
    • 暗黒時代

と考え、人間の理想的な生き方を追い求める研究を本格化していきました。

コンスタンティノープルの陥落がイタリアルネサンスを加速させる

1453年5月29日、勢力を拡大していたオスマン帝国が、東ローマ(ビザンチン)帝国の首都コンスタンティノープルを征服します(コンスタンティノープルの陥落)。

これによって、東ローマ帝国は滅亡。

東ローマ帝国領土に住んでいた多くのギリシャ系知識人が、沢山の書物と一緒にイタリアへ亡命する形で流入し、その結果、古代ギリシャやローマの古代文化研究が盛んになり、ペトラルカの人文主義と結びついてルネサンス文化が加速することとなりました。

さらに、イタリアは古代ローマ帝国が繁栄した土地であるため、同地には多くの古代文化遺跡が遺っていたことも、イタリアルネサンス文化の発展と加速を促したと言えるでしょう。

14世紀後半には本格的なイタリアルネサンスの幕開けを迎える

14世紀後半、人文主義の考えに大きな影響を受けたイタリアの思想家の一部が、「我らは新たな時代を生きている」との考えを発表しました。

このイタリアの思想家達は、

未開の中世の時代は終わり、学問や文学、芸術、そして文化が再生する時代の幕開けである

としたのです。

そして、この頃にはすでに、イタリア社会では複数の人文主義者が現れ、また、ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチなど、類稀なる才能を発揮する芸術家が現れ始めたことから、本格的にイタリアにおけるルネサンスが幕開けを迎えたのです。

イタリアルネサンスの背景

14〜15世紀のイタリアは、ヨーロッパの他の地域と比べて大きな違いがありました。

イタリアは独立した都市国家または小さな国に分かれ、それぞれが異なる政治体制をとっていたのです。

そして、ここで重要なのが、あくまでもイタリアルネサンスは、地中海貿易で繁栄した北イタリアのトスカーナ地方にあった諸都市を中心として発展したという点。

特に、毛織物業と銀行業で経済的に大きな力を持っていたフィレンツェを中心に発展し、その後、急速にイタリア全土に広まって発展していったのです。

このように、14世紀後半から15世紀にかけてルネサンスがイタリアで誕生して大きく発展した背景には、イタリアに住んでいた富裕層の存在を忘れてはならず、彼らが芸術家や有識者の後援者や支援者になることで、ルネサンス文化は興隆を迎えたのです。

イタリアルネサンスの終焉

しかし、このイタリアルネサンスも、15世紀後半になると陰りを見せるようになりました。

イギリス、フランスそしてスペインの王たちが、ローマ法王や神聖ローマ帝国の君主とともに富にあふれる半島を支配することを目的に戦いを繰り広げます。

イタリアにあった各諸都市は、他のヨーロッパ勢から度重なる攻撃を仕掛けられ、異なる外国の影響下、実質的な支配下となることでイタリア国内は分裂して一部は荒廃しまったのです。

例えば、1527年に起きた、スペインによるイタリアのローマへの侵攻「ローマ劫掠」では、ローマに生活していた多くの人が殺戮され、また、現地の建物なども破壊されてしまいました。

また同じ頃、スキャンダルや汚職で崩壊しつつあったキリスト教のカトリック教会は、カトリック教会に反発する人々に対して、武力による取り締まりを開始。

1545年にはトリエント公会議が、公式にプロテスタントへの異端尋問を設立することとなりました。

このような情勢の下、「ギリシア・ローマの古典文芸を理想に、神や人間の本質を追い求める人文主義」は風化していき、イタリアのルネサンスは16世紀末期に幕を閉じたのです。

イタリアルネサンスにおける功績と特徴

ルネサンスを築いた新たな「人文主義」という考え

ルネサンス時代の作家や思想家は、富裕層の支援によって、日々それぞれの活動に没頭することが出来たわけですが、この生活を通して大きく発展したのが「人文主義」でした。

余裕のある生活を続ける中で、作家や思想家はイタリア各地を旅し、古代遺跡の研究にあたり、ギリシャそしてローマ時代から残る数々の発見をしました。

そして、教会の権威や神中心の中世的世界観を否定する一部の思想家達は、まだキリスト教が広まっていなかった古代ギリシャや古代ローマ(※古代ローマ末期にはキリスト教は広まり始めていた)の暮らしこそ、人間にとっては理想だと考え始め、非人間的重圧から人間を解放し、人間性の再興を目指して「人文主義」の考えを唱え始めたのです。

このように、中世的世界観を否定した人文主義の考えに含まれる「自由」という側面が、自由な発想を元にして活躍した多くの思想家や芸術家達を生み出し、ルネサンスが発展する精神面や知的面での大きな動機そして原理となったのです。

イタリアルネサンスは現代科学の基盤と作った

人文主義はまた、世間の常識、特に中世の教会において一般的に正しいとされていた知識に対し、「人々が疑問を抱くこと」を後押しする形となりました。

さらに、地球上の問題の考察や解決に対して、実験や観察の導入を奨励しました。

結果、多くの識者達が、自然そして自然界の法則の理解と解明に焦点をあてた研究を行っていくようになったのです。

(レオナルド・ダ・ビンチ)

その一例として、ルネサンス時代の芸術家で科学者「レオナルド・ダ・ビンチ」を挙げることが出来るでしょう。

ダ・ヴィンチは、飛行機から潜水艦に至るまで、多くの物を科学的に考察した記録を残し、人体解剖においてもパイオニアとなる研究を残しています。

また、別な例として、科学者そして数学者であったガリレオ・ガリレイは、自然法則の研究を次々と行いました。

例えば、建物の上から異なる大きさの砲弾を落下させ、すべての物質の加速率は同じであることを証明したり、強力な望遠鏡を開発し、当時の宗教家の見解とは反対に、地球そしてほかの惑星は太陽を軸として回っていることを明らかにしたのです。

イタリアルネサンスの最大の功績は芸術分野

ルネサンス期には多くの分野で発展が見られたものの、特徴的なのは、後世のヨーロッパ芸術に多大な影響を及ぼした芸術的功績でしょう。

実際、ルネサンス期のイタリアはアートで溢れていたとされ、フィレンツェのメディチ家をはじめとする後援者が、数々のプロジェクトを支援し、成功を収める芸術家も数多く誕生したのです。

(ジョット・ディ・ボンドーネによる「ユダの裏切り」)

そんなルネサンス文化に貢献した多くの芸術家の中でも、フィレンツェ出身のジョット・ディ・ボンドーネ(1267〜1337年)が、先陣を切った画家で建築家だと考えられています。

ボンドーネは、ローマ帝国の崩壊後に衰退していた視覚芸術を覆したことで名声を得たのです。

彼は広く普及していたビザンチン様式を否定し、日常生活を正確に描写した技法を取り入れました。

また、イタリアにおけるルネサンスの絶頂期を表す「盛期ルネサンス」の時代には、

  1. レオナルド・ダ・ヴィンチ
  2. ミケランジェロ
  3. ラファエロ

の盛期ルネサンス三大巨匠が誕生するなど、この時期は人類史において最も芸術が花開き、複数の大芸術家が同時に誕生したという特徴があります。

建築分野も大きく発展した

ルネサンス時代の芸術の発展は、絵画だけでなく建築においても顕著でした。

例えば、建築家であったフィリッポ・ブルネレスキは、形や柱、そして中でも比率といった古代ローマ建築の要素を自身の建築に取り入れました。

また、ブレネレスキは、鏡面にフィレンツェの建築の輪郭を写し取り、遠近法を幾何学的な手法で実証することに成功したため、遠近法を発明した人物としても知られます。

ちなみに、フィレンツェの「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」に建てられた、八面から成る壮大なドーム(クーポラ)は、工学技術においてもその美しさにおいても絶賛され、ブルネレスキを代表する作品となっています。

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イタリアルネサンスの歴史と特徴|人文主義に始まり建築・芸術・科学を発展させた時代のまとめ

イタリアルネサンスについて、概要から歴史、そして特徴や功績までを見てきました。

イタリアで始まったルネサンス文化はその後、西欧諸国に広がり、イタリアのみならずヨーロッパ大陸において多くの文化的功績をもたらしたのです。

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