中国の歴史上で美女とされた10人の美人女性達とは?

中国の歴史上で美女とされる美人女性達をピックアップして紹介していきます。長い中国の歴史の中で、現れては消えた国々へ裏から影響を与えた10人の美女達を見ていきましょう。

4000年の歴史と言われる非常に長い歴史を持った中国には、古くから多くの美女がいました。

なかには美しいだけでなく、比類なき知性と勇敢さを持ち合わせていた女性もいたとされ、今日でも人々の記憶に刻まれているのです。

しかしながら、それら美女の中には悲劇の運命を辿っている女性も多くいます。

中国の歴史上、美女の中には政治的手段として利用されたり、帝国や王朝を滅ぼす原因となってしまった者が少なくなかったのです。

そんな、中国の歴史上で美女とされた10人の美人女性を紹介していきたいと思います。

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中国の歴史上の美女① 妲己(だっき)

妲己は殷朝(紀元前17世紀頃〜紀元前1046)における最後の王、「帝辛(ていしん)」の最愛の側室であり后。

もともと名君として信頼を得ていた帝辛を、他のことが目に入らないほど夢中にさせた美人で、さらに、帝辛を狂わせて暴君にしてしまった元凶とされ、しばしば殷朝の崩壊を招いた人物と考えられている悪女の代名詞的存在です。

(出典:wikipedia

妲己に虜になっていた帝辛は、とにかく妲己を毎日満足させようと、毎夜、「酒で池を満たし、木々には肉をぶらさげて林に見立て、その肉の林の間に裸の男女を走らせるような豪華な宴」を開いていたことから、国の財政が悪化して殷朝の崩壊へ拍車がかかってしまうのです。

ちなみに、この宴が、現代にも残る酒池肉林(贅を尽くした豪華な宴を意味する)の語源になっています。

また、様々な中国の民間伝承について書かれた有名な神話「封神演義」(ほうしんえんぎ)は、この美女を「拷問好きで邪悪な狐の権化」として描いています。

中国の歴史上の美女② 西施(せいし)

西施(本名は施夷光)は、古代中国四大美女の一人として知られる歴史上の美人女性。

(出典:sohu.com

春秋時代(古代中国における周王朝の後半期に位置する時代。紀元前770年から紀元前5世紀までのおよそ320年間)末期の王国である、越(えつ)の首都であった諸曁(しょき)に住んでいました。

彼女は生まれた時から美しく、美人の典型と呼ばれており、その美しさを表現する比喩として、「あまりに美しかったので、魚は水中に潜って姿を消し、空を飛ぶ鶴が墜落するほどだった」というものがあります。

その美貌さゆえ、西施は越の王「勾践(こうせん)」による呉の王「夫差(ふさ)」に対する復讐劇(西施を含む美女達を夫差に献上して夫差が国政に集中出来ないようにした)に利用され、呉の滅亡を招いた一人だとされています。

中国の歴史上の美女③ 趙姫(ちょうき)

もともと趙姫は紀元前260頃、邯鄲(かんたん)市で高級娼婦をしていた美女。当時の大商人「呂不韋(りょふい)」の側室でした。

(出典:pinterest

しかし、奏の第30代の王となる荘襄王(当時はまだ皇太子であり、子楚と名乗っていた)に送られ、そこで子楚の寵愛を受けた結果、紀元前259年にはのちの始皇帝となる政を産みます。

その後、紀元前249年に子楚が荘襄王として王になると趙姫は王后となり、紀元前246年には荘襄王が死去してしまったため、子供の政が奏の王となって趙姫は王太后となるのです。

一方で、その美貌に加えて彼女自身は性的な恋愛中毒に陥っており、呂不韋と不倫関係にあった上、偽宦官の嫪毐(ろうあい)との間に二人の子を儲けたのです。

趙姫の恥知らずな行為に立腹した政は、嫪毐とその二人の息子たちを処刑し、母である趙姫は王宮に幽閉されてしまいます。

中国の歴史上の美女④ 虞美人(ぐびじん)

虞美人は、秦末期の楚の武将であった項羽の恋人(愛人)。

その名前に含まれる「美人」から分かる通り、美しい容姿を持っていた美女であったと言われます。

(出典:wikipedia

また、虞美人はただの美人女性ではなく、献身的な愛を貫いた女性としても中国の歴史上で有名。

紀元前202年、項羽は貴渓(きけい)で劉邦(りゅうほう)・韓信(かんしん)・彭越(ほうえつ)の軍に取り囲まれました。

項羽の重荷になるまいと、虞美人は項羽の目の前で短刀を使って自殺してしまったのです。

彼女の項羽に対しての献身的な愛は何千年もの間、中国の人々に称えられ、虞美人のイメージは、しばしば文学作品に登場しています。

中国の歴史上の美女⑤ 陽玉環(ようぎょっかん:楊貴妃)

陽玉環は楊貴妃(ようきひ)の名でも知られ、古代中国四大美人の中でもおそらく最も有名な美女で、唐の第9代皇帝であった玄宗皇帝から寵愛を受けた美しい皇妃。

もともとは玄宗皇帝の息子の妻でした。

しかし、楊貴妃があまりにも美しく、玄宗皇帝が虜になり過ぎた結果、息子の妻であったのにも関わらず玄宗皇帝は、自らの妻として楊貴妃を迎え入れることにします。

結果、あまりにも魅力的な楊貴妃に、玄宗皇帝は毎日夢中になり過ぎて国務を怠るようになり、それが国を揺るがす安史の乱に繋がっていったと言われます。

そのため、楊貴妃は安史の乱を引き起こした罪を問われ、ついには兵士たちに自殺させられてしまうのです。

そんな楊貴妃は、ただ美しいだけでなく、音楽や舞踏を始め、多くのことに才能を発揮したと言われ、それもこの美女の魅力です。

また、当時の女性としては豊満な体を持っていたとも考えられています。

中国の歴史上の美女⑥ 趙飛燕(ちょうひえん)

超飛燕は前漢の第11代皇帝である成帝の第二夫人。

(出典:Uknow01

もともとは非常に身分が低い家庭の出でしたが、歌や舞の研鑽に励んで技術を磨いていくうち、その外見も相まって成帝に気に入られ、最初は女官となりのちに皇后になります。

中国の歴史において超飛燕は、しなやかな体つきとその美貌で有名。

また、唐の玄宗の妻であった有名な楊貴妃と比較されることがしばしばあります。

これは、超飛燕がしなやかな体つきであったのに対し、楊貴妃は豊満な体つきであったとされるからです。

中国の歴史上の美女⑦ 蕭皇后(しょうこうごう)

蕭皇后または煬愍皇后(ようびんこうごう)は、隋の煬帝の妃で、当時としては長生きな西暦566から648年まで生きた女性。また、王朝や政権交代を幾度となく生き延びた人物です。

(出典:m.blog.naver.com

無類の美貌を持ち、あまりに魅力的なので言葉では言い表せないとも言われたほどらしいです。

言い伝えでは50歳の時、のちの皇帝である超匡(ちょうぎ)さえもたちまち夢中にさせたらしく、中国の歴史上最も美しい美女の一人であると考えられています。

中国の歴史上の美女⑧ 王檣(おうしょう)

王檣は王昭君(おうしょうくん)の名で広く知られる古代中国四大美人の一人で、紀元前206から紀元後8年まで栄えた前漢の時代に秭帰県(しきけん)で生まれました。

北方匈奴(きょうど)と良好な関係を築くために前漢第10代皇帝の元帝によって、匈奴の呼韓邪単于(こかんやぜんう)のもとへ、妻になるべく送られた美女です。

(出典:pinterest

しかし、呼韓邪単于は王檣との間に一男を儲けた後、死亡してしまいます。

その後、王昭君は匈奴の習慣に従い、しぶしぶ呼韓邪単于の息子(王昭君にとっては義理の息子)の妻となって二女を儲けました。

ちなみに当時、漢族の間では義理の息子であっても父の妻をめとることは近親相姦と同じような不道徳に当たると考えられていたため、王昭君はひどく反対して悲しんだと言います。

中国の歴史上の美女⑨ 李師師(りしし)

李師師(りしし)は北宋朝時代(960から1127年)の後期に存在したとされる高級娼婦で、その美貌によって多くの男性を虜にしたとされる美女。

北宋の第8代皇帝であった徽宗(きそう)の寵愛を受けて側室となります。

(出典:iFuun.com

李師師は美しいだけでなく、才能にも溢れていたと言われ、歌、踊り、詩を詠むのに長けていたそうです。

しかし、徽宗の息子である欽宗(きんそう)が皇帝に即位してすぐ、北宋の敵である金王朝によって北宋の首都である開封が陥落し、その混乱に乗じて行方をくらまし、その後の李師師は謎に包まれたままになっています。

中国の歴史上の美女⑩ 貂蝉(ちょうせん)

貂蝉も古代中国四大美人の一人でしたが、他の3人とは違って彼女の存在を証明する記録がないため「架空の女性」として考えられている美女。

有名な歴史小説「三国志演義」に登場し、幼少期は売りに出されていた孤児だったのが、成長してからは美しく勇敢な女性として描かれています。

(出典:gopep.cn

彼女は「連環の計(注)」にその身を捧げ、強大な董卓(とうたく:中国後漢末期の武将)と結婚すると同時に、彼の仲間の呂布も誘惑し、二人を仲違いさせようとしました。

この計画はついに成功し、最後には呂布が董卓を殺害するようしむけることが出来たのです。

(注釈)貂蝉が関わった連環の計とは?

後漢の司徒であった王允は、専横を極める相国の董卓を亡き者にするため、「連環計」を謀る。

まず、絶世の美女として知られる娘の貂蝉を、董卓とその側近の呂布の元に送りこみ、二人を貂蝉の虜にした(美人計)。

その後、貂蝉を巡って両者を仲違いさせ(離間計)、呂布を説き伏せて董卓を殺害させた。

(引用:Wikipedia

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中国の歴史上で美女とされた10人の美人達とは?のまとめ

非常に長い中国の歴史の中でも、今日まで美女として知られる10人の美人女性達を紹介してきました。

中国の歴史は非常に奥深いものがありますが、その裏には多くの美女達がおり、国の隆盛に影響を与えたことを忘れてはなりません。

世界のことって面白いよね!By 世界雑学ノート!

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