ルワンダ虐殺|わかりやすく事件の原因や内戦から続く経過を解説

ルワンダ虐殺についてわかりやすく事件の原因や流れを見ていきます。ルワンダ内戦から続いた歴史的な残虐事件について理解を深めていきましょう。

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20世紀にはジェノサイドと言われる大虐殺が世界各地で起こりましたが、東アフリカの内陸国ルワンダでも「ルワンダ虐殺」と呼ばれるジェノサイドが起きました。

このルワンダ虐殺は、簡単に言ってしまえば民族間の争いから発展したものですが、その原因はもっと複雑であり、未だに「誰が真の犯人なのか」について議論が絶えない事件です。

この記事では、そのルワンダ虐殺についてわかりやすく、原因や、それ以前から起こっていたルワンダ内戦から続く経過などを解説していきます。

また後半では、他にも知っておきたい4つのポイントも挙げていきます。

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ルワンダ虐殺とは?

ルワンダ虐殺(Rwanda Genocide/the genocide against the Tutsi)とは、1994年にルワンダで発生したジェノサイド(一つの人種・民族・国家・宗教などの構成員に対する抹消行為)

その特徴をわかりやすく簡潔にまとめれば、

  • フツ族(過激派)によるツチ族(とフツ族穏健派)の大量虐殺

と言え、1990年から激しくなった多数派フツ族と少数派ツチ族の対立である「ルワンダ内戦」の文脈の中で起きた事件です。

また、ルワンダ虐殺の中では、現地のピグミー族であるトゥワ族も多くが巻き添えを食う形で殺害されました

結果、およそ100日間続いたこの事件による犠牲者数は50万から100万人と言われ、当時のツチ族の人口およそ70%と、ピグミー・トゥワ族の30%が殺害されたと推定されています。

加えて、ツチ族が最終的に紛争に勝利してルワンダの実権を握ると、およそ200万のルワンダ人(多くはフツ族)が、元々の居住地を追われて国内避難民や難民となってしまいました。

歴史ダイジェスト|ルワンダ虐殺事件の原因と流れをわかりやすく解説

ルワンダ虐殺の背景

ルワンダ虐殺の原因は、元々違いがほとんど認識されていなかった人々(そもそも同じだったとも言われる)を、当時ルワンダを支配していたヨーロッパ人(元々はドイツ人が、第一次世界大戦終了後の1918年からはベルギー人が)がフツ族とツチ族に区分し、1930年代には当時の宗主国ベルギーによってIDカード制が導入されて完全に異なる民族として固定し隔てたことに遡ります。

そして、徐々に両者の対立が生じ始め、

  • 1956年から1967年までの間に約2万人のツチ族が殺害される
    • 他にも20万人のツチ族は難民化を余儀なくされた
  • 1973年にクーデターによってフツ系政権が樹立するとツチ族の反政府運動が活発化
    • 多くのツチ族は隣国ウガンダに逃れる
    • ウガンダに逃れたツチ族は「ルワンダ愛国戦線(RPF)」を組織して反政府運動を強める
    • 1980年までルワンダ国外で暮らすツチ族の難民は60万にも達していた

といったことなどが起こり、1990年にはその対立がさらに激しくなったいわゆる「ルワンダ内戦(ルワンダ紛争)」に突入します。

ツチ民族側は、「フツ族主体によって行われている政治はツチ民族の民意を反映していない」と訴え、フツ民族は「ルワンダの経済的衰退はツチ民族のせいである」と訴えたのです。

加えて、歴史的に圧政的な統治をしてきたツチ民族をフツ民族は恐れていました(※もともと同地域はツチ族が支配する状況にあった。ベルギーが宗主国となってからはツチ族に全ての首長を独占させるなど圧倒的に優遇した。)

また、1990頃のルワンダでは、フツ族が人口のほとんどを占め、ルワンダの社会や政治を執り行っていましたが、少数とは言え、ツチ族も政治的な脅威を示すには十分な人口を抱えていたのです。

1990年頃、ルワンダには大きく3つの民族が存在していた。大多数はフツ民族で人口の約85%を占め、ツチ族が約14%、トゥワ族が約1%。この数字はわずか5年のうちに大きく変わることになった。

ルワンダ虐殺の勃発から終焉まで

ルワンダで内戦が始まると、暴力的な風潮が国内にあっという間に広がります。

フツ族の中でも過激派だった政治家たち、それから、当時のルワンダの大統領シュベナール・ハビャリマナ(フツ族)は以前から、ツチ族を政界のみならずルワンダ国内自体から排除しようと企てていたため、この内戦はその計画を実行するのには格好の機会だったのです。

そして、事件は起きます。

1994年4月6日、ハビャリマナ大統領が搭乗する飛行機が何者かに襲撃されて大統領が死亡

ハビャリマナ大統領出典:wikipedia

この事件の実行者と首謀者は不明のまま(※ただし、ルワンダ愛国戦線の疑いが濃い)でしたが、フツ族の過激派とルワンダ愛国戦線を中心としたツチ族の間で非難合戦が始まり、これが直接的な原因となってルワンダ虐殺が始まったのです(この事件をフツ族側は利用した)

フツ族の過激派はルワンダ政権を乗っ取ってツチ族の政治家を虐殺するだけでなく、ツチ族と手を結ぼうとした過去があるならば、同じフツ民族出身の政治家だったとしても虐殺していきました。

ツチ民族を支援しようとしたとして、約1000人ものフツ族穏健派が残虐されたとされています。

また、ルワンダ全土に兵士が派遣されるとその手は市民にも広がり、ツチ族と分かると老若男女問わず殺されるという状態が何週間も続きました

加えて、フツ族の政治家や兵士は、フツ族の一般市民にもツチ族の殺害や強姦を促しました。

こういった呼びかけに答えて虐殺に関与した人々は、推定で最大20万人に上ると考えられています。

ルワンダ虐殺の終焉

このような状況を受け、ツチ族によって組織され、ウガンダに拠点を置く反政府勢力のルワンダ愛国戦線」が、ツチ族保護を名目に一気に攻勢へ出ます

その結果、1994年7月にフツ族過激派を抑え、ルワンダ全土を制圧。

ルワンダ愛国戦線はフツ族のパストゥール・ビジムングを一時的な大統領として新政権を発足しますが、事実上はツチ族系が力を握る政権であり、およそ100日間続いたルワンダ虐殺はここでようやく終焉を迎えました

ちなみに、2000年にはビジムング大統領が辞任をしたため、当時の副大統領であったポール・カガメ(ツチ族)が大統領に就任しています。

ルワンダ虐殺は誰を責められるべきなのか?そしてこの事件がもたらしたものとは?

ルワンダ虐殺の残酷さは世界中に知れ渡り、現在でも「ルワンダ虐殺に関しては誰が責められるべきなのか?」という疑問が世界中から投げかけられています。

もちろん、フツ民族過激派こそ自分たちの民族を優先したいがために、こういった虐殺を計画・実行した張本人であるのは確かでしょう。

しかし、その元凶を遡ればこの地を植民地として支配したベルギーに行き着きます。

そして、ルワンダ虐殺の直接的な引き金となった1994年のハビャリマナ大統領を乗せた飛行機の撃墜事件に関しては、ツチ側による可能性が濃いと言われ、さらに、ツチ族が政権を取ってからは多くのフツ族が亡命や難民化を余儀なくされていると言います。

このように、ルワンダ虐殺は、「誰が責められるべきなのか」について未だに議論される事件なのです。

一方で、ルワンダ虐殺を背景に、国境を越えて人権侵害の加害者を裁くことができるICC(国際刑事裁判所)が設立されました。

ルワンダ虐殺について知っておきたい4つのこと

① ヨーロッパ人の勝手な解釈によって2つの民族の隔たりが出来上がった

元々、ルワンダの地域には主に農耕に従事するフツ族と、牧畜に従事するツチ族が大きな問題を抱えることなく共存していました

しかし、19世紀にヨーロッパ人が到来し、20世紀前半にこの地がベルギーの支配下になると、両者が区分され、両者間の対立が増えていったのは先述した通りです。

この時、ヨーロッパ人は、背が高くてヨーロッパ「貴族のような」見た目を持つツチ族を、「特権と教育を持つ支配民族」として選択したのです。

(出典:HISTORY CRUNCH

両者の違いとして、当時のヨーロッパ人は次のような点を挙げていました。

  • フツ族(よりネグロイドー黒人系ーに近い特徴を持つとした)
    • 中程度の背丈とずんぐりした体系
    • 肌の色が比較的濃い
  • ツチ族(コーカソイドー白人系ーに近い特徴を持つとした)
    • 痩せ型で鼻が高くて長身
    • 肌の色が比較的薄い

しかし、ヨーロッパ人がこの地へ来るまで両者の違いは非常に曖昧だったとされます。

加えて、

  • 両者はもともと同一のものが、次第に牧畜民と農耕民へ分化した
  • 両者は宗教、言語、文化を共有し、さらに婚姻も一般的だった

と、近年の研究結果では考えられています。

つまり、両者は同じ民族同士、または違ったとしても非常に近しい民族同士であったのにも関わらず、外部の勝手な解釈によって区別され、お互いを憎しみ合うようになってしまったと言えるのです。

② ルワンダ虐殺において多くのフツ系非戦闘員が参加した理由

ルワンダ虐殺では戦闘員である兵士以外に、最大20万人にもなる非戦闘員(一般市民)も加担したと言われます。

ではなぜ、一般市民もルワンダ虐殺の中で酷い行為に走ってしまったのでしょうか?

これに関してはいくつかの理由が考えられます。

まず、一般市民もツチ族を殺害するように軍や警察に強要されていたこと。

ツチ族の隣人や友人まで殺すように強要されていたと言います。

さらに、虐殺に参加した人たちにはインセンティブとして、金銭、食べ物、土地などが与えられました。

また、殺害したツチ族の土地は自分のものに出来るとされたのです。

国内放送でプロパガンダを用いた

さらに、ツチ族に対するフツ族側の憎悪を決定的に助長したものが、国際法に違反してまでも行ったプロパガンダ放送でしょう。

市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)では、戦争や人種差別を扇動するあらゆるプロパガンダ」を禁止するように求めていますが、フツ政権はそれを無視してフツ族の一般市民へ残虐行為に参加するように呼びかけたのです。

その放送は具体的に以下のようなものだったのです。

You have to kill the Tutsis, they’re cockroaches. All those who are listening, rise so we can fight for our Rwanda. Fight with the weapons you have at your disposal: those who have arrows, with arrows, those who have spears, with spears. We must all fight.

We must all fight the Tutsis. We must finish with them, exterminate them, sweep them from the whole country. There must be no refuge for them.
They must be exterminated. There is no other way.

君はツチ族を殺さなければならない。奴らはゴキブリだ。これを聞いている諸君、立ち上がれ、そしてルワンダの為に戦え。持っている物を武器にして戦え。弓を持っている者は弓で、槍を持っている者は槍で。我々は戦わなければならない。

我々は皆、ツチ族と戦わなければならない。奴らと戦わなければならない。皆殺しにしなければならない。この国全土から排除しなければならない。奴らへの避難所はどこにもない。やつらは皆殺しにされなくてはならない。他の選択肢はないのだ。

(引用:PPU

ルワンダ虐殺において犯行に加担した人たちの中には、このような政治的使命を熱狂的に信じた者が多くいたのです。

③ 多くの死体はバナナの葉で覆われた

ルワンダ虐殺の中で殺された人々の遺体、特に郊外にあった死体の多くはバナナの葉で覆われていたと言われます。

これは、ジェノサイドを組織した人間達は、国際社会の目を意識し、国際社会による調査や介入などを恐れていたのが理由だとされます。

そのため当時、ルワンダ国内のラジオでは一般市民に対して虐殺を続けるよう呼びかけながら、路上に死体を放置しないように要請していたほどでした。

④ アルメニア人虐殺やホロコーストとは違うルワンダ虐殺

1915年に起きたアルメニア人虐殺や、第二次世界大戦中の1941から1945年に掛けて起きたナチスドイツによるホロコーストとは違い、ルワンダにおけるジェノサイドは秘密裏に行われたわけではありませんでした。

ジャーナリストによって、状況は世界へ報道され続けました。

しかし、それにも関わらず国際連合ルワンダ支援団(UNAMIR)は介入する権限は与えられていない」として、人々が路上で殺害されるのを見ていただけであり、他の国々も介入することを躊躇い続けました。

また、ジェノサイドが始まる以前からジェノサイドの可能性について、国連には明確な警告が少なくとも10回はあったとも考えられおり、さらに、UNAMIRは大虐殺の3ヶ月前に、ブトロス・ブトロス=ガーリ国連事務総長(エジプト出身の第6代国連事務総長)に電報を送っていたのです。

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ルワンダ虐殺|わかりやすく事件の原因や内戦から続く経過を解説のまとめ

1990年代、ルワンダでは民族同士の対立が過激になり、ルワンダ虐殺が起こりました。

フツ民族過激派に煽られるように両者の対立は激しいものになっていき、1994年について凄惨な大虐殺が始まってしまい、そこでは最大で100万人もの人々が命を奪われたのです。

当時の様子を描写する話として次のようなものがあるので、最後に紹介しておきましょう。

(ルワンダ・タンザニア国境にある)カゲラ川はタンザニアとルワンダの自然の国境線で、流れが急な渓谷になり、そこには魚や小さな木が流れに乗って沢山集まってきます。

しかし、1994年の晩春にはそれが死体でした。

渓谷の流れの中を死体がクルクルと回転しながら、浮かんだり沈んだりしながら流れてきたのです。

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