バヌアツ共和国について紹介していきます。観光情報から人々の文化や歴史、そして知っておきたい8つのポイントをまで見ていきましょう。
南太平洋に位置してオセアニア地域に含まれるバヌアツ共和国は、観光地として知られる国。
ただし、そのアクセスのしにくさから年間の観光客はおよそ10万人前後。しかしだからこそ、人の手が全くついていない自然が存在し、訪れた人を魅了します。
この記事ではバヌアツ共和国について、基本的な情報から歴史と文化、そして観光情報に至るまでを紹介していき、最後に他にも知っておきたい8つのことに触れてバヌアツ共和国に対しての理解を深めていきたいと思います。
バヌアツ共和国とは?
バヌアツ共和国、通称「バヌアツ」は、南太平洋1300kmに渡って広がる美しい国。
80以上もの島から成り立っていて、ソロモン諸島の下に、北から南に向かって連なっており、西にオーストラリア、東にフィジー、そして南西にニューカレドニアがあります。
また、現在(2016年現在)の人口はおよそ27万人で首都はポートビラです。
そんなバヌアツ共和国の魅力はなんと言っても、手付かずの自然美とリゾートスタイルのホテルの融合で、以下3つの主な観光地(島)が存在しています。
- エファテ島
- エスピリトゥサント島(通称サント島)
- タンナ島
それ以外の島々に関して観光名所はそこまで多くありませんが、バヌアツの島々を周る中でペンテコスト島、アンブリム島、そしてマレクラ島に行けば、豊富な熱帯雨林の神秘に出会う事が出来るでしょう。
さらにクルーズ船に乗って周回すれば、透明な青い海の海面下に広がるサンゴ礁を楽しむことも出来ます。
ちなみに、バヌアツ共和国での公用語は英語、フランス語、ビスラマゴ(英語とフランス語が混じり合って変化して生まれた言葉)。
そして、日本からの直行便はないため、ニューカレドニア、フィジー、オーストラリア、ニュージーランドなどを経由して、首都ポートヴィラがあるエファテ島のポートヴィラ・バウアフィールド国際空港に降り立つことになります。
バヌアツ共和国の歴史と文化
バヌアツ共和国には長く豊かな歴史があります。
というのも、少なくても紀元前2000年までには、メラネシア人達がバヌアツの島々に移り住んできたと考えられているから。
その後も、現在に至るまでの約4000年の間で、ポリネシア人やヨーロッパ人がこの地へ移住してきたにも関わらず、バヌアツのメラネシア人は独自の伝統文化や伝統行事を守り抜いてきました。
また、バヌアツの文化は北、中央、そして南の島々によって多少異なります。
例えば、社会での地位に関する考え方について、以下のような違いを見ることが出来ます。
- 北の島々
- 地位はお金で買うことが出来き、富はどれだけ人々に与えられるかで決まる
- 中央や南の島々
- 地位は社会的な肩書きで決まる
ヨーロッパの入植が開始
バヌアツは、1605年までヨーロッパの影響を全く受けてきませんでした。
しかし1606年になると、ポルトガル人の探検家ペドロ・フェルナンデス・デ・キロスが初めて島々に上陸。
この時には、バヌアツに対しての影響はほとんど生じませんでしたが、1774年にはイギリスのジェームズ・クックがこの地をニューヘブリディーズと命名。
(ジェームズ・クック)
そこからヨーロッパ人による入植が始まり、特に1830年代から1860年代の間に、ヨーロッパ人、サモア人、ニューカレドニア人、そしてフランス人宣教師達が次々と入り込んで来たのです。
やって来た入植者達の中には、コーヒー、ココア、バナナ、そしてココナッツの農園を作る者も現れました。
※悪名高き労働売買(blackbirding:フィジー、サモア、オーストラリアの農園で働かせる為にメラネシア人を強制連行した行為)はちょうどこの頃行われ、バヌアツの原住民の人口が大幅に減少したと言われる
フランスとイギリスの共同統治から独立まで
1887年、イギリス海軍とフランス海軍は、当時この地域にいたイギリス人とフランス人を保護する目的で、英仏海軍委員会(Anglo-French Joint Naval Commission)をこの地に設置。
1906年にニューヘブリディーズ諸島は英仏共同統治領となり、メラネシア人は市民権と権力を失うことになりました。
そして、第二次世界大戦中にはアメリカ軍が押し寄せ、100,000人以上ものアメリカ軍兵士がやって来てサント島を占領。
これをきっかけに、バヌアツではナショナリズム運動の動きが始まります。
1970年代にバヌアツで初の政党が結成され、1980年7月30日に晴れて「バヌアツ共和国」として独立することになったのです。
ちなみに、バヌアツ共和国の国旗はこの国の波乱の歴史を表しており、国民達のプライドを示すシンボルとなっています。
バヌアツ共和国へ観光に行く際のおすすめな楽しみ方
バヌアツ共和国はとにかく美しく手付かず自然が豊富な南太平洋の国で、バヌアツの至る所にある火山を見たり、他にもたくさんの自然の神秘を見て体験することが出来ます。
観光の楽しみ方① エファテ島へ飛んで島の様子を見てみよう
まずはエファテ島へ飛んで、島の様子を見てみてください。
- 起伏の激しい海岸線
- 山地にある熱帯雨林のジャングル
- 滝
- ブルーホール
- バヌアツ現地の村々
- 素晴らしい天然港
- 心を奪われる美しい海
など、ワクワクする観光スポットがたくさんあります。
観光の楽しみ方② サント島へ飛んでみよう!
バヌアツ共和国最大の島、エスピリトゥ・サント島へは北へ50分のフライトで到着します。
素晴らしい環境でのダイビングとシュノーケリングが可能で、
- ターコイズ色の淡水のブルーホール
- 有名な白砂のビーチ
- 神秘的な洞窟
などで知られているサント島は、自然の美しさをシンプルに楽しむには最適な場所です。
また他にも、沈没船「SS・プレジデントクーリッジ号」または「ミリオンダラー・ポイント」を訪れれば、第二次世界大戦時のこの島の役割を学ぶことが出来ます。
そして、マカジキ、カマスサワラ、またはサワラを釣って、島内のロル公園の探索へ向かいましょう。
この220ヘクタールにも及ぶ広大な場所では、自然の中の散策やこうもりの洞窟、この上なく広がる平地林を楽しめます。
観光の楽しみ方③ タンナ島の火山を覗いてみよう!
バヌアツ共和国のタンナ島には、世界で最も火口へ近づくことができる活火山、標高361mのヤスール山があります。
アクセスしやすい怒り狂ったような溶岩が湧く山は、恐怖を感じさせるかもしれません。
しかし、激しく美しい火山を縁から見下ろすことは格別で、また黒い火山灰地帯をドライブするのは、類を見ない気味悪さと心地よさを感じられることになるでしょう。
そして、夜に滞在すれば、火口から上がる火柱が作る美しい「天然の花火」を見ることが出来ます。
加えて、たまに起こる火山の物凄い爆音は言葉では言い表すことが出来ないほど興奮します。
また他にもタンナ島では、
- シュノーケリング
- 海中の洞窟探索
- 人の手が入っていない自然のままの滝までハイキング
- 伝統的な村の見学
- コーヒー農園見学
- 乗馬体験
などを楽しむことも出来ます。
バヌアツ共和国について知っておきたいその他8つのこと
ジュゴンの生息スポット
ジュゴンは別名「マナティ」とも呼ばれる、人魚のモデルとなった海に住む哺乳類。その独特で愛嬌のある表情から人気の高い動物です。
しかし、近年では絶滅危惧種に指定されるほどその数を減らしているのも事実です。
そんなジュゴンの生息地の一つがバヌアツ共和国で、この国の近海ではジュゴンに遭遇出来る可能性があります。
バヌアツは自然災害のリスク高し!
自然災害についていえば、バヌアツ共和国は最も危険な地域。
国連大学が発表している「世界リスク報告書2017年度版」はその中で、地震、暴風雨、洪水、干ばつ、海面上昇の被害に関してリスクが高い15の国をまとめていますが、その第1位はなんとバヌアツ。
人の手がついていない美しい自然を抱えるバヌアツは、裏を返せば自然のリスクが非常に高い国でもあるんですね。
世界で最も言語的な多様性がある国
現在、バヌアツの人々はほとんどが英語が話せ、英語が出来ればこの国で不自由することはまずありません。
また、人口の半分以上が英語を話せる国は世界で45ヵ国あるとされますが、バヌアツ共和国はそのなかの一つになります。
そのようなバヌアツは一方で、「一人当たりの言語多様性世界一」の国で、バヌアツ共和国ではなんと人口27万人に対して100以上の言語が存在していると言われるほどなんです。
ジャンクフード禁止を目指してるの!?
バヌアツ共和国の一部は2017年、島民の健康問題を解消または予防するために、2020年まで西洋からの食べ物の輸入を禁止する旨を発表しました。
バヌアツ共和国の中でも北部に位置する州「トルバ」は、人口およそ10000万人を抱える諸島で、2020年までに完全な有機食物地域になることを目指すとしています。
また当面の間、当地域での観光施設は観光客へ、地元産の有機農産物のみを使った料理を提供するように指示されています(参照:EXPRESS)。
勇敢さで有名だったバヌアツ人
バヌアツ人は非常に勇敢だったことで知られている人々。
18世紀後半にヨーロッパ人の入植が始まった時、イギリスの海軍士官「ジェームズ・クック」は、10,000人にも及ぶ部族の襲撃を恐れ、船の大砲とマスケット銃を用意します。
ところが、バヌアツに住むメラネシア人達に恐れる様子はなく、むしろ一人の男がイギリスの海兵隊に対して尻を見せてきた(挑発だったのかは不明)という記録が残っているほどです。
バヌアツでは比較的最近まで食人が行われていた
観光地としても知られる今日のバヌアツからは想像しにくいですが、実は比較的最近(最後の記録は1969年)まで、バヌアツでは食人(人食い)が行われていました。
実際、1839年、イギリスから派遣された2人の英国人宣教師がバヌアツに到着すると直ちに殺害され、現在エロマンガ島と呼ばれる島で食べられたと言われます。
また、当時は、
- 地面に穴を開ける
- 穴に熱い石を重ねていく
- 人体をバラバラにして石の上に乗せてヤマイモとタロイモを添える
- その上に熱い岩をさらに重ねる
- 保湿のためバナナの葉で覆う
という工程を踏んで3~5時間じっくりと焼き、その後にまずは村長が頭を食べていたという話が残っているほどです。
バンジージャンプを発明した国!?
バヌアツ共和国のペンテコスト島では、4月上旬になってヤムイモが出来始めると、島民は木で作る高いタワー(約20〜30メートル)を組み立て始めます。
そして、完成後だいたい5月末頃までに、村人の男性と少年たちは、このタワーからブドウのつたを足首に括り付けて飛び降りるのです。
この儀式は、現在世界各国で行われているバンジージャンプの先駆けだと考えられており、実際、バヌアツ共和国は他の国で行われているバンジージャンプに対してロイヤリティーの支払いを求めているらしいです。
バヌアツは世界で4番目に幸福な国らしい
世界には様々な変わった指標がありますが、その一つがニュー・エコノミクス財団が発表している「地球幸福度指数」。
GDPではなく、「長期的に幸福で持続可能な生活を達成できる国かどうか」を基準としており、その指標によるとバヌアツは140ヵ国中4位。
ちなみに日本は同指標によると58位です。
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バヌアツ共和国|観光・人・文化と歴史についてまでのまとめ
南太平洋にあり、手つかずの自然が多く残るバヌアツについて見てきました。
バヌアツに興味を持ったら、実際に現地へ行って大自然を満喫してみるのがおすすめです!