人種とはどういった意味や定義を持つのでしょうか?コーカソイド、モンゴロイド、ネグロイドと呼ばれる三大人種の違いは何なのでしょうか?人種について議論していきます。
「人種」という言葉は、現代の日本において日常的にも使われている言葉でしょう。
例えば、日本人が属するアジア人や、ヨーロッパに起源を持つ白人、そしてアフリカに起源を持つ黒人といった分け方は、人種という概念を表す1つの例と言えます。
しかし一方で、国際社会において「人種」という言葉がそこまで頻繁に使われることはありません。
これは、共通した人種の意味や定義を作るのは多くの人が考える以上に複雑で、さらに、一般的に考えられている定義さえも、実は間違っている可能性があるからです。
この記事では、一般的に用いられる人種の定義から人種の大きな分類、そして、人種という概念に対する議論についてまでを見ていき、最後には本質的な人種の定義を導き出していこうと思います。
人種とは何なのか?【一般的に用いられる人種の定義】
「人種」という言葉の意味を確認していく場合、今日では一般的に「人間(ヒト)」の分類の概念として使われます。
その定義を見ていくと、
人類を骨格・皮膚・毛髪などの形質的特徴によって分けた区分
(引用:デジタル大辞泉)
や、
地球上の人類を、骨格・皮膚の色・毛髪の形など身体形質の特徴によって区別した種類
(引用:大辞林)
とまとめられていることが多く、つまり「人種」という言葉は主に、「共通の生物学的特徴によって他の集団から区別された人々の集団」を指し示す言葉であると言えるでしょう。
ただし、どの人種に属するか関係なく、現在、地球上に存在するあらゆるヒトは現在の人類学または生物学上ではたった一つの種「ホモ・サピエンス」に分類されています。
言い換えれば、人間の人種の違いは、白い肌と黒い肌のように一見大きく違うように見えても、実際には大したものではなく、また、世界のあらゆる人種は共通点が極めて多いために異なる人種間での交配が可能。
「人種」という概念の下では異なるとされるものの、全人種で99.99超%の遺伝子が共有されて共通しているため、「人種の違いは主観的なもの」であり、極めて「人工的で文化的な概念」であるとも言えるのです。
実際、人種という概念が広まっていった過程を見ていくと、ヨーロッパ人が世界各地で植民地化を進めて異なる文化を持つ人々と接触するようになった結果、征服者の優越性を正当化するために階層化されたヒトの類型という概念が広まったことに由来するとされます。
この意味で「人種」とはまた、歴史的・政治的な概念でもあるとさえ考えられるのではないでしょうか。
人種の大きな分類
上に挙げた「人種」の定義の2つの引用には、実は続きがあります。その続きとは、それぞれ以下の通りです。
人類を骨格・皮膚・毛髪などの形質的特徴によって分けた区分。一般的には皮膚の色により、コーカソイド(白色人種)・モンゴロイド(黄色人種)・ニグロイド(黒色人種)に大別するが、この三大別に入らない集団も多い。
地球上の人類を、骨格・皮膚の色・毛髪の形など身体形質の特徴によって区別した種類。普通、白色人種・黒色人種・黄色人種に三大別するが、分類不能な集団も多い。
つまり、日本において現在、「人種」という言葉の意味を探る際には、主要な3つの人種に加えて、この3つに含まれない集団も存在することを理解することが大切なのです。
さらに、3つの人種は多くて30種類ほどの下位グループに分けられることもあります。
以下では、主要な3つの人種とそれぞれの下位グループの例を簡単に解説していきましょう。
三大人種
コーカソイド
いわゆる白人と呼ばれる人々の外見的特徴を持つ集団で、主にヨーロッパ、西アジア、北アフリカ、西北インドに起源を持つ人々のことです。
その外見的特徴は次の様にまとめられるでしょう。
- 頭蓋骨
- 長頭型で前額部が突出している
- 眉上弓の発達が小さい
- 顔
- 主に長顔で幅が狭い(時に中、広顔も見られる)
- 古代人以外では下顎前突症も歯槽性上下顎前突症も見られない
- 鼻
- 長く幅が狭い
- 付け根と鼻梁で共に高い
そして、下位グループの人種としては次のような例が挙げられます。
- アーリア人種
- ハム人種
- セム人種
モンゴロイド
日本人も含めたいわゆる黄色人種と描写される外見的特徴を持った人々で、主に東アジア、東南アジア、中央アジアを起源に持つ人々のこと。
また広義では、歴史の中でアジア地域から南北アメリカ大陸や太平洋諸島、さらにはアフリカ近辺のマダガスカル島にまで広がっていき、それらの地域で先住民と呼ばれるようになった人々も、モンゴロイドに含まれます。
その外見的特徴は次の様にまとめられるでしょう。
- 頭蓋骨
- 長頭型が多い(ただし、アメリカ先住民は高い確率で短頭型)
- 前額部の突出はコーカソイドよりわずかに低い
- 眉上弓の発達なし
- 顔
- 短く幅広で頬骨が突出している
- 下顎前突症はほぼ見られない
- シャベル型の門歯が特にアジアで普通に見られる
- 鼻
- 中鼻型(付け根と鼻梁で共に低く幅広)
そして、下位グループの人種としては次のような例が挙げられます。
ネグロイド
いわゆる「黒人」と呼ばれる人の外見的特徴を持った人々で、他の人種が7〜5万年前に「出アフリカ」と呼ばれるアフリカから外への移住を行ったのに対して、出アフリカをせずにアフリカに留まった人々の子孫だとされます。
主にはサハラ以南のアフリカを起源にする人々です。
その外見的特徴は次の様にまとめられるでしょう。
- 頭蓋骨
- 大抵は長頭型でごく少数が短頭型
- 前額部はほとんどで突出している
- 眉上弓の発達はわずか。
- 顔
- 長顔(コーカソイドよりも程度ははるかに小さい)
- 下顎前突症は普通に見られる
- 鼻
- 低い
- 付け根、鼻梁共に幅広
- 付け根に特徴的なくぼみがある
そして、下位グループの人種としては次のような例が挙げられます。
- アフリカ人種
- コイサン人種
四大人種の概念で一角を成す「オーストラロイド」について
現代において人種と言う場合、上記で紹介してきた3つの人種へさらに1つを加えた四大人種という大別方法も存在します。
この四大人種は、カールトン・S・クーンによる1962年の分類に基づいたもので、そこには「オーストラロイド」という4つ目の人種が含まれるのです。
このオーストラロイドとは、オーストラリア大陸、ニューギニア、メラネシアなどのオセアニア地域に加え、一部の東南アジアから南アジアにかけての地域に先住民として起源を持つ人々で、例えばオーストラリアの先住民として知られるアボリジニは代表的な例です。
皮膚の色が黒人人種と言われるネグロイドと同等程度に濃いため、かつてはネグロイドに含まれることもありましたが、現在ではユーラシア大陸に渡った人類のうち、何万年か前に分岐して、オセアニア地域近くまで南下してきた人々の子孫だということが判っています。
人種という概念に対する議論
ここまで、「人種」という言葉が持つ定義や人種のグループ分けについて見てきましたが、実は「人種」という言葉には、世界的に受け入れられている正確な定義や分類はなく、その使われ方については、過去数十年にわたって議論の的になっています。
実際、国連は1950年の声明で「人種」という用語の使用をやめ、「民族」という言葉を代わりに使うことを選択しました。
民族とはより文化的な共通点によって分けられた人々の集団であり、世界には5000以上もの民族が存在していると考えられています。
また、多くの人が生物学的な人種の存在を信じているものの、生物学的に人種を分けることは難しいという点も、国際社会で「人種」という言葉があまり使われない理由になっています。
例えば、あらゆる黒人にあって非黒人にはない遺伝子はなく、同様に、あらゆる白人にあって非白人にない遺伝子または遺伝子集団もありません。
さらに、一般に考えられていることとは逆に、「グループ内差異」の方が「グループ間差異」よりも大きいことが指摘されています。
つまり、白人や黒人の異なる人々の集団間よりも、同じ白人グループ内や黒人グループ内での方が、より大きな遺伝子差異があると言うのです。
このことからも、人間がコーカソイド(白人)、モンゴロイド(黄色人種)、ネグロイド(黒人)に分けられるという考えは、「人種」という言葉が元々、科学的というよりも社会的に生まれた概念であることを示唆しています。
本質的な「人種」の意味はつまり?
上記の議論を追っていくと、最終的には一般的に理解されている生物学的区分に近い人種の意味は再定義される必要があると言えるでしょう。
むしろ人種とは、
形態学及び/または先祖という歴史的な偶然や社会的に重要な要素によって、緩くまとまった人々の大きな集団
と定義出来るのではないでしょうか。
人種は独特な社会的現象として理解されるべきであり、そこでは社会のシステムやその時々で人々が共有する固定概念によって、生物学的な繋がりは薄かったとしても目立つ身体的な特徴が結び付けられ、「〜人種」という分類が誕生してきたようなのです。
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人種とは?コーカソイド・モンゴロイド・ネグロイドの違いとは?のまとめ
人種という言葉について見てきました。
現在、一般的に信じられている人種には、コーカソイド、モンゴロイド、ネグロイドの三大人種という考え方や、そこへオーストラロイドを加えた四大人種という考え方が存在しますが、実は本質的に人種とは、より社会的または政治的なものであるということに気づきます。
人種とは本質でもなければ幻想でもなく、社会や政治のシステムによって誕生への引き金が引かれ、その後に矛盾を抱えながらも各個人が受け入れていくことで、自己強化される概念でありプロセスだと言えるのです。