魔女の歴史や起源から現代の状況についてまでを見ていきましょう。時には男性も標的となった暗い過去を持つ「魔女」について理解を深める上で参考になるはずです。
「魔女」のイメージは千差万別ですが、一般的には「とんがり帽子をかぶってホウキにまたがり空を飛ぶ女性」や、「魔術を使う老婆」といった姿で表現されるのが一般的でしょう。
主にヨーロッパで醸成されてきた「魔女」のイメージは、やがて世界中に広がり、現代では物語によっては欠かせないキャラクターとして登場することがあります。
一方で、魔女の過去を調べていくと、その本当の歴史は暗く、魔女とされた人々にとっては命に関わる事件も多く起きていたことが確認出来、さらに一般的には「邪悪な存在」として認識されていたことが分かります。
この記事では、そんな魔女の歴史や起源を中心に見ていき、また現代における魔女についても簡単に触れていこうと思います。
魔女の歴史:その起源から有名な2つの出来事
魔女の歴史を探る上で知っておきたい魔女の起源
初期の魔女は魔術師として描かれることがほとんどでした。
魔法の呪文を唱えて、
- 「助け」や「変化」をもたらす魂を呼び起こしていた
と描かれ、いわゆる非ヨーロッパ諸国におけるシャーマンとも近しい存在だったのです。
また、ほとんどの魔女は「悪魔の仕業をもたらす異教徒」と考えられていました。
しかし実際には、魔女の多くは単に「生まれながらに人を癒す能力を有したいわゆる”賢女”」であって、そうした者たちが選んだ職業が人々に誤解されていき、より怖い存在としての魔女のイメージが形成されていったのです。
そんな魔女に関しては、正確にいつ、魔女が歴史の表舞台に登場したのかはっきりとは分かっていません。
魔女に関する最古の記述の一つが、紀元前931年から紀元前721年の間に書かれたとされる旧約聖書のサムエル記に登場します。
そこでは、
- サウル王がエンドルの女(魔女)を探し求め、ペリシテ軍に勝利できるよう、死者となった預言者サムエルを呼び起こして欲しいと要求した逸話
が登場します。
旧約聖書によれば、
エンドルの女がサムエルの魂を呼び起こすと、サムエルはサウルとその息子の死を予言し、その翌日、サウルの息子は戦いで死に果て、サウル王は自殺を図った
とされています。
その他にも旧約聖書の一節によく引き合いに出される「出エジプト記第22章18節」には、
魔法使いの女は、これを生かしておいてはならない
とあるように、魔女が非難されています。
死者と接触するために「占い、呪文、魔術」を用いることに対して、旧約聖書のなかには他にも警告する文章が見られるのです。
魔女に関する歴史的出来事で有名な「魔女狩り」の発生
15世紀に入ると、魔女に関する歴史的な大事件「魔女狩り」が始まりました。
この魔女狩りは「魔女」や「魔術を持つ」とレッテルを貼られた人を洗い出して裁きを加える、一連の迫害行動であり、大規模なモラルパニックまたは集団ヒステリー。
1400年代半ば(15世紀半ば)にヨーロッパへ定着し始め、魔女狩りは一般化し、15世紀から17世紀には最盛期を迎えていきました。
魔女と汚名を着せられた者達は裁判にかけられ、その多くは拷問に耐えかねて様々な邪悪な行為に及んだと自白し、火あぶりの刑や首つりの刑に処されたのです。
1500年から1660年のあいだに、およそ4万人から10万人にもおよぶ魔術師とされた者たちがヨーロッパで犠牲になり、処刑された「魔女」の約80%は女性で、悪魔と共謀し、欲望に満ちていると考えられていました。
また、西ヨーロッパ諸国の中で、魔女狩りで処刑された割合が最も高かったのはドイツで、最も低かったのはアイルランドだっと言われます。
魔女は男性にも適用された
ちなみに、魔女として処刑された約80%が女性だったということは、逆に言うと残りの約20%は男性だったということ。
日本語では「魔女」と訳される「witch」は、一般的に女性に対して用いられることが多いものの、広義の意味には、
one that is credited with usually malignant supernatural powers
通常、邪悪な超自然的な力を持つと信じられている人物
とあるように、女性だけに限ったものではない男性にも適用可能で、特に16世紀から17世紀にヨーロッパで魔女狩りが最盛期を迎えた際には、多くの男性も「魔女」として疑いを掛けられて迫害されたのです。
「魔女に与える鉄槌」が邪悪な魔女のイメージを強化してしまった
また、魔女狩りが起こった背景の一つとして、「魔女に与える鉄槌」があったことも言及しておくべきでしょう。
この「魔女に与える鉄槌(Malleus Maleficarum)」は、ドイツで名前が知られていた2名のドミニコ会士によって1486年に書かれ、1487年に出版された魔女に関する論文で、
- 如何にして魔女を定義するか
- 如何にして魔女狩りを行うか
- 如何にして尋問を行うか
についての基本的な手引書でした。
魔術を異端であるとし、コミュニティ内に潜む魔女を一掃しようとするプロテスタントとカトリック教徒にとって、瞬く間に権威ある論文となり、実際、100年以上にわたって『魔女に与える鉄槌』は、聖書を除けばヨーロッパで最も売れた本となりました。
結果としてこの論文は、魔女に対する熱狂的な関心を一気に高めた可能性が高いと考えられているのです。
魔女狩りの歴史に繋がる「セイラム魔女裁判」
ヨーロッパでの魔女に対する集団ヒステリー「魔女狩り」が収束してきたものの、その残り火は最後にアメリカ大陸へ移り、そこで小規模な集団ヒステリーを引き起こしていきました。
この、アメリカ大陸で起きた魔女に対する集団ヒステリーの中でも最も有名な出来事が、1692年から1693年のおよそ1年間の間に渡って行われた一連の裁判「セイラム魔女裁判」です。
このセイラム魔女裁判は1692年5月、マサチューセッツ州セイラム村で始まりました。
2名の病気の少女が魔女であるとして告発され、数多くの近隣住民が魔術を使った疑いで起訴されて始まったのです。
そして最終的に、およそ150名が起訴され、18名が死刑になりました。
アメリカの他の州における魔女に対する集団ヒストリー関連の歴史
ちなみに、あまり知られていませんが、当時のアメリカにあった13の植民地のうち、魔女に対する集団ヒステリーが発生したのは、マサチューセッツ州が最初ではありません。
1647年にはコネチカット州ウィンザーで、「アルス・ヤング」が魔術のために処刑された最初の人物となりました。
コネチカット州では1697年に最後の魔女裁判が行われるまでに、46名が同州内で魔術のために起訴され、うち11名が有罪として処刑されています。
一方でバージニア州では、魔女に対する集団ヒステリーはそこまで熱狂的ではありませんでした。
実際、ローワーノーフォーク郡では1655年、誰かを魔女であるとして偽りの告発をすれば有罪となる法律が可決されています。
それでも魔女に対する人々の懸念が完全に払拭されていたわけではなく、1626年から1730年までにバージニア州では、およそ24件の魔女裁判が行われています。
ただし、起訴された者のなかで処刑された者はいませんでした。
グレース・シャーウッドのケース
バージニアの歴史において最も有名な魔女として訴えられた者の一人が、魔術を使って豚を殺し、綿花に魔法の呪いをかけたとして近隣住民に訴えられた「グレース・シャーウッド」。
その他からも告発が相次ぎ、シャーウッドは1706年、魔女裁判にかけられました。
裁判では、シャーウッドが有罪か無罪かの判断を下すため、論議を呼んでいた水中テストを行うことが決定。
シャーウッドは両腕と両足を結び付けられ、水のなかへ放り込まれ、
- 沈めば無罪
- 浮いてくれば有罪
と考され、シャーウッドは沈まなかったため、魔女であるとして有罪判決を受け、処刑されることはありませんでしたが、8年間、獄中生活を余儀なくされました。
アメリカにおける魔女に対する集団ヒストリーの終焉
しかし、体に重りを付けているわけでもないのに、浮力が効く水中において人間が自然と沈んでいくことはなく、少しでも常識的、または客観的に考えれば、この裁判における判断は間違っていたことは明白でしょう。
このように、魔女裁判は論理的に破綻しているものが多く、1730年には「ペンシルベニア・ガゼット」紙に、ニュージャージー州で行われた魔女裁判についての風刺記事が掲載されました。
この記事により、多くの魔女裁判について、その告発や判断の不条理さが露顕することになり、ほどなくして、アメリカにおける魔女に対する熱狂的なヒステリーは衰えをみせただけでなく、誤って告発されたり有罪とされたりすることから人々を保護する法律が可決され、一連の魔女騒動は終焉したのです。
現代における魔女達
西洋社会の現代の魔女たちは、今なお、歴史のなかで形成されてきた魔女に対する固定観念を覆すことに苦心しています。
現代において「魔女」とされる人々の多くは、アメリカとカナダでは正式な宗教とされている「ウイッカ(欧州古代の多神教的信仰、特に女神崇拝を復活させたとする新宗教)」を実践する人々「ウィッカン」です。
しかし、ウィッカン達は魔術「ウィッチクラフト(魔女の魔術、まじない、占い、ハーブなどの生薬の技術など、魔女と関連付けられる知識・技術・信仰の実践)」を行っていますが、その魔術に邪悪な要素はほとんどありません。
むしろ、「誰も傷つけない」ことをモットーとしており、自然や人類と調和して、平和的で寛容なバランスのとれた暮らしを送ることに励んでいます。
また、ウィッカンの魔術は、20世紀の知恵や知識を集約したものが多く、他の宗教における祈りやヒーリングなどと同じようなものです。
さらに、ウィッカン以外にも地域によっては未だに、社会に対しての脅威として見なされると特定の人物や集団が「魔女」のレッテルを貼られて迫害されている現状があり、中には死に直面することさえあります。
例えば、パプアニューギニアでは魔術を使ったとして疑いをかけられた数名の男女が鞭打ちにされて処刑され、その中には生きたまま焼かれた若い母親もいました。
他にも、魔女であると告発された人々に対する似たような暴力行為の数々が、アフリカ、南アメリカ、中東およびヨーロッパやアメリカの移民コミュニティで発生しているのです。
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魔女の歴史や起源から現代までを探る!時には男性も標的となった。のまとめ
魔女に関して、その歴史や起源、そして現代における状況までを見てきました。
現代でこそ魔女は様々な物語に登場し、時には重要なキャラクターとして描かれますが、歴史の中では悲惨な出来事が起こっていたことが確認出来るのです。