コンゴ共和国とコンゴ民主共和国の関係や違いについて確認していきます。中央アフリカにあって隣あいながらも、同じ名前が含まれる両国の共通点や差異を見ていきましょう。
なぜアフリカには2つのコンゴがあるのか?
「コンゴ」と聞くとアフリカの国であることはイメージできるかと思いますが、実はコンゴが名前に含まれる国はアフリカに2つ存在していることを知っていますか?
コンゴ共和国とコンゴ民主共和国という国で、どちらとも中央アフリカに位置し、さらに両者はお互いに隣り合っているのです。
なぜ、この二つの国はどちらとも間違いを引き起こしやすい「コンゴ」という共通した名前を持っているのでしょうか?
この記事では、中央アフリカにあるコンゴ共和国とコンゴ民主共和国の関係や違いについて、詳しく見ていきたいと思います。
コンゴ共和国とコンゴ民主共和国の違い
まずは、どちらも名前に「コンゴ」を含む、コンゴ共和国とコンゴ民主共和国の違いについて見ていきましょう。
コンゴ共和国
コンゴ共和国は、東はコンゴ民主共和国、北はカメルーンと中央アフリカ、西はガボン、南はアンゴラの飛び地カビンダ、そして南西の一部は大西洋に隣接し、日本より少し小さな34.2万㎡ほどの国土を抱える国。
首都はブラザヴィルに置いていることから、もう一つのコンゴと区別するために「コンゴ・ブラザヴィル」と呼ばれることもあります。
1882年からフランスの植民地となり、1903年までは「フランス領コンゴ」、1903年から1910年までは「中央コンゴ」、そして1910年から1959年まではフランス領赤道アフリカの一部となり、1960年に正式に独立して以降、「コンゴ共和国」という名前になりました(1970年から1991年まではコンゴ人民共和国だった)。
この様な経緯から、現在コンゴ共和国で使われている公用語はフランス語で、人口は約530万人ほどと見積もられています。
ちなみに、コンゴ共和国の旗には、中央に黄色の斜め帯が入り、左側が緑色で右側が赤色の三色旗。
緑は農業と森林を、黄色は国民の友情と高潔さを表し、赤色は独立を求めた戦いと関連づけられているとされています。
コンゴ民主共和国
コンゴ民主共和国は国土面積が約234.5㎢となり、その面積はコンゴ共和国のおよそ7倍(アメリカ合衆国の約1/4)で、2つあるコンゴの中でも大きい方のコンゴ。
北西にコンゴ共和国、南はザンビア、東はタンザニア、ブルンジ、ルワンダ、北東はウガンダ、南スーダン、北は中央アフリカ共和国と隣接し、国土の西側のごく一部が大西洋に面するように伸びています。
そして首都が国内最大の都市「キンシャサ」であることから、コンゴ共和国と区別するために「コンゴ・キンシャサ」とも呼ばれることがあります。
そんなコンゴ民主共和国は1997年に改名されるまで、ザイールと呼ばれていたこともあり、それよりさらに以前はベルギーの植民地でした。
1885年に当時のベルギー国王「レオポルト2世」がこの地を「コンゴ自由国」という私有地にし、1908年にベルギー政府が国王から買い上げたことでベルギーの植民地であるベルギー領コンゴとなり、1960年にはベルギーから独立してコンゴ共和国、1964年からはコンゴ民主共和国、1971年からはザイール共和国、1997年からは現在の「コンゴ民主共和国」と改名されていたったのです。
ちなみに、1960年から1964年まで「コンゴ共和国」という名前を採用していたため、隣の小さなコンゴ共和国と一緒に、この時期には同じ名前の国が地図上に二つ存在していたことになります。
そして現在、コンゴ民主共和国ではフランス語が公用語として使用され、およそ8100万人の人々が暮らしています。
コンゴ共和国とコンゴ民主共和国の関係
コンゴ共和国とコンゴ民主共和国の違いについて見てきましたが、なぜ、二つの国は同じ「コンゴ」という名前を持つのか気になっている人も多いかと思います。
そこで、ここからはその疑問を解決するためにも、両者の関係について見ていきたいと思います。
かつては「コンゴ王国」の一体的な領域だった
近現代の歴史の中で、二つの国はそれぞれフランス領とベルギー領という異なる道を歩んでいく形となりましたが、実は15世紀頃まで、現在のコンゴ共和国、コンゴ民主共和国、北アンゴラ、ガボンに相当する地域を支配していた「コンゴ王国」に二つは含まれていたのです。
(出典:wikipedia)
しかし、15世紀後半にこの地へポルトガル人がやってくると、コンゴ王国はアフリカにおける奴隷貿易の中心地となっていき、ついにはポルトガルの属国となるなど、力を落としていきました。
そして19世紀に入ると、コンゴの植民地化を巡ってヨーロッパの列強各国が対立したことで、当時のドイツ帝国の首都ベルリンにて「ベルリン会議(1884〜1885年)」が開催されます。
その結果、
- フランス
- 現在のコンゴ共和国
- 現在のガボン
- ベルギー
- 現在のコンゴ民主共和国
- ポルトガル
- 現在のアンゴラの北部地域
といった形で割譲され、それぞれが異なる国となっていったのです。
「コンゴ」はバントゥー系民族の言葉
また、元々はコンゴ王国の一体的な領域であったことからも分かる通り、コンゴ共和国とコンゴ民主共和国は、民族的な繋がりも確認することが出来ます。
まず、コンゴ(Congo)は、アフリカの広い範囲で話されるバントゥー語族に含まれる単語で、「山」を意味します。
そして、多民族が暮らすコンゴ共和国において最も人口割合が多いのは、バントゥー系民族であるコンゴ族であり、また、同じ様に多民族国家のコンゴ民主共和国においても、コンゴ人が最も大きな人口数を抱える民族の一つとなっています。
特に、コンゴ共和国の南側とコンゴ民主共和国の西側はコンゴ人が集中する地域です。
このように「多数派となる民族=コンゴ人」であるという関係性が、二つの国には見て取れるのです。
コンゴ共和国とコンゴ民主共和国が辿った混乱の歴史
最後に、二つの国を見ていくと、それぞれ別々の道を歩みながらも、20世紀後半には混乱期を経験している共通点を見いだすことが出来ます。
まず、コンゴ民主共和国ではベルギーから独立後少しすると、モブツ大統領がクーデターで実権を掌握し、その後、1997年まで32年間もの独裁体制を敷くこととなります。
その後、ローラン・カビラが大統領につくと、再び強権による支配体制が続きました。
その結果、ベルギーから独立後、コンゴ民主共和国内では度々暴力による混乱が発生し、それに派生して病気や飢餓などによって、数百万人の人々が命を奪われてきたと言われます。
一方で、コンゴ共和国ではマサンバ=デバ政権が誕生すると、社会主義路線を歩んでいくことになりました。
そして、1969年には「コンゴ人民共和国」と名前を改め、マルクス=レーニン主義に基づく国づくりを開始。
しかし、1991年には名前を「コンゴ共和国」へ戻して共産主義を破棄し、民主化の動きを強めていくように思われましたが、1997年にドニ・サスヌゲソが大統領に就任すると、憲法を改正するなどして、長期に渡って大統領の座に居続ける状況となっているのです。
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コンゴ共和国とコンゴ民主共和国の関係や違い|中央アフリカ両国の差異と共通点のまとめ
中央アフリカに存在する2つのコンゴについて、関係や違いを見てきました。
コンゴ共和国とコンゴ民主共和国は、現在でこそ異なる国家となっていますが、歴史を辿るとそれぞれ、15世紀頃まではコンゴ王国を構成していた地域であることが分かり、さらに、民族的な側面でも共通項を見いだすことが出来ます。