紀元前と紀元後という表記に関して、その正しい意味や英語、他にもなぜこの二つの表現が生まれたかなどの理由までを見ていきましょう。
現在、年を記述したり数えたりする際に使われる西暦、そして西暦とそれ以前の年々を分けるための紀元前と紀元後という表現は、一般的に何気なく使われています。
しかし、
- なぜ紀元前と紀元後に分ける必要があったのか?
- 紀元前と紀元後の概念が生まれた時期や背景とは何なのか?
など、よくよく考えて見ると気になることがあります。
そこで、紀元前(BC)と紀元後(AD)の意味や英語表記といった一般知識から、その概念が生まれた起源についてまで、世界の歴史を簡単に紐解きながら紹介していこうと思います。
紀元前と紀元後とは?BCとADの意味と英語表記までを確認
紀元前=BCの意味と英語表記
「紀元前」とは、紀年法(年を数える・記録する方法)において、紀元(元年または1年)よりも前の年々を表現する方法に用いられる言葉。
現在の世界では一般的に「西暦(イエス・キリストが生まれた年の翌年を元年とした紀年法)」が用いられるため、「キリスト降誕前」の年々を表す際に用いられることが多いです。
また、紀元前◯◯年と表現する場合、数字が大きくなればなるほど時代は遡ります。
例えば、紀元前30年、紀元前100年、紀元前160年、紀元前1280年を古い順に並べた場合は、
- 紀元前1280年
- 紀元前160年
- 紀元前100年
- 紀元前30年
となります。
紀元前の英語表記
紀元前を英語表記した場合、
- BC
- BCE
のどちらかを用いることが一般的です。
BCは”Before Christ”(キリストの前)の略であり、BCEは”Before Common Era”(共通暦の前)を意味しています。
紀元後=ACの意味と英語表記
一方で「紀元後」とは、西暦1年以降の年を指す際に用いられる言葉。
ただ、一般的に「紀元後」という表現を用いることは稀で、紀元前と紀元後の年を明確に分ける際に意図的に使う場合を除いては、基本的に用いることは少ないはずです。
通常は代わりに「西暦◯◯年」と言ったり、特に何も付けずに「◯◯年」と表記することになります。
また、紀元前と異なり紀元後◯◯年という場合は、数字が大きくなればなるほど、時代は新しくなっていきます。
紀元後の英語表記
紀元後を英語表記した場合、
- AD
- CE
のどちらかを用いることが一般的です。
ADは”Anno Domini”の略。ラテン語の”annus(年)”と”Dominus(主)”が格変化したもので、直訳は「主の年に」つまり「キリストの年に」という意味を持っているため、キリストの生まれた年を元年とする西暦を表記する際に用いられます。
一方、CEは”Common Era”の略で「共通な暦」を意味しています。
紀元前と紀元後はいつから?なぜ用いられるようになったのか?
紀元前と紀元後(西暦)が提唱されたのは西暦525年
人間が時間を追うようになって以来、多様多種な暦が使用されてきました。ほとんどの暦は、ある注目すべき出来事や人物が起点となって始まります。
紀元前(BC)や紀元後(AD)を用いて暦を数える紀年法は、西暦525年にディオニュシウス・エクシグウス(Dionysius Exiguus:ローマン神学者)によって考案され提唱されたのが始まりです。
紀元前と紀元後が生まれた理由は「復活祭の正確な日を決定するため」
彼の目的は、ヨハネス1世の指示のもと「復活祭の正確な日を決定すること」でした。
当時、数多くの紀年法が存在していたため、復活祭を決定する際には頻繁に混乱を引き起こしていたのです。
当時使われていた紀年法には以下のようなものが存在していました。
- ローマの建国年(紀元前753年)を元年とするユリウス暦
- 古代オリンピア競技会が始まった年(紀元前776年)を元年とするオリンピアド紀元
- 旧約聖書の創成記にある天地創造を元年とする世界創造紀元
- 西暦284年を元年とするディオクレティアヌス紀元
- 313年を元年とする数え方
このように、異なる地域や組織によって紀年法が異なっていたため、カトリック教会において最も重要な復活祭を決める上でとても煩雑な状況になっていたのです。
そこで、ディオニュシウスは、全ての教会で用いることができる復活祭を計算する方法を見出すよう指示され、聖書の解釈などをもとにしながら、キリストが生まれた年を紀元とする西暦を考案したのです。
これによって、教会の主である「イエスキリストの年=Anno Domini(AD:西暦/紀元後)」という概念が誕生します。
一方で、ADが考案されたことでADをそれまでの年々と差別化する必要性が出てきたため、BC「キリストの前(の年)」という概念も同時に生まれることになり、ここに「紀元前」と「紀元後」が分かれることとなったのです。
BCとADが広く普及したのはかなり後から
ただし、実際に西暦を紀年法として西暦が現在のように世界中で広く一般的に用いられるようになったのは、ディオニュシウス・エクシグウスが提唱してからかなり後のこと。
広く受け入れられるようになってきたのは、731年にベネディクト会士であったベーダ・ヴェネラビリスが『イングランド教会史(イギリス教会史)』を西暦を基にして執筆したのが最初のきっかけで、そこから徐々にゆっくりと広がっていき、10世紀頃になると一部の国で使われ始めます。
そして、15世紀以降にはヨーロッパの多くの国で用いられ始め、また、その後ヨーロッパの列強が世界へ進出し始め、同時にキリスト教国でもない国を植民地とした結果、それに加えて、欧米主導の世界経済の経済的圧力が加わることで、現在の紀元前と紀元後という概念や年の数え方が最もスタンダードな方法となったのです。
キリスト教圏でも「西暦」の普及速度は異なった
キリスト教以外が主な宗教として採用されている地域と比較して、キリスト教圏ではカトリックが最大宗派であるため、カトリックによって考案された現在の西暦は早く普及しました。
しかし、キリスト教圏であっても、この新しい紀年法が実際に導入された時期は場所によってかなり異なり、そこには地域的要因もあったにしろ、むしろ宗教的要因が強く影響しています。
例えば、オーソドックス(正教会)が主な勢力を占める国では、世界創造紀元(旧約聖書の創成記にある天地創造を元年とする)が10世紀以降も使われていたとされ、未だに正教会に属するいくつかの教会では、この世界創造紀元が使用されています。
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紀元前と紀元後|BCとADの意味や英語・分かれた理由から起源までのまとめ
紀元前と紀元後について、その意味や英語表記、そして、分かれている理由や起源までが分かったかと思います。
最近では、紀元前を意味するBCや紀元後を意味するADがカトリックから生まれたものであり、ヨーロッパによる植民地支配を連想させることから、少しずつですが、BCの代わりにBCE(Before Common Era)やCE(Common Era)という表記を使うような場面も、特に学問分野で増えてきています。
ちょっとした世界の雑学知識として覚えておくと便利なはずです。
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