クレタ文明(ミノア文明)と呼ばれる古代ギリシャ文明の礎となった文明をしっていますか?青銅器時代にエーゲ海のクレタ島を中心に興った文明です。
古代ギリシャの文明は「エーゲ文明」と呼ばれるヨーロッパ最古の文明まで遡ります。
そして、そのエーゲ文明の中でも紀元前2000年頃から紀元前1400年頃に、地中海に浮かぶギリシャ最大の島「クレタ島」を中心に盛えた文明が、クレタ文明(ミノア文明)と呼ばれるもの。
当時、この地域としては最も盛えた文明で、その文明下では芸術や貿易が発達しました。
この記事では、クレタ文明(ミノア文明)と呼ばれる、古代ギリシャ文明の一つを取り上げ、詳しく見ていこうかと思います。
クレタ文明(ミノア文明)とは?
クレタ文明またはミノア文明とは、古代ギリシャにおける最古の文明である「エーゲ文明」の中でも、クレタ島のクノッソスを中心として紀元前2000年頃から紀元前1400年頃まで盛えた青銅器文明のこと。
呼び名の一つである「ミノア文明(Minoan civilization)」は、ギリシャ神話に登場する伝説のクレタ島の王「ミノス(Minos):ゼウスとエウロペの息子」に由来することから、「ミノス文明」と呼ばれることもあります。
最盛期は紀元前1600年頃で、発展した諸都市や壮大な宮殿を持つ宮殿文化が特徴的であり、また、その地域性から交易を通して発達したと考えられています。
しかし、青銅器時代の同地域において一時は、近隣の島々や、ギリシャ本土にまで影響を与えるようになっていたクレタ文明ですが、紀元前1450年から紀元前1400年頃にギリシャ本土から南下してきたギリシャ人達によって支配され、クレタ島を中心として盛えたクレタ文明は終焉を迎えることになります。
ただし、クレタ文明はミケーネ文明(紀元前1600年頃からギリシャ本土のミケーネを中心に形成された文明)に吸収される形で、紀元前1100年ぐらいまで続いたとも考えられます。
クレタ文明(ミノア文明)が発達した中心地であるクレタ島は、ギリシャ本土からおよそ160km南に離れた地中海東部に浮かぶ島。
山脈が連なり、自然の湾が数多くあるのが特徴で、当時のクレタ島にはたくさんの都市があったと言います(紀元前8世紀頃に存在した古代ギリシャの詩人ホメロスは、クレタ島を「90もの都市の異なる言語を聞く事が出来る、人々で溢れた島」と表現している)。
また、そこでは有名な「ミノタウロス」の伝説も生まれました。
一方で、当時のクレタ島に住んでいた人々は大きな自然災害に襲われることが多く、ミノア文明時代にはミノア噴火(紀元前1610年頃)に襲われたり、地震やそれに伴う津波などによって大きな被害を受けたと考えられます。
クレタ文明の芸術について
クレタ文明では高度な芸術文化も花開いたとされていますが、この時代の芸術作品の多くは腐敗し、失われてしまっているため、その全貌は詳しく分かっていません。
しかし、美しい模様が描かれた陶器類(土器)や、当時の信仰を表現したり生活の様子を描いたフレスコ画などが一部見つかっているのも事実。
陶器に描かれるものは時代によって変化しており、初期の陶器には螺旋、三角、十字などの形が描かれていたのに対して、その後は、魚や花、動物などの自然を描くようになっていく様子が確認されています。
対して、フレスコ画の多くは宮殿内で発見されており、色あざやかな壁画には儀式や風景が描かれていたり、異なる肌の色の男性および女性が描かれています(当時は女性の肌は白く、男性は褐色や茶色で描かれることが多かったようです)。
ちなみに、クレタ文明(ミノア文明)において女神を象徴するヘビや、牛飛びの儀式に代表される牛をモチーフにした作品も多く、これらはクレタ文明の芸術を特徴付けるものだと言えるかもしれません。
ミノア人とはどんな人たちだったのか?
クレタ文明を形成したミノア人達については、まだまだ分かってないことがたくさんあります。
しかし、青銅器時代に地中海に浮かぶクレタ島に住んでいたミノア人達を古代ギリシャ人に含めるのであれば、古代ギリシャ人の中では最も古い人々のグループの一つと考えることが可能になります。
ミノア人を特徴付ける最大のポイントは、貿易に長けていたという点。
クレタ文明の中心地となったクレタ島は、地理的に他の地域との貿易ネットワークの形成がしやすく、結果として貿易が盛んだった場所で、ミノア人たちはキプロス、シリア、エジプト、メソポタミアなどの地域と貿易をしました。
そして、扱った交易品には銅と混ぜると青銅になる錫(スズ)が含まれていたと考えられています。
当時は各地で、武器をはじめとする様々なものに青銅が盛んに使われていたのがその理由で、 この時代が青銅時代と呼ばれているのもそのためです。
加えて、ミノア人達は優れた職人であり、芸術家でもあったと言われ、彼らが作った陶器は当時としては非常に優れたものであったようです。
一方で、当時クレタ島に住んでいた主な人々は、本土にいた古代ギリシャ人とは異なり、小アジアから移ってきた人々(または古代ギリシャ人と小アジア系人種の混血)なのではないかという説もあり、実際の人種に関しては謎に包まれたままです。
ちなみに、ミノア人という名前は、1900年にクレタ島のクノッソス遺跡を発掘したイギリス考古学者アーサー・エヴァンスによって名付けられました。
ミノア人達の信仰
ミノア人の宗教的慣習は、女官たちが女神を讃える儀式を執り行うなど、女性を中心としたものであったのが特徴。
ミノア文明の社会における女性の役割は、他の古代国家に比べてかなり目立ったものでした。
また、ミノアのフレスコ画の多くに描かれている、雄牛による「牛飛びの儀式」などが大きな祝祭として執り行われていました。
強さと子沢山を象徴する雄牛は、ミノア人にとって神聖な存在だったのです。
クレタ文明(ミノア文明)を理解する上で興味深い4つのこと
クレタ文明ヨーロッパにおける最古の文明の一つ
上でも軽く触れたとおり、ミノア人は古代ギリシャの中でも最も古い人々であり、その後に力をつけた他の古代ギリシャ人グループや、もっと後にヨーロッパで台頭してくる古代ローマ人達よりも以前に存在していました。
そして、このことは同時に、ミノア人達が中心となって盛えたクレタ文明は、ヨーロッパ地域における最古の文明の一つとも言え、その後のヨーロッパ文化に少なからず影響を与えることになったと考えられるのです。
ミノア人の文字と言語
ミノア人達は、当時すでに独自の文字を使用していたことが確認されており、現在までミノア人が使っていた文字が書かれた粘土板が残っています。
その文字とは「線文字A」として知られ、紀元前18世紀頃から紀元前15世紀頃までクレタ島で使われいたもの。
(線文字A:出典:wikipedia)
加えて、線文字Bという文字も見つかっており、これは紀元前1550年から紀元前1200年頃までギリシャ本土とクレタ島で使われた文字と言われます。
両者は共通点が多いものの、異なった文字として分類されており、また完全には解読されていません。
一方で、当時のミノア人達はミノア語を話していたとされますが、このミノア語とギリシャ語との関係は不明で、線文字Aはミノア語を表すものであるのに対して、線文字Bはギリシャ語の一種であるミケーネ・ギリシャ語を表記していると考えられています。
紀元前1610年頃に起きたミノア噴火で大きな被害を被った
ミノア文明が崩壊した理由として、現在ではギリシャ本土の人々が侵攻してきたため、クレタ島が略奪されてミノア文明は終焉したとされますが、以前は別の説も唱えられていました。
その説とは、紀元前1610頃に起きたミノア噴火によるというもの。
ミノア噴火は、エーゲ海に位置するサントリーニ島付近で起こった、海底火山の爆発的噴火のことで、クレタ島も含むエーゲ海一体に大きな被害を与えたとされる大規模な噴火。
この大規模噴火によって引き起こされた巨大な津波が、クレタ島の村や町の大部分を破壊したのではないかと言われ、結果として、ミノア文明の崩壊につながった原因の一つではないかと考えられていたのです。
しかし、ミノア文明が滅んだのはこの噴火より相当後の時期であるため、現在ではこの説は否定されています。
とはいえ、当時のクレタ島に壊滅的被害を与えたことは間違いなさそうです。
ミノタウロス伝説の舞台
ギリシャ神話に登場する牛頭人身の怪物「ミノタウロス」については、多くのアニメ、ゲーム、小説の中でキャラクターとして扱われてきたため、神話の内容は知らなくても、その存在自体は知っている人が多いはず。
神話によると、ミノタウロスは成長するにしたがって乱暴になったため、悩んだミノタウロスの父「ミノス王」はダイダロス(神話に登場する職人)に相談して、ラビュリントス(迷宮)を建設させますが、その舞台となったと言われるのがクレタ島のクノッソスなんです。
ちなみに神話では、ミノス王がポセイドン(ギリシャ神話で海と地震を司る神)を怒らせたため、ポセイドンはミノス王の后に雄牛と関係を持つように呪いを掛け、その結果、ミノタウロスが生まれてしまったと描かれています。
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クレタ文明(ミノア文明)|クレタ島で興った青銅器文明は古代ギリシャ最古の文明の一つのまとめ
クレタ文明(ミノア文明)は、青銅器時代に興った初期の古代ギリシャ文明で、当時クレタ島に住んでいたミノア人を中心にして興った文明。
紀元前1400年頃に、ギリシャ本土から来た古代ギリシャ人達によって滅ぼされてしまいましたが、ミケーネ文明に吸収されることで、その後のヨーロッパ文化にも影響を与えていったとも考えれます。
そして、ギリシャ神話で描かれるミノタウロスの舞台ともなったため、神話好きにとっても興味をそそられる文明だと思います。