スティーブ・ジョブズはアップルの共同創業者として知られ、マックやiPhoneなどを通して世の中にたくさんのインスピレーションを与えてきました。
マックやiPhoneを生み出して世の中に送り出し、世界中にいるこれらアップル製品の愛用者から愛され続けるスティーブ・ジョブズは、アップルの創業者であり、多くのクリエーターや起業家にインスピレーションを与えてきました。
2011年に惜しまれつつこの世を去ってからも、未だにスティーブジョブズに関する伝説は語り継がれています。
しかし、今でこそ崇拝されるスティーブジョブズは、特に若い頃、物凄く非社交的でとても癖のある人物としても知られていました。
この記事では、そんなスティーブジョブズの人となりや生き様を知りたい人向けに、彼の人生に関する19の話をそれぞれ簡単に紹介していこうと思います。
スティーブジョブズに興味がある人は確認してみましょう。
- スティーブジョブズの人生1:大学を中退した
- スティーブジョブズの人生2:養子に出された
- スティーブジョブズの人生3:養父母は実母と法廷で争った
- スティーブジョブズの人生4:学校でいじめられていた
- スティーブジョブズの人生5:違法ドラッグLSDを使用した
- スティーブジョブズの人生6:精神的な悟りを求めてインドへ行った
- スティーブジョブズの人生7:仏教徒になっていた
- スティーブジョブズの人生8:ローレンとの結婚
- スティーブジョブズの人生9:最初の子供との血縁関係を否定した
- スティーブジョブズの人生10:給料は1ドルだった
- スティーブジョブズの人生11:ビートルズをとても好きだった?
- スティーブジョブズの人生12:少年時代にHPの創業者に気に入られた
- スティーブジョブズの人生13:ペスクタリアン(魚菜食主義者)
- スティーブジョブズの人生14:ハリウッドアニメを救った
- スティーブジョブズの人生15:30歳の時に妹を見つけた
- スティーブジョブズの人生16:300個以上の特許をもっている
- スティーブジョブズの人生17:あまり知られていない共同創業者
- スティーブジョブズの人生18:ジョブズはアップルから解任された
- スティーブジョブズの人生19:Google創業者のメンターだった
- 合わせて読みたい世界雑学記事
- スティーブジョブズの人生に関する19の話!子供・学歴・結婚など生涯のエピソードを確認!のまとめ
スティーブジョブズの人生1:大学を中退した
カリフォルニア州クパチーノのホームステッド高校を卒業したスティーブジョブスは、オレゴン州ポートランドのリード大学へ進学しました。
しかし、その大学で1学期だけ授業を受けた後に中退。
その後1年半の間、自分の興味のある授業だけを選んで聴講し続けていきました。
このことは一方で、スティーブジョブズが本当に学びたいことだけに集中出来る環境を作り上げたと言え、それによって最終的にジョブズは一代で億万長者となりました。
ちなみに、彼の実の父方の祖父もまた大学に行っておらず、同じように一代で億万長者になっています。
スティーブジョブズの人生2:養子に出された
スティーブジョブズの生みの母「ジョアン・シーブル」は、彼の生後間もなくしてスティーブを養子に出しました。
これは、スティーブジョブズの実の父「アブドゥルファター・ジャンダリ(現在はネバダ州リノでレストランとカジノのオーナーをしている人物)」はイスラム教徒であり、ジョアンの両親が彼女とアブドゥルファターとの関係を認めなかったから。
一方で、ジョアンは敬虔なカトリック教徒であったため中絶せず、家族に恥をかかせたくなかったこともあって、子供を手放すことを決意したそうなのです。
結果的に、スティーブは養父母であるクララとポール・ジョブスによって育てられました。
ちなみに、スティーブジョブスは生前、実の父に偶然にも一度だけ会ったことがあると言われます。
スティーブジョブズの人生3:養父母は実母と法廷で争った
ジョアン・シーブルは、ポールとクララが息子の養父母になると分かると、養子縁組の書類にサインすることを拒否しました。
というのも、ジョブズ夫妻はどちらとも大学教育を受けていなかったのがその理由。
ジョアン・シーブルはこの件について訴訟まで起こしましたが、結局、この裁判に負けると、ジョブズ夫妻がスティーブを大学に通わせると約束したため、スティーブ・ジョブズを手放すことに合意しました。
スティーブジョブズの人生4:学校でいじめられていた
スティーブ・ジョブズは高校生活を楽しんでおらず、またGPAはかなり低くてその成績は2.65(最高で4のうち)でした。
彼はカリフォルニアのマウンテンビューにあるクリッテンデン中学校へ転入して以降、よくいじめられるようになったのです。
結果として、スティーブジョブズは「人付き合いの苦手な一匹オオカミ」となり、やがて両親に対して「クリッテンデンから転校させなければ中退する」という最終通告を出すようになります。
スティーブジョブズの人生5:違法ドラッグLSDを使用した
スティーブジョブスは、かつて違法ドラッグであるLSDを使用していたことを認めています。
そして、LSDの使用は彼の人生の中で、「最も重要な2つか3つのことのうちの1つ」とも言っていたのです。
スティーブジョブズはまるで、自身のルーツである反体制的な文化を理解できない人には、自分の考え方は理解できないと思っていた節さえあります。
スティーブジョブズの人生6:精神的な悟りを求めてインドへ行った
1974年の夏、スティーブジョブスは当時のルームメイトと一緒に、ヒンドゥー教の指導者ニーム・カロリ・ババを訪ねてインドへ旅をしました。
しかし、インドに到着すると、その年の始めにババは亡くなっていたことを知ります。
スティーブジョブスは結局、インドを7か月間旅行し、その後アメリカに戻った時には頭を丸めて、インドの伝統的な衣服を身に着けていました。
スティーブジョブズの人生7:仏教徒になっていた
インドをただ旅行するだけでなく、スティーブジョブズはその間に仏教の教えにも触れていました。
その結果、アメリカへ戻ったスティーブジョブズは、外見だけでなく、心も仏教徒になっていたのです。
例えば、自分の結婚式は仏教の僧侶である乙川弘文に取り仕切ってもらうほどであったり、また、禅の練習を始めたほどです。
スティーブジョブズの人生8:ローレンとの結婚
スティーブジョブスは自分より8歳若いローレン・パウエルと1991年に結婚しています。
彼女は当時、スタンフォード大学経営大学院に在学中で、結婚後に無事MBAを取得。
非常に優秀な人物で、オバマ大統領からは非営利団体での活動を評価され、ホワイトハウスの「Council for Community Solutions」の一員に選ばれて大統領のアドバイザーを務めたこともあります。
そして、スティーブジョブズとの間には息子1人と娘2人を授かり、スティーブジョブズが亡くなってからはその遺産を相続し、現在は世界でも有数の莫大な資産を持つ女性として知られています。
スティーブジョブズの人生9:最初の子供との血縁関係を否定した
ローレンと結婚するずっと前、スティーブジョブズはクリスアン・ブレナンという女性と交際しており、そのクリスアンとの間にリサという子供が出来ました。
しかし、この頃はちょうどアップルがうまく行き始めていた頃だったこともあってか、スティーブは父親は自分ではないと血縁関係を否定してしまったのです。
ですが、後にローレンと結婚をしてしばらくするとこの考えを改め、最終的にはリサがハーバード大学へ通う費用を払いました。
また、マッキントッシュを世に出す前に、アップルはリサ(Lisa)という名前のコンピューターのプロジェクトを立ち上げています。
これについて、娘のリサ自身がスティーブに「自分の名前を付けたのか?」と聞いた時には「No」という返事をされていますが、友人であるU2のボノが同じ質問をしたところ、スティーブは「Yes」と答えています。
スティーブジョブズの人生10:給料は1ドルだった
スティーブジョブズが受け取っていたアップルからの「給料」は、たったの1ドルでした。
とは言え、同じような話はアメリカの起業家界隈でたまに耳にします。
これは結局、その企業の株を大量に保有するオーナー経営者だった場合、会社が大きくなればなっただけ手持ちの資産は大きくなるわけで、給料が1ドルであろうが10,000ドルであろうが、会社の規模が大きければあまり関係ないから。
また、NeXTやピクサーを売却し、さらにディズニーの筆頭個人株主になっていたこと、加えて、アップルからはストックオプションや、ビジネスジェット機などを与えられている点も忘れてはいけません。
スティーブジョブズの人生11:ビートルズをとても好きだった?
ビートルズ時代に育っていない人には理解し難いかもしれませんが、ビートルマニアと呼ばれたビートルズの熱狂的ファンは、現代のポップ歌手のファンの何倍も熱狂的でした。
そして、実はスティーブジョブズもこのビートルマニアだったかもしれないのです。
というのも、実際にビートルズを聴きまくっていただけでなく、スティーブジョブズが立ち上げた会社「アップル」は、ビートルズがイギリスに設立した「アップル・コア社」のレコード・レーベル「アップル・レコード」を、無意識または意識的に参考にしてしまった可能性があるほどだから。
しかしこのことはその後、アップル・コア社との訴訟問題に発展してしまいました。
その訴訟問題とは商標に関してで、何年にも渡って両社は争い、簡単には解決しなかったのです。
結局、最終的にはアップルがアップル・コアに5億ドルを支払う形で「Apple」に関する商標権を保持し、一方のアップル・コアはライセンスを得て使用する形になり決着しました。
スティーブジョブズの人生12:少年時代にHPの創業者に気に入られた
スティーブジョブズは子供の頃、ある大物へ電話をし、その人物を関心させてアルバイトまで得るという、大胆な行動に出たことがあります。
その電話先とは「ウィリアム・ヒューレット」または「ビル・ヒューレット」として知られる、ヒューレット・パッカード(HP)の共同創業者。
スティーブジョブズが13歳だった当時、ウィリアム・ヒューレットは憧れの存在でした。
1968年のある日、スティーブは電話帳を使い、ヒューレットのカリフォルニアのパロアルトにあった自宅を割り出して電話を掛け、「あるプロジェクトで使うためのコンピューターの部品をください」といきなり尋ね、実際に会いにいったのです。
ウィリアムはスティーブに会ってとても感心したらしく、その後、部品をくれただけでなく、夏休みにアルバイトをしないかと、スティーブジョブズに持ちかけました。
スティーブジョブズの人生13:ペスクタリアン(魚菜食主義者)
スティーブジョブズは肉を食べませんでした。
とは言っても、陸上に住む動物の肉に限ってであって、魚は食べていたようですが。
ちなみに、この食生活をすることで「体臭が臭わなくなる」と信じていたスティーブジョブズは、若い頃、滅多にシャワーを浴びることがなかったそう。
そのため、周りからは「臭い」とクレームが上がることも良くあったようです。
スティーブジョブズの人生14:ハリウッドアニメを救った
スティーブジョブスが、ルーカスフィルムのコンピューター部門だったグラフィックスグループを1000万ドルで手に入れ、今ではよく知られて愛されているピクサーへと転化させる前、ハリウッドアニメは死にゆく芸術のようでした。
つまり、近年、その発達が目覚しく、世界中で大人気になっているハリウッドアニメを救ったのは、他でもないスティーブジョブズだと言えるのです。
そしてその結果として、ハリウッド映画の中からファインディングニモやズートピアなどのヒット作品が生まれるようになっていったんです。
スティーブジョブズの人生15:30歳の時に妹を見つけた
スティーブジョブスの親戚の中で有名なのは彼だけではありませんでした。
スティーブジョブスの妹である「モナ・シンプソン」はアメリカにおいて作家として成功し、割と名前が知られています。
ただ、スティーブとモナの2人が会うことは、1985年まで一度もありませんでした。
(出典:wikipedia)
しかし一度会った後、2人は親友のように仲良くなり、モナによるとスティーブが亡くなるまでずっと、少なくとも2日に1回は話をするほどだったそうです。
ちなみに、モナはスティーブの実の父「アブドゥルファター」の娘です。
スティーブジョブズの人生16:300個以上の特許をもっている
スティーブジョブスは自分の名義で313個の特許を持っていると言われます。
例えば、同業者と言っても良いビルゲイツが持っている特許数は10個前後で、グーグル創設者の2人も合わせて12個持っているだけという点を考えると、この数がどれだけ凄いことか分かります。
ただし、スティーブジョブスの特許は、その全てがテクノロジー関係というわけではなく、1つはガラス階段の特許だったりと、内容は様々なようです。
スティーブジョブズの人生17:あまり知られていない共同創業者
スティーブジョブズがアップルを立ち上げるに当たって、共同創業者であるスティーブ・ウォズニアックと始めたことは広く知られています。
このウォズニアックが自ら開発したパーソナルコンピュータをジョブズに見せた後、アップルは結成されたのです。
一方で、この2人がアップルを立ち上げた当初、実はもう1人共同創業者がいたことはあまり知られていません。
(出典:wikipedia)
その人物とはロナルド・ウェインという名の男性で、ウェインは創業してからたった12日でアップルを去ってしまい、またその時に10%の株を800ドルで清算してしまったのです。
スティーブジョブズの人生18:ジョブズはアップルから解任された
1985年、スティーブ・ジョブズは、アップルのCEOとして働いていたジョン・スカリーを会社から追放する画策をしますが、これが逆にスカリーにばれた結果、アップルを辞任せざるを得なくなしました。
当初、ジョブズとスカリーは非常に強力なタッグを組んでビジネスを進めていましたが、1984年にジョブズが需要予測を間違った結果、アップルは過剰な在庫を抱えるようになってしまい、それによって、二人の間に亀裂が生じたのです。
最終的にジョブズは取締役会を通して、会長職以外の仕事全てを剥奪されるという状況に追い込まれてしまいました。
スティーブジョブズの人生19:Google創業者のメンターだった
スティーブ・ジョブズは、Googleの創業者であるセルゲイ・ブリンとラリー・ページに対し、メンターとしてアドバイスや経験を基にした知識を提供していました。
また、創業者だけでなく、その部下たちにもことあるごとにアドバイスをしていたと言われます。
例えば、元副社長であるビック・ガンドトラがGoogleで働いていた時、「O」の黄色の色合いが間違っていたため、グラデーションを変更するように電話をかけてアドバイスしたなんていう話が残っています。
しかし皮肉なことに、GoogleがアップルのiPhoneと競合するAndroidデバイスを開発した時、スティーブジョブズは激怒することになりました。
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スティーブジョブズの人生に関する19の話!子供・学歴・結婚など生涯のエピソードを確認!のまとめ
スティーブ・ジョブズの人生に関する19の興味深い話を紹介してきました。
ちなみに、スティーブ・ジョブズが2011年10月5日に亡くなる時、意識を失う前に発した最後の言葉は「Oh wow. Oh wow. Oh wow.」だったそうです。