グリゴリー・ペレルマン博士|ロシアの偉大なる天才数学者

ロシアが産んだ天才数学者のグリゴリー・ペレルマン博士に関して、生い立ちから業績、そして、世界を驚かした常識はずれの行動までを見ていきます。

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著名なロシア人の一人で、現在、世界最高峰の数学者かもしれない、グリゴリー・ペレルマン博士を知っていますか?

提起されてから100年の間、誰も解くことが出来なかった数学の問題を解決して世界へ衝撃を与えた上に、数学だけに人生を捧げる生活が注目の的になってきた偉大なる数学者です。

そのグリゴリー・ペルンマンについて、彼の偉業や生い立ちなどを紹介していきます。

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ロシアの数学者グリゴリー・ペルマン博士とは?

グリゴリー・ペレルマンは1966年6月13日生まれの著名なロシアの数学者であり、世界を幾度となく驚かせてきた人物。

(出典:wikipedia

1度目は数世紀に渡り解決できなかった問題を解決してみせたこと、2度目は世界最高の名誉を辞退したこと、そして3度目は100万ドルの賞金を辞退したことです。

具体的には、1904年にフランスのアンリ・ポアンカレ博士によって提起された「ポアンカレ予想」という数学の問題(その後100年もの間未解決であり、賞金100万ドルが掛けれた)を解決し、その100万ドルの賞金を辞退したのです。

さらに、グリゴリー・ペルンマンには「数学者においてノーベル賞と同等である」と言われるフィールズ賞(4年に1度授与される)も受賞されましたが、彼は数学者にとって最も栄誉あるこの賞を辞退したことでも世界を驚かせました。

「私には全く無関係なものです。証明が正しいと誰もが理解すれば、その他の認識は不要です」と述べるなど、とにかく数学に誠実で、数学をこよなく愛する、現在の世界が誇る最高峰の数学者なのです。

グリゴリー・ペルンマン博士の生い立ち

家族の教育が才能の基礎を作った

ペレルマンは電気技師の父と数学の先生であった母(どちらともユダヤ系)の息子として、レニングラード、現在のサンクトペテルブルクに生まれました。

また、ペルンマンには妹のエレナがおり、彼女も後に数学者になります。

グリゴリー・ペルンマンの父親は、頭を使うパズルに子供を挑戦させるのが好きで、チェスで遊びながら物事を論理的に考えるように指導していたとされ、この教育が後々の偉大な数学博士を生み出すきっかけとなったのです。

(出典:The Telegraph

ペルンマンの数学の才能は10歳の時から見られ始め、母親は放課後、セルゲイ・ルクシン(世界的に有名な教育者)の数学教育プログラムにペルンマンを参加させるようになります。

そして、14歳の時にはすでに、ペレルマンはサンクトペテルブルグの数学クラブでトップとなり注目を集め、サンクトペテルブルグの数学センター長であるセルゲイ・ルクシンは、彼の高い能力をさらに伸ばすため、さらなる英才教育を施していきます。

国際数学オリンピックに出場し優勝!そして大学へ進む

結果、2年後のペルンマン16歳の時にハンガリーのブタペストで開催された国際数学オリンピックに出場(当時の最年少出場記録)、そしてなんと「全問満点」で金メダルを獲得してしまうのです。

その後、オリンピック勝者として若干16歳でレニングラード大学(現在のサンクトペテルブルク国立大学)へ、入試も入学の手続きも免除されて入学し、すぐに上級レベルの幾何学コースに進みました。

当時のクラスメートには、非常に優秀な学生が多く、議論の際に率先して話し出す高い能力を持った学生に囲まれていましたが、グリゴリー・ペレルマンは対照的で、深く考え、いつも非常に慎重に確認を行い、急ぐことなく正しい回答を発表するようなタイプであったと言われています。

孤高の数学者であったペルンマン博士

大学卒業後のペルンマン

大学卒業後、ペレルマンはソ連科学アカデミーのステクロフ数学研究所における、世界的にも名高いレニングラード部で働き始め、また、1980年代後半から1990年代前半にかけては、アメリカのいくつかの大学にて研究職を勤めます。

(出典:Pinterest

1992年にはニューヨーク大学のストーニー・ブルックに招かれて博士研究員として過ごし、1993年には、カリフォルニア大学バークレー校から、2年間の奨学金をもらいながら研究を行います。

このバークレー滞在時に、ソウル予想という未解決問題を解決し注目を浴び、いくつかの仕事のオファーがありましたがそれらを辞退して、1995年にロシアのサンクトペテルブルクに戻り、以前勤務していたステクロフ数学研究所のポジションに戻りました。

孤立しながらも研究を続けて偉大な数学者として有名になる

それ以降、グリゴリー・ペレルマンはサンクトペテルブルクで質素な生活を営みながら、他の同僚や学者とも連絡を取らず、孤立した環境で研究を続けていくようになります。

この頃から、ペルンマンはあまり人前に姿を表さなくなり、また、自分が何をしているのか、どんな研究をしているのか誰にも告げることはありませんでした。

しかし、そのような環境だったからこそ、全神経を集中してボアンカレ予想を解決出来たのは間違いないと思われます。

そして、2005年の12月には、それまで所属していたサンクトペテルグルクのステクロフ数学研究所に退職届を出し、それ以来、研究所には顔を出していません。

ペルンマンはサンクトペテルブルクへ戻った後は、母のアパートに引っ越したため(父親は当時すでにイスラエルへ移住していた)、生活費もほとんど掛からず、ロシアで残りの人生を過ごすには、アメリカの数年間の生活で貯蓄したお金があれば十分だとも考えていたそうです。

このように、生活の全てを数学に捧げてきたのが、グリゴリー・ペルンマンがグリゴリー・ペルンマンである所以であり、また、現在を生きる世界最高峰の数学者となった理由と言えるのです。

グリゴリー・ペルンマン博士の主だったイベント年表

最後に、グリゴリー・ペルンマン博士の略歴や、覚えておきたいイベントを年表にしたものを掲載しておきます。

  • 1966年:6月13日にロシアに生まれる
  • 1982年:国際数学オリンピックにおいて全問満点で金メダルを獲得
  • 1992年:ニューヨーク州立大学ストーニブルック校博士研究員
  • 1993年:カルフォルニア大学バークレー校博士研究員
  • 1994年:ソウル予想を解決
  • 1995年:ロシアに帰国に帰国
  • 2002~3年:ポアンカレ予想の解決を宣言
    • 詳しくは以下
  • 2005年:ステクロフ数学研究所を退職
    • 詳しくは以下
  • 2006年:フィールズ賞受賞を辞退
    • 詳しくは以下
  • 2010年:ミレニアム賞受賞を辞退
    • 詳しくは以下
  • 2011年:ペルンマンに関する映画作成の同意を得たと発表される
    • 詳しくは以下

ポアンカレ予想の解決宣言

2002年11月11日、ペレルマンは数学ジャーナルに掲載される準備が整った査読前の電子原稿の掲載に定評のあるウェブサイト、arXiv.orgに簡潔な電子記事(The entropy formula for the Ricci flow and its geometric applications)を掲載しました。

その後、2003年に二つの発表(3月10日と7月17日)をし、ここにポアンカレ予想を解決したと宣言することとなります。

フィールズ賞受賞を辞退

2006年5月、9名の数学者からなる委員会は、ポアンカレ予想における彼の功績により、ペレルマンはフィールズ賞に値すると推薦しました。

しかし、ペレルマンはこの賞を辞退します。

国際数学連合の代表者であるジョン・ボール氏は、2日間に分けて10時間もの間、ペレルマンにこの賞を受け取るよう説得しましたが失敗に終わったのです。

「皆がこの証明が正しいと分かれば、その他の認識は必要ありません。私は動物園の動物のように皆の前にさらされたくないんです。」というのがペルンマンの主張です。

ミレニアム賞受賞を辞退

2010年3月18日、ペレルマンはミレニアム懸賞問題を解決したとして表彰されましたが、100ドルの懸賞金を受け取る式には参加しませんでした。

その際、「組織化された数学協会への不満です。私は彼らの決定は好きではないし、不公平だと思います」と述べたそうです。

ステクロフ数学研究所を退職

2003年当時すでに、ペレルマンはステクロフ研究所へほとんど顔を出さなくなっていたそうです。

その理由というのが、数学は他の人間と議論するには辛いものだと考えていたからで、伝えられるところによれば、その議論を断念したと言われています。

ペルンマンに関する映画作成の同意を得たと発表される

2011年4月、イスラエル人のプロデューサーであるアレクサンダー・ゼブロウスキーは、ペレルマンにインタビューをしたと発表し、同時に彼に関する映画を製作する計画を明らかにしました。

また、同プロジェクト(映画製作)へのペレルマンの同意を得るため、説得するのに3年かかったと述べました。

ペルンマンはメディアの前に姿を見せるのが嫌いなため、このニュースは世界を驚かせましたが、その後、複数の矛盾点が見つかり、多くのジャーナリストは、十中八九、インタビューも映画製作に関する同意も捏造だろうと考えています。

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グリゴリー・ペレルマン博士|ロシアの偉大なる天才数学者のまとめ

ロシアに生まれた偉大なる数学者、グリゴリー・ペレルマン博士は、数学を純粋に愛する人物で、その変わった行動などでも注目を集めています。

これからも数学の謎を解き明かして世の中を驚かせていくかもしれません。

世界のことって面白いよね!By 世界雑学ノート!

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