ペルシャとイランの違いについて詳しく見ていきます。歴史や民族的観点から両者について確認し、その違いを明らかにしていきます。
ペルシャとイランという名称は、よく同じ意味で何気なく使われます。
実際、「ペルシャ人」と「イラン人」という言葉がイラン出身の人を指す名称として、まるで全く同じ意味であるかのように使われている状況に出くわしたことがある人は多いでしょう。
しかし、「ペルシャ」または「ペルシャ人」と、「イラン」または「ペルシャ」とは、正確に見ていくと必ずしも同じ意味ではありません。
では一体、両者の違いとはどういったものなのでしょうか?
この疑問に対する答えを、歴史や民族的視点から詳しく解説していきたいと思います。
ペルシャとイランの違い
1935年まで西洋において「ペルシャ」は、今日のイランとその広大な周辺地域を指す言葉として公式に使われていた名称です。
(古代においてペルシャ帝国が勢力下においていたペルシャ地域)
しかし当時からこの地域に実際に住む人々は、ペルシャではなくイランという名称を使っていました。
そのような状況もあり、1935年から「イラン」という国号が国際的に使われるようになっていきます。
そして、現在イランと呼ばれる国「イラン・イスラム共和国」が、1979年のイラン革命によって誕生します。
(今日のイランの地図)
この過去20世紀に起きた歴史の流れから、イランはペルシャではなく「イラン」と国際的にも呼ばれるようになっていったのです。
また、一般的に今日でも、「ペルシャ」というと「イラン」を指すことが大半ですが、これはこの国が古代のペルシャ帝国とほとんど同じ場所に存在し、また国民をほとんどそのまま受け継いでいるからです。
ちなみに、「ペルシャ(Persia)」という言葉は、古代において「パールサ(Parsa)」と呼ばれたイラン高原南西部の地方と、古代に同地を支配したペルシャ帝国(アケメネス朝、アルサケス朝、サーサーン朝)に由来している。
今日のイラン共和国は多民族国家
しかし、今日のイラン共和国は、たくさんの民族や部族が暮らす多民族国家。
ペルシャ人と自認する人が多数派を占めますが、他にもアゼリー人(アゼルバイジャン人)、ギラキ人、クルド人、バルーチ人、トルクメン人、アッシリア人、アルメニア人などが多く暮らしています。
このような理由から、イランの国籍を持つ国民はみな「イラン人」ということになりますが、そのうち、古代ペルシャから長く同地に暮らし続けている言ってみれば「純粋な」ペルシャ人は一部にすぎません。
ペルシャとイランの違いを理解する上で大切なイラン革命
1978年、当時のイランでは君主制(専制政治)を廃止して、代わりにイスラム教の民主政府が力を握るイラン革命が起こりました。
翌年の1979年には、ペルシャ最後の君主とも呼ばれた国王「モハンマド・レザー・パフラヴィー」は国外に亡命。
この革命が成功した結果、イランは正式に国名を「イラン・イスラム共和国」と改名し、これ以降、イランの国民が公的な場で「ペルシャ人」と呼ばれることはなくなります。
つまり、ペルシャとイランの違いを理解する上で、1978年から1979年にかけて起こったイラン革命は非常に重要なポイントであり、この出来事が契機となり、両名称の違いが明確になっていったと言えるのです。
今日、「ペルシャ」という呼称は君主制の時代を想起させる古い名前であると考える人もいますが、今でも文化的には意味と価値がある言葉です。
そのため、
- 「イラン」は政治や経済を議論する際に用いられる
- 「ペルシャ」は文化や文明的な文脈でしばしば用いられる
といった使い方の差異を確認することが出来ます。
ペルシャとイランを理解するために知っておきたいその他の豆知識
ペルシャとイランの違いについては理解出来たかと思いますが、ここからはペルシャとイランに対する理解をさらに深めるための、いくつかの豆知識を紹介していこうと思います。
今日のイランの人口構成
今日のイランに暮らす人々の民族構成について、具体的にそれぞれどの程度の人口割合を占めているのか確認すると、以下のような具合です。
- イラン系民族:79%
- ペルシャ人:61%
- クルド人:10%
- ロル族:6%
- バローチ人:2%
- その他の系統の民族:21%
- アゼルバイジャン人:16%
- アラブ人:2%
- テュルク系民族:2%
- その他(アッシリア人、アルメニア人など):1%
(※CIA The World Factbook 2012年度参照)
今日のイラン国内における言語状況
また、イランの公用語は一般的に「ペルシャ語」と呼ばれていますが、イラン国内では「ファルーシー」や「パールシー」と呼ばれています。
さらに、以下のポイントも抑えておきましょう。
- イラン人口の53%はペルシャ語(ファールシー)を母語とする
- 16%はアゼリー語を母語とする
- 10%はクルド語を母語とする
- 7%はマーザンダラーン語とギラキ語を母語とする(ギラキ人によって)
- 他にもロル語、バローチー語、アラビア語、アルメニア語などが使われている
ペルシャ人とアラブ人の違い
また、一般的にも混同されがちなのが「ペルシャ人」と「アラブ人」。
同じ「中東」に分類される地域に住んでいる上に、今日では宗派の違いなどがあるものの、どちらの地域でもイスラム教が優勢であるため、これら二つの人々は同じだと考えている人がたまにいます。
しかし両者は異なり、ペルシャ人はアラブ人(アラブ系民族)ではない点はしっかりと抑えておく必要があります。
というのも、
- ペルシャ人とアラブ人は主な居住地が違う
- アラブ人は中東(湾岸地域が中心)と北アフリカの22か国からなる主にアラブ世界に住んでいる人々
- アルジェリア、バーレーン、コモロ諸島、ジブチ、エジプト、イラク、ヨルダン、クウェート、レバノン、リビア、モロッコ、モーリタニア、オマーン、パレスチナなど
- ペルシャ人は主に、イラン、パキスタンのインダス川流域、そして西はトルコの一部に暮らす
- アラブ人は中東(湾岸地域が中心)と北アフリカの22か国からなる主にアラブ世界に住んでいる人々
- ペルシャ人とアラブ人の祖先は違う
- アラブ人の祖先はシリアの砂漠からアラビア半島にかけての「アラビア地域」の原住民だと考えられている
- ペルシャ人はもともとイラン地域の出身
- ペルシャ人とアラブ人の言語は違う
- アラブ人は「アフロ・アジア語族のセム語派」に属するアラビア語を話す
- ペルシャ人は「インド・ヨーロッパ語族ーインド・イラン語派ーイラン語群」に属するペルシャ語を含むイラン系の言語や方言を話す
といった大きな民族的違いがあるからです。
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ペルシャとイランの違いとは?歴史や民族的視点から確認してみようのまとめ
ペルシャとイランの違いを解説してきました。
世界に関する情報を見ていくと、この二つの言葉が良く出てくるので、両者の違いについてはしっかりと理解した上で内容を把握していくことが大切になります。