大航海時代の歴史をわかりやすく解説!新世界を求めた大発見時代とは?

大航海時代の歴史をわかりやすく解説していきます。新世界と呼ばれる未開の地域を発見して開拓していった、世界史において重要な時代について見ていきましょう。

現在の世界には、ヨーロッパ文化の影響を受けた地域が数多く存在します。

例えば、ヨーロッパから離れているのにも関わらず、中南米にはスペイン語を話す国が多く存在し、アジアのマレーシア、インドネシア、マカオにはポルトガルの面影が、そして北米やアフリカ大陸などでは他のヨーロッパも含めた影響を確認出来ます。

このように、地球上にある多くの地域にヨーロッパの影響を広げた重要な歴史的出来事の一つが大航海時代です。

大航海時代とは具体的に何なのか?

その歴史をわかりやすく解説し、大航海時代を理解するために知っておきたい5つのポイントも紹介していきます。

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大航海時代とは?

大航海時代」とは、1400年代から1600年代において、比類なき規模の航海と全世界の探検がヨーロッパ人(主にポルトガルとスペイン人)によって行われ、そのような特徴から「大発見時代」と呼ばれることもある時代のことです。

開始の年を1492年と考える学者もいますが、もう少し早い時期に開始したと考えられることが多く、一般的には15世紀前半から17世紀半ば頃まで続いたとするのがほとんどです。

いつからいつまでを大航海時代と呼ぶのかは議論の的ですが、一般的には16世紀が大航海時代のピークであると考えられています。

中でも大航海時代の最も重要なイベントは、1492年のクリストファー・コロンブスによる中・南米大陸の発見。

他にも、オセアニアにあるオーストラリア大陸やその周辺も新たに発見されており、大航海時代にヨーロッパ人が新たに発見したこれら大陸は総称して「新世界」または「新大陸」と呼ばれるようになりました。

新世界の発見は、大航海時代の基礎を築いたと言っても過言ではないでしょう。

ただし、新世界以外の地域でもたくさんの探検が行われたことを忘れてはいけません。

ちなみに、大航海時代の幕開け当初の目的は、金、絹、香辛料、その他の珍しい品々の貿易をするために、東インド諸島(現在の東南アジア)への航路を確立することでした。

しかしその過程で発見した土地が、目的としていたアジアではなく新しい大陸であることが明らかになると、ヨーロッパ諸国はたちまち、土地の所有権をめぐって競い合うようになっていったのです。

そして、この競争の中ではスペインとポルトガルが特に重要な役目を果たしましたが、時が経つにつれ、他のヨーロッパ諸国も大航海時代に参加するようになりました。

また、この大航海時代にはクリストファー・コロンブス以外にも歴史上に名を残した多くの探検家、具体例を挙げると、

  • ジョン・カボット
    • 北アメリカ大陸の発見者
  • フアン・ポンセ・デ・レオン
    • ヨーロッパ人としては初とされるフロリダまでの航海を行った
  • フェルディナンド・マゼラン
    • 史上初の世界一周を成し遂げたスペイン艦隊を率いた
  • バスコ・デ・バルボア
    • ヨーロッパ人として初めて太平洋に到達した

などが誕生しました。

大航海時代の歴史を簡潔で簡単にわかりやすく追っていこう

大航海時代の火種を付けたのはポルトガル・スペイン 間の競争だった

大航海時代初期である1400年代を、最初に率先したのはポルトガルでした。

ポルトガルのジョアン1世の息子、エンリケ王子は、大航海時代の探検を金銭的に支援したことで有名です。

一方で、小さな隣国のポルトガルが世界の海を牛耳り始めたことに気が付くと、スペインも独自に探検家を送り出すようになります。

なかでもカトリック両王と呼ばれる「フェルナンド2世」と彼の妻「イサベル1世」は、インドへの航路を開拓して富を増やすために、クリストファー・コロンブスというの名の若いイタリア人を航海へ派遣しました。

1492年10月、コロンブスはカリブ海のサンサルバドル島に上陸。

当時のコロンブスは、この島が新大陸(新世界)であったことには気づかず、インドか日本など、アジアのどこかであると信じていましたが、兎にも角にもこれによって新大陸の存在が確認されることとなったのです。

他の欧州各国も参加して土地の所有権をめぐる競争が激しさを増す

偶然にもコロンブスによって新世界が発見され、新航路が開拓されると同時に新しい領土を獲得することは莫大な利益をもたらすことが確認されると、その「早い者勝ち」の特徴も相まって、乗り遅れまいとヨーロッパ全土で航海ブームが燃え上がりました。

例えば、フランスやイギリスといった国も、新大陸を植民地化したいと望むようになります。

1497年、探検家ジョン・カボットが北アメリカ大陸のどこか(おそらくニューファンドランド島付近)に上陸し、同地域をイギリス領と宣言。フランスの冒険家ジャック・カルティエも、1534年に北アメリカのセント・ローレンス川流域を探検しました。

また、オランダも新大陸開拓に関わりましたが、フランス、イギリスなどに比べると参戦時期は遅く、その影響力も大きいものではありませんでした。

しかし、カリブ海地域を広く探検し、またマンハッタン島(現在のニューヨーク)に植民地を築いた歴史は重要だと言えるでしょう。

ちなみに、この大航海時代においてイギリスとフランスは、主に北アメリカ大陸北部の開拓に集中する一方で、スペインは北アメリカ大陸南部と南アメリカ大陸を中心に探検したことが、現在のカナダ、アメリカ、メキシコ、その他中南米の国の形成に大きな影響を与えたと理解できます。

大航海時代が最盛期を迎える

ポルトガルやスペイン以外のヨーロッパ諸国も航海へ力を入れていくようになった1500年代、つまり16世紀は、数々のヨーロッパの探検家が新しい発見を行い、加えてヨーロッパ諸国は領土を拡大していったことで、大航海時代における黄金時代とも言える時期になりました。

例えば1513年、スペインの探検家バスコ・ヌーニェス・デ・バルボアは、パナマのジャングルを抜け、ヨーロッパ人で初めて太平洋に達した人物となりました。

また同じ頃、もう1人のスペイン人冒険家フアン・ポンセ・デ・レオンはフロリダを探検し、彼の探検はその後、その水を飲むことで誰もが若返ると言われている「若返りの泉」を探し求める伝説と結び付けられて語られるようになります。

さらに、エルナン・コルテスフランシスコ・ピサロといったスペイン人の開拓者は、アメリカ大陸の原住民を征服した(コルテスはメキシコのアステカ帝国、ピサロは南アメリカのインカ帝国)ため、コンキスタドール(征服者)と呼ばれるようになり、その後の中南米におけるスペインの植民地支配に繋がっていきました。

一方で、1519年から1522年にかけて、ポルトガル人のフェルディナンド・マゼランは地球を一周する大航海を行い、残念ながらマゼラン自身は旅の途中で亡くなりましたが、彼の船員は無事世界一周に成功して帰国しました。

大航海時代の終息

このように高い航海技術によって幾度も航海が繰り返されていった結果、未開の地域は少なくなり、一部を除いて全ての地域にヨーロッパ人が到達することとなります。

その結果、莫大なコストや大きなリスクを背負ってまで行う大航海は割に合わなくなり、17世紀になると大航海時代はゆっくりと終息していったのです。

そしてヨーロッパ諸国は、南北アメリカ大陸を始め、世界各地の植民地支配へより力を注いでいくことになりました。

大航海時代に関して知っておきたい5つの話

新大陸が新大陸であると気づいたアメリゴ・ヴェスプッチ

スペインに雇われたイタリア人の探検家・地理学者アメリゴ・ヴェスプッチは、4回にわたって南アメリカ大陸に遠征しました。

この経験から彼は、アジアのどこかと考えられていた新大陸が「実はアジアではなく別の新しい大陸なのではないか」と最初に気が付いた人物の1人となります。

その結果、16世紀初頭、新大陸はアメリゴ・ヴェスプッチの名前を取って「アメリカ」と名付けられました。

大航海時代が盛んになった裏にはローマ教皇の影響もあった

16世紀に大航海時代がピークを迎えたのには、確かに航海の成功によって得られる利益をヨーロッパ諸国が追い求めたというのが大きな理由でしょう。

しかし、カトリック教会を治めるローマ教皇の影響もあったことを忘れてはなりません。

16世紀初頭からキリスト教世界では、ローマカトリック教会からプロテスタントが分離する「宗教改革」が起こっていました。

その結果、カトリック教会は新たに誕生したプロテスタントと、信徒を巡って争うことになります。

そこでローマ教皇が目をつけたのが、世界各地で新しい領土を拡大している大航海時代の波に乗っかり、海外の新しい領土で新しい信者を獲得することでした。

中でもポルトガルとスペインは強固なカトリック教国であったため、両国から派遣される船を支援し、航海には宣教師を同行させたのです。

「領海」という斬新なアイデアの誕生

「無欠王」としても知られるポルトガルの王ジョアン2世(1455〜1495年)は、海上での争いをなくすために「領海」という考えを打ち出します。

これは、あらゆる外国船、特にスペインの船が、ポルトガルが発見した海上やアフリカの土地に入るのを禁じることを目的としたものです。

ただし、この考えを実現させて達成するためには、沿岸とギニア湾における政治的・軍事的支配が必要だったため、1482年にジョアン2世は、サン・ジョアン・ダ・ミーナという要塞都市の建設を命じるなどしています。

そして、この考えは数百年を掛けて現在の国際法における「領海」に繋がっていきました。

重要なマイルストーンとなったトルデシリャス条約

1494年6月7日、スペインとポルトガルの間ではトルデシリャス条約と呼ばれる条約が結ばれました。

これは、それまで発見された、また今後発見されるであろう未発見の新世界を大きな争いなく両国間で分割するために制定されたもので、大西洋を北から南へ縦に割ってその西側はスペインが優先権を持ち、東側はポルトガルが優先権を持つというものです(※ただし、1500年にポルトガル人によって発見されたブラジルなどの例外もある)

紫がトルデシリャス条約、緑がサラゴサ条約によって引かれた縦線, 出典:wikipedia

また、この条約は教皇庁にも認められたことから、キリスト教世界では大きな影響力を有しました。

特に、フランス、イギリス、オランダなど、他のキリスト教のヨーロッパ諸国はこの条約における領土獲得の優先権から締め出されたため、これもまた、大航海時代においてはポルトガルとスペインが中心に競争を繰り返した理由の一つとなったと言えるでしょう。

ちなみに、地図上へ縦線を一方引いても、地球が丸いなら分割したことにならないと気づいた結果、太平洋上へ縦線を引く「サラゴサ条約」が、1529年にスペインとポルトガルの間で結ばれています。

大航海時代の新大陸発見により新たな視野が開けた

新大陸の発見は文学、思想、科学の発展を可能にしました。

ポルトガル人やスペイン人たちは、自分たちの存在や自然、宇宙との関係性について疑問を抱き始めます。

また、多くの旅行記も誕生。

航海士や探検家達は、遠征中に見た物の数々を記録に記し、これら発見の記録はその後、ヨーロッパにおける知的、そして哲学的な発展を促していくこととなりました。

例えば、ポルトガルの貴族であったジョアン・デ・カストロは、感覚的な認知は物事の見かけだけしか識別できず、真実は識別することができない、つまり、自然界に対する正しい理解ができないと主張し、紅海の色が他と違うのは水のせいではなく、砂や石、水生植物が理由だとする答えを導き出しています。

さらに、冒険物語や英雄伝も登場し始め、それによって叙事詩が盛んになっていくなど、その後のヨーロッパ文化へも影響を与えたと言えます。

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大航海時代の歴史をわかりやすく解説!新世界を求めた大発見時代とは?のまとめまとめ

15世紀から17世紀にかけて起こった大航海時代について見てきました。

大航海時代の間、ポルトガルとスペインを中心としたヨーロッパ諸国は、過去に類を見ない大規模な探検と航海を行い、ヨーロッパ人的目線に立てば、それによって新しい地域が多く発見されました。

そしてこれらの発見は、その後の世界に大きな影響を与えると同時に、ヨーロッパにおける科学や文化の発展も促していったのです。

世界のことって面白いよね!By 世界雑学ノート!

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