バイキング(海賊)の歴史や文化14の話|船・斧や剣・兜に関する真実

バイキング(海賊)の歴史や文化に関する14の話を見ていきましょう。バイキングのイメージとして有名な角の生えた兜に関する真実などにも触れていきます。

バイキングとは、西暦800年から1066年頃までのバイキング時代に、卓越した技術で作った船を利用して積極的に外国へ遠征し、時には海賊として略奪行為を繰り返すこともあった、スカンディナヴィア半島およびバルト海地域の人々。

主にヨーロッパを中心に活動していましたが、遠くはイラクのバグダッドや北アメリカまで旅をした者も現れました。

このような歴史から、バイキングの血を引く人々は現在のヨーロッパ全土に広がっており、また、他の地域にもバイキングの血を引く者がいると考えられています。

このバイキングとは、どういった人々だったのか?

彼らの歴史や文化に関する14の話を紹介して、バイキング達に関する理解を深めていきたいと思います。

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バイキング全員が略奪を繰り返す海賊だったわけではない

バイキング(Viking)という言葉は、スカンディナヴィア出身の人々に話されていた古ノルド語において、「湾」や「入り江」を意味する「vík」に由来するのではないかとされます。

また、「バイキングに行く」という表現が当時の文章から見つかっているため、バイキングは「略奪をする」という意味を持っていたのではないかという説があり、これは同時に、ヨーロッパ各地に進出して猛威を振るったバイキング達のイメージと合致します。

このように略奪を繰り返した「海賊」としてのイメージが強いバイキングですが、実はバイキングと呼ばれる人々の多くは、略奪行為をすることもなく、別の国へ平和的に移住して定住し、農業をしたり、工芸品を作ったり、故郷へ持ち帰る商品の貿易をして生計を立てていたと言われます。

実際、バイキング達の収益のほとんどが交易から生まれていたと言われ、航海へ出たバイキング達の主な目的は略奪ではなく交易だったと考えられているのです。

バイキングの男たちは農業に多くの時間を割いていた

バイキングと聞いて「略奪行為を繰り返す恐ろしい海賊」をイメージする人にとってはがっかりするかもしれませんが、バイキングの男たちの大半は、剣や斧の代わりに大鎌を振り回していたようです。

上でも触れた通り、バイキングの中には、村を焼き払って侵略や略奪を繰り返す冷淡な海賊がいたのも事実ですが、大多数の男たちは少なくとも一年のうちの一時期、大麦、ライ麦、オート麦の種まきをして、穏やかな生活を送っていました。

また、牛、ヤギ、豚、羊を小さな農場で育て、家族を養うための食糧にしていた者もいたと言われます。

バイキングは統一された集団ではなかった

歴史を振り返る上では便宜上、「バイキング」として彼らを一括りに指し示すことが多いですが、バキング達は統一された集団ではありませんでした。

バイキングに分類される人々は、バイキングにそ分類されるその他のグループ全てを同じ仲間として認識していたわけではないようなのです。

例えば、バイキング時代、現在のデンマーク、ノルウェー、スウェーデンにあたる土地には、異なる首領が率いる複数の部族達の領土が入り乱れ、航海に出て暴れていない限り、頻繁に陸地で戦闘を繰り返していたようです。

また、当時、自分たちをバイキングと呼ぶことさえもなかったと考えられます。

ちなみに、バイキングという言葉は当初、「海外遠征に加わったスカンディナヴィアの人々」を表す言葉でしたが、後には「バイキング時代にスカンディナヴィア半島、バルト海沿岸に住んでいた人々全体」を指す言葉への変化し、その意味する範囲が拡大している点は抑えておくべきでしょう。

バイキングの角付き兜は歴史の中で誤って伝えられた

海賊のバイキングと言えば、上向きに曲がった大きな角のついた兜と毛皮のベストという出で立ちで描かれることが多いですが、この姿は一旦忘れた方が良いでしょう。

というのも、当時記された叙述にはこの角付き兜の描写はなく、さらに、バイキングの遺跡からは角付き兜は一切発見されていないから。

では、この海賊バイキングのシンボルとも言える角付き兜のイメージはどのように誕生したかと言うと、「古代ローマ時代にローマと敵対したケルト人の風俗が、後世になってヴァイキングの風俗として誤って伝えられた物ではないか?」というのが正解らしく、どうやら19世紀の画家たちが作り上げたようです。

角付き兜は、実在したバイキング達を象徴する物ではなかったようなのです。

ヨーロッパ人として歴史上で初めてアメリカ大陸に上陸した

クリストファー・コロンブスと言えば、一般的にヨーロッパ人として初めてアメリカ大陸を発見した人として知られ、何かと新世界を発見した功績が称えられます。

しかし、コロンブスがアメリカ大陸を発見した15世紀よりもさらに500年ほど前の10世紀に、すでにバイキングはアメリカ大陸に上陸していたと言われます。

その、ヨーロッパ人としてアメリカ大陸に初めて到達したとされる人物は、アイスランド生まれの航海者(バイキング)である「レイフ・エリクソン」と呼ばれる探検家。

ただ、エリクソンによるアメリカ大陸の発見のニュースは、コロンブスが発見した時のようにヨーロッパで広まることがなかったため、歴史の中に埋もれてしまうことになりました。

ちなみに、レイフ・エリクソンの父は、通称「赤毛のエイリーク」と呼ばれる、バイキング史上の有名人。

ヨーロッパ人として初めてグリーンランドに入植し、同地に初めてのバイキング居留地を建てた人物「エイリーク・ソルヴァルズソン」です。

バイキングは熟練した造船技師だった

船を使って外国へ遠征し、時には海賊となって各地で侵略を繰り返したバイキング達は、優れた造船技術を持った人々でもありました。

中でも、ヨーロッパ各地への侵略において重宝されたのがロングシップと呼ばれる船で、バイキング達が発展させ、その後、何世紀にも渡って他の文化や造船技術に影響を及ぼしたと言われます。

その特徴は、

  • 優美で、長く、細い形状と、速度を優先して喫水が浅く軽い木製の船
  • 水深がほんの1m程度でも航海可能
  • 海浜に乗り上げる速度が速い
  • 軽いことで陸路輸送のために担いでいくことが可能
  • 前後が対称となっているために後退も素早く行える
  • ほぼ全長に渡ってオールが取り付けられた
  • 後には1本マストに方形帆が付けられて長い航海中の漕ぎ手の労を軽くした

といったもので、ロングシップの存在が、当時のバイキングの海上遠征活動を後押ししたことは間違いないでしょう。

バイキングは衛生面に優れていた

船上で何日間も過ごし、時には敵と交戦するような日々を送っていた海賊のバイキング達は、「身なりを気にせず、ヒゲや髪の毛は伸ばしっぱなしで、ひどく匂っていたのではないか?」と思うかもしれません。

しかし、実際のバイキング達は衛生面にかなり気を使っていたようです。

例えば、バイキングの遺跡から、バイキング達が当時使っていた、動物の骨や枝角で作られた毛抜き、カミソリ、くし、耳かきなどが見つかっています。

さらに、(船上での長旅が続く時を除いて)バイキング達は週に一度は入浴していたらしく、当時のヨーロッパ人としては、最も頻繁に入浴していた人々だと言われるのです。

バイキングの海外進出には尿が役立った!?

バイキングは衛生面に気をつけていた一方で、尿が有効利用出来ると分かれば、尿を汚物としてではなく、資源として利用するのに何のためらいも持たなかったようです。

バイキング達は、樹皮に生えているツリガネタケと呼ばれるキノコを集め、それを尿で数日茹でて、フェルト状に叩き崩しました。

尿に含まれる硝酸ナトリウムによって、フェルト状に叩き崩されたキノコが燻されるような形となり、バイキングはいつでも火を起こすことが出来るようになったのです。

そしてこのことは、彼らが外国へ進出する際に多いに役立ちました。

バイキングにとって奴隷は重要な存在だった

バイキング時代の北欧文化圏において奴隷は、「スレール」と呼ばれており、バイキングの生活には非常に大切な存在でした。

というのも、スレール達はバイキング達の日々の雑用を代わりにこなしたり、バイキングの村や町で大規模工事が必要になった際には貴重な労働力とされたからです。

さらに、バイキングの中には、スレール達の人身売買によって財を成した人々もいたようで、ヨーロッパと中東にまたがる巨大な奴隷市場で売買されたと言われます。

ちなみに、このスレール達には、

  • 外国へ進出した海賊バイキングが村や町を略奪した時に捕まえた人々
    • アングロサクソン人、ケルト人、スラブ人など
    • バイキングの定住地に連れて行かれて銀などと交換された
  • 餓死から逃れるために自分の身をスレールとして提供した人々
  • スレールの家庭に生まれた人々

と言った人々が含まれていました。

また、スレール達は自らの世帯を持つことが出来た一方で、家畜のように所有され、スレールを所有していた主人のバイキングは、スレール達に対して生殺与奪の権利を持っていたと言われます。

バイキングの女性は基本的な権利を享受した

バイキングの少女は12歳で結婚させられることが一般的で、夫が航海に出ている間は家族の世話をしなければなりませんでした。

それでも、当時の世界においては女性として比較的自由な境遇に置かれたようです。

と言うのも、スレールでない限り、バイキングの女性は財産の相続や離婚の請求ができ、離婚の際には結婚持参金の返還を要求することも出来たからです。

バイキングにとって剣は非常に大切な貴重品だった

歴史上で描かれたバイキングの絵の中には、剣を持ったバイキング達も描かれていますが、実は剣は当時のバイキング達にとって、非常に貴重で大切なものだったようです。

というのも、剣を作るのには非常に多くのお金が必要で、大半のバイキング達にとって剣は、所持品の中で一番価値の高いものだったようだから。

そのため、剣を所持していることはある種の名誉であり、剣を所持したバイキングの多くは、海賊として略奪行為を何度か繰り返した結果として得られた財産で剣を作ったと言われます。

実際、剣を作るのに十分なお金を用意する前のバイキング達は、斧や槍を武器として使っていたようです。

バイキングにとって船で葬られることは名誉だった

バイキングが自分たちの船を愛していたことは紛れもない事実です。

そして、そのことが理由なのか、命が尽きた後には船によって葬られるのが、彼らにとっては誇りだったようです。

古代スカンディナヴィアの宗教では、勇敢な戦士は死後、壮麗で華やかな冥界に入ると信じられていました。

そして、生前愛用した船が死後の世界に連れて行ってくれるとも信じられていました。

名高い兵士や著名な女性が命を落とした際には、船に遺体が並べられ、武器や貴重品、時には生贄として奴隷までもが周りに供えられたようなのです。

バイキングの紳士は金髪がお好き

バイキングと言えば、金髪で描かれることが多いですが、これは彼らの美意識に依るところが大きかったのかもしれません。

バイキングの男性達は本来、金髪と言うよりはダークブラウンな髪の色をしていました。

しかし、ダークブラウンの髪を持つ男性の多くは、アルカリ成分を多く含む強力な石鹸で脱色していたのです。

また、地域によっては、顎ひげを脱色することもありました。

このように、バイキングのイメージとして描かれる金髪は、実は人工的なものだったようなのです。

ちなみに、彼らがなぜ脱色をしたかの理由として、金髪を好んだという以外にも、脱色をする過程で、アタマジラミを退治していたことが考えられます。

ハーラル3世の死が歴史的なバイキング時代の終わりとなった

ノルウェーを最初に統一した王とされるハーラル1世の子孫であるハーラル3世は、イギリスを手中に収めようと、当時のイギリスの王「ハロルド2世」に戦いを挑みました。

しかし、このスタンフォード・ブリッジの戦い(1066年)において、ハーラル3世は命を落としてしまいました。

(出典:wikipedia

この、ハーラル3世がスタンフォード・ブリッジの戦いで殺された1066年は、バイキング時代が終わりを迎えた年だとよく言われます。

というのも、この頃までに、キリスト教の普及で北欧の社会は劇的変化を遂げており、バイキングと呼ばれた人々は領土拡大に対する強い野心を失っていたから。

北欧においてキリスト教徒を奴隷にすることが禁止され、バイキングはそれまで行っていた襲撃行為の経済的動機のほとんどを失っていたのです。

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バイキング(海賊)の歴史や文化14の話|船・斧や剣・兜に関する真実のまとめ

恐ろしい海賊として思い浮かべられることが多いバイキングに関して、歴史や文化を軸に14個の話を紹介してきました。

見てきたように、実在したバイキングは確かに略奪行為をすることがあったものの、一般的なイメージ像とは大きく異なる点も多々あったことが分かります。

世界のことって面白いよね!By 世界雑学ノート!

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